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| 樋脇町は薩摩川内市のほぼ真ん中に位置する町で、まちの中央に丸山というシンボルがあります。 地域は、北側から倉野、搭之原、市比野地区があり、古くから農業の盛んなまちで、丸山の麓には「市比野温泉」があり、空港道路の道の駅「遊湯館」など「水と緑と温泉のまち」は沢山の人で賑わっています。 |
| 倉野 | |||
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| 倉野は、樋脇町の川内川沿いにある、古くから米作りが盛んなところです。 神話の時代、川内川を船で下ってきた人が倉野の渕で遭難し、溺れてしまったそうです。川で釣りをしていた倉野の住民が気付き、その人を助けたところ、お礼に持っていた稲穂をもらいました。その稲穂を田んぼに蒔いて育てたところ、それは今までになく収穫が増え、来る年も来る年も大豊作だったとのことです。 村人に助けられたこの人は、後に、稲の神様として知られるニニギノミコトであったことがわかったそうですが、いつの日からか、倉野の人々は、この地に稲穂神社を築き五穀豊穣を祈ることになったようです。 写真は、倉野の川内川川渕の小高い丘に築かれた稲穂神社です。 |
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| 倉野地区で発祥したといわれる、奴踊り 田の害虫を追い散らすしぐさの舞いですが 毎年田植えが始まるころに稲穂神社に奉納し、その後、川内新田神社の御田植祭でも奉納されます。 |
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かつて稲穂の里として、稲作りが盛んだった倉野 最近は、大豆やイチゴの栽培も盛んです。 地元で生産した大豆で「倉野とうふ」を製造販売しています。 |
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| 「倉野とうふ」は、地元の加工場で製造し 毎週、火・木・土・日曜は、 市比野遊湯館 川内山形屋などで販売しているそうです。 |
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| 歴史探訪 | |
| 倉野磨崖仏 | |
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| 磨崖仏とは崖に仏様の像を刻んだものをいうそうですが、仏を表す梵字を刻むこともその一つだそうです。 ここ倉野には、17の梵字があり、この中に全国的に珍しく、貴重な梵字が残っているそうです。 この地には、鎌倉時代の末期に「瑞泉庵」という寺があり、仏教研究に熱心な寺院であったとされます。 薩摩地方の文化にも影響があったことを物語るものです。 |
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搭之原 樋脇のシンボル 丸山 (2010.3.27) 樋脇のシンボルともいうべき丸山は、まちの何処から見てもまん丸です。
青々と繁る原生林の山は、優しく樋脇の里を見続けています。高さ217m、今から140万年前地下の粘り強いマグマが地上に湧き出して冷えて固まってできた鐘状火山(トロイデ火山)と言われます。樋脇町塔之原は、合併前まで旧樋脇町の町役場があり、現在は市の支所が置かれている場所です。
古くは、室町時代の頃、樋脇地区の市比野、塔之原、倉野3村と平佐東地区3村は入来院(旧入来町地域の領主)の領地、つまり入来院でした。
江戸時代になると、この樋脇地区と平佐東地区は樋脇郷として統治されました。塔之原に藩の役所(地頭仮屋)があり、ここを中心に行政やまちづくりが行われ、明治2年になって平佐東3村は川内平佐郷に編入されました。明治22年になると、市町村制が発布され平佐東は川内町(後に川内市)となり、樋脇3村は樋脇村(現在の樋脇町区域)として独立した行政区になりました。
| 地域の広場 | ||
| 鉄道記念公園 | ||
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| 旧宮之城線樋脇駅跡にある記念公園 | 公園の一角に鷹の巣冷泉があります | |
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| 鷹の巣冷泉は、古くから皮膚病に効能があることで知られるお風呂です。 源泉から2kmほど引いて、ここ旧樋脇駅公園内の施設で沸かしています。 川内駅から車で20分弱で行ける館には、 地元手作りの新鮮な農産品や味噌、ドレッシングなども置かれています。 |
