絵本『むったんの海』に学ぶ (5月31日)


*本紙五月五日付「かお」の欄に絵本『むったんの海』を書いた島原市の小学五年生、寺田志桜里さんが紹介されていた。
*志桜里さんは、四年生の夏休み、カラカラに乾いた諫早湾を見て、「どうして、こんなことがおこるのか」と疑問をもったのだという。そして、図書館に通い、干潟をテーマにした本に手あたりしだい目を通し、この絵本の元になった手作り紙芝居をつくった。

 私は「図書館に通い…」という記事のくだりに、ついほおが緩んでしまった。確かに志桜里さんの住む島原市には、町の中心部にかなり充実した図書館がある。子どもが疑問に思ったことを、すぐに調べられる図書館の存在があってこそ、できあがった絵本なのである。

*さて、絵本の主人公は、諫早湾に住むムツゴロウの「むったん」である。むったんは、多くの仲間といっしょに干潟で跳び回っていた。ところが、ある日突然大きな音がして、堤防が閉め切られる。海の底では、たこやかにが、鉄板に挟まれる。みんなを助けたくても、むったんにはどうしようもない。魚の家族も離れ離れになってしまう。やがて、干潟はカラカラに乾いていく。つぎつぎに魚や貝が死んでいく。あんなに元気だったむったんもどんどん弱ってくる。やがて、干潟の仲間たちを、サギやチドリなどの鳥たちが救い出す。いつもはエサにしている生き物が絶滅しては、鳥も生きていけないからだ。

*志桜里さんが、こういうストーリーにしたのは、干潟の生き物すべてが死に絶えてしまう悲しい結末にしたくなかったのだという。

*絵本のなかで、シオマネキの長老はつぶやく。
「かみさま、あなたは、にんげんだけのかみさまなのですか?いきるものすべてのかみさまではないのですか? なぜ、にんげんにばかり、みかたをするのですか?」

*むったんは、こんど人間に生まれて、干潟の仲間が、安心して暮せる海をつくりたい、と願う。
*だが、人間に生まれた私たちは、このむったんの願いにこたえているのだろうか。

*絵本の巻末には、日本湿地ネットワークの山下弘文さんの解説がある。それによると、諫早湾の干潟には、三百種もの生物が住んでいるのだそうだ。干潟は、それら海の生き物をはぐくむ「ゆりかご」であり、 有機汚濁物をこしとるフィルターの役割をも果たしている。干潟がなくなると、海はよごれ、食料としての水産物も失うことになる。
また日本の干潟は、数千キロを旅する渡り鳥たちの越冬地や中継地の役割も担う。これら渡り鳥たちの種の保存もおぼつかなくなる。そういうさまざまな機能を併せ持つ干潟なのに、 日本では、この数十年に、埋め立てで半分近くが失われているのだという。

*たぶん、鹿児島でも、事情は変わらないのだろう。
*豊かな地球環境を子どもたちに残していくためにも、干潟のもつ機能がもう少し見直されてもいいのではないだろうか。失ったもの、破壊してしまったものを元に戻すのは、たいへんなエネルギーを必要とするのだから…。

*私は、岐阜県郡上八幡に住む方から、折り畳み式の絵本『長良川』を送られたことがある。山深い谷川に始まる長良川が海に注ぐまでを、流域に住む人々の暮らしと共に描いていて、広げると十数メートルにもなる。長良川河口堰が住民の反対を押しきって建設されようとしているころに、お母さん方のカンパで作られた絵本なのだそうだ。結果的に河口堰はつくられてしまったが、絵本は子どもたちに川のいのちを伝える役割を十分に果たしたはずである。

*鹿児島でも、鹿児島湾に建設を予定されている人工島や、隼人町天降川河口の埋め立て計画の是非が検討されている。

*志桜里さんのような子どもたちに「なぜ、こんなことをするの?」と疑問視されるような計画になっていないだろうか。

*子どもらしい柔らかい発想の『むったんの海』の絵本に学ぶこと、それは、失う前に声をあげることの大切さである。
(鹿児島短期大学講師・かごしま文庫の会代表)


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