このページではchinaの経験した妊娠・出産記をお話します。
助産院で生まれた我が息子「ken」は現在一歳になりました。

★ 妊娠初期2ヶ月〜4ヶ月(4週〜15週)
妊娠初期
  • 赤ちゃん・母体の成長
    • 赤ちゃん 脳や神経、心臓、肺、胃腸、器官の基礎ができる
    • 母体   胎盤やさい帯がまだ完全にできていない
    • とても大切な時期。つわりが辛い時期であまり赤ちゃんに栄養が いかないのでは?と心配してしまいますが、まだ赤ちゃんは小さいので 大丈夫のようです。決して無理はせず、食べたい物を食べて過ごしましょう。
2000年12月19日 2ヶ月半
「6mmの小さな命」

2001年を迎えるまで後一週間。 私は私の中に小さな命があること改めて実感した。 妊娠検査薬で2回検査し、2回とも陽性(+)が出たのにも かかわらず、以前妊娠していなかったとことも あり(病院で検査したが、妊娠してなかった) いまいち半信半疑だったけれど、今回だけは 気分も悪く、たまにゲロゲロっとトイレへ駆け込む。 そしてお腹にをかすかな鼓動感じた気がした。 産婦人科へ行き、先生に「おめでとう」と一言言われ、 「やっぱりそうだったのね!」とニタニタ顔に思わずなる。 先生もニタニタいやニコニコ顔だ。 「6mmですね、2ヶ月半くらいです」と言われる。 そして次回の検査は暮れも押し迫る29日。 検査料は2回目だったので2400円。 内容は検尿・エコー・内診。 6mmの小さな命。大事に育てるよ。 どうか元気に育ってね。

 こんな私のところにも小さな命がやってきた
 たった6mmの小さな小さな命
 大切にするからね
 お腹の中でかすかに感じたあなたの鼓動
 やっぱりあなたはいたんだね
 実感するのが怖かった私
 でも今は喜びに変わったんだ
 小さな小さな命 大きくなあれ
 
12月26日
「お腹が痛い・・・」

ここ2、3日お腹がまた痛み出した。以前にもこの痛みあったのだが 一時おさまっていたのがまた痛み始めた。 不安がおそってくる・・。夕方5時頃、看護婦である母に電話を してみる。母にはすぐさま病院へ電話して行って来なさいと言われた。 タクシーで病院へ向かう。頴娃から指宿まで5000円ほど。 痛い出費だが、お腹の子の方がもっと心配だった。 妊娠が分かるまでバイクに乗っていた私は、 道端に落ちているワラや落ち葉などで滑ってこけそうになった こともあり、すごく不安だった。 病院へ行き、お腹のエコーを受ける。 先生に「赤ちゃんは元気ですよ」と言われる。 あの痛みは何だったのだろう・・先生に痛みを告げても首をかしげる だけでこれと言った返答はなかった。 精神的なものなもか・・・。 その日から、お腹の痛みは以前よりはなくなったようだ。 なんだったのだろう? 赤ちゃんは1cmに成長していた。よかった。 でも、果たしてこの病院でいいのか戸惑う。 自然分娩希望の私にはこの病院はどうもあわないようだ。 (自然分娩ではなかったので) 産院選びもボチボチ始めなきゃね。。

「もうすぐ2001年」
暮れも押し迫る年末。旦那の会社は休みに入った。 家で一人、つわりと闘ってる私にとって、旦那が家にいることは 気もまぎれてなんとなく安心する。 でも、つわりの辛さはまだ彼には分かってもらえないようで お腹の赤ちゃんの存在もいまいちピンとこないようである。 家事に対しては少し厳しいところもあるが、大掃除もしてくれたし まだ良い方なのかな。 でも、この時期「もうすぐ2001年だ〜!」とはしゃぐ気持ちにも なれず、動けず気分は世間とうらはらにドンヨリしている。 「つわりってこんなものなのかぁ。早く終わってくれ〜」 そんな言葉を何度と繰り返したことだろう・・・。 体重は1キロ減った。いつもならクリスマスのケーキ太り& 年の瀬太りでギャーギャー言うのがウソみたい。 食べ物を見るだけで、吐きそうになる。。 憂鬱な日々。「旦那は白豆(白花豆)を炊いてくれ」と言い出した。 豆を炊くのは、初めてだ。ウッッまたきたよ〜ゲロゲロ・・・。

