死を学ぶ子どもたち PART2 第32回 

「いのちの限りを知ったとき」


                     

「もし、あなたがあと○年しか生きられないと分かったら、どうやってすごしますか?」
いのちの授業のとき、ときおり子どもたちに問いかける。
「学校なんて行かないで、ゲームを思いきりやる」「世界中を旅したい」「おいしいものを食べたい」そういう状態になるのは、遠い未来のことととらえている子どもたちの答えはくったくがない。

私自身も、8年前生きる時間がもうあまり残されていないかもしれないという体験をした。「その時間をどうすごすか」。もがき、考えた末にたどり着いたのが、「いのちの授業」だった。幸い、私の場合は再発を免れ、残り時間はかなり延長されそうな雰囲気になった。ただ、がんは依然日本人の死因の第1位を保っている。「残り時間は少ない」と宣告される人は後を絶たない、ということになる。

1ヶ月ほど前のこと、そういう状態のお一人からメールをもらった。「時間がありません」と題したそのメールには、「本日の診察で、私が動ける残り時間が少ないことがはっきりしました。6月初めには、最後になるだろうと予想される治療を始めます。おそらく、その治療を行っても延命出来る期間は長くないと思われます。ともかく、出来るところから具体的に行動したいと考えています。」とあった。メールの主は埼玉県三郷市在住のTさん。私と同じ50代半ばの女性。5年前に卵巣がんが発見され、「治療しなければあと半年の命」と診断されたそうだ。3年ほど前に偶然、私の本『「死」を学ぶ子どもたち』の本に出会い、いつか自分も子どもたちの前で「いのちの授業」をしたいと手紙をくださったことがあった。彼女の希望を実現したいと、私もMLで、授業を受けてくださる方はいないか呼びかけたことはあったが、実現できないままであった。

Tさんのメールは続く。「新学年が始まったばかりでいのちの授業の準備が出
来ている所はないと思います。でも、主治医と話し、治療前なら鹿児島に出か
けてもいいと許可が出ました。もし、種村さんのご都合の良い日がありましたら、お会いして直接お話をお聞きしたいと思っています。とにかく、時間に余裕がありません。ご連絡をお待ちしております。」

私はたまたま5月末鹿児島市内の高校で、総合学習のオリエンテーションを兼
ねた授業を依頼されていた。もし体調が許すなら、授業の見学を兼ねて、鹿児
島にいらっしゃいませんか、と返事を出した。

家族にも「なんで鹿児島へ?」といぶかられながら、Tさんはやってきた。私の授業のあと、突然「Tさんもひとこと」と声をかけられて、800名近い高校生を前に彼女はマイクを握って話し始めた。自分の命は、この秋のもみじの頃ぐらいまでしかないだろうと言われていること。がんになってからの5年間、700日以上も入院した計算になるが、主治医と相談しながら、やりたいことをほとんど実現してきたこと。足にもハンディあって、杖を持って歩いているが、老人介護のボランティア研修でイギリスにも渡ったし、テロ直前のニューヨークにも足を運んだこと。主治医には、自分の状態をすべて話してもらっていること。自分の治療について、医療者が話し合う場にも直接参加して、意見を述べていること。自分の体験を書き残したいとパソコンも自力で勉強したこと。

明るく、はきはきした声で、残された時間を悔いのないように生きたいと語るTさんに、体育館の後方にいた男子生徒の一人から声がかかった。「頑張ってください」と。とたんに、共感の拍手が会場をつつんだ。

私のところへも、その夜ここの高校生の一人からメールが届いた。「最近何事にも投げやりだったのですが、今日の講演で反省しました。命が終わろうとしている人もがんばっているのだから、私はもっとがんばらないといけないと思います。今日のお話を聞いて勇気をもらった気がしました。辛いことがあっても逃げずに乗り越えていこうと思います。」

Tさんの姿や言葉をここの高校生たちは、決して忘れないだろう。

Tさんは、最近また入院した。薬を変えての治療に挑戦するためだそうだ。で
も、なんとか「いのちの授業」はやりたいとの希望は持ちつづけている。私も、
こんどこそぜひとも実現してほしいと願って、メールを送りつづけている。

さて、読者のみなさんは、いのちの限りを知ったとき何をやりたいですか。

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