中央集権国家としての日本は衰退の運命にあります・・・・・・地方も中央にぶらさがったままの発想では生きていけません       地方が自ら富を生み出す仕組みを創る為には、国から外交防衛以外の権限を手に入れるべきです

池田和隆の斬鉄剣!!!第1次安倍政権崩壊の震源地だった男・タブー全開・権力と既得権益のブ厚い岩盤をブッタ切る!!元農林水産大臣秘書官。1967年生まれ・熊本県出身。「農林族議員のドン」と呼ばれた故松岡利勝元農林水産大臣の秘書を16年務め、国家権力や利権、国の意思決定の実態を内側から目撃し続けた知られざる重要人物。第1次安倍政権の崩壊も、実はこの男が震源地だったのだ!

池田和隆の斬鉄剣!!!第1次安倍政権崩壊の震源地だった男・タブー全開・権力と既得権益のブ厚い岩盤をブッタ切る!!

3:12 2017/01/04 2017年2月23日 5:31:42


ニセコ町の具体的実践の柱は、「情報の共有」と「参加」だ。
1,994年私がニセコ町長に就任して以後、役所をあげて手当たり次第その取り組みを進めた。
頁2017年1月8日 7:49:04


58頁・町民の声や職員の工夫は、「基金」は「貯金」に、「起債」は「借金」に言い換えるなどの行政用語の「翻訳」や、他の自治体の統計情報を引用して、町の状況をより相対的に把握しやすくするデータの掲載などに生かされた。見直しを重ね、こまやかに改訂がなされるうちに、冊子を参照しながら地域のことを語る町民は増えていった。2017年1月9日 10:02:15


・住民検討会議は、まちづくりの重要な事業について町民が誰でも自由に参加し、意見表明できる公開の会議で、ハード面、ソフト面にかかわらず、事業計画が白紙の状態から住民にまちづくりに参画して貰おうというのが狙いだった。逢坂は、従来の由拿行政主導の事業計画づくりを脱して、住民の話し合いで事業計画の熱度を高めていきたいと考えていた。59頁・2017年1月9日 17:06:29


・自治の仕組み作りへ・61・2017年1月10日 5:41:22


それらの着実な積み重ねの上に、逢坂町政四年目に望んだ条項公開条例策定は、無風のうちに迎えた二期初年度に実現した。それは「まちづくり基本条例」という、一段と高い独自構想に向かう途上の、確かな里程標でもあった。66・2017年1月10日 7:43:02




「ニセコ町では、逢坂町長の誕生後、公平で分かりやすい町民本意の町政を目指し、町民と行政との情報の共有、行政の透明性の確保、住民主体の行政の実現を目標に活動をしてきました。さまざまな実践がなされ、町民の町政への参加も徐々に広がってきたと感じられるようになりましたが、これは町長のリーダーシップによるところが大きいものです。しかし、リーダーシップだけに依拠するやり方では、町長が変われば住民参加が重視されなくなる可能性があります。そこで、今まで取り組んできたやり方を制度として確立したいと考えるようになりました」。72頁・2017年1月10日 9:28:02




有志たちは、このプロジェクトがニセコ町から公式に委託を受けたものでもなければ、用意された研究費があるわけでもなく、会議出席の交通費はもちろんすべて手弁当で参加することを事前に了解していた。なぜ、こんな負担の大きな「ボランティア」の誘いに乗ることにしたのか、自治体法務を研究する同士として何となく察しがつくものの、互いにどんな言葉が飛び出すか興味深かった。74・2017年1月20日 8:16:52


–2003年3月・木佐 茂男 (編集), 逢坂 誠二展望・215頁・平成2912日 月曜日・


・市町村合併と自治基本条例・221頁・
我が国の場合には、全く逆転して、電子自治体かを契機として合併を促進しようとしている。
・2017年1月8日 7:48:31


20171 6 ()ニセコ町まちづくり基本条例・更新 平成2791日・平成13年4月から施行したニセコ町まちづくり基本条例(自治基本条例)の説明ページです。ニセコ町が住民自治に基づく地方政府として、将来にわたり豊かな自治を進めていくための基本事項を条例に登載しています。

ニセコ町まちづくり基本条例・更新 平成2791日・平成13年4月から施行したニセコ町まちづくり基本条例(自治基本条例)の説明ページです。ニセコ町が住民自治に基づく地方政府として、将来にわたり豊かな自治を進めていくための基本事項を条例に登載しています。

http://www.town.niseko.lg.jp/machitsukuri/jyourei/kihon.html


16:46 2

http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2017/01/2791-91db.html


http://amamioosoma.synapse-blog.jp/yosiharu/2017/01/2791-91db.html

17:04 2017/01/06

ニセコ町まちづくり基本条例ポケット版・町では、「ニセコ町まちづくり基本条例」の条文やその解説を載せ、「まちづくり町民講座」や「まちづくり懇談会」、そのほか説明会や会議への出席の際などに携帯しやすいポケット版の冊子を作成しています。 町内全世帯へお配りしたほか、転入世帯にもお配りしています。 ※販売はしておりません。
縮小版 ポケット版、「ニセコ町まちづくり基本条例」の条文やその解説を載せ、「まちづくり町民講座」.pdf へのリンク

http://www.town.niseko.lg.jp/machitsukuri/jyourei/kihon.html

7:45 2017/01/13



コラム・まちづくり手法のカネをかけない転換策は?九州大学名誉教授・弁護士 木佐 茂男(第2967号・平成28718日) 2017年1月13日 9:59:02






奄美大島の山林の木々の緑の濃さは世界一 


千葉市長 熊谷俊人市長メッセージ(みなさんの平成28年度予算~一人一人に目を注ぐ予算~)みなさんの平成28年度予算~一人一人に目を注ぐ予算~新年度予算は財政健全化と千葉市の活性化のバランスを取りながら、市民の暮らし支援を意識した予算となっています。予算使い切りを防ぐため、創意工夫によってコスト削減を図った場合、翌年度以降に自由枠として削減分を配分するインセンティブ予算を導入 | メイン  

2016824 ()

中央集権国家としての日本は衰退の運命にあります・・・・・・地方も中央にぶらさがったままの発想では生きていけません       地方が自ら富を生み出す仕組みを創る為には、国から外交防衛以外の権限を手に入れるべきです


公務員って何だ?最年少市長が見た地方行政の真実・熊谷都俊人・千葉市長42頁・つまり議会が予算や条例を承認しない限り実行できないのです。「脱・財政危機宣言」・50頁・・皆さん私どもの手で島を活性化しませんか 

2016821 ()千葉市長 熊谷俊人市長メッセージ(みなさんの平成28年度予算~一人一人に目を注ぐ予算~)みなさんの平成28年度予算~一人一人に目を注ぐ予算~新年度予算は財政健全化と千葉市の活性化のバランスを取りながら、市民の暮らし支援を意識した予算となっています。予算使い切りを防ぐため、創意工夫によってコスト削減を図った場合、翌年度以降に自由枠として削減分を配分するインセンティブ予算を導入・国に先駆けて事業仕分けを実施するなど、徹底した事業の見直し(93億円)

10:07 2016/08/21

http://amamioosimasanrinha.synapse-blog.jp/takita/2016/08/2828-bbdd.html

9:53 2016/08/21


公務員って何だ?最年少市長が見た地方行政の真実・熊谷都俊人・千葉市長 

公務員ってなんだ? ~最年少市長が見た地方行政の真実~ (ワニブックスPLUS新書) 新書  2012/12/8熊谷 俊人 () 5つ星のうち 4.5        6件のカスタマーレビュー

財政破綻危機の千葉市の市長に全国史上最年少で当選した熊谷俊人市長。本書では、若き市長が3年間にわたる行政改革と公務員改革のすべてを自ら綴るとともに、「公務員は本当に無能なのか?」「市の職員の給与は高すぎるのか?」「市長の本当の役割は何か?」など、市民の抱く疑問にも鋭く切り込む。


 政治・行政・街づくりに興味のある方も必読!

はじめに・3頁・ 

私は平成21年6月に千葉市長に就任しました。 

その時点で千葉市政に対する市民の皆さんからの信頼・信用は地に落ちていました。前市長が汚職問題で在任中逮捕される、と言う最悪の状態からのバトンタッチ。しかも、長期間、官僚出身・内部出身の市長が続き、今の時代に合わない大規模開発などが行われてきた結果生じた莫大な借金の返済で、市の財政はこのまま放っておいたら間違いなく破綻する、そんな状態にまで陥っていました。

私自身、市長就任前は市議を務めていたので、ある程度の財政状況はもちろん把握していましたが、実際に市長として改革に着手しようと動き出すと、本当に厳しい数字ばかりが目に飛び込んできて、目の前が真っ暗になりそうなことが何度となくありました。

意識的に考えて、このような危機的な状況に陥るまで、大がかりな対策を何も施してこなかったのですから、「千葉市政は問題だ」と批判されても仕方がありません。3・

4頁・これは、すぐにもでも手術が必要な病人に対して、何年間も「大丈夫です、何とかなりますから」と嘘を重ねて、ごまかしてきたようなものです。

当時、史上最年少の31歳の若さで私が市長選挙に当選することとなったのも、千葉市民が「このままでは千葉市はダメだ」「千葉市を変えてほしい」という判断を下した末の結果だったのだと思っています。


 私が市長に就任市、外部の目線から当たり前の改革を進めてきましたが、その中で感じたことは、公務員社会の特殊性とその背景にある様々な要因です。多くの人が感じているように、公務員は融通が利かず、新しいことに挑戦することが苦手なところはあります。そして、そうした世間で認知されている公務員の欠点には、大きく分けて、以下の要因があります。


 1・公務員自身の意識を変えなければならないこと

 2・トップの決断・リーダーシップ不足

 3・制度的な制約・4・

 5頁・1・はともかく、2・と3・は公務員だけの問題と言うよりも、公務員を指揮する政治家の問題であり、公務員制度の問題点といえますが、実はここがあまり議論されていないような気がします。

 また、民間と同じスピード感を求める一方で、「民間とは違う公共としての責任や公平感も同時に求める」という言う住民側の要求が良いとこ取りを求めてしまっている一面もあります。


行政改革を進め、公務員改革を進めていくためには、そうした点を一つ一つ分解して対処していかなければ成らず、単純に公務員バッシングをしても本質的な解決には成りません。それどころか、公務員のモチベーションを下げ、仕事の能率をさらに悪化させ、結果的には住民自身が損をする結果になってしまいかねません。優秀な人間が公務員になり、そして常に緊張感と向上心を持って職務にあたって貰うことが税金の効率的な運用には不可欠ですから、「そのためには行政の何を変えるべきなのか」「住民側は何ができるのか」を考えていく必要があります。

この本では、民間から、そして若い世代を代表して市長に就任した私の経験と感じたことを紹介し、皆様方が行政や公務員について考える、あるいは関心を持つきっかけを提供できればと考えています。5・


6頁・また、私が千葉市で進めてきた改革の一端をご紹介し、トップが変わるとどのようなことが実現するのか、についても紹介します。

財政危機の千葉市をいかに立て直すべきか、と言う観点から私が進めてきた「公務員意識改革」の話に始まり、外部から入ってきた市長だからこそできた財政再建のための思い切った政策の数々。さらに公務員に対して多くの不満だけでなく誤解を抱えてしまっている市民の皆さんと、いかにして協力しながらよりよい街づくりを行ってきたかについて、実例やデータを挙げながら、分かりやすい言葉で説明していきます。

「千葉市の話なんだから、千葉市以外には関係ないのではないか」とおっしゃる方もいるかもしれません。でも果たして、そうでしょうか?