2001年元旦
「2001年を迎えて」

今年は年賀状もろくに作れず、友人・知人にはメールで新年の挨拶をした。 お返事も沢山いただいたのに、メール返せずゴメンナサイ。 つわりがおさまった暁には必ずメール出しますね。 さて、新年を迎えて旦那の親戚の家におよばれされまくる。 出てくるお料理はご馳走ばかり。いつもならくいしんぼうな 私はこれでもか〜というくらい食べまくるのに、今回はいつもの 実力発揮出来ず。でも、つわりが辛いはずなのによく食べれた 方かな。おまけに親戚の人たちの優しい笑顔を見ているだけで、 その時はつわりっておさまってるのよね。不思議。 でも家へ帰ったとたん、またもやゲロゲロ。。
2001年、今年は家族が一人増えます。 本年もよろしくお願いします。

「初の助産院」
1月4日。2時の予約を事前に取り、鹿児島市内にある助産院へ 向かう。さんざん迷ったあげくようやく着いた〜。ホッ。 ここの助産院は大阪から頴娃に引っ越して来られて有機農業を されているお友達の浜地さんご夫婦に教えていただいた助産院だ。 もちろん奥さまもそこで第一子まひちゃんを出産されている。 3月には2人目のお子さんも出産されるご予定だ。 助産院の事をいろいろ詳しく聞いてみると、私の考えていたような理想的な ところだったので、ここで決定!とばかり足を踏み入れた。 「こんにちは〜」と入って行くと、エプロンをつけた受付の方が いて、助産婦のK先生が分娩室から姿を現した。 まずは検尿。そして診察室へ。いろいろ問診を受ける。K先生の 優しい口調で安心感を覚える。そしてエコーをしてもらう。 「今、9週目くらいですね」3ヶ月3.5cmに成長。赤ちゃんは手足も 生えて、元気みたい。心音を聞いてみるが、私の静脈の音で 赤ちゃんの心音は聞こえず。でも、手足は元気に動いているから 大丈夫でしょうと先生に言われる。エコーで見る赤ちゃんをこの時 旦那は初めて目にした。彼のニコニコっとした表情を私は見逃さな かったよ。少しは実感が湧いた? そして夫婦2人で質問タイム。立ち会い出産や検診のことについて いろいろ教えてもらう。腹痛の事については「子宮が大きくなって いるので周りの筋肉が痛むのでしょう」と言われる。 少し安心。つわり時期についての食事の仕方や飲み物、食べ物のことを事 細かに教えてもらう。食事や体重制限は少し厳しいかな。 (でも、頑張るんだ。) 初産の私にとって不安事はつきない。でも、先生の 一言一言によってその不安が取り除かれるようだ。 産むのはここに決定。ここなら頑張って産めそうだ。 ちなみにここは自然分娩、母子同室、母乳育児。理想的。 出産は実家・関西へは帰らず、ここ鹿児島で産みます。 たとえ、旦那が仕事で来れなくても赤ちゃんと2人、 自然にまかせて産めるように強くならなきゃね。

「もう母子手帳をもらいに行っていいよ」との先生の言葉に 次の日、早速母子手帳をもらいに町の保健センターへ向かった。 初めて手にした母子手帳。自分が手にするなんてなぁと不思議な 気持ちになる。妊娠中の生活のことや出産後の生活や 子供の発育に関しての事が書かれた本をドッサリもらう。

