ふるさと薩摩川内 いつか暮らした懐かしいふるさと
薩摩川内は今も変わらないか あの海 あの山 あの川は
フルーツ
東郷
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温室キンカン  
  
東郷町
 東郷町は、川内川北部の紫尾山麓に位置し、水稲を始め果樹栽培が盛んな農業地帯です。
 古くから温州みかんの栽培が盛んにおこなわれていましたが、最近では、キンカンの温室栽培や巨峰、梨などの栽培が行われています。 
             
6月ごろになると実が大きくなり始める巨峰には、
防虫のための袋がかけられ8月ごろには収穫を迎えます
 名物の鮎漁に使われる屋根のある川舟です
 夏にはこの付近でアユ釣りの風景が見られます
 旧東郷町と旧川内市楠元町を結んでいる楠元橋
               
藤川天神
 学問の神様として慕われている菅原道真公を祀ってある藤川天神
境内にある臥竜梅は道真公が自ら植えられた一本が繁茂したものと言われ、神社は菅原公が亡くなられて間もなく建立されたといわれます。
 菅原道真公は、901年のころ平安京で右大臣(現在の副大臣)を務めていましたが、藤原時平氏の反発を買い太宰権帥(九州政庁の副長官)として九州大宰府に左遷されてしまいます。
 道真公は赴任の地、大宰府で死亡していますが、一説では、藤原時平の暗殺計画を知り大宰府で病死をよそおい、ひそかに薩摩に下り、ここ藤川で余生をおくったとの言い伝えがあります。境内には道真公の墓所と伝えられる場所もあります。
臥竜梅   2005.3.12撮影
東風ふかばにほいおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ
道真公が京を発つときに時に詠んだ和歌といわれます
 臥竜梅は、枝が地に付きそこに根がはえて、時間をかけて繁茂したもので、幹の姿がまるで竜が地に臥したような形になっているためその名がついたといわれます。
 藤川天神には現在150本ほどの臥竜梅があり、そのうちの50本ほどが国の天然記念物に指定されています。 これほどの数は日本でも最大級とのこと。写真上はほぼ満開の臥竜梅です。古代の質素な感じの八重の花ですが、匂いがとても強く懐かしいお化粧の香りがします。 道真公はこの香りに都を偲んでいたのでしょうか。  
境内にある「ツン」像

 西郷隆盛がうさぎ狩りの猟犬として可愛がっていた「ツン」は東郷育ちといいます。
 西郷が政界から下野して鹿児島に帰り、藤川天神を参った際、藤川の住人から譲り受けたものだそうです。
 東京上野の銅像でも西郷と一緒にいます。
地域の広場
くつろぎの広場 ゆったり館

 斧渕地区に2003年にオープンした温泉施設「ゆったり館」は、連日沢山の利用客で賑わっています。
 露天風呂も人気、館内には、農産物など特産品の売り場もあります。
五色公園

 藤川から流れる田海川流域にある五色公園
 一角には、バンガローやテント広場が整備され、夏場には冷たくて美しい川のほとりでキャンプが楽しめます。
歴史探訪

東郷麓
 東郷地域は、鎌倉時代から江戸期直前まで渋谷一族の東郷氏が治めたまちです。
 島津氏に降るまで、340年にわたり居城したといわれる鶴ヶ岡城のすぐ近くに武家集落跡があります。
 東郷の武家集落は現在の東郷町の最西端に位置していますが、当時は、現東郷町に加え下東郷・中郷までが領地であり、麓は地域のほぼ中心部でした。  東郷麓の風景はこちら 東郷麓 から 
東郷平八郎元帥
 武家集落の近くに渋谷東郷氏第5代の東郷重親氏の墓碑があります。
 東郷家は、日露戦争時の海軍大将で、後に元帥となった東郷平八郎氏の御先祖で墓碑の文字は元帥が書かれたものです。
 東郷平八郎氏は、1848年(江戸時代末期)に今の鹿児島市加治屋町に生まれ、少年のころ薩英戦争に参加し、後に海軍に入りました。
 日露戦争の日本海海戦においてはロシア、バルチック艦隊を撃沈した、時の海軍司令長官として有名です。