連載 「死」を学ぶ子どもたちーPARTU 第5回

                

 暮れに分厚い封筒が届きました。送り主は、兵庫県立明石城西高校の原実男先生。新聞部の顧問をされている原先生が私の本『「死」を学ぶ子どもたち』を読まれたそうで「城西新聞」をどっ
さり送ってくださったのです。この新聞には、特別企画「生と死を考える」が連載されています。全国高校新聞コンクールで高い評価を受けた新聞だけあって、たいへん読み応えのある記事が満載されていました。
 
新聞部がこの連載を始めたのは、1997年のことです。きっかけはその年、死をめぐる大きな出来事が起きたことです。一つは脳死移植法の成立。医療技術の進歩によって、脳死という生と死の中間ともいうべく状態が生まれ、臓器移植を実現させるために脳死も人の死であることが法律で決められたのです。
 加えて、阪神大震災。六千人の人が一瞬にして亡くなりました。さらにショッキングな神戸の少年事件もおこりました。身近で、衝撃的な「死」に出合った高校生たちは、人間にとって死とは何なのかということを自分たちなりに考えたいとこの企画をとりあげたのです。タイトルになった「Memento Mori(死を考える)」はMemento Vivure。すなわち死を考えることは生を考えることに他ならないという意味です。

 内容は多彩です。ホスピスや 「生と死を考える会」「いのちの電話」の関係者、震災でボランティアとして検死にあたった医師や救急医療に携わる医師、交通事故で家族を失った人やハンセン氏病の元患者、ダウン症児の親の会のメンバー、保健所で不要になった犬の処理を担当している人などさまざまな「死」に直面した人にインタビューし、詳細な報告と率直な感想が記されています。最近では福井県の原子力発電所への取材や牛や豚などの食用動物の屠場の取材までやってのけています。
 臓器移植や受精卵診断、原子力発電など対立する意見のある問題を扱ったときは、両者の主張を掲載しています。

明石城西高校新聞部の取り組みは1昨年、NHKのクローズアップ現代や「アエラ」にも取り上げられています。私も、この報道に接した一人です。「すごい」と思ったのは、高校生がこれだけ多様な課題に正面からぶつかっていることです。直接足を運んで、誠実に取材して、自分たちの言葉で書いている点です。新聞部だから当たり前かもしれませんが、我が家の息子たちが高校生だった頃のことを考えると、とても考えられないことです。鹿児島にかぎらず、おそらく日本中どこでも、ほとんどの高校は受験に集中させるため、できるだけ社会的なことに目をむけさせないようにしているというのは言い過ぎでしょうか。

企画や取材対象の選定に教師のサポートはあるとしても、高校生が自らテーマを探り、取材し、考えを深め、レポートすることで、教師が選定した同一の教材を全部の生徒が一斉に学ぶだけでは決して得られない自己教育力が獲得されるのではないでしょうか。

1月4日付南日本新聞に「生きる力の育成」をテーマに鹿児島県内の教師の積極的な取り組みが紹介されていました。そのなかに環境教育に取り組む鹿屋市寿北小蔵満先生(このMMの発行者)の実践がありました。子ども達一人ひとりが それぞれ調べたいテーマをもっていて、調べる手だてまでそれぞれが考えてやっているという部分がとくに印象的でした。蔵満先生のアドバイスは必要最低限だけだそうです。もちろん、子どもがそこに至るまでには、長い時間かけて着実に積み上げられた指導があったはずですが。

 明石城西高校と蔵満学級の取り組みに触れて、子どもの生きる力を育てる学力とは何かを考えさせられました。



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