死を学ぶ子どもたち PART2 第25回

 ホスピス運動をすすめる会のこと

                     


 9月から11月初旬にかけて、富山緩和医療研究会、愛知ホスピス研究会、岐阜ホスピス運動をすすめる会に招かれた。いずれもホスピスマインドにもとずく緩和ケアの普及に心をよせる医療者や市民の会である。私は昨年広島であった「死の臨床研究会」と浜松の「ホスピスセミナー」に患者の立場からパネラーとして参加した。私に声をかけてくださったのは、これらの会の皆さんがこういう会に参加されたあと、私の本を読んでくださったり、HPを訪問してくださったのがきっかけだった。

 富山の会は医療者中心の研究会だが、愛知と岐阜は市民が中心になって設立
されている。ちょうど、私が進行性胃がんで手術を受けていた1994年のころである。当初は、愛知でも岐阜でも、数万人の署名を集めて、ホスピスの設立を請願するところから活動を始めたのだそうだ。今では医療者も加わって、緩和ケアの症例の検討、告知、生と死などの学習会のほか、患者自身の思いを語る会、ホスピスボランティアの研修会、遺族の思いを語る会など多彩な活動を繰り広げている。
 
 ここ数年、ホスピス(緩和ケア病棟)は急激に増えて、認可を受けたところだけでも、もうじき90ケ所になろうとしている。(全国緩和ケアホスピス病棟連絡協議会http://www.inh.co.jp/~handpcu/index.html)
私がお世話になっている鹿児島市の堂園メディカルハウスのように診療所であるがゆえに無認可になっているところを加えると、その倍くらいの施設でホスピスケアが受けられることになる。私がお伺いした富山でも愛知でも岐阜でも、ここ数年いくつかの病院に緩和ケア病棟が新設されている。それでも、ほとんどの人が最期のときを過ごす普通の病院で、ホスピスマインドにもとずいた医療が受けられるという願いには、まだまだ程遠い。それに、せっかく緩和ケア病棟が新設されても、稼働率はそう高くないらしい。
 ホスピスを勧められると、医師から見放されたと感じたり、ホスピスは「死を待つところ」との認識がまだまだ強いからだろう。

 私は、5年生存率20%を宣告され、あわてふためいた自分自身の体験から、普段健康なときから「死」「命」「生きる」ことについて考えておくことが必要と思っている。学校や地域や家庭で、そういうことを考えるきっかけになるよう「いのちの授業」を続けている(つもり)。結果的に広い意味の「死の準備教育」と認識している。今回あいついでこういう会からお招きがあったのは、学校で健康な子どもたちにおこなう「いのちの授業」が、ホスピスの会のみなさんが目指しているホスピスマインドにもとずく医療を広めるための土壌を耕し種をまく仕事とみなしてくださったことになる。

 富山では、従来医療者向けにのみ行っていた講演会を一般公開という形にしていただいたし、講演会の前日は隣接する小学校の6年生3学級に「いのちの授業」を設定してくださった。土曜午後の講演には、授業を受けた6年生の一人がお母さんを誘って参加していた。もちろん、その学校の先生も、前日子どもたちが書いた感想を持参して参加してくださった。この小学校は、1ヶ月後の学習発表会で『葉っぱのフレディ』の劇と「あいたくて」の詩を手話と群読で発表するといううれしいおまけまでついた。

 愛知では、名古屋市校外の学校で6年生対象に行った「いのちの授業」をホスピス研究会のメンバーが参観してくださった。こういうご時世に、外部の人間を学校に入れてもらえるだろうかと心配されていたが、校長先生は、こころよく引き受けてくださった。今後、学校でこういう取り組みをされるときは、地元でゲストティチャーが確保できると喜んでもらえた。

 岐阜では、講演会のお知らせを200通も学校宛にだされたそうだ。残念ながら、学校関係者の参加はそうなかったそうだが、案内をもらった学校では、岐阜の地でホスピス運動をすすめる市民の会の存在を知ってもらうきっかけにはなったと思う。

 先日、教育関係の雑誌の取材を受けた。「いったいいつまで出前授業を続けますか?」と質問されて、返答に困った。かっこよく「必要とされなくなるまで」と答えたが。
 いつかあちこちで、こういう授業をすすめていきたいと思っている学校関係者と市民のネットワークが根付いていけば、私の「種まき」の役割は終えるときがくる。
佐藤律子さんのHP「種まく子供たち」の「ゲストティチャーバンク」の登録者もすこしづつ増えている。先日は、姫路で、バンクに登録されているお一人神戸在住の長尾直子さんにお会いした。彼女もご自分の娘さんを小児がんで亡くしている。教職を辞し、自宅で7ケ月看病されたそうだ。たまたま、朝日新聞で私の「授業」の記事を目にして、こういうことができるのかと思われたそうだ。種子島の西村さんの出前授業・講演も回を重ねている。
「必要とされなくなる日」を楽しみに待ちたいと思う。




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