今年、橋本徹氏が大阪市長に就任したことで、今まで以上に地方行政が注目を集めています。また、国の財政やシステムが疲弊してしまっているため、地方分権推進を求める声も日増しに強くなってきています。6頁・


7頁・そんな中で千葉市がこの3年間でどのような改革を行い、どこまで市役所が変わったのか?それは他の市町村に住んでいる方々にとって、全くの「他人事」ではないはずです。

自治体が情報を公開しないだけで、実は千葉市よりももっと深刻な財政状況にある地域も存在するかもしれません。少なからず、このご時世に「うちだけは潤っている」というような地方自治体は、ほとんど存在しないはずです。

何より、この本を読んで、もっと地方行政に興味を持っていただきたい。

本当に公務員の無能さが悪い状況を生んだのか理解していただきたい。

そして、住民と、住民が選ぶ市長の手で公務員の意識改革を行い、しっかりとした中長期的な計画の元に大胆な改革に着手すれば、どの市町村でもまだ立て直すことは十分に可能なのだ、と言うことを千葉市の例から知っていただきたいのです。

地方が元気になれば、必ず明るい未来はやってきます。

どうか誤解や偏見を一度、頭の中から消して、まだまだ若い、元サラリーマンの新米市長が、何をしてきたかを読み進めてみて下さい。7頁・

 ・第一章 「公務員は本当に無能なのか?」――特殊な世界が生み出す市民とのズレ・13頁・

そもそも「公務員」とはなのか?14頁・

公務員批判を拡大させた右肩上がりの終えん・16頁・

バッシングで自信を失った公務員たち・20頁・

お互いを選べない住民と市役所・23頁・

お互いを選べない住民と市役所・23頁・16824 756分・

市長に就任して、彼らと一緒に仕事をするようになって「民間と市役所ではここまで違うのか」という部分も私は沢山見てきました。

私は民間(NTTコミュニケーションズ)から入ってきた人間ですから、どうしても一般企業と市役所を見てしまうのですが、本来は比較することが憚られるほど、まったく違う特殊な世界なのです。23・

24頁・地方行政の現場をつぶさに見て、「民間企業とは究極に違う」と最初に感じたことは、「公務員はユーザーを選べない」と言うことです。
これは非常に大きい。

例えば、民間企業で何か商品を作っているとします。

ユーザーから「こういう商品を作ってほしい」という要望があった時、もちろん誠意を持って対応はするでしょうが、費用対効果、企業のマーケティング戦略などで、要望通りの商品を作る考えがなかった場合などは「私たちはそのような商品を作るつもりはありません。もし、ご不満であれば、他のメーカーの商品をお使い下さい」という話に最終的にはなるでしょう。

では、それを市役所の職員に当てはめてみて下さい。

市民の方から「他市ではこういう事業を実施している。千葉市ではなぜできないのか」と要望された時に「それは実施できません。ご不満があれば千葉市ではなく他の街にお住み下さい」とは言えないでしょう。そんな対応をしたら、それこそもう大問題に発展してしまいます。24・

25頁・これが「ユーサーを選べない」という意味です。

もう少し複雑な事例を申し上げると、例えば、千葉市の外れに住宅街ができたとします。規制上は住宅を建てられるが、益など交通機関から遠く、学校からも遠い場所です。千葉市としては、そのエリアのインフラ整備が不十分であることから積極的に人に住んでほしい場所ではなかったとしても、その場所に住んだ方々から「バスが少ない、もっと増やしてほしい」「学校が遠い。近くに新しく作ってほしい」という要望が出た場合に、「そこは元もとバスを増やしたり、学校を作る場所ではないので知りません」と切り捨てるわけには行きません。少なくとも民間のリストラのように不採算部門を切り捨てたり、工場を閉鎖するように、ある地域を切り捨てたりすることはできない宿命があります。

どんな場所に住んでいても、どんな所得の人であったとしても、一人一人が尊重されるべき市民ですから、できる限り生を持って対応する責任が行政にはあります。

ですから、民間と同じように、簡単にコストカットもできませんし、手間もかかります。逆に市民の側も住む場所を簡単には変えられないので、行政と市民の関係は、民間のユーザーとの関係とは少し違う、複雑な関係にあるのです。25・


26頁・もう一点、民間とは大きな違いがあります。

会社員であれば「自分のいる会社を発展させようと考えて働きますよね。別に愛社精神があるとかそういった問題ではなく、これは本能的なもので、会社が発展しなければ、自分の給料が減るかもしれないし、ひょっとしたら職を失ってしまうかもしれない。だから自分のいる会社を大きくするために貢献しよう、と言うのが根本的な行動原理としてあるわけです。

平成28824日ここまで

しかし、公務員、行政の世界はそうではありません。自分たちの市が発展しなくても、赤字体質でも役所が倒産することはなく、自分たちの職がなくなるというリスクも基本的にはありません。北海道の夕張市のような特殊な例を除けば、過疎地域であっても国からの地方交付税によって予算が組めるので、民間のような切迫感はありません。

そして、ここからが一番重要なのですが、公務員の給料は自身の業績とは関係ないところで決まると言うことです。地方公務員の給与は市内の一定規模以上の事業所の給与の平均から割り出されます(人事委員会勧告制度)。26頁・


27頁・ですから、その役所が頑張っているのか頑張っていないのかは直接自分たちの給与には関係なく、市内の事業所の状況によって左右されると言うことです。

もちろん、役所が頑張って、その街が活性化すれば、市内の事業所の業績も向上し、役所の給与も上昇することが期待できるかもしれません。しかし、市内の事業所の給与というのは基本的には日本全体の景気動向に左右されるところが大きく、結果的に公務員の給与は景気に連動する形で決定されている状況にあります。

民間に例えると、いくら頑張っても頑張らなくとも、業界全体の平均給与が自分たちの給与水準になると言うことです。これでは他社よりも良い会社にするべく社員全員で頑張ろうという機運はなかなか生まれにくいでしょう。

会社の存続・発展が自分たちの生活に直結すると言う、民間企業における求心力の根源である理論が公務員にないことは様々な弊害をもたらしています。

例えば、セクショナリズム、いわゆる「タテワリ行政」の問題があります。タテワリはなぜ生まれるかというと、ユーザーや会社にとっては重要なことでも、その部署に取っては面倒なこと、不都合なことであるがゆえに積極的に取り組まないことによるものです。27・

これは民間でも普通にあるわけですが、自分の仕事や自分の部署のことばかり考えて会社全体に貢献しなければ、会社の業績が悪くなり、自分の給料にも響いてくるかもしれない、と言う考えから部署の壁を越えて仕事をするわけです。

もちろん、公務員でも民間でも、そういう損得抜きの会社のため、仕事への誇りのために全体を見て仕事をする人は沢山いますが、タテワリを超えるひとつの動機付けがないというのは大きな差です。公務員は自分の部署以外の予算や決算がどうなっているか、財政状況はどうなっているか、それほど関心を持っていません。

私が以前に高い社では、予算や決算の時期になると所属長から簡単ではありますが、概要の説明を受けますし、自分自身のボーナスにも関わってくるので最低限の関心は払います。しかし、前述した通り、公務員は自分の給与と関係がありませんから、熱心な公務員でない限り、関心を払う必要がないのです。

こうした公務員の給与決定のあり方を根本から変えるためには、地方公務員制度そのものの改革を国で行う必要があります。すでに総務省などは制度改革を進めようとしていますが、知事会や市長会と言った地方側が難色を示している状況です。28・


29頁・理由は様々ありますが、主なものは「それぞれで給与を決めるとなると組合交渉が長引き、通常業務に影響が出る」「結果的に組合に押し切られて職員の給与が上がってしまう懸念がある」などです。民間はどこも組合と交渉して給与をそれぞれ決めているのに、なぜ役所だけはそれを行うと通常業務に支障が出るのでしょうか。

・後ほど紹介しますが、私は市長に就任して財政危機を克服するため、人事委員会が勧告した給与水準以上に大幅に給与を削減しています。もちろん、組合と真摯な交渉を経て、です。私にすれば自分の役省の給与を自分たちで決められない時点で経営も戦略も成立しないし、こんなことで地方分権などと偉そうに国に主張できるのかと思います。

・地方公務員制度改革は、組合に労働協約の締結権を与えるという部分を見て「組合優先だ!」「組合に妙な力を与えるとロクなことがない!」と言った観点で批判もありますが、世界的に見ても日本の公務委員に労働協約締結権がないことが特殊だっただけですし、先ほど述べたように、本質はそこではなく、公務員が頑張っても頑張らなくても給与に影響が出ないという、制度的課題を克服することが肝であることをご理解いただきたいと思います。29頁・

平成28825日ここまで・

タテワリは「情報のタテワリ」から生まれる・30頁・

市長は「社長」、議員は「社会取締役」・38頁・16/8/24 034分・

皆さんは市の幹部、つまり経営陣と言われると誰をイメージされますか。多くの人は市長、副市長などの特別職、さらには各組織の長(千葉市で言えば局長)などをイメージされるのではないでしょうか。

これは私もかつて誤解していたことですが、市幹部は自分たちを経営陣と思っていないケースが多い、と言うこと。どういうことかというと、実は新規採用された職員から副市長まで、公務員である限り、彼ら彼女らは選挙で選ばれた人間のやりたいことを実現する役割に過ぎないのです。

公務員の意識では、住民の意思を代表しているのは、選挙で選ばれた人間である市長と議員のみです。民間の会社の会社員は、自分たちのことを社長のやりたいことを実現する手足だとまで思っていないでしょう。38頁・


39頁・しかし、公務員はそう考えるのです。何せ自分たちは、市長と違って選挙で住民から選ばれたわけではないからです。

つまり、選挙で市民に選ばれた首長の意見は絶対だから、無茶な意見を通そうとする首長がいても、公務員は公然と反旗を翻すことはない。どれだけ内心「それはさすがにまずいんじゃないか」と思っていても、面と向かっては批判することはあり得ないし、それをどう実現するか一生懸命考えなければならない。

私が市長に当選した時、市長の持つ決定権限の強さに驚きました。民間企業の社長だとか、そんなレベルではない。では、なぜそこまで強い権限があるのか。それは繰り返しお伝えしているように、「市民から選ばれているから」です。

4年に一度の選挙で市長が選ばれることが、企業で言うところの、株主総会によって取締役が選ばれ、承認されるプロセスに相当する。この場合、株主とは市民のことです。

市民という多数の株主によって選ばれ、代表権を持つ取締役社長として市役所に送り込まれたのが市長と言うことになる。

そして、議員も4年に一度の株主総会で株主である市民に選ばれる。選ばれた議員は市役所の予算や条例など需要ないし決定を行いますから、こちらも取締役です。39頁・


40頁・ただし、市長と違うのは実際の業務に携わるわけではないので、いわば社外取締役のような位置付けになります。

一方で市役所の職員、特に幹部たちはどうかと言えば、元々、副市長は「助役」であり、補佐役です。それなのに平成19年にその名称が「副市長」に変更され、本来の位置づけと違う印象を与えてしまった。彼らはあくまでも取締役会の決定に従い、業務を執行する執行役員に相当するだけです。

つまり、公務員は副市長や市役所の幹部であっても、市長・議会という取締役会の決定に従う立場にあり、経営責任は基本的には取締役である市長と議員にあると言えるわけです。

私が市長になってから局長会議の場で、ここまで財政が悪化した以上、幹部は経営責任を取る必要があり、大幅給与カットが必要だ」と言ったところ、「私たちには経営責任がありません」と言われた。この時は「ふざけるな」と思ったのですが、よくよく知っていくと、彼らの主張も一部理解することができました。

選挙で選ばれた市長とそれを承認した議会の言う通りにやってきて、反抗することも反論することも許されないのに、なぜ経営責任を問われるのか、と言うことなのですね。40頁・


