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可愛山陵
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可愛山陵
 川内寺山から西方を望むと平野の中心部を大きな川が東シナ海へ注ぎ込んでいきます。その北側(写真右端)の町にこんもりとした丘が座っています。これが神亀山こと可愛(エノ)山陵です。 
 可愛山陵は「古事記」や「日本書紀」の神話に登場する天孫降臨物語に登場する天皇の御先神「瓊瓊杵尊」(ニニギノミコト)の陵墓とされています。
陵墓は山陵の頂上にあります。
自然の墳丘、可愛山陵は大きな楠の木が守っています。
りょぼ陵墓山陵への入口は東側から
陵墓のある頂上は新田神社境内に繋がっています
 可愛山陵は「古事記」や「日本書紀」の神話に登場する天孫降臨物語の「瓊瓊杵尊」(ニニギノミコト)の陵墓とされています。
  ニニギノミコトは、日向の高千穂の峰に天から降り立ち、南薩摩の笠沙に住まい、その後この川内の地に辿り着き、この地を統治して死後可愛山陵に葬られたとされています。
(このころ鹿児島県も日向だった。)

 可愛山陵は、同じ鹿児島県内の高屋山上陵(霧島市)、吾平山上陵(鹿屋市)とともに神代三山陵とされます。

 1874年(明治7年)明治政府は、「古事記」や「日本書紀」の天孫降臨物語に登場するニニギノミコトの陵墓が現・薩摩川内市の神亀山であると定めました。
 その後、1896年(明治29年)には、現・宮崎県東臼杵郡北川町にある可愛山陵伝承地、可愛岳山麓の経塚古墳「日向埃山陵」を北川陵墓参考地として、また、現・宮崎県西都市にある西都原古墳群にある男狭穂塚「男狭穂塚陵」をともに可愛山陵参考地として定めました。

 神亀山の5分の4が御陵の領域となっている可愛山陵は1914年(大正3年)に宮内省(現・宮内庁)の直轄管理地となっています。1920年(大正9年)3月30日には昭和天皇(当時皇太子)が御参拝、1962年(昭和37年)には今上天皇(当時皇太子)及び皇后美智子(当時皇太子妃)の御参拝など、皇族の御参拝は、2014年まで9回にも及んでいます。

 天孫降臨神話はこちら天孫降臨とニニギノミコトから

 ニニギノミコトを祀る 新田神社(新田八幡宮) へは、可愛山陵陵墓から繋がっています。