天孫降臨(てんそんこうりん)は、日本最古の歴史書「古事記」や「日本書紀」に記されている物語の一説です。 天上の国、高天原に住んでいた太陽の神、天照大神(アマテラスオオミカミ)の子孫が地上に降りて日本を平定したとの神話です。この天孫降臨物語は薩摩川内にも深い縁がありました。 太古、天上の国(天津国:アマツクニ)の支配者であった天照大神(アマテラスオオミカミ)の孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に葦原中国(アシハラナカツクニ:日本)の平定を命じ、ニニギノミコトは葦原中国の統治のために天上の高天原(タカマガハラ)から地上に降りたというのです。 日向の高千穂峰に降り立ったニニギノミコト(以下ニニギ)は、南薩摩の笠沙に下り嫁をもらい子どもをもうけ暮らすことになります。 このように、ニニギは日本を統治するために高天原から初めて葦原中国に降ることになる神なのですが、実は、最初の予定では、地上行きはニニギではありませんでした。アマテラスは初めニニギの父のオシホミミに地球に降るよう持ちかけたのです。 ホシホホミは、あんな騒々しいところは嫌だと言って断ったそうです。このころ葦原中国は神々の争いでとても騒がしかったそうです。ニニギがまだ生まれていないころのことです。 暫くして地上が静まったところで、再びアマテラスが、ホシホミミを行かせようとすると、今度は、私に息子が生まれたからその子を行かせると言って拒否しました。ホシホホミにはいろいろ事情があったようですがアマテラスは、孫のニニギを行かせることを承諾し、多くの家来を従えて降臨したそうです。 ニニギが降臨する時アマテラスは、八尺瓊勾玉、八咫鏡、天叢雲剣の三種の神器を持たせ、この鏡を天照大神の御魂と思って、敬い祀りなさいと伝えたといいます。古事記によると、ニニギは高天原を離れ日向の高千穂に降り立ち「韓国(からくに)から南薩摩の笠沙(かささ)の岬まで真の道が通じていて、朝日のよく射す国、夕日のよく照る国である。それで、ここはとても良い土地である。」とされ、そこに宮殿を建てて住むことにしたそうです。 ある日、ニニギが散歩をしていた時のことです。それはそれは美しい姫に出会いました。ニニギはひと目でその娘に恋をしてしまいました。名前を聞くと「私は山の神オオヤマツミの娘で、コノハナサクヤヒメと申します」。まるで花が咲いたように美しいコノハナサクヤヒメに、ニニギはすぐに結婚を申し込みました。 娘のコノハナサクヤヒメがニニギから結婚を申し込まれたことを知ったオオヤマツミは、大喜びです。娘を嫁に出すときには、山ほどの贈り物をコノハナサクヤヒメに持たせ、なぜか、姉のイワナガヒメも一緒にニニギのもとに嫁がせました。 コノハナサクヤヒメを迎えたニニギは幸せいっぱいでしたが、ふと見ると一緒に姉のイワナガヒメも来ているではありませんか。木の花のようにサヤサヤと美しいコノハナサクヤヒメ。反対に姉のイワナガヒメはというと、岩のようにゴツゴツとしたみにくい顔だったそうです。 イワナガヒメが帰されたことにおどろいたオオヤマツミは「私が二人の娘を嫁がせたのには意味があるのです。コノハナサクヤヒメを妻にすれば木の花の咲くようにお栄えになったでしょう。また、イワナガヒメを妻にすれば岩のようにビクともしない永遠の命を持つことができたでしょうに。」こうしてイワナガヒメだけ返したことでニニギ以降の天孫の命は花のように短くなったといいます。 |