益救神社恒例の祈願益救神太鼓
山口神社由諸記

山口神社は、江戸時代の初期より明治末年まで、屋久杉を伐採するとき災害がないようにと、山の神(大山祗尊)を奉祀、入山安全・作業安全等を祈った神社である。畏敬・崇拝し、各集落で嶽参り(タケマイリ)の行事が行われたが、村を代表して入山する青年を村人が見送り、出迎えた所がこの神社であった

 HP屋久島の情報より
 中国の歴史書(随所)によると、推古天皇の御代、あの聖徳太子が摂政の時代、遣隋使の小野妹子は、わが島を知っていたようだし、629年には朝廷は、田部連をこの島の調査に派遣している。これが後に、遣唐使船が南島航路をとった際、水の補給基地、風待ちの港としての役割を担う島へとつながったんだろう。
遣唐使の吉備真備は、鑑真和上を伴ってこの島に上陸している。
朝廷に出使した人々が、あるいは唐に渡って新しい知識を身につけ帰国後活躍した人々が、この宮之浦川の流れを目にしたはずだ。
昭和四十年頃までは水位も深く、大魚が小魚をおって水辺を飛び跳ねる光景を良く目にするほど海の魚が上がってきていました。
 HP屋久島の情報より
 先日、NHKで吉備真備に関する放送がありました。遣唐使船が宮之浦川(唐船淵)を避難、水薪の補給地に利用されたらしい。
異国に留学させられた有能な若者たちも、宮之浦川で語りあったことでしょう。
HP屋久島の情報より

 益救神社は、天津日高彦火火出見尊(火遠理命、山幸彦)大山祇尊(大山津見神)木花開耶姫尊、塩土翁尊(塩椎神)豊玉彦尊、豊玉姫尊、玉依姫尊、境内社、くしいわまどの尊、豊磐まどの尊旧、益救神社は、天津日高彦火火見尊を祭神として正祀する神社でであります。
HP屋久島の情報より
 鹿児島県熊毛郡屋久島町1564-3
TEL  0997-42-0618
携帯 090-7292-0262
素泊り民宿山ん神 藤村正敏