〜自然分娩〜
 陣痛促進剤や誘発剤などの 薬を一切使わず医療的処置を行わず、自然にまかせたお産。

「chinaの自然分娩へのこだわり」
「子どもを産むなら絶対自然分娩」と思い始めたのはこちらへ 越して来てからです。関西に住んでいた頃は、お産に関しては何も思わなかったし、 きっと産婦人科へ行きお医者さんの言われるままされるがまま に子供を産んでいたと思います。でも、鹿児島へ引越して来て考え はまるっきり変わりました。もともとアトピーを治す為にこちらへ引越 してきたこともあり、そのアトピーも自然の力(日光浴や海水治療など・私の場合はです) に助けてもらいながらだいぶ良くなりました。今まで薬に頼った 生活をしてきたので(このお話は 「闘う!chinaアトピー」にて詳しく 書いています)どうしても子どもを産むなら薬を使わないお産が したかったのです。私にも出来るかどうかある意味挑戦もしてみたかった のね。好奇心旺盛っす。 そして同時に母乳育児にもこだわりがありました。私の母は私が 産まれた当初、乳腺炎にかかり母乳がでなくなってしまい、 仕方なく私は産まれた頃からずっと粉ミルクを与えられてきたそうです。 (3時間おきの授乳によりお乳が張って乳腺がつまり乳腺炎になった そうです)すべてが粉ミルクのせいではないとは思いますが 私の体が母乳で育った姉と比べ、こんなに弱いのはそれも一理あるのでは ないかと思ったから私は母乳育児にもこだわりを持ち始めました。 (母乳は、赤ちゃんにとって完全食と言われています。その中でも 産後初めて出る黄色のお乳「初乳」の中には免疫が含まれています。 母乳は吸う力も育ち、アレルギーも起こしにくい、病気にかかりにくい かかっても治りが早い、産後の体の回復も早めると言われています。 何より経済的なのが魅力だね) 助産院では基本的に粉ミルクは飲ませません。 母乳が足りない時は「糖水」を飲ませていました。粉ミルクを飲ませて しまうと赤ちゃんが粉ミルクの味を覚え母乳を飲まなくなってしまう 事もあるからだそうです。 そして母子同室です。 「子が泣いたら授乳」産まれてからすぐに 子どもと一緒に生活し、オムツを替え、おっぱいをあげます。

私の場合、産んだその日はゆっくり休んでねとの 助産婦さんの気づかいから子と一緒に居たのは 3時間程度でした、本格的な母子同室は次の日からでした。 (もちろんしんどい時は赤ちゃんを預かってくれます) でも実際、産んだ後は子が気になり興奮して眠れなかったです。 赤ちゃんが泣き始めると助産婦さんがすぐに部屋にとんで来てくれました。 私にとって、とても理想的な産後の生活でした。

「彼の実感」
旦那は最近実感してきたようだ。 少し家事を手伝ってくれるようになった。私がつわりでぐったりしてる からかな?お腹の赤ちゃんエコーで見たからかな? 親戚からいろんな話しを聞いてつわりの大変さが分かったから なのか、分からないけれど、最近非常に優しい。 だから私も無理はせず、なんとか頑張ってるよ。 朝はつわりが辛いからお弁当は無理だけど、手抜きの晩ご飯と お洗濯は頑張らないとね。君もお仕事頑張ってるものね。 きっとつわりがおさまったら以前みたくバリバリ頑張るよ。

「4ヶ月に入ったみたい・・小さな卵の中で・・」
12週目。あなたはどんな姿になっただろう?
次にあなたに逢うのが楽しみで仕方ないよ。
まんまる卵の地球の中に入ったまだまだ小さなあなた。
つわりはまだおさまらないけど、もう少しだよね?
つわりがあるって事はあなたが小さな地球の中で元気に しているって事だよね?
もう少し頑張ってみるからね。
どうか元気に育ってね。

「2月3日妊娠前期検査」
今日は、助産院の提携の産婦人科へ 妊娠前期検査&検診へ行ってきた。 検尿・採血、血圧を測る。 古い産婦人科で先生もおいじさん(失礼な事を!)。 質問もあまりされないし、一瞬「大丈夫かな?」と 頭をよぎる。しかし、エコーで赤ちゃんを長い間 見せてくれた。「赤ちゃんはどうですか?」と先生に 質問してみると、「元気に動いてるから大丈夫ですよ」と 言われてホッとする。 確かに赤ちゃんは暴れん坊〜と言うくらい激しく手を動かして いた。踊っているのかこちらに手を振っているのかと いうくらい。 只今、赤ちゃんは6.5cm13週目。 3月に入れば5ヶ月だぁ! でもつわりはまだおさまらない・・・。 最近は頭痛も辛い・・・。 きっとホルモンのバランスのせいだよ。。 5ヶ月・安定期に入れば、やっとようやく私も復活できるかな?

● 妊娠中期5ヶ月〜7ヶ月(16週〜27週)へどうぞ モ

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