死を学ぶ子どもたち PART2 第37回

「いのちの授業 2002」

                     

12月6日、熊本県の岡原中学校で125回目のいのちの授業をした。1997年3月最初の授業をした村末勇介先生の母校である。
今年の出前授業は、全部で17回。うちわけは、高校1回、中学校が3回、あとは小学校である。4月から完全週休2日制になり、土曜日がつかえなくなってしまった。だから、いつもに比べて、私が直接出前に行く機会は減った。だが、ほとんどの学校が、4月に出版した『シリーズいのちの授業』を参考になんらかの取り組みをしてくださっていた。そういう意味では、1回きりの出前授業が、事前や事後の取り組みにつながる中身の濃い授業につながったと思っている。ほとんどの学校から送ってくださる授業の感想を読むと、子どもたちが真剣に自らの「いのち」に向き合ったことがよく分かる。今回は、いのちの授業2002総集編(?)として、その代表的なものを紹介したい。

<今ここにいること>

◎僕が今ここにいるのは、僕のお父さんやお母さんやご先祖さまが代々いのちのバトンをつないできてくれたからだということがわかった。僕は、そのバトンを落っことさずに次の人へ渡してみせようと思います。(小6)

◎生まれてくるときのことを教えてくださったときは感動しました。私はお母さんのおなかの中でいろんな人に勝って生まれてきたと思うと得した気分になりました。
それに「いのち」って不思議だなと思いました。あんな小さかったいのちがあんなに大きくなるなんてびっくりです。(小6)

◎今日改めて思ったこと、それは命というのは奇跡のかたまりだということです。私たちの命は何億分の一の命なのです。それにもしお母さんが病気で死んだり、ひいひいおじいちゃんが戦争で死んでいたりしていたら、今の私はいません。今ここに存在しないのです。私に命をつないでくれた人たちにちょっと感謝したい気持ちです。(小6)

<病気の体験>

◎私は小さいころから手にしょうがいがあって、手術を3回しました。いろんな病院に行きましたが、見たことがないと言われたりして東京まで手術を受けに行きました。今腕には手術の跡だらけです。たまに手のことでなにか言われることがありますが、今日の授業を受けて、なんかすっきりというか勇気づけられた気がします。(小6)

◎私は病気でないけど、やけどを頭と顔と手にしています。こんど手術をします。こわいけど、先生もがんばったので、わたしもがんばります。(小6)

<いじめられた体験>

◎私は保育園のときいじめにあったことがあります。どうして嫌われているのかな、私っていない方がいいのかなと毎日思っていました。でも家族には言えませんでした。話したのは、小学6年の初めくらいです。そのときは小さくてどうしていいか分からず、苦しかったです。あのときの悲しかったことは今でも忘れられません。(中1)

<身近な人の死を体験して>

◎僕は、いままで一度だけ、身近な人の死に立会いました。その人がだんだん息をしなくなるのを見て「絶対死にたくない」と思いました。でも、たとえそこで命が消えても、周りの人の心で生きつづけているんだということがわかり少し安心しました。

<死ってなに?>

◎「死」って何だろうと考えると怖くなります。自分の周りにいる家族や友だち、そして自分がいつかは死んでしまうんだということを考えると信じられませんでした。でも「死」は誰にもおとずれるし、「死」は怖くないんだと今日の種村先生の話を聞いて思いました。「死」がいつくるか分からないし、明日かもしれない、もっとずっと先かもしれないけれど自分が生きたということはひとつの誇りであると思います。これから生きていくうえで、自分の人生を自分で切り開いて100%生きたと思えるように一日一日を学んで生きて生きたいと思いました。(中3)

<がん告知>

◎僕はもしがんになったら告知してほしいです。知らずにいた方が幸せかもしれないが、ぼくは知ることでもうひとつの世界が広がるはずです。楽な世界ではないでしょうが、決して不幸ではないはずです。僕は、人の世界には、無限の可能性があると思います。自分のもてる力で精一杯生きた人には不幸という字はけっして似合わないと思います。(中3)

