ふるさと薩摩川内 いつか暮らした懐かしいふるさと
薩摩川内は今も変わらないか あの海 あの山 あの川は
ふるさとの古城跡
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 鹿児島には「○○麓」と呼ばれる地区が各地で見られます。 『麓』(ふもと)とは、江戸時代の薩摩藩内の地域に置かれた行政施設及びその近隣の武家集落の呼び名の名残です。

 世の中が安泰する江戸時代より前の戦国時代の各国(藩)には自国の防衛拠点として山城などの多くの城が置かれていました。戦国時代が終息し、江戸時代初期のころになると徳川幕府により「一国一城令」が公布され、藩では城を一つしか持つことを許されなくなりました。

 そこで薩摩藩は、藩の一城を鹿児島城(鶴丸城)として、それまで当主島津一族など各地の有力者が所領していた山城などがあった区域を『外城』(とじょう)として、武士もそのまま残し行政や防衛のほか農業も兼業させました。そうして、それまでの領主は鹿児島城下に住まわせ、代わりに地元には地頭を置きました。

 のちに外城区域を『郷』(ごう)と呼ぶようになったため、その区域に居住する武士は『郷士』と呼ばれるようになります。薩摩藩の「郷」は、江戸期幕末のころには113ヶ所あったそうです。

 そのうち現在の薩摩川内市に位置する「郷」が15ヶ所あります。下表は、江戸期を通して存在した「外城」(郷)とその「麓」であったとされる主な場所で、その遺構が見られる地区です。


 外城と麓、地頭仮屋などの詳しいことはこちら 外城(とじょう)と麓 から

江戸時代末期のころの外城麓(郷) 私領 外城麓(武家集落)の所在地 外城麓(郷)形成以前の郷内の主な城  
平佐 JR川内駅東側、平佐西小学校付近一帯 平佐城 碇山城
久住城 小鹿倉城
隈之城 隈之城小学校付近、二福城一帯 二福城(隈之城) 矢倉城
宮里城      
高江 峰山小学校付近、南側一帯 峯ヶ城(高江城) 白石ヶ城
寄田城     
山田 永利小学校付近一帯 永利城        
            
百次 百次町付近一帯 上野城(百次城)           
                      
水引 亀山小学校西付近、地頭仮屋跡一帯 水引城(屏風城) 栫城
小倉城     
高城 現在の光明坊(寺)北側、地頭仮屋跡一帯 妹背城 藤峰城
湯田城 仕剣丸城
中郷 中郷町川内川付近 亀ヶ城      
            
東郷 東郷小学校西側付近地頭仮屋跡一帯 鶴ヶ岡城 亀ヶ城
山田城        
入来 入来小学校東側一帯 清色城         
                  
樋脇 市樋脇支所北側付近、地頭仮屋あと一帯 樋脇城 前田城
市比野城     
藺牟田 藺牟田小学校付近 藺牟田城       
            
黒木 黒木小学校(地頭仮屋跡)付近 黒木城       
       
大村 大轟小学校(地頭仮屋跡)付近 大村城(永福城)      
           
甑島 里町港南部上甑町中甑・下甑町手打 亀城      
           
私領:□は、外城域を特定の領主が治めたところ、以外は島津家の直轄地