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| 八幡公園 | ||
| 樋脇川の河畔には八幡公園が整備され、 初夏には、蛍が乱舞する市民の憩いの場となっています。 |
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| 丸山公園・丸山自然公園 | ||
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| 丸山麓の公園では、遊具やステージが整備され市民の憩いの場になっています。 運動広場では、サッカーの試合ができる本芝、人工芝のピッチが整備され、県内外の各種サッカー大会のほか グラウンドゴルフ大会、市比野温泉よさこい祭りのメイン会場になります。 |
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| 田苑酒造 焼酎資料館 | |||||
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市比野川河畔にある焼酎工場、田苑酒造は、工場の隣に焼酎資料館を設けています。 230年を越すという熊本山鹿の酒蔵を移設して造られた史料館の中は、巨大な柱と梁でできており、建物としても貴重なものです。 その中に田苑酒造の前身である塚田酒造が使用していた製造機器類をそのまま展示した、日本初の焼酎資料館といわれます。 |
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| チンタラ蒸留器といわれる昔の蒸留器 | |||||
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田苑酒造では芋焼酎にクラッシック音楽を聞かせて、醸成するという手法をとっています。焼酎も生き物、まろやかな味の焼酎ができるそうです。 資料館では、年に二回クラシックのコンサートも開催されます。 |
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| 日頃は試飲も出来ます | ![]() |
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| 田苑酒造のホームページへは こちらから | |||||
歴史探訪 武家屋敷群 麓といわれる地頭仮屋跡付近には、石垣塀や真っ直ぐに伸びた通路と武家屋敷群が残っています。
樋脇麓の風景はこちら 樋脇麓 から写真上のこんもりとした森を中心とする、この広大な田園地帯を八幡北田間田地区といいます。
森の中には、若宮八幡神社が鎮座します。江戸時代の始めの頃まで、この若宮八幡の近辺には60戸を超える武家屋敷があったといいます。
なぜ、今は武家屋敷跡が見られないのでしょうか。
それは、武家屋敷そのものが、藩の政策により現在の地頭仮屋跡(庄内)付近一帯に移されたのです。そこには、樋脇町が現在のように水田農業の盛んな地域となるための壮大な歴史がありました。
それらの歴史はこちら 江戸時代の公共事業 〜農業用水路からなーにこれ? ・・・・・・・・ ☆☆☆ 広大な八幡地区の田圃を見守る 田の神さぁ でした 『樋脇』の地名のゆえんは
現在の樋脇町は、渋谷入来院氏が下向してきた鎌倉時代のころは、入来院の一角でした。戦国時代を経て江戸時代の始めのころ、現在の樋脇地域と平佐東地域が分離され、樋脇郷と称しました。
分離してしばらくは、『新清敷』と呼んでいたようです。江戸期になり新名称の論議があったようですが、このころ、現在の薩摩川内市樋脇支所の西方にあった樋脇城の名をとって『樋脇郷』としたようです。
明治2年になると平佐東地区が川内の平佐郷に編入されますが、その時もその名は残り、さらに明治22年、町村制が発布された時も『樋脇村』として引き継がれ、現在に至っています。
▼樋脇城は、戦国期入来院の出城で、川内方面から島津軍が攻めてくるのを防御する役目を担っていましたが、度々の島津軍の攻撃に江戸時代初期には陥落し、島津氏の公領となりました。
樋脇城の大手門と呼ばれる堀切を登っていくと、そこは城内の馬場の跡、さらに山手に本丸がありました。
地域には「城内」という地名が残っています。文化財 玉渕寺(ぎょくえんじ)跡遺跡
