『死を学ぶ子どもたち』(教育史料出版会)の出版以降、新聞やテレビで「いのちの授業」を取材していただく機会が増えました。それらの記事のなかから、読売新聞の尚師さん(掲載時は鹿児島総局勤務、
現在は山口支局)の記事を新聞社の了解をいただいて掲載します。なお、尚師さんは、鹿児島県大島郡笠利町の出身、鹿児島総局勤務時代は、遺伝子受精卵診断やハンセン病の問題などに取り組み、社会の片隅で懸命に生きる人に温かいまなざしを注いだ記事を書いてこられました。



『100%生きよう』命の授業


   がん手術 死と向き合い5年 いじめや自殺に心痛め学校巡回
    鹿児島の種村さん


            読売新聞 西部版 1999年1月31日(日)
            サンデー ひと 舞台 より

 がんで胃を摘出した鹿児島短期大学講師(図書館学)の種村エイ子さん(52)が,鹿児島県内の小中学校で「いのちの授業」を続けている。手術から五年後の生存率は20%と宣告され,死を真正面から見つめて知った生命の重み。二年前から学校を訪ねる「一度限り」の授業は、すでに十九回を数え,語り伝えた体験は子供たちの心に深く響いてきた。二月三日,手術の日からちょうど五年を迎える。

 一月十八日の昼過ぎ,鹿児島市立犬迫小学校の音楽室に,約四十人の五,六年生や父母らが集まっていた。種村さんは死と向き合った瞬間を語ることから「いのちの授業」を始めた。「胃を全部取ってから、がんになっていたことを知りました。十人のうち二人ぐらいしか生きていられない病気と言われ、すごくショックでした」

 腹部の激痛に襲われるようになったのは一九九三年六月末、鹿児島の長い夏が始まるころだった。それから十数回,病院に駆け込んだ。原因不明のまま,約半年後に入院。胃と脾臓、リンパ節を取り除く手術を受けた。そして告知。
「がんイコール死と思っていた」手術から一ヶ月余りで退院したが,再発への恐怖から逃れられなかった。生きる気力を失いかけたる中で時が過ぎた。やがて、がん患者の闘病記や医学書を読み、ホスピス医療に情熱を注ぐ医師に出会って、「命には限りがある」と受け止められるようになった。家族の支えも大きかった。
退院から約二年。どう生きたていけばいいのか。生を支えてくれた人にどう恩返しをすればいいのか。少しず
つ意欲がよみがえってきたころ、金沢市の小学校教師,金森俊朗さんの実践記録『性の授業 死の授業』(教育史料出版会)を知る。出産間近の女性や末期がん患者を教室に招く活動報告に目を走らせた。
当時,種村さんは闘病体験記『知りたがりやのガン患者』(農文協)の出版準備を進めていた。いじめや自殺、ナイフによる殺傷事件が社会を揺さぶっていた。病気になる前から「かごしま文庫の会」を引っ張り,子供たちとの接点を大切にしてきただけに,相次ぐ少年事件は悲しかった。
生と死をテーマにした絵本や童話を紹介しながら、生きる意味を自分らしく語る「授業」がしたい。生命の始まりを考える性教育に取り組んでいた県内の教師に手紙を送り,交流を続けて、一九九七年三月、「いのちの授業」は始まった。

「みなさんは、人間が死んだらどうなると思いますか。天国に行ったり、極楽に行ったりすると言われますね。私は死んだら終わりだと思います」
穏やかな語りに引き込まれていた犬迫小の児童の顔が一瞬、こわばったように見えた。

そこで,闘病中に立ち直る勇気を与えてくれた絵本『わすれられないおくりもの』(スーザン・バーレイ、評論社)を開く。
老いたアナグマが息を引き取る場面から始まる。森の仲間たちは,嘆き悲しむが,優しかったアナグマのことを語り合ううち、かけがえのない思い出を心に残していってくれたのだ、と気づく。
「みなさんも心を持っていますよね。命は終わってしまっても,周りの人の心の中で生き続けることができます。一人一人の命はそこでおしまいだけど,命のリレーはこの地球上の上にずっと続いていくのです」

種村さんはこの一年間、木製のペンダントを胸に「授業」に臨んでいる。同じ時期にがんと闘った鹿児島市のピアノ教師,黒田康子さんのデザインだ。病気入院中の子供たちを励ますボランティア活動を通して知り合った。だが、黒田さんは脳にがんが転移し,昨年一月、五十八歳で亡くなった。「絵本を描くことができてとても幸せ。自分はもう100%生きた」と語り,数冊の絵本を残して逝った。
遺作の『天にかかる石橋』(石風社)をいつも授業で紹介する。水害を機に同市の甲突川から撤去された西田橋と子供たちの物語。授業に立つのは「黒田さんに託されたこと」とも感じている。

昨年暮れ、同市立荒田小四年の女の子から感想が届いた。「命についてはじめて考えてみた日、なかなかねむれませんでした。種村先生の授業をきかなかったら、自分の命を大切にしなかったと思います」

 生があって、死がある。その間に命の輝きがある。手術から五年。つかんだ実感と多くの出会いで「生き方がすごく積極的になった」と思っている。
「人間,何歳になっても変わることができる。いつだって変われる。人間って捨てたもんじゃない」命の重みとともに,子供たちの心に伝えたいと願う。
                 
                                  尚師 尚人(たかし なおひと)