死を学ぶ子どもたち PART2 

すずらんギャラリーを訪ねて


                     

 10月18日、大隅半島の中央にある細山田小学校を訪問した。6年2組の子どもたちが、キンモクセイの枝を手に手に校門まで迎えてくれた。このクラスは1学期から総合学習で 「いのちの学習」をしている。『シリーズいのちの授業』を読んで、ぜひ種村本人に話を聞きたいとメールを送ってくれた。こういう形で交流ができるのは願ってもないこと。鹿児島市の自宅から片道2時間半かかる道程も気にならない。
 
 授業は、あらかじめメールで寄せられた質問に私が答え、私からもいくつか質
問する形をとった。詳しい報告はいずれMMに書くが、私からの質問のなかに「もし、あなたたちが、自分の生きる時間がそう長くないかもしれないことを知ったら、なにをやりたいですか?」というのを入れた。「思いきり、やりたいことをする」「やけ食いする」「ゲームで遊ぶ」など、子どもらしい答が返ってきた。
私は、そんな子どもたちに、絵描きさんになる夢をもちながら、病床で絵を描きつづけた長尾唯佳さんのことを紹介した。

 この春、唯佳さんの絵を展示する小さなギャラリーのオープンを案内する葉書を受け取った。差出人は、神戸市須磨区に住む長尾直子さん。昨年の秋、私が姫路市の城乾小学校で「いのちの授業」をやったとき、訪ねてきてくださって知り合った。佐藤律子さんの「種まく子供たち」の「いのちの授業ゲストティーチャー」のお一人でもある。

 葉書には「ゆいか 天国のちっちゃな絵かきさんの作品を常設展示するギャラ
リーを手作りしました。ログのやさしい香りに包まれた心やすらぐ空間です。ちょっぴり立ち止まって小さな命の輝きをみつめてみませんか」とあった。

 長尾直子さんは、もと小学校の先生。2000年7月小学5年生だった長女の唯佳(愛称 ゆうゆう)さんを小児ガンで亡くされた。唯佳さんは、絵が大好きで、入院期間中や、自宅で過ごしたターミナル期間中も、たくさんの絵や工作作品を遺した。将来は、自分専用のアトリエをもつ絵描きさんになるのが夢だったそうだ。

 直子さんは、唯佳さんの1周忌のころから、通っていた小学校はじめいくつか
の学校で、唯佳さんの作品を携えて、命のメッセージを伝える会を開いてこられた。そして、このほど、いつでも誰でも作品を見にくることができるように自宅の車庫の上に手作りでギャラリーをつくり、一般への開放を始められた。
なずけて「すずらんギャラリー」。
 
 この春出版された『空への手紙』(ポプラ社)に、長尾さんは、「ゆうゆうへ」と題した文章を寄せている。「絵かきさんになって、自分のアトリエでお仕事するんだという夢がかなうのよ。空の上のお友だちもたくさん見にこれるように、屋根に天窓をつけます。あなたからもらった、目に見えるもの、見えないもの、いっぱいいっぱい大切にしていきますね」
 
 夏休みの一日、私は城乾小の西本先生といっしょに このギャラリーを訪問し
た。三宮からトンネルを抜けて、緑がいっぱいの住宅地の一角にギャラリーはあった。車椅子で通った絵画教室で描いた大作、薬紙に描かれたお店屋さんごっこに使われた小さな絵、ベッドの上で指編みしたポシェットなどバラエティにとんだ作品がセンスよく展示されていた。つらくて、たいくつだったであろう闘病生活も、きっと好きな絵を描くことで、のりこえていったのだろう。短い命をせいいっぱい輝かせた唯佳さんの息遣いまで聞こえてきそうな空間だった。闘病生活を支えた多くの人のやさしさも伝わってきた。なにより、生きるというのは一瞬一瞬の積み重ねだと教えられた気がした。

 学校も近いので、かつての友だちもちょくちょく訪ねてくれるという。あの天窓から、本人も、空にいる友だちも見にきてくれていることだろう。

 長尾さんは、これからも作品を携えて、いのちの授業の出前を続けるつもりで
いる。なにげなく「死ね!」なんて口にしている子どもたちにも、唯佳さんの命のメッセージが届いてほしい。

 なお、すずらんギャラリーのようすや連絡先は、いっしょに伺った西本先生が「兵庫生と死の教育研究会」のHPにUPしてくださっている。
http://www2.117.ne.jp/~kenkyu/suzuran10.htm

 また、11月16日〜24日には、竜野市で作品展が開かれる予定。
詳しくは「種まく子供たち」の「ほしふるでんごんばん」をどうぞ!
http://www.cypress.ne.jp/donguri/milk/set/bbs/bbs.cgi

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