ふるさと薩摩川内 いつか暮らした懐かしいふるさと
薩摩川内は今も変わらないか あの海 あの山 あの川は
ふるさとの 温泉
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市比野温泉郷     
 薩摩川内は、温泉天国
 九州・鹿児島県は全国でも温泉の多いことで知られていますが、その中でも薩摩川内市内には泉質のいい温泉が各地にあります。
 歴史の長いものでは、川内高城温泉、市比野温泉、入来温泉、藺牟田温泉など、また、温泉掘削技術が高度化した現代では、川内の街中でも次々に温泉が掘削され、温泉の公衆浴場も多数開設されています。
  川内高城温泉  湯田町湯の元
 
川内高城温泉は、およそ800年前に湧出した鹿児島でも歴史の長い温泉郷です。
 
 名湯100選に選定されている川内高城温泉は、肥薩おれんじ鉄道の西方駅から東部山間地にあり、古くから松屋(現:ホテル丸善)、竹屋、梅屋、双葉屋などの旅館が栄えていました。昔はあまり温泉に恵まれていなかった阿久根、長島からの湯治客が多かったといいます。
  
 薩摩の英雄あの西郷隆盛は、この温泉を大変気に入り、国政を引退した晩年はウサギ狩りなどにたびたび当地を訪れ温泉を楽しんでいたといいます。若いころ現高城町の石橋工事の管理にあたっていたことがあり、そのころから名湯高城温泉の存在は知っていたと思われます。
 市比野温泉  樋脇町市比野
 今から約300年ほど前の江戸時代の始めのころ、市比野の丸山にメジロ捕りに来られた薩摩藩第2代藩主島津光久(寛陽公)に市比野の温泉をお勧めたところ、大変お気に召され、風呂場を作り近隣の人々にも広く開放するよう許されたそうです。

 地元の人々は、「殿様の湯」と呼び、大変有難たがり以来大切に使いました。
 市比野の湯は、弱アリカリ性で肌にやさしく、すべすべになり、神経痛、胃腸病などに薬効があり、「美人の湯」とも呼ばれて女性に人気があります。 

寛陽公が温泉を利用した時の腰掛石も残されています。 
”水鳴れば谷かと思ひ遠き灯の
     見ゆれば原と思ふ湯場の夜”

 昭和初期の女流歌人 与謝野晶子が詠んだ歌です。
 与謝野晶子は、昭和4年、夫の鉄幹と市比野を訪れています。
  夫妻は鹿児島に半月ほど滞在し、各地に出かけて短歌の創作活動や講演などを行いその後「霧嶋の歌」という、短歌集を出版しています。
 

 与謝野夫妻のことは こちら与謝野鉄幹・晶子 から
  
 与謝野夫妻が市比野で宿泊したのが「みどり屋旅館」
 晶子夫人も美人の湯に入り、お喜びだったことでしょう。旅館は、夫妻が宿泊したころの建物のままだそうです。玄関を入ると大きな柱時計と木造の急な階段があり、昭和初期の空気を感じます。 2010・10
温泉郷の山間に立地する旅館「薩摩の里」
露天風呂もあり、ゆっくり温泉を楽しめます。
  入来温泉   入来町副田
 入来温泉は700年以上の歴史があるといわれ、市内の他の温泉が無色無臭なのに対しい、少しメロン色をしており温度もかなり高く、お湯につかっていた皮膚の部分が赤く色づいてくるのが特色です。
 諏訪温泉、アゼロ湯、柴垣湯などの公衆温泉があります。
 その効能は、神経痛や関節痛、婦人病やアトピーなどの皮膚病、冷え症や切り傷などの外傷、飲んでも便秘や胃腸病、消化器疾患に効果があり、島津の殿様もお気に入りの湯だったといいます。
 アゼロ湯、柴垣湯の公衆温泉があったこの地区では、2007年ごろから区画整理事業があり、二つの温泉は同じ場所に併合され、「湯ノ山館」として新たにオープンしました。新しい浴場でもそれぞれ異なった泉質を楽しめるそうです。