コンピュータの背後に人がいる
      

*過日、福岡市の図書館に勤務する知人から、絵本のタイトルを問い合わせる電子メールが飛び込んだ。図書館の利用者からの質問で、花をつけなくなった桜の木のために、一匹のモグラがせっせと土を運んだ。花は咲いたが、モグラは力尽きて死んでしまったというストーリーらしい。読んだような気がする。
さっそく手持ちの絵本のリストを探してみる。だが、それらしき本がない。こういうとき頼りになるのは、人のネットワーク。文庫や司書の友人にも聞いてみる。時間がかかりそうなので、とりあえずメールの主に「メーリングリストで聞いてみたら」と返信する。メーリングリストには全国の図書館員数十人が加入している。きっとどこかに「生き字引」的な人がいるはず。
*ところが、返事は思いがけないところからきた。絵本のタイトルと所在をたちどころに知らせてくれたのは、大学図書館員だった。彼が使用したのはインターネット。さすが、情報検索のスペシャリスト。改めて人と人とをつなぐ電子ネットワークの威力に感嘆した。
*図書館にインターネットを導入するところが増えてきた。すべての人の知りたいことに応えるために、活字の情報だけでは間に合わなくなったからだ。
*私ががんになったころ、ここまでインターネットが普及していたら、「生きる」ための情報収集は違った展開になっていたであろう。
*情報を持つ者と持たない者との格差を拡大しないために、情報を得る場を公的に保証することが必要だ。特に子どもたちへの学校での情報教育は欠かせない。
*私は、小学校教師を中心にしたメーリングリストにも加わっている。ほとんどが面識のないメンバーなのに、連日のアクセスはなかなか楽しい。総合学習はじめ、授業や学校行事、学級通信や懇談会などのアイディアが飛び交い、情報教育やホームページ作成技術への質問もでる。誰かの疑問や悩みにいつも誰かが答えてくれる。優れた実践には、共感の声が寄せられる。たとえば、過日は「ひみつの宿題」なるほおえましい実践が披露された。子どもたちが「お母さんきれいだね」「お父さんかっこいいよ」と声をかけて、親たちの反応をレポートするというもの。親子のコミュニケーションは、まろやかになり、その後の学級PTAは、和やかな雰囲気になることうけあいだそうだ。
*このメーリングリストには、アメリカや台湾在住のメンバーもいる。アメリカの子どもたちが日本について学んでいるホームページが紹介されたり、絵本『葉っぱのフレディ』の原書(英語)と日本語訳の違いが投稿されたりする。
*私自身は、二年前ようやく待望のパソコンを入手。五十の手習いで、ネットサーフィンや電子メールを始めた。最近はこの高級な玩具のとりこ。目を開かされる思いを日々味わっている。
*「いのちの授業」の際も、メールの使用で、事前に先生や子どもたちと密度の濃い交流ができる。六月に出かけた鹿屋市立寿北小では初対面の私の紹介を子どもたち自らやってくれた。事前のメール交流のおかげ。この学校では、私との交流や学習の過程をホームページで発信している。
*八月二十一日付の本紙は、小中高校に校内情報通信網(LAN)を整備する文部省の計画を報じた。実現すると、校内のどこのコンピュータからもインターネットに接続できる。子どもたちが自ら学ぶために、いつでも情報を得ることができるし、学んだ成果を多くの人に伝えることもできる。
*東市来町立鶴丸小では、この夢のような校内LANを自力で実現させてしまったという。費用は懸賞金と校内のぎんなんを売って充てたとか。本格的な運用はこれからのようだが、あらゆる情報に触れられることで、きっとダイナミックな学びの場が実現するだろう。もちろん校内のメールの交換は自由自在。身近な人の意外な面を新たに発見するチャンスにもなる。
*コンピュータが提供するのは、しょせんバーチャルな世界。しかし、その背後にいる人との確実な出会いの場でもある。
(鹿児島短期大学講師・かごしま文庫の会代表)     

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