さつま町と出水市に跨る紫尾山地の山で、標高は1,067mの北薩地域(旧薩摩国北部)最高峰。
山頂付近の植生は周辺地域とは異なり、ブナ、アカガシ、モミなどの天然林があり、「林木遺伝資源保存林」に指定されています。
山頂までは堀切峠(国道504号)からの林道が通じています。
藩政時代,川内川を利用して年貢米を舟で運べるよう,「のみ」「金づち」で巨大な岩石を切り開く大工事がされた歴史があり,昭和4年には歌人,与謝野晶子が訪れ歌を残しています。
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墓所自体は現在も宮之城家の管理下にあり、家型の特異な墓石などから鹿児島県指定史跡となっています。
江戸時代には薩摩藩主島津氏から尊崇され、この地域の鎮守神として社領の寄付や社殿の修復が行われました。また、寛永末年(17世紀中頃)に神託によって永野金山が発見されたことで有名になり、現在でも初詣には1万人ぐらいの人出で賑わっています。