死を学ぶ子どもたち PART2 

「レアの星 −友だちの死― 文・パトリック・ジルソン

絵・クロード・K・デュボア 訳・野坂悦子くもん出版 」

 9月18日、『種まく子供たち』の佐藤律子さんの次男拓也くんの7回忌だった。その4日前、ホスピス機能をもつ堂園メディカルハウスの招きで鹿児島へやってきた佐藤さんとお会いする機会があった。ホスピスでは、患者本人が亡くなった後もそれぞれの家族とつながりをもち、心のケアを行っているところが多い。堂園メディカルハウスでも、年に1回、遺族の方に集ってもらい、亡き人を偲ぶ会をもっている。今回は、6年前16歳だった拓也くんを見送ったのち、同じ小児がんを体験した仲間を募り、『種まく子供たち』『空への手紙』そして自費出版の『よもぎリーフ』を出版した佐藤律子さんの講演をメインにした会で、私も会場の片隅でお話を聞くことができた。

  私が佐藤律子さんと知り合ったのは、2000年1月。『種まく子供たち』の7人の原稿が揃ったのに、なかなか肝心の出版社が見つからないころだった。私もなんとか力になりたいと思っていた矢先、たまたま東京から取材にいらした新聞社の方がポプラ社につないでくださって、紆余曲折はあったが2001年4月ポプラ社からの出版が実現した。その新聞社の方と会ったのが、くしくも堂園メディカルハウス内のレストラン。佐藤さんの言葉によると「なんだか不思議なめぐり合わせ」のおかげで実現した本だったのだ。

 今回の遺族会には、やはり6年前がんのため18歳で亡くなった原口明子さんのご家族も参加されていた。(『シリーズいのちの授業 2 いのちが終わるとき』参照)明子さんのお父さんも、佐藤さんのHPにある「いのちのゲストティーチャー」

に参加してくださることになった。子どもの命を語りつぐことは親の勤めですね、と。

 「いのちのゲストティーチャー」が各県1人ぐらいづついて、学校現場から要請があれば、派遣できるようにしたい、というのが佐藤さんの願いだが、実現にはまだまだ時間がかかりそうだ。

 その点、本は、出版されてさえいれば、いつでも誰でも必要なときに入手できる。

今回刊行された『レアの星』もそういう絵本のひとつである。しかも、小児がんなどで子どもが亡くなったとき、身近な存在である子どもが、友だちの死をどう受け止めたかを知る絵本は、いままでほとんど出版されてなかった。そういう意味でも貴重な絵本である。そして、この絵本の作者ベルギー在住のパトリックさんは、佐藤さんともつながりのある方のようなのだ。

私が佐藤さんと知り合ったころ、彼女は、オランダ語に堪能な人を探していた。なぜかというと、外国での小児ガン事情を探っているうちに、知人を介して知り合ったのが、ベルギーで「子どもと死」の図書館を開いているパトリックさんだった。パトリックさんが住んでいるのは、ベルギー国内でもオランダ語が使われている地域で、先方から送られてくる資料は、ほとんどがオランダ語で、読みたくても読めない状態だった。

 私にはあいにくオランダ語を解する知人がなく、そちらでは佐藤さんの役に立てなかった。パトリックさんの「図書館」に関心はあったが、その名前もいつしか忘れてしまっていた。ところが、今回出版社からデス・エデュケーションに役立ててほしいと送られてきた絵本の作者名を見て驚いた。ベルギー領コンゴ生まれで、社会学の学位を取得し、教職につき、「子どもと死」のテーマで文章教室を開いているプロフィールが佐藤さんを通じて知ったパトリックさんとかなりの部分で一致する。この絵本は、彼のところへ通う16歳の3名の生徒と協力して書いたのが原案になっているのだそうだ。

 絵本の主人公はロビンという男の子。ある朝、いつものように親友のレアを迎えに行くと、レアのお母さんから、レアが入院したことを聞かされる。昨日、レアに意地悪をしたことを悔やみ、レアの病気は自分のせいではないかと嘆く。クラスでは先生がレアの病気が重いこと、治るまで長く学校を休むことを伝える。子どもたちは「うつる病気?」「重いことは死んじゃうことなの?」と口々に質問する。やがて、クラスみんなで病院に見舞いに行く。レアの髪は薬のせいで抜けてしまっている。それでも、レアが自分に会いたがっていたことを知ったロビンは、それから毎日病院に出かけていく。お話ししたり、本を読んだり。そんなある日、レアのお母さんから、レアががんであることを告げられる。今はほとんど治る病気だけど、レアの場合は、ほかの人より重いことも。ある夕暮れ、窓辺で星を見あげたレアは、青くて小さい星が好きだと話してくれる。

 それからいくらかたったある夜、星を見ていたロビンのもとに、レアの死を伝える電話が入る。

子どもの死というデリケートな問題を扱っているので、出版前に緩和ケア現場の看護師、保育士、臨床心理士、介護士、ソーシャルワーカーなどに試訳を読んでもらい、推敲をなされたという。絵本の最後に、聖路加国際病院小児科の細谷亮太先生のアドバイスがある。病気の子どもたちに「うそをつかない」「わかるように話す」「あとのことも考えて」の方針のもときちんと向き合うようにされている細谷先生は、「重い病気で亡くなってしまうかもしれない子どもへどう話すか」「治らなくなった子どもへどう話すか」「死んでゆく子どもの兄弟にどう話すか」「友だちが死んでしまう体験をした子どもたちにどう話すか」について、示唆に富んだ解説をされている。

子どもがレアみたいな立場になった親や教師にとって、この解説だけでもたいへん役立ちそうである。

追記

この夏、このMMのおかげで貴重な出会いをすることができた。ひとつは、第10回で紹介した『旅をした木』の作者わたなべ誠さんのパートナーで、神戸の高校で養護教諭をされている渡辺先生。夫であるわたなべ誠さんを亡くして、呆然自失の状態が続いていた渡辺先生は、ようやくパソコンに触れる気力がもどり、検索したら、私のMMの文章に出会われたらしい。今後は、自身の体験も生かしていのちの教育に取り組みたいと、うれしい連絡をいただいた。

もうひとつは、8月7日名古屋でおこなったいのちの授業に、MM読者である八王子の先生が参加してくださったこと。この授業では、以前に伺った愛知県大口北小の先生にも再会できた。出会いをとりもってくれるMMに感謝しなくては。