使用人に責任を問うなんておかしい、命令をした人間が問われるべきだろうというのが彼らの認識な分けです。「間違っていると思うなら命をかけて止めるべきではないか」と思われるかもしれませんが、選挙で選ばれていない公務員が選挙で住民から選ばれた首長や議会の意志に反した行動を取れば住民は対抗手段がないし、民主制は成立しないからです。

ここでもう一つの誤解が生じるかもしれません。社長が何でも決定権を持っていて、市議会というのはお抱えの諮問機関ではないのか」と言うことです。

実はこれが全く異なります。確かに社長であれば強力な権限はあります。だからといって私が何かやりたい施策があったばあいには、まずは「取締役会」にお伺いを立てなくてはいけませんし、そこで却下されてしまったら、どんなに実現させたい施策でも強行突破することなんてできません。つまり、市の大きな方針を決めるのは市議会議員であるわけです。

ちなみに私は市長就任後に職員の大幅給与カットに始まり、様々な事業にメスを入れて、千葉市の税金の使い方をかなり変えましたが、これも議会で承認を得た上で実施しています。41頁・


42頁・つまり議会が予算や条例を承認しない限り実行できないのです。

このあたりの認識がしっかりしていないので、どうも市民に取って市議会議員というのは超法規的存在というか、まるで自分たちの顧問のような感覚になってしまい「私たちの陳情を聞いてくれる偉い人」という感覚になってしまっているようです。ですが本来であれば、行政に対する不満や文句は、市役所や職員だけにぶつけられるべきではなく、その方針を決定した市議会議員にもその責任を問う必要があると言えるでしょう。

さて、このように考えるだけで選挙に対する認識も変わってきませんか?選挙にいかになんて本当にもったいないし、日頃の活動にもぅっと目を光らせたくなりませんか?そうやって、どんどん市長に興味を持っていただければ我々もやりがいがあると言うものです。

それと同時に、「議員は明確に経営責任を負っている」という観点で見れば、利益誘導型の議員を選ぶことのリスクについてご理解いただけるのではないでしょうか。つまり何が言いたいのかと言えば、選挙というのはすごく大事だと言うことなんです。選挙で選ばれた人間の方針こそが有権者の石であり、その人間が行政を預かると言うことになる。42・43頁・すべての絶対基準は、有権者が選んだ人であり、公務員の世界はその人間がすべてに優先している。簡単に選んでいいようなものではありません。首長が方向を誤っているとしても、自浄作用は起きません。

だから公務員に指示を出す選挙で選ばれた人間というのがいかに重要か、と言うのが分かっていただけると思うのです。42・


平成28824日・ここまで

 政治のリーダーシップ・決断力不足・43頁・政治のリーダーシップ・決断力不足・43頁・


平成28824日 水曜日

前項で、副市長とは(以前の)助役のことであり、副市長という名称によって市長に近い役割を持っているように見えるが、実は違うと言うことに触れました。しかし、千葉市では、なんと60年以上も助役出身の人が市長になるという状況が続いていました。当時の市長を助けてきた助役が市長から後継指名を受けて、通過儀礼的に選挙に出て、市長になってきた、もちろん、助役出身の人が悪いわけではありませんし、助役出身でも立派な市長さんは沢山います。43頁・


44頁・しかし、市長になる以上は、公務員の意識を離れて、経営責任を持つ市長として覚悟を持つ必要があります。しかし、千葉市が直面している問題の中には、公務員に指示する政治家、特に首長のリーダーシップ・決断力不足に起因するものも多いのです。

例えば、千葉市はかなり財政状況が悪い状況にあります。具体的な数字で申し上げれば、千葉市は実質公債比率・将来負担比率と言った、地方自治体の財政健全化指標が政令都市ワースト1位という状況です。実質公債比率とは一年の収入に占める借金返済の割合を示すフローの指標で、この数値が高ければ高いほど借金返済に苦しんでいると言うことを意味します。

千葉市は産業も集積し、税収にも恵まれ、今も人口が増加しているのになぜ借金がここまで増えたのでしょうか。簡単に申し上げると「身の丈に合わない財政運営をしてきた」と言うことにつきるのですが、その背景には歴代市長のイ意志決定によるところが大きいのです。

千葉市は政令指定都市に移行する前後から積極的な都市開発を行ってきました。ところが、多くの開発計画はバブル崩壊の影響を受けて頓挫。44・


45頁・同時期に、多くの自治体が開発一辺倒から舵を切り、身の丈にあったお金の使い方に切り替えていく中で、千葉市はなかなか方針を切り替えることができず、結果的に多くの負債が積み上がってしまいました。

それでも、まだ市債を発行するなどして、お金を工面することができたのですが(と言っても借金ですが)、夕張市の破綻をきっかけに「地方財政健全化法」が施行されたため、今までのように野放図に借金をすることができなくなりました。

私が市長に就任した時点で、毎年600億円も借金を返済して行かなくてはいけない計算に成っていて、翌年の予算は270億円も収支不足になっていたのです。

さらに借金が急速に増えている状況にあっても、景気の良い時代に始めた事業、後述しますが、例えば高齢者への銭湯、はり、きゅう・マッサージへの助成事業など、サービス的色合いの強い各種事業を積極的に展開してきたのです。他にも他市であれば一定の利用者負担がある公共施設を長年無料にするなど、有権者に「受けの良い」方針を取り続けてきました。

なぜこのような方針が続いてきてしまったのか、改善されることなく先送りにされてきたのか。まずはそこから見直さなければ成りません。45・


46頁・先送りされた理由。そこには時の市長の意志が大きいのです。公務員も馬鹿ではありませんし、無責任というわけでもありません。担当部署が「見直しが必要だな」と考えているものもあれば、財政部門が「このままではダメだ」と自覚しているケースも多くあります。

しかし、たとえ事務方が以前から見直しが必要と考えているケースであっても、市長が決定したことには従わざるを得ません。ではなぜ、歴代の市長は方針を転換しなかったのでしょうか。それは、市民に負担を求めること、今までの事業を見直すことに対して、市民からの反発があると考えていたからです。市長になると、市長として居座り続けるためには選挙に当選しなければいけませんから、市民の反発は避けたいがために決断を先送りにしてきたのです。

特に千葉市の場合、歴代市長は皆さん公務員出身です。助役が当時の市長から事実上の後継指名を受けて選挙に出て当選を果たしてきました。これは大げさでも何でもなく、私が「戦後初」の外部出身の市長となったことは紛れもない事実なのです。

民間企業では副社長がそのまま市長になることは珍しくありませんが、行政のトップである首長になることは内部昇格の人事ではありません。46・


47頁・住民の税金を運営する以上、住民の意思をもとに市政運営が行われる必要があり、だからこそトップだけは選挙によって住民から選ばれるのです。行政マンのトップはあくまで副市長までなのですが、千葉市では、助役・副市長が事実上の後継者となって、市長になる、いわば内部昇格に近いようなことが60年余りも続いてきた。これでは選挙は通過儀礼でしかない。

こうなると選挙スタイルは必ず組織票頼みになります。どうしてもいろいろなところに「貸し」ができてしまう。夛田でさえ後継市長ですから、方針転換がしづらいわけです。選挙で貸しもできる。これでは大胆な見直しはできないわけです。また、選挙で市民に嫌われるような見直しをすることも難しい。

問題点が出ても見直しが難しく、先送りされがちだった市政運営の背景には、マネジメントに責任を持つという、本来の意味での市長の役割を果たす人が「不在」だったという事情があります。その結果、平成21年に市長に就任した私の目の前には莫大な借金と先送りされてきた数多くの懸案事項が山積されていました。

では具体的にどのようなものが先送りされてきたのか、次章から説明していきます。47・


平成28824日・

・第二章 「市長と公務員の役割」――私が決断した市政改革の幕開け・49頁・

「脱・財政危機宣言」・50頁・

市長に就任した直後、「脱・財政危機機宣言」を出すと言うところから、私の決断は始まりました。

実は在籍の危機的上級については、議会の一部からも指摘がされていましたし、私も市議時代にも何度も議題に上げてきました。当時、「財政危機宣言を出すべきではないのか」と質問していたのですが、財政部門は「財政危機宣言が必要なほど財政は悪くない」と答弁するのみ。

今度は私が市長就任後、同じ財政部門に再度「財政危機宣言のようなものを出す必要があるのではないか」と聞くと、「出しましょう」と回答されたわけです。こうもあっさりと180度回答が変わるとさすがに驚きました。

当然、私が議員時代に質問した時に「なぜ必要ないと答弁したのか」と尋ねると、「私たちは市長に仕える実です。市長が必要ないと言っているのに、必要だと答えるわけには行かない」との回答でした。繰り返し説明をしてきましたが、公務員にとって選挙で選ばれた市長の言うことが絶対だという意識でいることが、このエピソードだけでもおわかりいただけるのではないでしょうか。50・


51頁・また、歴代に市長が、なぜこれまで財政危機機を認めてこなかったのかというと、先ほど述べたように千葉市の市長は公務員出身、それも助役まで勤めた市職員筆頭ばかりだったからです。

財政危機ですと言ったら、「決定したのはお前だろう」と、市民から実行犯として責任を追及されてしまうわけです。私の場合は、市長である限り連帯責任はあるけれども、自身の歩みとして財政危機に加担していたわけではない。反省すべきは素直に反省し、方針を切り替えることができる立場です。つまり実行犯ではありません。

これまでの千葉市長は財政危機を認めると、実行犯が罪を認めるようなもの。それでもやるべきだったのに結局は後に後にと、危機的な財政問題の改革を先送りしてきたのです。

先送りが如実な例として、前市長が国民健康保険料を7年間上げなかったことがあります。収支のバランスは崩れているから上げなければいけないところなのに、住民からの支持を得るため、つまりは選挙のために値上げに踏み切らずに先送りしていた。

51頁・


52頁・事務方から「保険料を上げないともう無理だ」と言われても、毎回市長が却下してきたのです。前市長は任期満了で引退を決めていて、その時の副市長が後継者になるはずでした。と言うことは、次の選挙は関係ないのだから、「自分の題で保険料を値上げして、後継者に値上げ問題を残さないで去る」と普通なら思いますよね。でも前市長は最後まで値上げを却下して市役所を去りました。

不人気の施策を最後までやりたがらなかったということは、そのツケを後で払う人たちのことを考えれば無責任きわまりない。もしくは、「まだ大丈夫」と思い込んでいたのかもしれない。今となっては危機感が足りないのか責任感が足りないのか分かりませんが、何か足りなかった。まさに市長の考えが市政に及ぼす影響の深さを実感するエピソードです。

ただし、彼らを悪者にして終わるような単純な問題ではありません。そうした市長を有権者が選び、議会が承認してきたのですから。やはり市長を選ぶというのは市民に取っても大変重いと言うことです。そうした市政と決別するためにも「脱・財政危機宣言」を出したわけです。宣言を出した時、市の職員ですら「財政が厳しいとは思っていたが、ここまで悪いとは思わなかった」という反応が多かったのですから、市民の皆さんに現状を知って貰うためにも「脱・財政危機宣言」を出す必要があったのです。52・


53頁・ただし、あくまでも「財政危機宣言」ではなく、あたまに「脱」がつきます。現在の厳しい状況を多くの人に知っていただいた上で、今から財政の立て直しに全力を尽くせば、これから数年間は最も厳しい状況を強いられることになるけれど、必ず財政危機機の状態を脱することができる、と言うことをお伝えしたかったのです。

