映画「チンパオ」が問うもの


 この夏、初めて中国を訪れた。

青春の日にパールバックやスメドレーに出合って、長い間あこがれていた土地。心弾む一方で気の重い旅でもあった。 ツァーの行程のなかに北京の革命記念館、盧溝橋の抗日記念館、30万人もの人が虐殺されたという南京の大虐殺遭遇同胞記念館が含まれていたからだった。

これでもか、これでもかというようにあの戦争中に日本軍が中国で犯した行為を示す資料の数々を目にしながら身をおくと、人間はここまで残虐になれるものかと旋律がはしった。

南京では、家族が目の前で次々に殺され、自身も体中を刺されたという夏さんの証言も聞いた。

2年前にナチスの収容所跡を訪れたとき以上につらい体験だった。「日本人みんなを恨んでいるわけではない」と夏さんは話されたが、しばらく重苦しい気持ちが払拭できなかった。

帰国してから、当時の中国戦線にいた日本兵のすべてが人間性を失っていたわけではないことを伝える映画に出会った。「チンパオ」である。実際に中国戦線に赴いた黒薮次男の「少年の目」が原作になった映画。
 主人公は、老いた一人の元日本兵。戦後50年を経て、彼はかつて駐屯していた地を訪問する。そこは、風光明媚な美しい景色と裏腹に彼にはつらい思い出の地。意を決して孫に語る主人公。舞台は、日本の敗色の濃くなった1945年にさかのぼる。主人公の部隊は、近くの村に挑発に出かけ、子牛を見つけ略奪する。かわいがっていたその子牛を取り戻そうと必死に追いかけてくる中国人の兄と妹。兄の名は「チンパオ」。子牛を殺して食料にしたい上官と、チンパオに返してやろうとする主人公。その葛藤を通じて、良心を貫くことができない戦争の悲惨さを描いたものである。
 この映画は、友好条約締結を記念して、日中合作で製作された。

両者が対等に資金もスタッフも出しあった映画は珍しいそうだ。双方に納得できる映画づくりを目指して、議論が重ねられたという。

「日本人はみな鬼」という観念を捨てきれない中国側と、人間性を失わせてしまう戦争の怖さを伝えるためにも,良心をもった日本兵を描きたい日本側。制作中にしばしば怒声も飛び交ったと伝えられている。
 本誌「ひろば」欄でも、「あの中国戦線で、いちばん苦しい思い出が少年に子牛を返してやれなかったことだなんて。日本軍はもっと残虐だったはず」というのがあった。今回中国に行って、この投稿の主の違和感が理解できた。
 訪れた記念館のすべてが、子どもたちに戦争を伝える「教育施設」として位置づけられている中国。

一方、教科書ですら過去の加害の歴史が十分にとりあげられていない日本。それどころか、従軍慰安婦は強制ではなかったとか、南京ではせいぜい数千人しか殺されてないとする主張も繰り返されている。

こういうふうに平行線をたどっている背景に、戦争が終わって54年も経つのに、戦争に関する全面的な調査が行われず、公的に真相が明らかにされていないことがある。戦前、戦中の膨大な資料はいまだに眠ったままだという。
 最近、これらの資料の保管、整理、公開を目指して、国立国会図書館に恒久調査局を設ける動きがある。超党派の議員が参加した法案には、「今世紀の惨禍の実態を明らかにし、アジアの人々と信頼関係を築き、恒久平和を実現する」と謳われている。

「心理が我らを自由にする」、これは国立国会図書館法の冒頭にある言葉である。元来、同館は国民に真実が伝えられてなかったことが無謀な戦争を引き起こしたことの反省のうえに設立されたもの。

そういう意味でも、この調査局の設置は遅きに失した観がある。

映画「チンパオ」の製作課程の激しいやりとりは、日中双方が真に認め合うために必要なことだったようだ。再び不幸な歴史を繰り返さないために、次の世紀を担う子どもたちにぜひ見てほしい映画がまた増えた。

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