<生きたくても生きられなかった人のこと>

◎『種まく子供たち』の拓也くんの話にはとても感動しました。とくに「いのちは長さではない」ということが心に響きました。「16年の短い命だったけど、拓也くんは精一杯生きたんだ、何十年分も生きたんだ」と思いました。私たちは、ただなんとなく生きている。それは今しかない時間を無駄にしていることだと思います。(中1)

◎今日は命について真剣に向き合いました。私はある日、保健室で「もう嫌だ死にたい」と一言もらしてしまいました。そのときはつらくて、つらくて、ほんとうに死んだらきっと楽になれると思っていたのです。その言葉を聞かれた養護の先生に「そんなこと、言わないで。世の中には生きたくても生き延びることのできない人もたくさんいるんだから」と 少し怒ったように言われました。そのときは、私のことは知らないくせにと思っていました。でも今日の「いのちの授業」で、ほんとうに世界中に生きたくても生き延びることのできなかった人がたくさんいることが分かりました。「死にたい」と思った自分自身に腹がたちました。自分がどんなに弱かったが分かりました。あのとき、叱ってくれた養護の先生がいなくて、ほんとうに死んでいたら、弱い自分のまま終わっていたことになります。あのときの養護の先生の言葉はとてもやさしく感じられるようになりました。

◎私もいままで実際に死にたいと思ったこともあるし、教室にいけなくて保健室にいたり、リストカットしたこともあります。でも、今日の話を聞いて、どんなに険しい山が目の前にそびえたっていたとしても絶対に死にたいと思っちゃいけないと思いました。(中2)

<本のこと>

◎本はすごい力をもっているのだと思います。絵だけでもいろんな感情が伝わってくるのです。絵だけで文字を見なくてもその物語が分かるのです。これからもたくさんの本を読みたいと思いました。(小6)

◎私がいちばん心に残った本は『だからあなたも生きぬいて』です。私も転校してきてすぐひとりぼっちになったような気がして、心細かったので、作者の気持ちがわかるのです。でも、私の場合は時間がかかったけど、周りの人に相談できました。(中1)

◎今日紹介された本はほとんど図書室で読んだものばかりでした。ですが、自分は本に隠されたテーマを感じずに読んでいました。とくにそれが強かったのは『世界が100人の村だったら』です。70人が字が読めないし書けない、50人が栄養失調、1人が瀕死、ととても深刻なのに、読んだときはなにも考えず、ページをめくっていました。これからは、本のテーマを感じとりながら読んでいきたいと思います。(中3)

<保護者の感想から>

◎いのちに関する本がこんなにもあったのですね。ふだんはなにげなく読んでいますが、一冊一冊に作者の強い思いが込められていることが分かりました。
先日、永年飼っていた犬が死にました。娘にとって、とても身近な存在だったので、深く心に思うことがあったと思います。主人と私と3人で穴をほり,花で飾って、手紙をつけて埋めてやりました。とりとめもなく涙がでました。いのちとはどんなものか、親子で学ぶいい機会だったと思います。紹介くださった本をこれから探して親子で読んでみます。

<教師の感想から>

◎私は 教職2年目で父を亡くしました。当時父は48歳。とつぜんの死でした。『ずっとずっと大好きだよ』のエルフの授業をしながら涙,涙でした。私にとって、父との別れから接する子どもたちとも共に考えていきたいと強く思うようになりました。

◎生についてはいろいろ授業でも扱われていますが、死についてはタブー視する傾向があります。しかし、絵本を通じてなら子どもたちにも死について語れるような気がします。本日紹介いただいた絵本のメモを大切にして、これからに生かしていけたらと思います。

なお、10月の知覧小の授業の様子が『がん治療再前線』の1月号に掲載されました。
http://www.e-mandr.com/
参照
また、おなじく10月の細山田小の授業が共同通信のお正月特集として配信の予定です。ごらんいただけると幸いです。