危機的状況にあることを知れば、市民の皆さんは当然不安になります。ただ、千葉市の財政力、つまり元もと兼ね備えた「体力」は幸いにも強いものがあります。やり方さえ間違えなければ、まだ間に合うと言うことを知っていただき、なおかつ事業の見直しなどによって、市民にも一部影響が出ることをご理解いただくためにも、この宣言はどうしても必要でした。「みなさん、行政にはいろいろと求めたいことはあるでしょうが、千葉市のお財布事情は今こういう状況です。このままでは皆さんの将来に取っても決して良くない。見直せるものは見直ししていきましょう。今ならまだ間に合います」と言うメッセージです。53・


54頁・そして、この宣言によって内外に財政再建への決意を示し、異例となった平成22年度予算編成が始まりました。54頁・ここまで

「ハコモノ行政」の見直し・54頁・


千葉市版「事業仕分け」から始まる予算の全面見直し・64頁・

反発とリーダーの覚悟・71頁・

「仕事ダイエット2,010」で時間外手当を大幅削減・76頁・


・第三章 「求められる公務員の意識改革」――私と職員の向き合い方・81頁・

公務員の意識の本質的な問題・82頁・


民間とは違うと言う甘え・86頁・

効率的な業務が浸透しない理由・88頁・

ネーミングライツも積極的に!91頁・

「千葉都市モノレール」の社長を公募!95頁・

市民病院の経営意識を根本から改革する・98頁・


公務員はエリート意識や特権意識を持っている?103頁・

「市民に時間を返す」という感覚の重要性・105頁・

「業務改善元年」という位置付けの意味・107頁・

行政サービスと公務員の意識をイノベーションする・112頁・


「市」民の「役」にたつ「所」を目指して・117頁・

はぐらかす公務員・118頁・

私がツイッターを始めた真の目的・122頁・

橋本徹大阪市長とは異なる行政改革・129頁・

公務員と住民を敵対させてはならない・135頁・

なぜ私はサラリーマンから政治家へ転身したのか・137頁・


政治家と市長の違い・141頁・

どうして私は副市長を慰留したのか・146頁・

未来に責任の取れる市役所にしたい・151頁・

公務員のモチベーションを上げるには・155頁・


・第四章 「市民にも求められる意識改革」――自分の街をもっとワクワクする街にしませんか? ・163頁・

燃えるゴミを3分の1減らす真の目的・164頁・

行政は市民のアドバイザー・169頁・

 

市民は「ユーザー」でもあり「株主」でもある・175頁・

 

税金の本当の意味合いも見えてくる・179頁・

 

選挙以外でも政治家の活動をチェックする・184頁・

 

本当の「仕掛け人」の存在・186頁・

 

市民が無駄を指摘できる勇気を・188頁・

 

じつは厳しい「地方分権」という道・190頁・

 

災害時も「自助・共助・公助」の精神を!・194頁・

 

千葉市に「住むメリット」はこんなにある!・198頁・

 

未来の豊かな千葉市のために・200頁・

 

公務員よ、もっと胸を張れ!・204頁・

 

おわりに・208頁・

 

平成28821


「公務員は本当に無能なのか?今改めて考える市長の役割と職員の意識改革!」。財政危機の千葉市で奮闘中の史上最年少市長(2009年当時)が綴る行政改革と公務員改革のすべて。

新書: 211ページ出版社: ワニブックス (2012/12/8)言語: 日本語発売日: 2012/12/8

 

 目次

 

1章 公務員は本当に無能なのか?―特殊な世界が生み出す市民とのズレ(そもそも「公務員」とはなんなのか?

 

公務員批判を拡大させた石肩上がりの終えん ほか)

 

2章 市長と公務員の役割―私が決断した市政改革の幕開け(『脱・財政危機宣言』

 

“ハコモノ行政”の見直し ほか)

 

3章 求められる公務員の意識改革―私と職員の向き合い方(公務員の意識の本質的な問題

 

民間とは違うという甘え ほか)

 

4章 市民にも求められる意識改革―自分の街をもっとワクワクする街にしませんか?(燃えるごみを3分の1減らす真の目的行政は市民のアドバイザー ほか)

 

市役所は「市」民の「役」に立つ「所」これは,公務員批判の本ではない。 

 

現役の千葉市長が書いた,地方行政の最前線を見つめた内容となっている。

 

 昨今の異常なまでの公務員批判の背景を客観的に分析し,市長として市役所の職員たちとともに取り組んできた改革について熱く語っている。

 

 市役所は,「市」民の「役」に立つ「所」でなければならないとする筆者の主張は極めてまともである。

 

 そして,「市長だけが独断するのではなく,職員を巻き込むこと」,「住民に対する説明責任を果たすこと」,「究極の地方分権とは,住民が直接市政に参加すること」を説いている。

 

 思うに筆者は,今のマスコミが大々的に取り上げる一部のカリスマ的首長ではないが,市民と謙虚に向き合い,共に歩んでいこうとする誠実で腰の低い人であることが想像できる。だから,論理に飛躍がないし,改革の中身は地に足がついているのではないだろうか。こんな真面目な市長を持つ千葉市民が羨ましい。

 

『静かに正しい』青年市長の市政改革

 

筆者である熊谷市長は職員組合との交渉を『静かに正しく』行ったと書いておられます。

 

『交渉の過程は表に出さず、決まったことを明らかにした。』『これはお互いの立場のせめぎあいなので、オープンにすると、まとまるものも、まとまらなくなるからです』まことに真っ当の感覚であります。

 

実際、国や自治体の情報公開の基本を定めた情報公開法においても、『契約、交渉又は争訟に関する事務』については一定の要件のもとに公開しないことができるとしています。

 

熊谷市長は、職員組合を敵役にして大向こうの喝采を浴びることもできたのですが、あえてそうはされなかった。

 

職員との信頼関係を壊してしまっては、結局改革が先に進まないという判断からです。

 

そして、組合交渉では、その時点で政令市の中で最も厳しい給与削減を呑ませています。

 

声高でなく、しかし何時の間にか着実に前に進んでいる。熊谷市長の改革のスタイルは、まさに『静かに正しい』と呼ぶのがふさわしいと思います。我が国の自治体改革が、政治から実務の時代に移行しつつあるのを実感いたしました。

 

公務員よ、もっと胸をはれ!とのこと。

 

この本すごく面白かったです。

 

なんとなく思っていたことを明確に言葉にしてくれていて、「そうそう!」と頷ける部分がたくさんありました。具体的には労働組合について、大阪市長について、公務員のモチベーションや意識改革、市政の目指すべき目標、業務の合理化についての記述が面白かった。

 

公務員給料の大幅な引き下げを行った市長さんのようですが、公務員を叩いてスカッとして終了、という内容ではなく、公務員と同様、市民も育てようとしている本です。それだけに地味な内容ではありますが。

 

公務員の方が読むのにもとても良いと思います。政令市最年少市長の輝き

 

著者の熊谷氏は、高校生だった神戸市在住の平成7年、阪神・淡路大震災に遭遇した経験から「公共」を意識するようになり、大学卒業後民間通信会社で、企画・事業統合・企業買収などの幅広い業務を経験してから、31歳で人口96万人の政令市の市長選に、市議経験2年で立候補し当選した。 今年が1期目の最終年、5月末の市長選には2期目に立候補すると思われる。

 

30代での大都市首長は、K県Y市のN氏が2002年に与野党相乗り候補を破って先鞭をつけたが、N氏より6歳若くして職員7,000人のトップに立ったのだからグレートなキャリアだ。 この本で著者は、肩に力が入らない平常心豊かな論拠で行政改革と公務員改革の着実な実践の成果を語る。共同幻想的イデオロギー依存で硬直した旧55年体制の残滓を引きずった旧態依然の自治体組織を延々と支えてきた官吏意識や住民意識を鋭く分析・解剖してみせたうえ、時代が生んだ新人類感覚と鮮度抜群の優れた判断力で、21世紀の新しい地方自治のビジョンの地平へと読者を誘う。 その若さが大胆に切り開く改革プロセスが明快で平易な表現で開示されていく。 著者は、持って生まれた育ちの良さと、頭脳明晰さとソフトな性格から、たぶん多くの地方議員や住民にも好かれ、敵をつくらない強運の持ち主と思われる。 前述のN氏と違い、一見コワモテでないところが庁内情報開示の風通しを良くし、メディア全盛時代にあって順風が吹いている所以か。 国政になぞ色気をもたず、住民や職員と緻密な合意を重ねながら坦々と首都圏の大都市の行政改革を進めることに満足している無欲な姿勢が爽やかだ。

 

同性からも異性からも好かれそうな好男子が、地方政界に足を踏み入れてサクセス・ストーリーを自然体で展開しているところが、旧来の頑迷で怠惰、酸欠気味の地方政界にあって、極めて異色で、その星のような輝度が今の時代に頗る高まっている理由であろう。2013.4.10  「日和見庵」


「市民のために働く」ということ私は公務員を目指しています。

公務員を目指す者としては、著者のような市長の元で働くことができれば、より良い仕事ができるだろうなと感じました。

私も公務員になった際には、「私は税金をいただいている以上のものを市に返しています」と胸を張れるような仕事がしたいと思っています。

前向きで素晴らしい本

タイトル的にてっきり公務員批判の内容かなと思いましたが、全然違います!

若い政治家がどれだけ世の中に求められているのかが、感じられる一冊でした。

 

4:03 2016/08/21  


池田和隆の斬鉄剣!!!第1次安倍政権崩壊の震源地だった男・タブー全開・権力と既得権益のブ厚い岩盤をブッタ切る!!元農林水産大臣秘書官。1967年生まれ・熊本県出身。「農林族議員のドン」と呼ばれた故松岡利勝元農林水産大臣の秘書を16年務め、国家権力や利権、国の意思決定の実態を内側から目撃し続けた知られざる重要人物。第1次安倍政権の崩壊も、実はこの男が震源地だったのだ!




48・阿部のミクスの失敗をごまかす道具に五輪を利用する安倍政権・

8/29/2016・池田さんの頁へ?

東京五輪の観光客は高齢者だらけになる?

池田・「リオオリンピックでは、日本勢の大活躍はもちろん、世界中のトップアスリートが繰り広げる熱い戦いに感動しました。しかし4年後の東京大会を思うと、スポーツファンとして非常に楽しみなのと同時に、暗澹たる気持ちにもなってしまいます。なぜなら、安倍政権がオリンピックの経済効果に過剰な期待を寄せているからです。

先に断言しておきますが、オリンピックが日本経済に寄与することはほとんどありません」

・どーいうこと?!


池田・「自国開催のオリンピックを最大限に活用したい人たちは、大きく分けて3者います。「メディアと企業」「東京都」「永田町の政治家」です。

メディアと企業に関しては、高額な放映権料やスポンサー料を払うので、どれだけポジティブに盛り上げても問題はない。彼らは利益追求団体なのだから当然の行動です」

・東京都に関しては?

池田・「東京都は人口、予算規模ともに、スウェーデン一国に匹敵する巨大都市です。財政的にも黒字で豊か。だから都議会や都庁といった、予算を決める側の金銭感覚が非常にルーズです。従って無軌道な予算の膨張を許してしまい、そこに巨大な利権が発生する。

オリンピック予算を大きな争点として勝利した小池百合子氏都知事は、徹底したコストの管理と透明化を行うことが必要でしょう」

・一番の問題は永田町ですね?

池田・「その通り。彼らはオリンピックを契機として、日本経済が復活するかのような幻想を国民に抱かせようとしている。

大問題です。外国人観光客がたくさん来日するといったって、たったの2週間の話です。今後いくつかのホテルが開業しますが、外国資本のホテルばかりで利益はあまり日本には落ちない」

・でも、オリンピックの熱狂を「生」で感じられるのは、国民にとって財産なのでは?


