佐藤 忠良 (さとう ちゅうりょう)

 佐藤忠良は宮城県に生まれ、少年期を北海道で過ごしました。ロダン、マイヨール、デスピオなど新しい生命主義の作品に惹かれて彫刻家を志し、東京美術学校彫刻科に進みます。卒業の年に、本郷新、柳原義達、舟越保武らととも新制作派協会彫刻部を創立、以後現在まで、新制作展を中心に創作活動を繰り広げています。
 戦争によって一時制作を中断されますが、一貫して塑造による具象表現の道を歩んできました。ブロンズに鋳造される作品のほとんどは人間像です。身近な人物たちをモデルにした生命感みなぎる頭像、清新な女性像、純真無垢なこどもの像、わずかの動物たち…佐藤忠良のモティーフは限定されています。
 この彫刻家の評価をゆるぎないものにしたのは、シベリア抑留から帰還直後に発表した『群馬の人』です。長い間イメージを暖めていたというこの頭像は、日本人固有の体質を表現した秀作として多くの批評家の賛辞を得ました。内面の美を追い求めたこの時期の一連庶の民の頭像作品は、明治期に西洋から移入された近代美術の手法を、初めて日本の風土の中に消化した戦後彫刻史上の記念碑的作品群といえます。
 1970年代になると『帽子』シリーズに代表される現代感覚あふれる新境地を開拓します。自然体のポーズ、さりげないコスチューム、抑制されたモデリングの人体。平明で詩情豊かな作風は、現代具象彫刻のひとつの到達点ということができます。1981年にはフランス国立ロダン美術館の招請で個展を開催し、これを契機にフランス、イタリアの美術アカデミーの会員に迎えられるなど、国際的にも高い評価を得ました。
 佐藤忠良作品への支持、共感の大きさは、全国各地の公共空間に設置された彫刻の数によってもうかがえます。初期から近作まで、作風は次第に変貌を遂げますが、その作品には、見るものの胸をうつ熱いヒューマニズムの血がながれ続けています。

吉井淳二白寿記念の銅像(制作者:佐藤忠良)
(2003年3月加世田アルテンハイム敷地内に完成)


舟越 保武 (ふなこし やすたけ)

 岩手県二戸郡一戸町に生まれる。盛岡中学校で、同級の松元竣介とともに絵画クラブに所属。『ロダンの言葉』(高村光太郎訳)を読んで彫刻家を志す。
 1934年、東京美術学校彫刻科塑像部に入学。在学中は国画会に出品。1939年に卒業後、柳義達、佐藤忠良らと新制作派協会彫刻部創立に参加、会員となる。大理石彫刻を早くから手がけ、流麗な女性胸像を新制作展に発表。
 1950年、疎開以来住んでいた盛岡で家族とともにカトリックの洗礼を受け、翌年東京に転居。1962年『長崎26殉教者記念像』(長崎・西坂公園)により第5回高村光太郎賞を、1972年には『原の城』で第3回中原俤次郎賞を受賞。その翌年にはローマ法王から大聖グレゴリオ騎士団長章を受ける。
 1978年、芸術選奨文部大臣賞を受賞。1967年より1980年まで東京芸術大学教授として後進の指導にあたった。文筆にも優れ、1983年『巨岩と花びら』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。古典主義を基調とする端正な造形に、静穏な情感を盛り込んだ女性像で知られ、石彫にも優品が多い。


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