私の宝物




この日はさださんは枕崎でコンサートがおありでした。その頃鹿児島で定宿になさっていた
ホテルのロビーで母と二人でさださんがお帰りになられるのをひたすら待ち続けました。
なぜこの私がさださんのお泊りになられるホテルを知りえたのかそれは今でも謎です(執念?)
あまり長いこと待っているので、ホテルの方が気の毒に思ってくださってこのさださん直筆の
ファンクラブの会報への文章のコピーとご婚約のお相手の女性(今の奥様)のお写真を私に
くださったのです。なんとその日がさださんのご婚約発表の当日だったのです!
(これをいただくまでもちろん私は知る由もありませんでした。)
この文章には7年間じわじわと愛を育んできて、19歳だった彼女は26歳になっていた。
彼女のことを「今の時代にとても少なくなったごく普通の優しい女性だ。」とお書きになってい
らっしゃいます。

さて待ち続けた甲斐あってさださんがたいへんお疲れのご様子で帰ってこられました。
私がおずおずと色紙を差し出すと、最初一瞬驚いたようなお顔で私をご覧になられました。
それから私の名前をお尋ねになりました。私の旧姓は難しいので「え〜っと・・」と口ごもっていたら
「いや、下の名前だけでいいんだよ。」と優しくおっしゃってくださって。「え〜っと、利益の利に・・。」
なんと色紙に名前まで入れてくださって!そのあと似顔絵を描いてくださってる時には初めて私
笑ったような。
もちろん握手していただく手を差し出すような心のゆとりなどあろうはずもなく。。。
ただ、さださんが私の母に向かってとても優しく「どうぞお気をつけてお帰りください。」と
おっしゃってくださいました。
そしてエレベーターに消えてゆかれるさださんを母と二人でお見送りしました。

あの日のことはどれだけ時が経っても、いえ時が経てば経つほどに心により鮮明に
刻まれてゆくような想いがいたします。      (2005年1月27日 記す)



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