池田・「実際には多くの国民が生で観戦できず、テレビで観戦することになるでしょう。第一の理由はチケットの問題です。多くのチケットは協賛企業のスポンサー枠だけ確保され、希少化します。これは、チケット完売なのに空席が目立つ現象の温床にもなっています。

一般販売枠は抽選にとなり、もちろん入手困難。抽選に当たらなければオークションでの入手になりますが、その価格は異常に高騰するでしょう。なぜならサッカーのW杯などと違い、オリンピックは日本の高齢者が大好きだからです。彼らは暇とお金をもてあましている上、老い先も長くないので「一生の思い出に」と、価格がいくらでも購入してしまう。チケット価格の相場は、10万円超えなど、日韓W杯時の数倍に高騰してしまうでしょう」

・ベアチケットで20万円超えはきついなあ・・。

池田・「宿泊費も高くなる。ただでさえ、東京の宿泊費は近年の外国人観光客増で高騰している。本来は数千円で泊まれたビジネスホテルでも、最近は2万円近くもしたりする。オリンピック期間中ともなれば、シティホテルなら10万円を超えるでしょう。もし関東以南に住む人が自分の子どもに生のオリンピックを体感させたいと思っても、家族4人でチケット代と宿泊費とで50万円を超えるとなれば、誰がいけるのか?たった1泊で計算した場合でも、です」

・確かに・・・。

池田・「実際の東京オリンピックは、税金から捻出される高額な捻出される高額な年金で悠々自適な生活を送る高齢者たちが埋め尽くす。現役世代は、彼らを支えるための重税に苦しみながらテレビ観戦するしかないのです。

それなのに安倍政権は、何年経っても効果のでないアベノミクスの失敗から国民の目をそらすため、オリンピックがもたらす経済効果という「幻想」を道具に使っている。それよりも、年間30兆円も増え続ける社会保障費を削減した上で減税したほうが、何十倍も経済効果があるのです」

東京五輪は元もと、石原元都知事が功績を残したくて誘致した。東京開催決定後は森元首相の利権拡大に利用され、今はアベノミクス失敗の隠れ蓑に使われている・・・

8/31/2016


041・都知事を辞任に追い込んだ、巨大利権に群がる悪い奴ら・

鉄の結束力で利権を守る都議、都庁、天下り団体・・・・

池田・舛添要一前東京都知事が、政治資金を「違法ではないが不適切」な使い方をしたとして辞任に追い込まれました。かれの見苦しくて不誠実な弁明と圧倒的なセコさには同情の余地がありません。

しかし、本当に悪くて汚くして、都民に大きな実害をもたらしている連中は他にいます。皮肉なことに、都知事を追い込んだと議会こそが、醜い政治とカネの世界に染まっているのです」

・桝添氏の金遣いを追求した張本人じゃないか!

池田・「その通りです。今回、続投を希望する桝添氏に辞任を決断させたのは自民党東京都連(以下、都連)の幹部達でした。現在、都連の会長は石原伸晃衆議院議員ですが、彼は単なるお飾りに過ぎません。

都連を事実上牛耳っているのは、都連幹事長でベテランの都議の内田茂氏と、都連幹事長代理で元都議の萩生田光一官房副長官です。さらにその一派に連なる「都議会自民党」という会派の都議達が彼らを支えている」

・萩生田市と言えば、前回の総選挙前、マスコミ各社に圧力とも取れる内容の文書を送りつけて有名になった人だ。

・池田・「東京都の予算総額は13兆円を超えます。これは人口2億人以上の産油国インドネシアに匹敵する規模で、人口はスウェーデンよりも多い。当然、利権の規模も巨大です」

・具体的にどんな利権が?

・池田「一例を挙げると、都が所有している土地の利権があります。公有地というやつですね。1㎡当たりの単価が百万円を超える土地があちこちにあるのです。これを再開発する時に莫大な利権が発生する。この利権構造には以下のような連中が関わっています。

1・土地の所有者である都庁の関係部局。

2・都から委託を受けて、土地を「公正に利活用する」ための計画を作成する公社や法人と言った都庁の天下り組織。

3・強大なビジネスチャンスをモノにしたい企業や工事を請け負いたい業者達。

4・都庁や天下り組織、代償の企業に顔の利く与党と議会議員、または都議出身の国会議員」

・舛添氏のようなセコい話ではなく、エゲツないスケールの闇が広がっている気が・・・・。


池田・「国レベルでは、ここ20年ほどで世間の目が厳しくなったことなどもあり、あからさまな利権構造はほぼなくなった。昔は数多くいた「族議員」も、事実上、絶滅した。逆に地方自治体は、監視の目が行き届かないのでやりたい放題。とはいえ、東京以外の道府県は財政がギリギリなので利権規模も小さい。

でも東京の場合、黒字財政の上に予算規模も国家レベルのなので、利権のスケールもハンパなく大きくなるのです」

・舛添氏は、強大利権にどっぷり漬かった連中から、細か~いカネの使い方を追求されて辞任させられたわけだ。


池田「私は、過去に農林行政を牛耳る超大物族議員の番頭(筆頭の秘書)をやっていたので、国家利権の中枢に長く携わりました。その経験と知識、そして政官界に高度な人脈があるので、利権に食い込みたい企業や個人から、今でもいろいろな相談を受ける機会があります。

そして東京の案件で必ずぶつかるのが、新参者が絶対に割り込めない鉄壁の利権構造なのです」

・都議、都庁、天下り組織、業者らが「抜群のリームワーク」で結束した利権集団か・


池田「相です。私が知っている範囲だけでも、東京は「違法ではないが、かなり不適切」な手法で築き上げられた利権構造だらけです。次に都知事になる人は、そんな甘い汁を貪る連中に囲まれながら、完璧にクリーンな政治活動をしなくてはならない。政治資金の私的流用など、10年以上前まで遡ってもあってはならない。会食や会議費については、家族が同席していないかどうかまで明らかにしなければならない。本当にご苦労様ですと言うほかありません」

平成28716日 土曜日


043・桜井パパの「格」を見誤った自民党都連幹部のアホっぷり!

・巨大官庁の事務次官を持つバラ色の天下り人生とは?


・池田・「参議院選挙も終わり、世間の関心は東京都知事選へとシフトしていきます。自民党が誰を擁立するのか、最後までドタバタしましたね。特に私が気になったのは、桜井俊前総務庁事務次官の名前がたびたび挙がったことです。彼の名前が最初に出た瞬間から、実現しないだろうなと確信していました」

・嵐の櫻井翔君のパパですね。何で実現不可能だったの?・


池田・「猪瀬直樹元都知事、舛添要一前知事と、立て続けに政治とカネの問題が起きたのだから、とにかくカネにキレイな人を選びたい。最近まで公務員だった桜井氏にカネの心配はないので、一見素晴らしい人選にも見えます。ただ、選ぶ側の連中が霞ヶ関官僚の本質をわかっていない。総務省という巨大な役所のトップにまで上り詰めた人にとって、都知事なんてリスクにしか感じられないのです」

・どういうこと??


池田「総務省は、旧自治省と旧郵政省、に総務庁が合体してできた巨大官庁です。利権の種類も超ド級。天下り先も一流どころがズラリです。同じく候補に名前が挙がる増田博弥前岩手県知事も建設省(現国土交通省)出身ですが、最終役職は課長補佐級。桜井氏とは、「格」が月とすっぽんでは表現が足りないくらいに違うのです」

・そんなに違うの?!


池田・驚くかもしれませんが、霞ヶ関の主要官庁の課長級は、一部上場の社長と同格なのです。局長ともなると、世界的な大企業の社長と同格。それが事務次官、しかも総務省という巨大官庁のトップとなると、国内に比較できる対象が見あたらないほどのレベルなのです。

そんな超ド級のスーパー役人が、今回のような火中の栗を拾わされるかもしれないタイミングで都知事選に出馬するなんて絶対にあり得ないのです」

・では、桜井さんにはこれからバラ色の天下りライフが?


池田・「事務次官級のOBが行くような天下り先での待遇は、まさに豪華絢爛です。理事長質や役員室などの個室に、専属秘書もつく。運転手付きの黒塗り専用車もつくし、食事や移動に使える経費の枠が200万円くらいある。年収や退職金は組織によって様々ですが、3年から5年くらい務めてやめるサイクルを3,4回繰り返し、10年から15年で5億円ほど稼げる。立派な億万長者ですよ」

・スゲ~っ!!


池田」「そんな人を知事選に担ぎ出したいなら、絶対に入念な根回しが必要です。まずは役所に内々で打診する。すると役所側から「ふわっとしたリアクション」が返ってきます。はっきりとした「返答」ではなく、役人独特のわかりにくい「反応」なのです。だから担ぐ側は、その反応の真意を正確に読解する必要がある。

もシ肯定的なら、その時点で初めて本人の意志を確認するのが正しい順序なのです。出馬の打診を受けた本人が何よりも気にするのは、役所内でのコンセンサスなのです」

・今回の桜井氏擁立騒動では、根回しの形跡が見られないと。


池田・「はい。それどころか、最悪の手順でした。事前に根回しをするどころか、世間からの反応を見つつ桜井氏をその気にさせる目論見で、先に情報をリークしてしまった。今回の状況における最低の手法だといえます。

都知事選の候補者を最初に選定するのは自民党の東京都連。その幹部は衆議院議員の石原伸晃氏や萩生田光一氏らです。かららの政治センスは疑いようもなく最低レベルですね」

・お粗末な舞台裏だなあ。


池田・「彼らが桜井氏を担ぎたかった気持ちはよくわかります。政治とカネの心配がなく、行政経験は豊富。国民的な人気アイドルの父親だから知名度の問題もクリア。そして何より、政治には素人だから、彼ら(自民党の都連幹部)がコントロールしやすい。

条件は最高です。しかし、政治センスも知識もないから、役所と役人の基本性質を知らなすぎたのです」

7/15/2016

3/18/2016 4:34 PM


 大臣秘書経験者が明かす、政治家の接待&買収はこんなにスゴかった!

週プレNEWS 114()60分配信・ 政治家たちのセコすぎるゴマかし行為が続々と発覚している。ついには大臣までもがワインやうちわを有権者に配ったことで辞任に追い込まれる始末だ。

そこで本誌は、ほかにもさまざまな違反行為が横行しているだろうと確信。調査を進めてみると、予想を超えるほどハードな接待&買収工作の実態が明らかになった。最初に話をしてくれたのは、第1次安倍内閣時に農林水産大臣だった松岡利勝(としかつ)氏(故人)の政策秘書を務めていた池田和隆(かずたか)氏(47歳)。

「秘書はもう辞めていますし、松岡さんは故人ですが、お世話になった代議士を悪く言うような証言はできません。しかし、私が秘書をやっていた20年弱の間に目撃したことを“個人名抜き”でお話しすることならできます」 

大臣クラスの政治家ともなれば、東京と地元にそれぞれ多数の秘書を抱えている。池田氏が務めた政策秘書とは、秘書のなかでもナンバーワンのポジション。現職の大物政治家たちがひっくり返るような事実もたくさん知っている人物なのだ。

 

彼が証言してくれた政界接待の実態は、ワインやうちわなど吹き飛んでしまうほどスケールの大きいものだった。

「国会議員が安定して選挙に勝ち続けるためには、選挙の際に票をまとめてくれたり、熱心なボランティアの選挙運動員を大量に集めてくれたり、具体的な行動で支援してくれる人たちをどれだけ多く抱えているかが非常に重要なのです。

そういった支援者たちが次の選挙でも協力してくれるよう、彼らのご機嫌を取るのは当然の流れです。だって仕事や家事を休んでまで無給で選挙運動を手伝ってくれた人たちに対して、当選したらほったらかしでは恩知らず扱いをされてしまう。そんな評判が立ってしまえば次回の当選など望めません。

問題はご機嫌取りの内容です。資金力のある政治家ともなれば、後援会の幹部とその家族をまとめて海外旅行に連れていったりする例もあります。飛行機をまるごと一機チャーターして、東京や大阪の国際空港まで行かずとも地元の空港から海外に直接飛ばしちゃいます。買収行為にならないように参加者からは格安の会費を徴収するのですが、お得感満点の内容で喜ばせるのです」

そんな大規模な接待、一体おいくら万円かかるのか? 


