見知らぬわが町発見の夏に



* 小中高校生のみなさん、夏休みも半分が過ぎ去ろうとしていますね。どんな夏をすごしていますか。せっかくの休みだから遠くに出かけるのもいいけれど、住み慣れた自分の町を歩いてみるというのはどうでしょう。思いがけない出合いがあるかもしれませんよ。

* 私の手元に昨年の十月十三日付の南日本新聞があります。これは、昨年の夏休みに頴娃町立青戸小の当時の六年生が、汗をかきつつ校区内を歩き回り取材して書いた記事で、「歴史でひもとくわたしたちの町」シリーズの第一回目です。私はこの記事で、あの戦争中に青戸に知覧の特攻基地よりも大きな飛行場が作られていたことを知りました。工事に従事していた人のなかには、朝鮮半島から強制連行された人たちも含まれていたようです。なぜよその国の人を無理矢理連れてきて働かせていたのか、ここで理由をくわしくお話できないのが残念ですが、結局この飛行場は完成しないまま戦争は終わりを告げたのです。いまでも青戸には、そのとき造られたコンクリートのトーチカが残っているのだそうです。もし青戸に飛行場が完成していたら、知覧と同じような歴史をたどっていたかもしれないと記事は結んでいます。

* 私は「いのちの授業(死の学習)」で各地の学校を訪れるとき、必ず戦争による「死」をとりあげます。「いじめ」による「自殺」と同じく、あってはならない理不尽な「死」ですから。
* 六月に訪れた鹿屋の小学校でもいつものように、知覧から飛び立った特攻隊員を描いた絵本『ほたる』を紹介しました。うどん屋のおばさんに「ほたるになって帰ってくるよ」と言いのこして飛び立った新潟県出身の宮川くんの話です。授業の感想のなかに「知覧がそんな場所であったことを初めて知りました」というのがありました。でも、鹿屋にも同じような特攻基地があったのです。
*みなさんに直接体験した戦争のことを語ってくれる人はそう多くないでしょうね。しかし、鹿児島にも戦争のおろかさを無言のうちに知らせてくれる場は少なくないのですよ。

* 私は、この春『見知らぬわが町』と題した本に出合いました。四年前に書かれた本で、著者は、福岡県大牟田市に住む女性。当時は高校生でした。夏の夕方、ふと散歩に出かけた彼女は見慣れているはずの自分の町で、巨大なぜんまいじかけの時計のような異様な建物を見つけます。「あれは何?」ふといだいた疑問を解き明かすために、図書館に通いました。その図書館は、郷土大牟田に関する資料なら、たとえチラシ一枚でも収集整理してきたところです。その建物が廃虚になった炭坑跡だと分かるのに、時間はかかりませんでした。しかも、炭坑では明治以来囚人の強制労働が行われていたのです。鹿児島の与論からも多くの人が移り住んで、偏見や差別にさらされながら厳しい労働に従事していました。彼女は、その与論の人の血を受け継いでいたのです。さらに戦争中は、朝鮮人や中国人も強制労働に駆り出されていたこともわかります。

* 「私って、へんなことをしているのではないのだろうか」自問自答しながら、本で得た情報を確かめるために、カメラを片手に自転車を走らせます。やがて彼女は、住みなれたわが町が、思いがけない悲しい歴史を秘めた町であったことに気づくのです。いままでの自分は、迷子であることを気づいていない迷子であったというのです。わが町の歴史を多少なりとも探って、自分の本当の居場所が見えてきたと実感します。

*夏休みの最後にたった十部しか作られなかったレポートは、福岡の葦書房から出版されています。*きょうは、長崎原爆の日。長崎市長は、平和宣言のなかで「長崎を平和学習のフィールドに」と訴えることになっています。

* あなたの住む町も、長い時代にわたって多くの人が苦しみや喜びを刻んできたところです。戦争の歴史に限らず、あなた自身がそれらを学ぶことができるフィールドです。
あなたも、見知らぬわが町と自分自身の根っこを「発見する」夏にしませんか。
(鹿児島短期大学講師・かごしま文庫の会代表)

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