ふるさと薩摩川内 いつか暮らした懐かしいふるさと
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ふるさとの今を知りたい
薩摩の一の宮 新田神社
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 川内寺山から西方を望むと川内の中心部を横切って大きな川が悠々と東シナ海に注ぎ込んでいます。その川内川右岸の商業・住宅地域の中に蒼々とした小高い丘が静かに座っています。神亀山こと可愛(エノ)山陵です。
 
 可愛山陵は、皇室の御先神であるとされる神話の「ニニギノ尊」の陵墓があるところで、ニニギノ尊は、日向(宮崎県)の高千穂の峰に天から降り立ち、その後センダイの地に辿り着き、この地を統治したとの天孫降臨伝説があります。可愛山陵は、神亀山というとおり、上から見ると亀の形をした山です。

 墓地のすぐ隣にニニギノ尊を祀る新田神社(新田八幡宮)があります。創建は725年ともいわれますが、明らかではありません。新田神社は、薩摩の一の宮とされ古くから多くの参拝者が訪れます。社殿には、銅鏡、古文書、本殿等建物、大楠など国・県・市指定の貴重な文化財が数多く残されています。
可愛山陵
可愛山陵頂上の陵墓
墓前へは山陵の東側の階段から こんもりとした森の中を登ると

最上段に陵墓が安置されています 新田神社の社務所の前からも行けます
 新田神社の社殿、陵墓とも山頂にあるため、それぞれ300段を超える石段があります。地域にある川内北中学校や川内高校の部活動では、この階段や新田神社の参道が昔から格好のトレーニング場となっています。また、近くにはこの地の名からとった、亀山小学校や可愛(エノ)小学校などがあります。
 新田神社は、稲穂の神といわれています。毎年6月入梅前の日曜日には、神田で田植えの行事が行われ、田植え祭りとして地域に定着しています。古くは神田の近くを流れる銀杏木川の降来橋のたもとで、田植を終えた若者が取っ組み合う風景も見られましたが、堤防がコンクリート積みになった今では見られなくなりました。
新田神社
新田神社一の鳥居
鳥居の彼方は可愛山稜 参道は約600mあります。
二の鳥居 
新田神社の参道は川内川をわたり宮里まで続いていたといいます。
新降来橋から新田の杜へ 二の鳥居をくぐると  新降来橋と旧降来橋と続きます
階段を登ると山陵の中段へ
 新田神社は、はじめ山陵の中腹(現在の中段)にあったそうですが、火災に遭い山頂に移されたそうです。
 現在山頂にある社殿は1601年島津義久公が朝鮮の役の際、祈願達成の報恩として造営されたもので、
 さらに1850年島津斎興が改修したものだそうです。
 写真は中腹に残っている礎石
こんもりとした森の参道を登りさらに上へ
樹齢2000年といわれる大楠    あまりの樹齢の長さに中には空洞ができています。

昭和初期の歌人、与謝野鉄幹、晶子夫妻が昭和4年7月に鹿児島を訪れています。
その時、夫妻は新田神社にも参り、鉄幹は、このクスノキのことを詠んでいます。

     
可愛の山の 楠の大樹の 幹半ば
            うつろとなれど 広き蔭かな
いよいよ境内
境内の獅子はふところに子どもを抱いています
子宝の神様でもあります。
正月には各地から沢山の参拝者が

 御田植祭
  毎年6月の梅雨前の日曜日に神田で開かれ、五穀豊穣を祈ります。
可愛い子ども達が苗を運び早乙女、早男が苗を植えます
地元宮内の踊り連、田圃の中で虫を掃います。 樋脇町倉野に残る奴振り踊りの踊り連