「政治家は地元の空港に影響力を行使できるので着陸料を安くしてもらえるし、航空会社も旅行代理店も国土交通省から免許を受けている事業だから国会議員に気を使ってくれて安くしてもらえる。連れていく人数と行き先にもよりますが、だいたい300万から400万円くらいで済む感じでしょうか」(池田氏)旅行以外ではどのような接待があるのだろう?

「都会の選挙区だとゴルフのプレー代って高いですよね? 高級なゴルフ場は3万円以上するし、高額な会員権を持つ人が同行しないとプレーもできない。そこで口利きのできるゴルフ場に頼んでプレー代を1万円とかにしてもらい、支援者たちからは会費を払ってもらってコンペを開催する。会費を取れば買収行為にはなりませんからね。

さらに政治家が口利きできる企業に頼んで、協賛してもらう形で高額な賞品を無償提供してもらうんです。例えば20万円くらいする大型テレビとか、そういうクラスの賞品を数社から出してもらい、コンペやビンゴ大会などを盛り上げるのです。

夏であれば屋形船を借り切って東京湾をクルーズさせたり、政治家によってやり方や規模はいろいろですね」(池田氏)

これは池田氏が現役だった第1次安倍内閣時代以前の中選挙区制時代から小選挙区制導入初期に行なわれていた例で、公職選挙法や政治資金規正法が厳しくなるにつれ、少しずつ派手な接待から地味な接待にシフトしているようだが、依然として接待行為は盛んに行なわれているようだ。

■この続きは発売中の週刊プレイボーイ46号にてご覧いただけます。

(取材/菅沼慶)

■週刊プレイボーイ46号(11月4日発売)「政界おもしろ接待&買収大全」より(本誌ではさらに秘書たちが実名で告白!)

15:59 2016/03/20

平成28618日 土曜日


 評判は散々なのに大出世の菅官房長官が官邸を牛耳れる理由

週プレNews  2015511 0600  (201567 2102分 更新) 

菅義偉官房長官の様子がどうもおかしい。地味で堅実なキャラで感情を表に出さないタイプの政治家だったのに、一部では官房長官という要職に長く就くことで権力者としての意識が強くなり、傲慢になったのではないかという声まで聞かれるほどだ。

現在の評判について、菅氏と仕事で接する機会の多い霞が関官僚たちに話を聞いてみると、その評価は総じて低い。「どうしてそんな人が官房長官にまで上り詰めることができたのか」という疑問が湧くほどだ。

そこで、菅氏が出世できた理由の一端を知る人物に話を聞いてみた。証言してくれたのは、第1次安倍内閣で農林水産大臣だった松岡利勝氏の大臣秘書官を務めていた池田和隆氏だ。

「松岡さんが事務所費問題や献金問題などで野党やマスコミからバッシングを受けていたとき、ウチの事務所に真っ先に駆けつけて声をかけてくれたのが菅さんでした。松岡さんと菅さんは派閥も違うし、それまでなんの交流もありませんでした。当時の官房長官だった塩崎さんなどは最後までひと声もかけてくれなかったのに(笑)」

菅氏は松岡氏に、どのような声をかけたのか?

「1回目の訪問時はとにかく『大丈夫だから』と勇気づけてくれていましたね。

そのときの松岡さんは言葉にこそ出しませんでしたが、内閣のほかの閣僚たちがどう思っているのかが気になっているようでした。政権維持のためにはさっさと辞任しろと思っているんじゃないかと、内心では不安だったのです。…

驚くべきことに菅さんは、そんな松岡さんの心中を察してくれたのです。最初の訪問の翌日だったと思いますが、再び事務所に来て、『○○さんも××さんも(当時の閣僚たちの名前)こう言ってたよ。だから大丈夫。頑張ろう!』と言ってくれたのです。

菅さんは付き合いのない人にも機敏な心配りができていたのだから、ほかでも同じような行動をとっていたに違いありません。一度でもそんな心遣いを受けた人なら、何かあったら菅さんに協力しようと思うのが人情というものでしょう」(池田氏)

菅氏は意見が食い違う議員たちを水面下で調整してまとめるのが得意とされる。だから、いろいろな政権で重用されるのだ。それを可能にさせているのは、多くの人の心をつかむ行動を積み重ねた結果なのかもしれない。

前出の自民党幹部関係者も菅氏の“成長”を証言する。

「昔の菅さんは確かに勝負勘がなかったけど、苦い経験を積み重ねた結果、今となっては政局を見る目が養われたと思います。

その証拠に、前回の解散・総選挙のタイミングは最高だったでしょう。解散時期の情報管理とリークの加減も素晴らしかった。この前の沖縄県知事選では自民党が推す候補者が負けるといち早く見越し、仲井眞知事(当時)に普天間基地の辺野古野移設を選挙前に承認させたのも見事だった」

勝負勘を身につけ、政権も安定している。しかし、最近の菅氏は記者会見でケンカ腰の受け答えをしてしまうなど、やたらと不機嫌なのが目立つ。…

週プレNews  2015511 0600  (201567 2102分 更新) 

それはなぜか?「ひとつの原因は、例えば自衛隊を『わが軍』と言ってしまったり、安倍さんの言動が粗くなっていること。今秋の自民党総裁選も無風決着が確定的で、超長期政権が現実的になってきた。緊張感が薄れ、安倍さんに油断が生まれています。以前のように菅さんの忠告もあまり聞かなくなっています」(自民党議員A氏)

沖縄の基地問題もストレスになっているようだ。

「沖縄の普天間基地移設問題について、菅さん個人は、沖縄県民を気遣いながら事を進めるべきだという考えのはず。しかし官房長官はあくまで首相の部下だから、安倍さんの意向に沿って、政府見解として公式発言をする責任がある。

(基地の移設を)『粛々と進める』という発言も、おそらく不本意だったはず。でもその発言が翁長沖縄県知事から『上から目線』と抗議された。さらに大きなストレスがたまっているに違いありません」(自民党議員A氏)

官房長官とはいえ、首相という上司に仕える“中間管理職”。世のサラリーマンと似たようなジレンマやストレスで不機嫌になり、時にケンカ腰にも映っているようだ。(取材・文/菅沼 慶)

http://www.excite.co.jp/News/politics_g/20150511/Shueishapn_20150511_47575.html?_p=3

http://www.bing.com/search?q=%e6%b1%a0%e7%94%b0%e5%92%8c%e9%9a%86+%e6%9d%be%e5%b2%a1&FORM=QSRE3

16:01 2016/03/20

引用


池田和隆の斬鉄剣!!!第1次安倍政権崩壊の震源地だった男・タブー全開・権力と既得権益のブ厚い岩盤をブッタ切る!!元農林水産大臣秘書官。1967年生まれ・熊本県出身。「農林族議員のドン」と呼ばれた故松岡利勝元農林水産大臣の秘書を16年務め、国家権力や利権、国の意思決定の実態を内側から目撃し続けた知られざる重要人物。第1次安倍政権の崩壊も、実はこの男が震源地だったのだ!

3/18/2016 4:34 PM

27・新国立の成果大問題に見るこの国の根深い無責任体質・

・国家を大危機に陥れても出世しちゃう官僚たち・・

・不手際が止まらない新国立競技場の問題、今度は、聖火台の場所が決まっていないという、意味不明な事態に陥っている。

・池田・「競技場の建設と運営の主体であるJSC(日本のスポーツ振興センター)は、聖火台はオリンピックに関する部分で、それはオリンピック組織委員会の管轄だと責任をなすりつけた。オリンピック組織委員会会長の森喜郎元首相は悪いのは文部科学大臣だと言う。遠藤利明五輪担当相に至っては、ザハ案のときに議論した気がしたけれど忘れていたと、およそ大臣とは思えないような弁解をしています」

・低レベルなやりとりだ・・・。


・池田・「これ、日本が大昔から抱える構造的な欠陥なんです。重要なことをすべて役人が決め、国家的な大失態が発生したラ政治家に責任を取らせる。だから本当の責任の所在が分からず、結局うやむやになるんです。このままでは、永久に根本的な解決はできません」

・過去の具体例を挙げると?・

・池田・「事例は無数にあります。日本の役人支配と無責任体質が昔から変わらないことが分かるよう、古い例と新しい例を挙げてみましょう。 

・日露戦争の開戦前、陸軍省の砲兵課長は、一日当たり約360発の砲弾が必要だとする報告を上げ、次官も大臣もそれを了承しました。しかし実際に開戦してみると、「奉天の戦い」では一日に約8万発もの砲弾が使用されたのです。当初の目論見とは、実に200倍以上のズレがあったのです。 

・慌てた陸軍省は、開戦後に日本中の工場をフル稼働させ、輸入もして、何とか乗り切った。しかしこの歩兵課長、日本を存続の危機に陥れるミスを犯したのに、責任を取るどころか、その後に大出世をしたのです。

・最近の例では?・


・池田・「消費税でしょうか。大蔵省(現財務省)は当初、法人税や所得税などの直接税の税率を緩和するため、間接税である消費税を導入しょうと説明していた。しかし、その後の不景気で税制が減り、法人税も所得税もほぼ下がらなかった。

・私かも財務省は自らの過失をうやむやにするため、消費税を社会保障費に充てる税だと方針転換をする。現在、社会報償費は年間で30兆円以上です。赤字国債発行額を除けば、日本の税収はだいたい40兆円。法外な社会保障費を減らす努力をしなければ、とても消費税だけでは追いつくものじゃない」

・消費税の失敗についても、だれも責任を取らないの?・


・池田・「その通り。景気は予測できなくても、人口構成比から見れば少子高齢化の加速は100%確実でした。しかし、財務省は消費税を導入しておきながら社会保障費の増大は放置し、財政赤字を大幅に膨張させた。

それなのに財務官僚たちは全員出世して、最高の天下り先へと散っていった。当然、厚労省の官僚も同罪です。

むしろ、デフらスパイラルで日本経済がマイナス成長を続けていた時も、霞が関は概算要求額を増やし続け、毎年のように「史上最高額」と勝ち取っているのです!」

・東京オリンピックの関連組織にも、責任を取らずに出世した代表格的な元官僚がいる。

・池田・「武藤敏郎オリンピック組織委員会事務総長です。彼は消費税導入に深くかかわり、大蔵省と財務省で事務次官まで上り詰めた。退官後は日本銀行の副総裁につき、現在に至ります。

 

武藤氏は、五輪エンブレムのパクリ問題について、「専門家が関与し、責任を分担して結果を出す。組織として誰かが責任を取るという議論は分かるが、どこの誰に責任があるのかと言う議論はすべきではない」と会見で述べている。

分かりにくい言い回しですが、発言のママです。責任の所在を明確にせず、誰が悪いのかをうやむやにして、失敗しても誰も責任を取らずに済む仕組みを守るための「ザ・官僚」的な発言なのです。決してだまされてはいけません。

平成28318日 金曜日

平成28618日 土曜日

平成28320


2016年8月31日 3:54:07

わたしたちのまちの憲法―ニセコ町の挑戦 単行本  2003・3  木佐 茂男   (編集),    逢坂 誠二 (編集)

人口4600人。北海道の小さな町が全国で初めて自治基本条例を制定した。連携と交流に支えられ、住民自治への歩みは続く。

内容(「MARC」データベースより)