塔之原本庵地区の樋脇川渕にあったとされる玉渕寺は、鹿児島福昌寺の末寺とされるが、島津家18代当主家久公の菩提寺として開山されたという。
寛文10年(1670年)19代光久公の巡礼の折、この寺で踊られたのが現在に伝わる樋脇武士踊りである。
写真の仏像は、明治の廃仏毀釈により、近くの川や竹やぶに投げ入れられていたものを引き上げ、寺跡に安置したものだそうです。このほか、寺跡には、現在、町の戦没者慰霊碑、田の神像などがあります。本庵の田の神様
鹿児島地方に伝わる『田の神様』は、通常田んぼの近くに鎮座され、田の豊作を見守るとされる。手には、シャモジなど米に関係のあるものを抱えていますが。この像は、棒か剣と思われるものを持っています。
この田の神様は元は近くの一宮神社にあったとされますが、昭和57年にこの場所に移されました。もともと田の神として作られたものではないものを田の神として祀っていたのかも知れません。瑠璃光寺跡石塔群
瑠璃光寺は文明6年(1474年)坊ノ津一条寺の末寺で真言宗の寺でした。はじめ、入来院家臣木場氏の支持として現在の入来麓に建てられたが、万治2年(1659年)入来清色に住んでいた郷士が樋脇塔之原に移転してきたとき、現在地に移転されました。
以来、樋脇郷の祈願寺として明治維新の廃仏毀釈まで栄えましたが復興されることはなかった。
今は、供養塔や歴代住職の石塔が建っていますが、当時の寺はもっと広かったものと思われます。
三島の仁王像
瑠璃光寺跡のすぐ近くにある道路筋に安置されていますが、おそらく瑠璃光寺が栄えていたころ瑠璃光寺の山門を守っていたものではないかと言われます。
薩摩川内市の各地に点在している菅原神社
樋脇町本町地区にも菅原神社が置かれています
やはり菅原道真はスーパーヒイロー上之原地区にある霧島若宮神社の宝塔が祀られている神社。
平安時代末期のものといわれ、通常は相輪や笠石、土台などもあるそうですが、見つかっていません。
宝塔はこの社殿の中に収められています。
昭和50年に当時の樋脇町の指定文化財となっています。
市比野 市比野温泉
市比野と言えば「市比野温泉」。薩摩川内のほぼ真ん中にある町です。
市比野の南、八重山山系からは、清流がとうとうと流れ下流の田畑を潤しています。
そして、城後川の山間に湧き出た温泉が「殿様の湯」といわれる市比野温泉700年もの昔から噴出しているといわれる市比野温泉
市比野温泉は、温泉街の市比野川に湯の滝といわれる滝があるほど湯量の多い温泉です。
江戸時代のある時、市比野のすぐ近くの丸山にメジロ捕りに来られた島津家第19代当主(薩摩藩第2代藩主)島津光久公にこの温泉を勧めたところ、大変お気に召され、近隣の人々にも広く開放して利用するようお勧めになられ、 それ以降、殿様湯といわれ大変栄えたそうです。
弱アリカリ性のお湯は、肌にやさしく、神経痛、胃腸病などの薬効があり、美人の湯ともいわれています。
”水鳴れば谷かと思ひ遠き灯の
見ゆれば原と思ふ湯場の夜”
明治の女流歌人 与謝野晶子の詠んだ歌です。
与謝野晶子は昭和4年夫鉄幹と市比野を訪れています。
二人は、有名な出版社、改造社の創始者である、川内出身の
山本実彦の案内により鹿児島に半月ほど滞在したといわれます。
与謝野夫婦はこのほかにも川内地域で短歌を詠んでいます。
市比野温泉は、古くから農作業などの湯治の温泉としても親しまれ、近隣地域からの湯治客で賑わっていました。
地域には、上の湯、中の湯、下の湯の 公衆浴場がありましたが、現在は、上の湯と下の湯となっています。
温泉街には石畳が敷かれ、健康センターが完備、「上の湯」です。交通の便が良くなった現在は、名湯を聞きつけた遠方からの客が増えています。
清涼の空間 藤本の滝 市比野温泉街の南、鹿児島市郡山地区との境の山間に素晴らしい滝を見つけました。
市比野の上流に位置する藤本にあるこの滝は、入来八重山から山間を流れてきた美しい水が、一本の太い糸となって滝壺に滔々と落ちています。
市比野から鹿児島郡山に向かう県道から、車で入れる所にあります。真夏には、空気のおいしさを感じる清涼空間です。藤本 岩下棚田 岩下地区は入来町八重山西部の樋脇町藤本境の地域です。
八重方面の壮大な岩山に抱かれ、すそ野には沢山の田が開拓されています。
さわやかな風と冷たい水が、おいしい稲を育てます。
地域の広場 くつろぎの広場 道の駅 遊湯館 空港道路沿い、道の駅「遊湯館」は、地元の生産品を求めるお客さんで、いつも賑やかです。
温泉場らしく足湯もあり、ドライブの疲れを癒してくれます。
市比野プール(サンヘルスパーク) 子供たちに人気のらせんシューターや流れるプール