ふるさと薩摩川内 いつか暮らした懐かしいふるさと
薩摩川内は今も変わらないか あの海 あの山 あの川は
川内の水源 
中郷
・下東郷
HOMEへ 高城麓 << >> 東郷 位置図

国道267号   

中郷・下東郷
 大小路町から国道267号を東へ川内川右岸の町です。
 大小路、中郷付近の国道267号は、昭和40年頃まで川内川の堤防沿いにあり、東郷通りと呼んでいました。下東郷・中郷地区は紫尾山からの綺麗な水が川内川に注ぎ込む地点にあるため、昔から川内地域の広範囲へ美味しい水を供給してくれる水源地になっています。

中郷
 大小寺の国道3号から国道267号を東へ約1km行った沿線一帯に栄える町です。
 現在の国道267号は、昭和40年頃まで川内川の堤防沿いにありました。このころ沿線は広い田畑でした。現在の場所に移されてから、一帯は区画整理が行われ、現在のような商業・住宅地域となりました。さらに、川内川に天大橋ができて天辰方面からの往来も多くなり中郷は急速に発展しました。
 近隣には、歴史資料館・まごころ文学館・国分寺跡・万葉の散歩道・総合運動公園などがあり、文化施設の里ともいえます。

歴史資料館 庭園  
歴史資料館
 歴史資料館の玄関を進むと歴史の空間へタイムスリップ
 2階には、川内の古代古墳から新田神社、薩摩国府、近代、現代の生活まで順を追って学習できる第1展示室と薩摩藩軍港、平佐焼、大綱引き、川内ゆかりの画家(作品)や実業家などの歴史を学べる第2展示室があります。資料館では、年に数回の特設展も開催されます。
川内まごころ文学館
 歴史資料館の隣にある、まごころ文学館は二階に川内にゆかりの深い文学家有島三兄弟の一人「里見ク」のほか三兄弟と家族、昭和初期の日本文学者たちの活動を顕彰しています。
 また、一階には、川内出身のジャーナリストで実業家の「山本実彦」が総合雑誌「改造」で出版した有名文学者達の原稿や実彦との親交の証しなどが多数展示されています。
 いずれも学術的に貴重な資料で文学界から高い評価をされているそうです。 ここでしか見られない有名作家の小説原稿や手記を見ることができます。
(室内の撮影は、遠景のみ許可をいただきました。)
                                 
鶴嶺窯
 鶴嶺1号窯跡は、中郷町鶴嶺の丘陵部、薩摩国分寺跡の北約1kmの所にあります。西暦700年から800年頃に建てられた薩摩国府、国分寺の瓦を焼いた窯跡です。
 この窯跡は、南西崖面から台地の奥に向けてくり抜いた登り窯折衷平窯で奥行6.5m、幅1.6m、高さ1mであったとさます。窯跡はその後の開発で道路で切断され完全な状態ではなかったそうですが、中からは当時の瓦が発掘されました。
 このほか隣の2号窯とも国の指定文化財になっています。
   
安国寺
 中郷町の育英小学校となりに建つ安国寺
 安国寺とは、室町幕府を開いた足利尊氏が国府の置かれていた全国60以上のまちに勧請した寺です。
 薩摩川内にも当時建てられたといいますが、1587年豊臣秀吉による九州平定の際に焼き払われたとあります。

  この安国寺が当時の寺と縁があるものかについては、このホームページの管理者は承知していませんが、この寺は、廃仏棄釈後、明治13年に浄土真宗本願寺派の寺として復興されたものだそうです。

地域の広場
万葉の散歩道
奈良時代に薩摩国府の長官を務めていた「大伴家持」は後に万葉集を編纂しました
万葉の詩を楽しみながら汐入川沿いを散策できます
 総合運動公園
 川内川北部の丘陵地に南向きに開ける場所にあります。メインアリーナ、サブアリーナ、屋内運動場(人工芝)、武道場、弓道場、スポーツジム、陸上競技場、野球場、テニスコート、多目的広場、スポーツ交流研修館などを備えた総合運動公園になっています。
公園の一角に 横綱西の海嘉次郎碑
 西の海嘉次郎は現在の薩摩川内市高城町高来の出身で、明治23年から6年間大相撲の横綱を務めた人物です。
 引退後は井筒部屋を興し40人以上の弟子を養成したといいます。今後、井筒部屋から横綱が誕生することがあれば「西の海」を名のることがあるそうです。
中郷池
 運動公園の一角にある中郷池(上池)は、春には桜なども咲き市民の憩いの場になっています。
下東郷
 川内川右岸の旧東郷町の下流に位置する下東郷は、北東に北薩摩の名峰「紫尾山」がそびえ、そこから流れ来る豊かな水は、薩摩川内市地域の水源となっており、市の広範に水を供給しています。
 川内川では、この下流域まで海からの海水が遡上し、「スズキ」などの海水魚が釣れたり、「鮎」、「うなぎ」などの遡上があり、ここから上流は恰好の漁場となっています。また、「山太郎ガニ」、「川海老」など川魚の宝庫でもありもあります。  

霧の川内川 (田海町付近 2005.10)   

白浜橋

 この地区の八幡小学校へは川内川を越えた白浜町からの通学もあり、かつては船で川を渡って学校に通っていました。

田海川   

高城川は城上町、田海町、高城町、五代町を経て川内川へ 

西川内フラワーロード
 春は菜の花やつつじ、夏は紫陽花が迎えてくれます。この道をぬければ、菅原道真公の祀られる藤川天神へ
地域の広場
八幡河畔公園

歴史探訪
 現在の下東郷田海町、下東郷白浜町と中郷町は、明治の初めの頃まで東郷に属していました。それぞれ東郷田海村、東郷白浜村、東郷中郷村となっていました。明治22年町村制が施行したとき、この三村が下東郷村として独立し、長く一自治体を形成していました。昭和32年に川内市と合併することになりますが、このとき、下東郷村の一部が当時の高城村と合併し、昭和40年には旧高城村が川内市と合併したため、再び同じ自治体(川内市)となり、今に至っています。