人口4600人。北海道の小さな町が全国で初めて自治基本条例を制定した。連携と交流に支えられ、住民自治への歩みは続く。全国初の自治基本条例が制定されるまでのドキュメントと、詳細な条例分析の二本立て。


単行本: 276ページ出版社: 日本経済評論社 (2003/03)言語: 日本語・発売日: 2003/03


はしがき・・平成2915日・

「責任を持って、自ら考え行動しょう」、これはニセコ町の町づくりの合い言葉だ。


自治の現場では、「役所は非効率で市民の声を聞かない存在だ」と役所に対する不信が渦巻いていた。役所の職員は、「市民は苦情を言い理不尽な要望ばかりをするものだ」と考えていた。戦後日本の自治の現場には、市民と行政の間にこんな不信が少なくない。市民と行政は対立し、お互いに都合のよい場面ではもたれ合う。市民が主権となるべき民主主義の理想とはかけ離れた「お任せ民主主義」状態が長く続いた。

20世紀も後半になると、日本経済の失速、財政難、少子高齢社会の到来、市民の価値観の変化など、日本の社会構造の大変革が急速に進む。対立ともたれ合いのお任せ民主主義では、劇的な社会変革を背景とした地域としたチチ機の課題解決に対応できない。お任せ民主主義から早急に脱却しなければ、近い将来、日本の自治は崩壊し国家の存亡にも関わる。真の自治の実践を通して、本物の民主主義を実現させること、それがニセコ町の町づくりの合い言葉の真意だ。

ニセコ町の具体的実践の柱は、「情報の共有」と「参加」だ。1,994年私がニセコ町長に就任して以後、役所をあげて手当たり次第その取り組みを進めた。1・


2・手探りの連続であり、必ずしも町民から歓迎される場面ばかりではなかった。役所の職員も、理想の自治を仮に頭で理解したとしても、現場でそれを実施する事は容易ではないことを皮膚感覚として知っていた。実践の積み重ねで、ある一定の成果が上がっても疲労感が募り、特に町民の間では、新たな実践に対して及び腰になる場面もあった。情報共有と参加によってお任せ民主主義からの脱却を目指すニセコ町の取り組みは、その重要性を理解しつつも、一時、暗礁に乗り上げる雰囲気すらあった。

・どんな小さな森であっても、草木の繁茂する暗く鬱蒼とした場所に入ると、多くの人は不安を感ずる。この守を歩く時に、たとえ絵地図のような簡単なものでもよいから、何らかの情報があれば、少しは安心できるはずだ。まっすぐ進めば森が深くなる右は崖、左は野原。漠然とした情報でも安心感は大きい。

・まちづくりでは、情報共有を前提とした参加が必須だ。また、行政の行いを市民がチェックすることなど、いろいろと取り組むべき事が多い。また地域の何を大切にするのか、どの方向を目指すのかを決めることも大切だ。しかし、これらのことを闇雲に行っていても疲れるばかりで、効果的、効率的とは言えない。それは、何の手がかりも持たずにものの中を歩き続ける作業に似ており、不安が増すばかりだ。

ニセコ町町づくり基本条例は、この森歩きの絵地図のようなものだ。森歩き(まちづくり)の理念や基本的な考え方、そして具体的な手法を定めることをめざした。この作業で自分たちの大まかな姿勢や目指すべき方向だけでもわかれば、今よりも自治の精度が高まるだろう。2・


3・今よりも自治の精度が高まるだろう。こんな考え方で、ニセコ町の基本条例作りは始まった。

この基本条例つくりは、過去に幾つかの先進的な取り組みがあるものの実現した事例はない。特にニセコ町では、騎乗の理論だけではなく、実践に裏打ちされたものが必要だと考えており、「市民の目線・理論・実務」の三つを重視したいと考えていた。作業は難航することが予想され、実際にその予想を超えた困難さがあった。本書は、ニセコ町での情報共有と参加の実践、それを背景とするニセコ町まちづくり基本条例立案作業の記録であると共に、自治基本条例の論点などを整理したものである。

今、この一連の作業を振り返ってみると、何の専門的知恵も持たないニセコ町が、よくこの条例を制定することができたものだと、あらためて強く感じている。これを成し遂げた原動力は、市民のために日本の自治のレベルを向上させたいと強く願う人たちの存在と、その連携、ネットワークの力だ。もちろん、全体を統括したもう一人の編者である木佐茂男さんの力がなければ、この困難を極める作業も本書の発行も成熟しなかったのは言うまでもない。

ニセコ町が多少なりとも貢献できた部分があるとすれば、普通の市民感覚、素人の目線を重視したことだろう。とにかく数え切れないほど大勢の皆さんの支援によって、ニセコ町まちづくり基本条例は誕生したものであり、深く感謝している。またこの条例の重要性を認識し、新しいものに対して慎重な雰囲気が漂う議会の中で、強いリーダーシップを発揮したニセコ町議会の成瀬勝弘議長の存在も忘れてはならない。3・


4・日本の社会に自治が保証されて50年以上が経過した。しかし、真の自治実践への取り組みは、地方分権が叫ばれる二十一世紀を迎えた今、始まったばかりだ。ニセコ町の取り組みと本書が、日本における真の自治実現とお任せ民主主義からの脱却に対して、多少なりともお役に立てるのなら、これに勝る喜びはない。

なお、本書は、二部から構成されているが、第一部は、まちづくり基本条例の制定過程やその後の様子をルポルタージュ風に摸写したものであり、第二部は、自治基本条例一般についての今後の課題を主として検討した論文調のものである。トーンに違いがあることについて、予めお断りしておきたい。

2,003年春・逢坂誠二著

平成2916日 金曜日


『ニセコ町まちづくり基本条例』

11条 満20歳未満の青少年及び子どもは、それぞれの年齢にふさわしいまちづくりに参加する権利を有する。まちづくり基本条例では、満20歳未満の町民のまちづくりに参加する権利が保障されています。そこで、将来を担う子どもたちと共に、それぞれの視点でニセコ町のまちづくりを考え、子どもたちの参加を目的に「小学生まちづくり委員会」及び「中学生まちづくり委員会」を設置し、様々な活動をしています。

http://www.town.niseko.lg.jp/machitsukuri/jyourei/kodomo.html

9:10 2017/01/06


ルーティンワーク・

ルーチンワークきまりきった日常の仕事。日常業務。ルーチン業務。平成2917日・オピニオン・リーダー・

オピニオンリーダー・ある集団の意見の形成に方向づけをする人。特に、社会全体の世論の形成に影響を与える人。自治体学会・交流の場だった・


32頁・職場のアイデンティティ・

アイデンティティー・自己が環境や時間の変化にかかわらず、連続する同一のものであること。主体性。自己同一性。「アイデンティティーの喪失」本人にまちがいないこと。また、身分証明。5:38 2017/01/07

飯田市役所の高橋寛治の発言が心に焼き付いた。「役所の殻を破って学びの場を外に求めていかなければならない。地域学習に取り組み、住民と共にまちづくりの有り様を考えていくこと、それが職員研修だ」との主張だった。

分科会後の交流会の席で、片山はもう一つ、重要な出会いを経験した。自ら先に名刺を差し出して、丁重に挨拶をしてきたのは木佐茂男である。

33頁・


地方自治の世界的潮流・二十ヶ国からの報告・上・下・1,997年・

36頁・出馬へ・勉強のために、遠路をいとわず町外へ足を運ぶ一方、逢坂の企画広報係長としてニセコ町内での取り組みもますます密度の濃いものになぅっていた。役場にじっとしていることなく、街に出て住民同士のネットワークづくりを進め、そこで地域課題を語り合うことに精力を傾けた。

93年6月には、呼びかけ人の一人として、シンポジウム「本音で語ろう?聞きたい、喋りたいニセコ」を開催した。36・


37頁・それは町内の観光、商工、農業に携わる若手住民が一堂に会し、ニセコの課題や将来について自由に語り合う初めての機会だった。

94年4月、逢坂は財政係長に異動になった。自治とは何か、自治体の仕事とはどうあるべきか、と言う問いかけを胸に、多様な出会いと学びを重ねるうちに、逢坂はニセコ町政の現状に、もはや妥協できなくなっている自分を強く意識するようになっていた。役場の仕事を改善するために、幹部職員や首長にさまざまな提案をしてきたが、受け入れられることは少なかった。厳しくなることが予想される町の財政、ふるさと創生一億円事業でも実感した自治体の能力格差。

「秋の町長選に出馬しょう」。

二期目に意欲を示している現職町長にストップをかけ、自ら陣頭に立って役場を変えていこう、そうするしかないという決意が徐々に固まっていった。37・


38頁・


39・泡沫候補・8月1日、地方交付税の計算などに追われて来た逢坂は、一係長としての最後の日を迎えていた。現職町長に対抗する庁内からの出馬に、職場の雰囲気がぎくしゃくし、軽口もたたけないような息苦しい空気が漂っていた。送別会も行われなかった。39・

40頁・しかし、数は少ないが、この「泡沫候補者」に早くから期待を寄せる町民もいた。町議会議員のうち唯一、現職支持でなく逢坂支援に回った議員(前議長)は、出馬の挨拶回りをする逢坂に町内の有力者を引き合わせていった。ニセコ経済懇話会などを通じて、問題意識を共有してきた同世代の若い町民たちが、選挙事務所の事務局長などの参謀役を引き受けてくれた。

町外からも、鴨田や中島、木佐を始め、札幌地方自治法研究会を通じて逢坂と親交を結んだ仲間たちが、ロングドライブをいとわず、頻々とニセコに足を運んで政策面でのアドバイスを行った。40・


キャッチコピー消費者の心を強くとらえる効果をねらった印象的な宣伝文句。

41頁・その仲間たちの案で選挙戦のキャッチコピーも決まった。いわく「お年寄りの智恵と女性の感性、若さと行動力の町づくり」。道内外で学習活動を共にした自治体職員たちからはカンパや激励が寄せられていた。

二ヶ月の戦いは「逢坂の話など聞くな」という現職町長支持の町内団体・組織の締め付けに苦しむ事から始まった。逢坂の主張に興味を持つ町民も、所属団体の長が現職支持を表明している事で、表だって動くことが憚られた。現職支持が大勢を占める中で、町内会などの住民組織への働きかけも難しく、わずかな支持者では後援会らしい組織の立ち上げもできなかった。

「一人でも二人でも自分の話を聞いてほしい」という切実な気持ちから逢坂が始めたのが「お茶の間懇談会」だった。その名の通り、町民と膝を交えた話し合いの場で、逢坂がひたすら支持を訴えると言うよりも、町政や地域課題について気楽に意見交換しましょうという趣旨だった。逢坂は、自分の目標が「住民参加の地方政府づくり」であり、そのために行政の仕事を住民に徹底して公開していくことの重要性を、町民の身近な問題に引き寄せながら説き続けていた。

・お茶の間懇談会にいち早く反応したのは、市街地に住む主婦層を中心とした女性たちだった。それはまさに、既存団体に組織化されず、自分たちの感性で受け止めたことをそのまま口コミで伝えていける層でもあった。懇談会で逢坂に共鳴した主婦が、自ら懇談会を開いて隣近所や知人に呼びかける。こうした連鎖が広がって、懇談会に参加する町民は着実に増えていった。

・懇談会を開き続けて一ヶ月が経った九月下旬になって、逢坂は確かな手応えを感じ始めていた。41・17/1/7 819分・


42頁・懇談会は、結局、選挙告示日の10月11日までの約二ヶ月間に40数回を重ね、延べ八百人を超える町民が参加した。そこで議論された地域課題は「まちづくり目標」として整理されながら、やがて「五つの目標・七十の政策」としてまとめられた。逢坂はそれを告示以降の本格的な選挙戦で提起していった。

