「漁師さんの森づくり」         


 
『森は海の恋人』(北斗出版)の畠山さんのことを知ったのは、4年前。私が「いのちの授業」を始めたばかりのころ、金沢の金森先生から送ってもらった学級便り「ゆめをはこぶ」であった。

金森先生は、1993年金沢市立扇台小で5年生を担任されていたころから、「水田、森林、海の森」に注目、社会科の日本の水産業の単元で畠山さんたち牡蠣の養殖に携わる海の漁師が、山に木を植える運動をしている「森は海の恋人」を教材にとりあげている。

当時参考にされた本は『森は呼んでいる』(及川和雄作 岩崎書店)。

この授業は、同僚教師や保護者まで感動を呼び、畠山さん自身が金沢まで来てくださって、特別授業が実現したり、学級の親子で山に木を植えたり、1995年夏には親子で気仙沼の畠山さんを訪ねるところまで発展している。

私も、友人の児童文学作家斎藤きみ子さん(甑島在住)がそのころ出版した絵本『魚をよぶ森』( 津田櫓冬絵 佼成出版社)で、森と海の関係に関心をもっていた。この絵本では、漁師のげんじいさんが、孫の太一に向かって「むかしはなあ、浜の漁師は、かみさま山の木が 魚の命育てる言うて、小枝1本きっちゃあならないおきてをつくった。ふかぶかとしたお山から流れる水は、それは美しくすんで、えさもたんと湧き出した。魚は喜んで集まった」と話している場面がある。昔の漁師は、森と海のつながりを感覚的につかんでいたのだろう。

畠山さんの『森は海の恋人』の本には、海と森のつながりが科学的に説明してある。それを子どもが直接読めるように書いた本が出版された。『漁師さんの森づくり』( カナヨ・スギヤマ絵 講談社)である。

 

子ども向けの本の最初は「しげぼうの海」と題して、畠山さんの子どものころの気仙沼の豊かな海が描かれている。この体験が畠山さんの今の活動を支えているのだろう。度重なる子どもたち向けの体験学習のようすも、全国に広がっている漁師たちの森づくりの活動も書き加えられている。もちろん、森と海の関係もとってもわかりやすく記されている。縄文人が東京湾で牡蠣の養殖をしていたという興味深い報告もある。

なによりの特徴は、杉山佳奈代さんのイラストである。文中にでてくる100種類もの動植物を全部描きたいと三陸まで取材にこられたのだという。山のなかで育って、海の生物に疎い私でも、このイアラストに助けられて、畠山さんの本を楽しむことができた。

 

実はこの夏休み、鹿児島の大隅半島の小学校で5年生を担任していたK先生から、この『漁師さんの森づくり』を教材にした授業実践の報告が送られてきた。おもしろいことに、K先生は社会科の「森林のはたらき」で、畠山さんをとりあげたのだという。

K先生の動機もなかなか興味深い。「有明海の海苔の不作と諫早湾干拓」「川辺川ダム建設に球磨川漁協だけでなく八代海の漁民も反対運動」「吉野川河口堰問題」のニュースに接するうちに、「森林のはたらき」の単元を、教科書どおりではなく、森・川・海のつながりとして取り上げたいと畠山さんの活動を教材にしようとしたのだそうだ。

教材研究に図書館が役立ったという報告も、私にとってうれしいものだった。授業に取り組むことを決めると、K先生はさっそく住まいのある垂水市の図書館に行き、参考資料を検索。対岸の鹿児島市にある県立図書館に所蔵することをつきとめると、車を走らせ、閉館まぎわに到着。授業の取り組みを開始したという。

 

授業は、拡大した気仙沼の海の写真、牡蠣の写真、畠山さんの写真などを黒板に貼り、「1964年海が汚れて、赤潮が発生し、牡蠣の養殖がうまくいかなくなった」の部分を読みきかせし、「畠山さんは、きれいな海をよみがえらせるために、何をしたと思いますか」と問いかけることから始まった。

教師も子どもも疑問を出し合い、調べ、考え、話し合い、問い合わせを重ねたK先生の取り組みは、地元の漁協の人に紹介されて、親子で佐多岬近くの森に木を植える活動にまで発展している。

この取り組みが進行している最中に、クラスの一人が社会科の教科書「水産業」のところに畠山さんが取り上げられていることを発見。「なんで先生、この教科書使わなかったの?」と問う場面もある。「水産業」のころは、地元の「カンパチの養殖」(映画『ホタル』の主人公がカンパチの養殖をやっている)を取り上げていて、教科書は使わなかったのだそうだ。K先生は、結論が書いてある教科書をそのまま教えていたら、畠山さんの授業に、ここまで子どもたちが集中してこなかったであろう、と記している。私もそう思う。