死を学ぶ子どもたち PARTU 

絵本「のにっき」

                      

 子どもたちに、「死んだらどうなるのか?」と質問されたらどう答えますか?

私は「いのちの授業」に出かける前、子どもたちに記入してもらうアンケートに「授業のときに話してほしいこと」の項目を入れるようにしています。もっとも多いのが、「死んだ後のことを教えてほしい」との要望です。

 私の「いのちの授業」は、死んだらどうなるかを伝える授業ではない、と標榜してきたのですが、子どもたちの質問を無視するわけにはいかなくなりました。そこで、授業のとき、私も子どもたちに質問します。「死んだらどうなると思う?」もっとも多い回答は、「死んでもまた何かに生まれ変われる」です。「死んだ後天国などへ行ける」より断然多いのです。現実の死よりバーチャル世界の死に触れる機会の多い子どもたちだから、無理からぬことです。

 中学生にも死後の世界は、興味を惹かれる対象のようです。あるとき一人の中学生が新聞にこんな投稿をしていました。「道徳の時間に、死んだらどうなるのだろうと考えました。科学的には、骨だけが残り、あとは分子や原子にもどってしまうそうです。はっきりいってショックでした。みんな天国に行くとか、生まれ変わるなどの想像をしていたのに」

 私自身はこれまでの授業で、死後のことについては、いろんな人がいろんな考えをもっているが、本当のところは誰にも分からない、と話してきました。でも、「人はどうしたら死ぬか知りたかった」などという理由で、実際に殺人を犯す青少年の事件が頻発している現在、それでは不十分ではないかと思うようになりました。「死とは何か」を発達段階に応じて、机上の知識でなく実感を伴って伝えることはできないものでしょうか。

 人間の死を実感を伴って学ぶ機会は、少ない方が好ましいのですが、動物の死から学ぶことは可能です。最近、NHK月曜夜の番組「生き物地球紀行」で、種子島の隣にある無人島、馬毛島に生息する鹿の生態を1年間取材して放送しました。私自身初めて知ったことがたくさんありました。不思議なことに天敵のいない島なのに、鹿の数は一定数に保たれているのです。そのうえ、オス鹿はメス鹿より100頭も少ないのだとか。鹿は草をえさにしているのですが、オス鹿は、海岸近くの草の成育に条件の悪い土地で暮らしているので、冬場にえさにありつけなくて、一定数死んでしまうらしいのです。朽ち果てて骨になった鹿の映像を見ながら、自然の掟の厳しさを実感しました。おまけに死んだ仲間の骨をオス鹿が口にしているのです。さすがにぎょっとなりましたが、これは春に新しく生えてくる角のためにリン酸やカルシウムを摂っているのだそうです。

 この番組が扱ったような自然界の動物の死を克明に描いた絵本があります。近藤薫美子さんの『のにっき』(アリス館)です。裏表紙にこんな文章があります。「晩秋、小動物が死んだ。大地に横たえた体に、どこからともなくハエがとんできて、ツマグロヨコバイがひなたぼっこを始め、クモが毛にもぐりこみ…。あっという間の出来事でした。小動物の形が崩れていく様を、不思議な感動と静かな畏れを抱きながら、観察しつづけた日々でした。やがて花に埋めつくされ、跡形もなくなった時、小動物の死は、私の中で思い出に変わったのでした」

 絵本に描かれた小動物はいたちです。作者の近藤さんは、実際に朽ちゆくいたちを観察して描いたのだそうです。しかし、全体の絵本の色調はたいへん明るいのです。秋に母親の亡骸の傍らにたたずんでいた子どものいたちが、春にはさっそうと一人立ちして、ねずみを捕獲しています。命は確実にバトンされていることを暗示しているのです。

 近藤薫美子さんの絵本は、どれも細かくびっしり描きこまれています。なかでも土の中の微生物を描きこんだ『つちらんど』(アリス館)は圧巻です。実は、近藤さんの一連の絵本を紹介してくださったのは、金沢の金森俊朗先生です。昨年金森学級の3年生は、近藤ワールドを堪能したようです。絵本で見るだけではあきたらず、実際の土をほりかえし、顕微鏡で微生物を探して、自分たちの「つちらんど」を描いています。死んだ小鳥を土に埋めて、3ケ月後に掘り返してみる体験もしています。絵本の感想を近藤さんに書きおくって交流し、ついに近藤さんに教室に来てもらったりもしたようです。

 絵本や映像や観察を通じて、生物の死は避けることができないものであり、命は確実にリレーされていくことを伝えることはできます。それでも根強い「死後の生まれ変わり」説にどう対応するか、私の課題でもあります。みなさんの意見もぜひ聞かせてください。