ふるさと薩摩川内 いつか暮らした懐かしいふるさと
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ゆりのさと・女島
上甑島
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上甑島
 甑列島の上甑島と中甑島は今二つの橋で結ばれていまが、上甑島、中甑島を一体的に上甑島と呼んでいます。
 その上甑島と中甑島は下甑島に比べて山が低く、玉石や砂浜も多いので「女島」と呼ばれ、下甑島は高い山が多く西海岸には嶮しい断崖が続くので男島と呼ばれています。
 その中甑島と下甑島鹿島が夢の大橋(仮称)『藺牟田瀬戸架橋』で結ばれようとしています。橋で結ぶための道路工事が2008年度に始まり、2018年度頃橋が完成予定です。男島と女島が1500mを超える橋で結ばれる、まさに夢の橋となるでしょう。
 

 里町は、薩摩川内本土から最も近い港がある地域です。漁業と観光が主な産業ですが、甑島の玄関口は、いつ行っても「清潔」で気持ちよく迎えてくれます。
里港付近のホテルと広場

郷士の武家屋敷跡
 港から南へ徒歩で3分ほど行ったところに旧武家屋敷群があります。
 屋敷には
浜の玉石を積んで風除けとしています。
寺社
武家屋敷の一角にあるお寺 西願寺 新田神社の分神といわれる 里八幡神社
地域の広場
市の浦海岸キャンプ場
キャンプ場から朝日を望む   川内方面の島影から登る朝日
 
祭り
「かずらたて」

 毎年8月13日に開かれる、五穀豊穣を祈る里地区の伝統行事。山から採ってきた「くずかずら」をつなぎ合わせて綱をつくり、それを大蛇にみたて地域内を練り歩きます
 先頭に船の大漁旗やノボリを立て、たすき掛けで変装した踊り手が、鉦(しょう)やホラ貝の音に合わせて、直径約15cm、長さ50〜100mものカズラの大綱を持ち上げながら練り歩く、素朴で里村ならではの奇祭です。
上甑町
 上甑町は、里町から車で約10分。合併前の上甑村で、中甑、江石、瀬上、平良などの地区があり、地区と地区は比較的離れています。もともと離島であった中甑島の平良地区は、現在は、大明神橋と鹿の子大橋で上甑島とつながり、車の往来ができるようになりました。  

中甑
 旧上甑町の役場があった場所です。かつては、フェリーが寄港していました。
 大明神橋▲ 上甑島と中甑島を結ぶ 
 甑大明神橋をさらに中甑島方面に行くと2番目の橋(写真)「鹿の子大橋」があります。

 この先に鹿の子ゆりの広い自生地があります。鹿の子ゆりは、甑島全域に自生しますが、上甑町ではこの丘陵地に最も多く咲くそうです。

 夏を彩る「鹿の子ゆり」

 花弁に鹿の子どもにあるような斑点模様があることから名づけられました。
 鹿の子ゆりは、自然種としてはとても花が大きく、下向きに咲くのが特徴でとてもしとやかで愛らしさを感じる花です。
 7月から8月上旬にかけて甑島の野山や里を彩ります。
江石 
 中甑から東へ丘を越えた場所です。
古くから漁業が盛んでした。
平良
 大良地区は、中甑から南西へ甑大明神橋、鹿の子大橋を渡っていきます。昔から自然の良港があり、漁業が盛ん。
平良漁港と集落

地域の広場
県民レクリエーション村 (中甑)
夏休みには多くの子どもたちで賑わいます
歴史探訪
こしき岩
 『甑島』の名称は、上甑島の南部岬にある、この岩に因んでいるそうです。
 甑(コシキ)とは、「米を蒸すせいろ」つまり「こしき」のことだそうですが、形が似ていることからその名がつきました。島の人たちはこの岩を甑大明神として古くから祀ってきました。
今は大明神橋から見ることができます。
 歴史書「続日本紀」によると宝亀九年(778年)11月の条に初めて出てくるといいます。「甑島:古之木之万(こしきしま)」と読み方が注記されているそうです。また、古書には、「古敷島」「小敷島」「古志岐島」などと書かれたものもあり、歌人は「沖津島」とも詠んでいるそうです。