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| 平佐東は、旧平佐村の東部、楠元町、中村町、久住町をいいます。 川内川左岸及び樋脇川下流域にあり、寺山の東側の地区です。 かつては、酪農、養蚕、野菜など川内地域の近郊農業地帯として栄えました。 また、廃線になってしまいましたが、旧国鉄宮之城線が通っていて、楠元駅、吉野山駅を経て樋脇、入来、宮之城、大口へと通じ賑わっていました。楠元駅跡は東郷町の川内川対岸にあり、今も交通の要衝となっています。 |
あさひ元気市 まちおこしの行事「あさひ元気市」は、旧宮之城線楠元駅跡広場で、毎月第2日曜日に開かれます。
この日は、朝早くから沢山のお客さんで賑わいます。(秋の元気市)地元産品を使ったコロッケやツケアゲ
樋脇川・川内川で捕れる鮎も
楠元・中村 楠元町から川内川楠元橋を渡り東郷町へ
市町村合併で今は同じ行政区になりました。
樋脇川河畔の中村町は、米作りも盛んです。
平成17年には、樋脇川に新しい戸田橋がかかりました。
戸田観音堂 ここ中村町は、永年入来院(入来町渋谷)氏の支配地でした。戸田観音堂があるこの地には、観音山、梵山、阿弥陀山の三つの山があり、中世の真言宗の寺があったとされます。
この一連の山には、鎌倉時代末期から戦国時代にわたる板碑や宝塔が多数あるそうですが、そのほとんどが入来院関係者のものとみられています。
観音堂は、水波売(ミズハメ)神社を兼ねており、観音像懸仏(カネホトケ)と宮之城の仏師大磯作兵衛作の河童木像が安置されています。河童像のこと
1459年4月22日、祁答院地域を治めていた、祁答院徳重(カネシゲ)の愛娘が宮之城(現さつま町)の川内川で、七人の待女と舟遊をしている時、川岸にある藤の花を折ろうとして、川に落ちてしまいました。待女たちが探したのですが見つからず、この待女の方々も責任を感じて川に身を投げ自殺してしまいました。その事故があった場所を八女の瀬と言っているそうです。
姫は、3日後に下流のこの中村町戸田の渕に浮かびあがったそうです。姫と待女の霊を慰めるため、この地に観音様を祀ることにしましたが、この水難は、河童の仕業であるとして、この足もとに河童の像を置き、また、河童が二度と悪いことをしないように石の板碑に梵字を刻み悪さを閉じ込めてしまったそうです。
それを知った河童たちは、毎晩川から上がり梵字を消そうと長い爪で梵字を撫でるので、ますます字が深くなり、その後この付近では溺れて死ぬ人がいなくなったそうです。