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ふるさとの外城と麓
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 鹿児島には「○○麓」と呼ばれる地区が各地で見られます。

 『麓』(ふもと)とは、江戸時代の薩摩藩内の地域に置かれた武家集落の呼び名の名残です。
 麓は、その地区が古来の城の山麓に形成されていたことや、その場所が政治執行の中心地、つまり「府本」(ふもと)であったからと言われています。 戦国の世が終息し、江戸時代初期のころになると徳川幕府により「一国一城令」が公布されました。これによって、全国の藩(国)では江戸幕府が許した地方の領主は拠点である城を一つしか持つことを許されなくなりました

 そこで薩摩藩は、それまで当主島津の一族の所領としていた区分ごとに、そこを『外城』(とじょう)として、それまでそこに所属していた武士を区域にそのまま置き、または、別の地域に移住させるなどして、統治しました。外城には地頭を配置して、行政施設として『地頭仮屋』(じとうかりや)を置き行政軍事にあたらせました。

 外城区域を後に『郷』(ごう)と呼ぶようになったため、その区域に居住する武士は『郷士』と呼ばれるようになります。それに対して鹿児島本城下に居住する武士を「城下士」といいました。

 このように外城は、それまで多数存在した村々を一団の行政地域として「郷」と呼ぶようになり、江戸期幕末のころには、藩内に113ヶ所の外城(郷)があったそうです。 そのうち現在の薩摩川内市に位置する外城が14ヶ所あります。下表は、江戸期を通して存在した「外城(郷)」とその「麓」であったとされる主な場所で、その遺構が見られる地区です。


 外城と麓、地頭仮屋などの詳しいことはこちら 外城(とじょう)と麓 から

幕末のころの
外城(郷)域
外城武家集落(麓)の所在地 外城(郷)形成以前の郷内の主な城  
平佐 JR川内駅東側、平佐西小学校付近一帯 平佐城 碇山城
久住城 小鹿倉城
隈之城 隈之城小学校付近、二福城一帯 二福城(隈之城) 矢倉城
宮里城      
高江 峰山小学校付近、南側一帯 峯ヶ城(高江城) 白石ヶ城
寄田城     
山田 永利小学校付近一帯 永利城        
            
百次 百次町付近一帯 上野城(百次城)           
                      
水引 亀山小学校西付近、地頭仮屋跡一帯 水引城(屏風城) 栫城
小倉城     
高城 現在の光明坊(寺)北側、地頭仮屋跡一帯 妹背城 藤峰城
湯田城 仕剣丸城
中郷 中郷町川内川付近 亀ヶ城      
            
東郷 東郷小学校西側付近地頭仮屋跡一帯 鶴ヶ岡城 亀ヶ城
山田城        
入来 入来小学校東側一帯 清色城         
                  
樋脇 市樋脇支所北側付近、地頭仮屋あと一帯 樋脇城 前田城
市比野城     
藺牟田 藺牟田小学校付近 藺牟田城       
            
黒木 黒木小学校(地頭仮屋跡)付近 黒木城       
       
大村 大轟小学校(地頭仮屋跡)付近 大村城(永福城)      
           
甑島 里町港南部 亀城