連載 「死」を学ぶ子どもたちーPARTU 第3回

                

 幼い子どもの「死」ほど、やりきれない思いになることはありま
せん。受け持ちの子どもが亡くなったとき、あるいは受け持ちの子
の兄弟がなくなったとき、どう対応されていますか?

「死を学ぶいのちの授業」を始めて改めて感じたのは、未来のある
幼い子どもが亡くなるケースもかなりあるということです。

 つい1ケ月ほどまえ、私はかわいい手紙を受け取りました。この
3月に「いのちの授業」にでかけて以来、手紙をやりとりしていた
小学校の6年生綾香(仮名)さんからです。
 封筒の絵柄とはうらはらに悲しい手紙でした。実は、彼女の8歳
の弟拓也(仮名)くんが、その2ケ月ほどまえに亡くなっていたの
です。拓也くんは、生まれつき胆道閉鎖症という難病で、半年前に
生体肝移植を受けていました。私が「授業」に行ったころは、手術
後の経過がおもわしくなく、小手術を繰り返していました。
 「種村先生、弟のこと手紙に書いていいですか?」 授業のあと
そっと話しかけてきた綾香さんとその後数回手紙のやりとりをして
いました。一時期は「先生、祈りが通じました。拓也は順調です」
という便りが届いたこともあったのに。

こんどの手紙にはこう書いてありました。
「私はまだ拓也が亡くなったとは信じられません。おとうさんやお
かあさんが言うには、拓也は亡くなるまえ、力をふりしぼって目を
開けたそうです。そして笑って死んだそうです。
49日の日にお坊さんが来ました。お経のとき足が痛かったけど、
拓也のために頑張りました。
そのお坊さんは、ある病院によく行っているそうで、そこに入院し
ていたがん患者のお父さんの話をしてくれました。そのお父さんは
もうあまり生きられないとお医者さんに言われていたそうです。だ
から小学生の男の子とお母さんは、そこの病院でいっしょに暮して
いたそうです。男の子は宿題もその部屋でしていたそうです。その
お父さんは、やっとのことで、自分の病気のことを男の子に話した
そうです。そして、思っていたとおり、お父さんは体調をくずして
しまい、血をはいてしまったそうです。それでも、お父さんは男の
子にカッコいいところを見てもらおうと立ち上がってトイレに行こ
うとしました。でも、男の子は『お父さん、もういいよ。がんばっ
たじゃあないか。カッコいいよ』と言ったそうです。
 拓也くんもカッコいいところを見てもらおうと目を開けたと思い
ます。でも、私はもう一度会って話がしたかったです。拓也の声は
一年以上聞いていません。でも、心の中には拓也がいつまでも笑っ
ています。おそうしきのときは、私の友だちも拓也の友だちもたく
さん来てくれました。みんな泣いていました。
涙なしには読めない手紙でした。

10月末、鹿児島ターミナルケアネットワークなることろで講演
を依頼されたとき、私は手紙に出てくるお坊さんと出会いました。
彼がボランティアで通っている病院とは、私も患者として通ってい
るホスピスなのです。
 みんなが悲しみにくれている通夜の席で、彼は「重い病気をもっ
て生まれたのに、8年間も頑張って生きた拓也くんのことをほめて
やろうよ」と呼びかけたとか。出棺のとき、拓也くんのお父さんが
「拓也、生まれてくれてありがとう」と言われたそうです。

 綾香さんの手紙と同時にお母さんからの手紙も届きました。
「小学校の先生や子どもたち、住職さんや近所の方、みなさんとて
も温かく支えてくださるので、つらい思いが癒されます」とありま
した。

 短い間だったけど、懸命に生きた拓也くんが残したものは、大き
かったと思います。私自身も会ったことのない拓也くんから「いの
ちの重み」を学ばせてもらいました。


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