死を学ぶ子どもたち PART2 第31回

 『夏の庭-The Friends-』

                                                            
   
 『夏の庭-The Friends-』湯本香樹実作(ベネッセ 新潮文庫)をご存知だ
ろうか?
 ベネッセの前身福武書店から出版されたのは、いまから10年前の1992年。新
人の第1作として日本児童文学者協会と日本児童文芸家協会の新人賞をダブル
受賞し、読書感想文コンクールの課題図書にもなった。以後、10ヶ国語に翻訳
され、映画や舞台にもなっている。タイトルにぴんとこない人でも、3人の小
学生が一人暮らしの老人の死を見届けようと張り込みをして、最後は亡くなっ
た老人の家の庭にコスモスの花が咲き乱れている情景を記憶している方は多い
ようだ。

 私自身は、福武書店から刊行されたころ読んだ記憶がある。がんを体験する
前もちろん「いのちの授業」を始めるずっと前のことである。当時、すぐれた
文学作品として、心に刻まれた作品のひとつではあったが、子どもたちが死を
学ぶ絶好の文学教材としては捉えていなかった。残念ながら映画は観ていない。
 先日地元の子ども劇場の高学年例会で、東京芸術座の舞台を見る機会があっ
た。
 先月出版した『シリーズいのちの授業』(ポプラ社)でもとりあげなかった
ので、(遅ればせながら)ここで紹介したい。

 人はだれもが、いつかは死ぬ。子どもたちにとっても死は決して無縁ではな
い。しかし、生きるエネルギーに満ちている子どもたちが、死を実感する機会
は乏しい。この作品は、観念的な情報としての死があふれている現在に生きる
子どもたちの、死に対する認識の危さがモチーフになっている。

 主人公は、東京に住む小学6年生の男の子3人組。仕事ひとすじの父とキッ
チンドリンカーになっている母親をもつ木山。同じクラスのメガネの河辺には、
父親がいない。デブの山下の家業は魚屋。この3人組を中心に物語が展開する。
 塾の帰りに、木山と河辺は、祖母のお葬式で学校を休んだ山下に、葬式のこ
と、死んだ人のことをしつこくたずねる。
 「人は死ぬと焼かれるんだ。火葬場に運ばれて、お棺が、大きなかまどのな
かにするする入ってがちゃん!と扉が閉まる。そうして一時間後には骨になる
んだ。ぜんぶ焼かれて、骨だけが残る。白くて、ぼろぼろ。すっごくちょっぴ
りしかなかったよ」
 山下は、おばあちゃんの死顔を見たと言う。耳と鼻の穴に綿みたいなものが
詰まっていた。そのおばあちゃんの死体が、夢の中に出てくるのだそうだ。
 それからしばらくして、彼ら3人組は、近所に住む一人暮らしのおじいさん
を見張って、その死を見届けようということになる。
 
 おじいさんの家は、ほとんど手入れされてない。家のまわりには、ガラクタ
やゴミ袋がおかれている。もうすぐ夏だというのに、おじいさんは一日中こた
つに入って、テレビを見ているだけ。
 3人は、根気よく見張りを続けている。しかしおじいさんは一向に死ぬ気配
はない。そのうちおじいさんは、少年たちに見られていることに気づく。訪ね
る人もなく、ただテレビに向かっているだけのおじいさんの生活が、すこしづ
つ変化する。

 おじいさんが死ぬのを見るだけだったはずの少年たちは、いつの間にか、お
じいさんの庭の草取りをさせられ、洗濯物を干すのを手伝わされたりするはめ
になる。やがて、おじいさんと少年たちの交流が始まる。かつて花火職人であ
ったおじいさんは、少年たちのために、花火を打ち上げてくれたりもする。少
年たちは、きれいになったおじいさんの家の庭一面にコスモスの種をまく。
 
 おじいさんは、戦時中に南の国のジャングルで、必死で逃げる途中、食料を
得るため女子どもと年寄りだけしか残されていない村を襲い、彼らを虐殺した
のだという。その罪の意識から、おじいさんは戦後復員してからも自分の家に
帰らず、奥さんにも会わずに暮らしてきたのだという。その話を聞いた少年た
ちは、生き別れになったままのおじいさんの奥さんを探そうとする。もはや少
年たちにとって、おじいさんは他人とは思えない存在になったようだ。

 電話帳で、奥さんらしき人を探しあてて、老人ホームに会いにいく3人組。
でも、そのおばあさんは、ぼけていて、おじいさんの記憶は残っていないよう
だ。がっかりした3人組だが、おばあさんによく似ている種屋のおばさんに頼
み込んで、身代わりでおじいさんに会ってもらう。身代わりのウソはおじいさ
んに見破られたが、偶然同郷であった二人は、なつかしそうに語り合う。

 少年たちがサッカーの合宿から帰り、みやげを持って訪ねると、おじいさん
は横になっていた。3人は体の奥で感じ取った。おじいさんは眠っているので
はない。おじいさんは、とても満足そうに、少し笑っているようにさえ見える。

 初めて見る死んだ人。でも少しもおそろしいとは感じない。おじいさんの体
は、長い間着古した服のようにやさしく、親しげに横たわっていた。

 やがて、木山の母親は入院。父親との関係も修復のきざしがあらわれる。河
辺の母親は再婚。受験に失敗した山下は、家業をつぐつもりでいる。おじいさ
んとの別れはつらいことだったが、「ぼくたち、あの世に知り合いがいるんだ。
それってすごい心強いことだよ」と、ひとまわり大きくたくましくなった少年
たちは、それぞれの選んだ道をすすんでいく。

 東京芸術座の舞台は、シンプルで、原作に忠実に淡々とすすんでいた。観客
の子どもたちは、どこにでもいそうな3人組に感情移入して、死んでもなお3
人の心のなかで生きているおじいさんから多くのことを学んだにちがいない。

関連HP
ttp://isweb15.infoseek.co.jp/area/ukg/reikai/reikai123.htm


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