学校図書館はどこでもドア


*大阪の近郊、箕面市萱野小学校には、校舎の中央に オープンスペースの図書館がある。ここは、、子どもの自ら学ぶ力の育成を目指し五年前より専門・専任の司書を配置し図書館機能を活用した総合学習に取りくんでいる。
*昨年同小の四年生は、環境学習に取り組んだ。学習は、ごみ減量に着目することから始まった。この学校の教師は、学習のおおまかな流れを考えると、まず司書に相談する。司書は、ごみだけでなく広く環境学習に必要な資料を集める。自校で揃わない分は他校や公共図書館からも借用する。図書館には、インターネットに接続したコンピュータも備わっている。
*司書は、集めた資料を展示し、リストをつくり、ブックトークをする。ときに資料の使い方を手ほどきする。教師も子どもも分からないことがあると、図書館へ足を運ぶ。司書がいつでも相談にのってくれる図書館は、まるで「ドラえもん」の「どこでもドア」なのである。
*子どもたちは、家庭や給食室などから出るごみを調べ、ごみ収集にあたる人にインタビューし、ごみ処理場の見学に出かけ、ごみ減量のための「ごみ減量隊」「リサイクル隊」、ごみ問題を詳しく調査する「調べる隊」を組織する。このようなテキストのない総合学習に学校図書館の存在は欠かせない。萱野小でも国内外のごみ事情やごみ処理場の所在地を調べ、リサイクル方法を考えるのに、資料も司書もひっぱりだこだという。
*二一世紀を目前にして、教育改革が急ピッチですすんでいる。
教師が黒板を背に教科書を教える授業から、子ども自ら課題を設定し、本や情報を探し、心と体と頭を十分に活用して、仲間と協力しながら問題解決に向かう学習に変わろうとしている。
*従来のスタイルは、一定の知識をもつ勤勉な国民を育成するのにたいへんに効率的であった。だが、子どもの生活や関心に無関係な学習は、学ぶ喜びをもたらさなかった。増え続ける学級崩壊や不登校はこういう学習が子どもに受け入れられなくなった証でもある。
*元来子どもたちは、人間らしく自立して生きる力をはぐくむために学んでいる。だから、断片的知識を伝えるだけでは、本来の学びにはならない。子ども自身が、自然や社会に直接触れて、情報を探し、解決法を探る活動が中心にならなければならない。その子ども主体の学びを保証する教育改革の目玉として登場したのが「総合的な学習」であり、情報を探索する場としてクローズアップされ始めたのが学校図書館である。
* 県内の学校図書館も、「自己教育力」育成を目指して変わりつつある。一部の高校図書館では、政経や倫理のディベート授業に図書館が活用されている。生徒たちは、資料の専門家である司書のサポートを受けながら、本やインターネットで、議論の裏付けになる資料を探索する。
*小・中学校図書館でも、コンピュータの導入が始まっている。とくに文部省の「学校図書館情報化活性化モデル事業」の指定地域では自校の蔵書だけでなく他校や公共図書館の本を調べられるところもでてきた。インターネット検索が可能になった学校も多い。ハード面では、萱野小のような情報センター・学習センターの機能を発揮できるはずである。残るソフト面の課題は、小・中学校図書館への専門・専任の人の配置である。
*学校図書館法の改正で二OO三年までに司書教諭が配置される。だが専任ではなく、教科や学級担任との兼務である。しかも、今回配置されるのは、十二学級以上の大規模校のみ。小規模校の多い県内では小中学校のわずか二三%にすぎない。だとすれば、法的な根拠はないが、学校図書館に常駐する司書が必要ということになる。
* 大阪で小・中学校の司書配置の運動に取り組む文庫のメンバーが「学校図書館がきちんと機能していれば、読書離れ、子どもの疲労、いじめや不登校も少なかったのではないか。少なくとも、子どもたちはもっと学校が好きになっていると思う」と発言している。傾聴すべき意見だと私も思う。
(鹿児島短期大学講師・かごしま文庫の会代表)
                    初出『南日本新聞』 

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