ふるさと薩摩川内 いつか暮らした懐かしいふるさと
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川内川にかかる橋
熊本県白髪岳から宮崎県えびの市を経て、鹿児島県北西部東シナ海にそそぎ込む、河川延長137kmの川内川筑後川に次ぐ九州第二の延長を誇るこの川は、薩摩川内市では東から西に流れており、鉄道橋を含め九つの橋が横切っています。下流から遡ってみましょう。
河口大橋
 川内川の最も下流にあり、江戸時代に薩摩の軍港や造船所があった久見崎町と船間島・港町をつなぐ橋です。
 現在は、久見崎町には原子力発電所、港町には漁港や商業港があります。

開戸橋
 河口から8キロほど上流に上った街中の向田(開聞地区)と宮内(戸畑地区)を結ぶ橋です。
写真右に見えるのは中越パルプ工業の川内工場、川内港には、南米などから大型貨物船で原料のチップ等が運ばれています。
この先の堤防は、夏は夕日の名所でもあります。
太平橋
 霧の川内を象徴するような写真ですが、川内のまちを南北に横切る国号3号の橋で勿論交通量は最も多い。 

 初代太平橋は、明治8年に架けられましたが、この地区の川内川に架かる橋としては、最初に架けられたそうです。明治10年の西南の役の際、薩摩軍の手によって焼き払われ短い運命となりました。

 現在の太平橋は6代目で橋がわずかにS字を描いています。昭和54年に架けられました。
JR新幹線鉄橋肥薩おれんじ鉄道鉄橋
並んで川内川を渡る新幹線鉄橋(左)と
肥薩おれんじ鉄道鉄橋(右)


 並行して川内川を渡る素材もデザインも異なる二つの鉄橋ですが、音を立てながらカタカタと川を渡るおれんじ鉄道に比べ、新幹線はスーッと渡リますがここではその「つばめ」の雄姿を見ることは出来ません。
 寺山の裾野から登る朝日は、川内川の水面に反射し実に美しい。
 この場所からしか見れない贅沢でもあります。 堤防は、朝早くから散歩をする人たちの声が響きます。
早朝から獲物を狙って待機する川鵜の集団
2004・4 撮影
天大橋
 太平橋から更に1キロほど上流に上がったところに架かるこの橋は、北側中郷地区と南側天辰地区を結ぶ橋です。

 中郷地区、天辰地区とも、区画整理により急激に住宅化が進んでいるためこの橋の往来は非常に多くなっています。また、北の国道267号、南の空港道に繋がる道路でいずれも合併地域に近い側の橋で、川内駅東口近辺が整備されると更に重要な橋になります。
白浜橋
 旧川内市の白浜地区と田海地区を結ぶ橋で、白浜地区に住む人たちが川を渡り田海地区の小学校(八幡小)に通学しているため橋が架かっていないころは、渡し舟がありました。このあたりまで海水が遡上しますが、ここから上流は鮎の漁場となっています。
東郷橋
 行政区のちがう旧東郷町から旧川内市の楠元地区に渡っていた橋です。
 かつては、楠元に廃線になった宮之城線の駅があったため橋を渡って、川内まで通っていた人も多かった。生活に密着した駅でした。
 
現在は、宮之城線を拡張した道路が川内の駅近くまで続いているため車の交通量が多い橋です。

 このあたりは、水もきれいで鮎漁のための屋根のついた川舟が見られます。

久住橋
 普通自動車がやっと通れるほどのコンクリート敷きのつり橋は真中まで行くと歩いていてもゆらゆらと揺れるのを感じます。
 撮影の一寸した時間にも車がひっきりなしに行き来します。架けられたころは、これほどの車社会を予測していなかったのでしょうが、望まれて架けられた橋だということを実感する橋です。 

 残念なことに、この美しい橋は、2006年7月の川内川大洪水により流されてしまいました。平常は川面から8メートルほど上部にあったと記憶していますが、川内川流域の記録的集中豪雨による自然の猛威によるものでした。


 
2008年新しい橋の工事が始まりました。
倉野橋
 ここもかつては、行政区のちがう旧東郷町と旧樋脇町を結んでいた橋です。
樋脇町から入来町、鹿児島市へと通じるため交通量も多い橋です。

 写真を撮ったこの日は、11月の午前9時頃、川から30匹ほどの山太郎蟹(モズクガニ)の水揚げがありました。昔に比べると型も小さく、収穫も少なくなったとのこと
残念ながら、写真を撮りそびれてしまいました。
 
石橋
市内に現存する主な石橋
江之口橋
   高江町八間川に架かる橋
 
 江戸末期に鹿児島甲突川の五石橋を造った有名な肥後出身の石工岩永三五郎が手がけた橋です。 
 高江に何故三五郎の架けた橋があるのか、八間川は薩摩藩が関わって造ったいわば人工の川です。三五郎は、河川土木技師でした。橋だけでなく、八間川の建設そのものに関わり、川を横断する用水路も建設しました。
 八間川の建設によって、高江の水田は長期に冠水することはなくなりました。
大塚橋
   樋脇町城後川に架かる橋

 明治39年にかけられたこの橋は、樋脇町市比野から百次町に向かう川内郡山線の沿線にあります。当時は、この橋が幹線道路だったと思われます。
 橋の中央が鼓を描いており、美しい橋ですが、現代の車社会には少し不便な橋です。
新大橋(シンオオハシ)
   入来町朝陽
 
 明治42年(1909年)に県道蒲生線(現川内・加治木線)が開通した時に建設されたいう。 見事な石の眼鏡橋ですが、車時代の到来により、昭和34年(1959年)に拡幅工事をしたとあり、上部の道路部分だけが幅広くなっています。乗用車1台が通過できる情緒ある橋です。国の有形文化財に登録されています。