大詰めの選挙戦では、懇談会を縁にして集まった主婦や高齢者の支持者たちが積極的に選挙運動に関わっていった。選挙事務所で運動員の食事作りをする人、選挙カーで支持を呼びかける人、個人演説会も一回に五百人も詰めかける陽があり、緻密に票読みをする参謀たちの間にも明るいムードが漂うようになっていた。札幌など町外で見守っていた仲間や知人たちも尻上がりの健闘ぶりに目を丸くしていた。

10月16日投票日。有権者約3,600人の投票率は90・1%と高く。開票結果は、1,639票対1,513票。126票差で、逢坂は現職をおさえた。

43・翌日の新聞には「全国最年少三十五歳の町長誕生」平成2917


45頁・住民自治に取り組む・


・対話という鍵・

役場の中で戦いは始まっていた。「仕事に年齢は関係ない」と逢坂は割り切っていたが、周囲はそう簡単にはいかなかった。この間まで部下が、同僚が、組織のトップとして町長室にいる、と言う違和感。逢坂の理解者である片山でさえ、「町長」とすんなり呼べずに苦労していた。前町長支持派だった管理職たちの風当たりも容赦なかった。

・しかし、逢坂は、そんな人間関係のしがらみにこだわっていられないほど時間を惜しんでいた。非効率で曖昧な仕事のルールはもちろん、住民主体とは程遠い町政の仕組みを立て直すべく、停滞気味の役場に早く集中力をつけたいと思っていた。

「首長は四年できっちり結果を出し、一期ごとで審判を受けるつもりでいなくてはならない」と言うことも念頭にあった。世間で聞かれるような「三期かけて段階的に取り組む」というような発想は持てなかった。しかも、11月就任で残り少ない初年度と、次年度は前職町長のもとでの予算編成であり、これから四年で一区切りとなれば、完全に采配を振るうことができるのは再来年度からの二年しかない。ぼやぼやしてはいられない、と言う焦りがあった。

「住民主体のまちづくり」そしてそのための「町長と行政の情報の共有」と「行政の透明性の確保「を押し進めるには、どこから何に手を付けたらいいのか。47・


48頁・「まちづくりトーク」だった。町民五人程度のグループで集まり、町長に話を聞きたいと要請すれば、昼夜問わず時間の空いている限り、希望の場所に町長が出向いて、気軽に懇談しようというもので、グループの希望によっては担当課長や職員が対応することにした。町長選の際に、すでに「お茶の間懇談会」で地道に町民と対話を重ねてきた逢坂にとっては、この発案は自然なものだった。数ヶ月しかない初年度のうちに、延べ百二十九人の町民と会い、精力的に意見を交わした。

「まちづくり懇談会」は予算広聴集会ともよばれるもので、年一回11月に町内十三ヶ所で開催。予算づくりを前提にして町民が地域課題を語り合う場として設けられている。自由参加で毎年述べ百~二百人の町民が参加し、そこで出た意見は「広報ニセコにも掲載され、共有される。

「まちづくり町民講座」は、その名の通り、講師を据えて町の現況や課題について勉強しよとするものだが、講師役は役場の課長など町職員が主体。48・


49・町の産業や福祉、教育、財政など担当課長らが、一時間説明し、一時間は意見交換という内容で、年間十回程度の開催を目指した。町民に行政の取り組みやまちづくりの課題について知って貰い、関与して貰うという狙いと合わせて、そこには職員研修の意図も込められている。

・意識の壁を融かす・町長になって初めて年度が改まった九十五年度。逢坂は大胆な人事異動をした。49・

50頁・前職に留任したのは、役場職員約90人の中でわずか数人。前年度全職員を対象に意向調査を行い。それを参考に人事配置を抜本的に検討した。こうした職員意向調査はニセコや町役場では初めてのことだった。職員の意欲と能力を十分に引き出したいと、軋轢を恐れず逢坂は組織改革に取り組んだ。

・組織改革の目玉の一つは「町民総合窓口課」の設置だった。従来の広報広聴課の三名と総務課戸籍住民係二名を一体化し、役場を訪れる町民に負担をかけずに対応できるカンターをつくった。

どこにいけば、自分のようを果たせるのかわからない町民に、その行き先を案内するのが従来の窓口ならば、新設の課は、町民の用件を課職員が引き取って関連部署に当たる。町民をたらい回しせず、職員自らが動いて解決することを目的にした部署だった。

機能するためには、役場の仕事全般について知識があり、しかもコミュニケーション能力を備えた職員を課長に据える必要がある。窓口近くに経験豊富な課長が座るという体制は、町民との接点を重視し、「町民の目線に立って考え、行動する」意識を庁内に浸透させようという意図もあった。

・一見、単純な住民サービスのようだが、実は職員の意識改革を重視した事業は他にもある。95年6月に開始した「環境美化巡視事業」は、係長医亜香の全職員が分担して、週二回、二人一組で専用の巡視車で町内をくまなくパトロールする。放置された空き缶やゴミを回収するという美化活動だけでなく、地域を知り、さまざまな地域活動に気づこうというフィールドワークの意味があった。

・一連の意識改革の中で、職員の政策形成への主体的な参加を引き出そうと、初年度のうちに立ち上げられたのは「庁内政策推進会議」である。50・


51頁・17/1/7 1617分・対象は係長以下の若手職員。特定のプロジェクトや政策課題について、関心のある職員が手を挙げ、議論に参加する。20人から30人の規模で、所属部署や職階にこだわらず、自由に意見を出し合い、議題を出した担当者は、それを政策作り役立てる。

こうしたプロジェクト主体の横断的な政策形成の場は、その後、情報公開条例、まちづくり基本条例などの条例作りについても設けられ、庁内で職員が自由闊達にまちづくり論議し、政策形成力を鍛え合う土壌をつくっていった。

・根強いタテ割意識の壁を融かして、庁内コミュニケーションを円滑にしようという取り組みは、96年8月、LANシステムの整備によってさらに進んだ。パソコン百十一台を導入し、全職員をつなぐデジタルネットワークが完成したが、これのよって町政情報の共有や日々の業務の効率化だけではなく、町長と職員たちとのコミュニケーションにも新しいチャンネルが生まれた。

・逢坂は「町長室日記」と題して、毎朝、町職員向けに電子メールを配信し始めた。道外の出張先からも欠かさず送られてくるその内容は、町政や庁内の動き、地方自治に直結した話題だけではなく、国や道の動向、日本経済や外交問題、出席した各地の会議やシンポジウムの報告など多岐に及ぶ。

謎をかけられたようで「難しい」と嘆く若手職員もいたが、自治体職員こそ広い視野を持ち、激しい時代変化に敏感に対応しつつ仕事をしなければならないと信じる逢坂には、毎日せっせと書き込んでいった。80年代のパソコン通信の草創期から、趣味や研究でパソコンに親しんできた逢坂にとって、これもまた、ごく自然のコミュニケーションの在り方だった。51・


52頁・・研修重視・

・逢坂は、自分自身の職員時代の学習活動体験を通じて、職員研修の重要性を痛感していた。木佐からは研究会などで、ドイツの公務員の養成研修ぶりについて聞かされてもいた。実務的な知識や能力を体系的なカキュラムで養ってから公務員になるドイツに対して、日本では即戦力になる知識や能力をほとんど身に付けることなく公務員になる。なってしまった後も、町村職員の場合は財政や人員的な制約もあり、十分な研修機会を得ることができない。ニセコ町の場合も、従来の職員研修関連予算は、職員約90人に対して年間せいぜい200万円程度だった。

・「役場を支え、地域を支えるのは人だ。学び続けられる体制をつくろう」と、逢坂は96年度予算で、大幅な職員研修関連予算の増額を提案した。約千三百万円で職員一人当たり約15万円。町議会の理解を得て、職員研修に力を入れる体制は整えられた。一人当たり1~2万円が相場といわれるなかで、それは紛れもなく全国自治体のトップクラスである

以来、職場内研修の充実は勿論、自治大学校、地域リーダー養成塾など道外の研修機関、また他自治体や企業への派遣研修など年毎に多様化させていった。全職員が二年に一度は何らかの研修を受けるという状況が、それから数年のうちに実現させるようになった。

ニセコ町の職員研修が体系化される中で、当初から重視されていたのは「交流」だった。「異質なものと触れあうことによってこそ、自己が見えてくる。52・

53頁・交流とは鏡を見るようなものだ」と逢坂は「交流」の大切さを周囲にも説いていた。職員をどんどん外部に出していくだけでなく、逆に役場に外部から人を受け入れることも積極的に行った。

日常的な視察の受け入れはもちろん、研修生の受け入れも職員にいい刺激になると前向きに進めた。九十七年度から国土庁や民間企業の支援を受けながら、地方自治を専攻する首都圏の学生や九州など他の自治体の職員をインターンとして受け入れ始め、後には現役の新聞記者が研修生として二ヶ月間、ニセコで自治の現場を体験した。職務上の守秘義務を課した「臨時職員」の立場とはいえ、行政の透明性に徹底してこだわろうとする町長あっての異色の研修事業である。53・


17/1/8 526

行政の透明性に徹底してこだわろうとする町長あっての異色の研修事業である。53・


17/1/8 526分ここまで・平成2918

53頁・二つの磁場・


・逢坂が職員の意識改革や研修強化に本腰を入れ始めた九十年代半ばは、地方分権に対する関心の高まりを受けて、北海道の自治体職員全体の取っても、著しい研修環境が見られた時期だった。道中央圏町村職員政策研究会では自治体職員の研修のあり方が盛んに議論され、札幌地方自治法研究会は、職員向けの自治体法務のテキストづくりに着手していた。

95年6月のある土曜日。北大法学部の大教室は、道内各地から駆けつけた自治体職員ら約360人で埋まっていた。「地方自治土曜講座」の開講である。この企画は、道央圏町村職員政策研究会のサポート役でもある北海道町村会の川村が温め、木佐にも相談した末、北大法学部のバックアップを得て実現した。53・


54頁・第一線の講師陣によって地方分権時代に求められる自治体職員の政策能力開発を図ろうと言う講義シリーズで開催は六月から十一月までの毎月一回土曜日。

初年度は、北大の森啓、神原勝、山口二郎、間島正秀、そして木佐、北海学園の佐藤克廣らが講師を務め、道内各地から遠路をいとわずやってくる受講生たちの熱意に応えた。ニセコ町からは逢坂自身を含め二十名近くの職員が参加した。

「土曜講座」の高い人気は、最新の地方自治論や政策法務論に触れたいと熱望する自治体職員がいかに多いか、そして自治体の壁を越えた職員間の、あるいは議員や市民などを含めたより広い「交流」がいかに強く求められているか、を示していた。「土曜講座」はやがて、道内各地域レベルでも開催されるようになり、道外でも類似の講座が開催されるようになっていった。

「土曜講座」開講と同じ年の七月。やはり意欲のある道内の自治体職員が結集するフォーラムが、今度はニセコ町で開かれた。

「自治体学会北海道フォーラムINニセコ」は、道内自治体職員のネットワークの起点ともなった86年の「第一回自治体学会北海道フォーラム」(江別市)から数えて第九回目の開催となるもので、掲げられたタイトルは「ニセコで語ろう?地方自治の未来~実務と理論の出会いを求めて・北海道地域自律セミナー」。自治体学会関連の道内の催しとしては過去最高の約400人が、会場のニセコ町民センターに集まった。54・


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地方分権推進委員会の委員に就任したばかりの東大法学部教授(当時)の西尾勝が「地方政府のこれから」と題して基調講演し、「まちづくりのシステムを考える」などのテーマでパネルディカッションも行われた。逢坂は歓迎挨拶を行い、片山は、若手町職員ら約40人からなる実行委員会の陣頭指揮に当たった。

「全国からニセコ町に注目が集まっていることを町民に実感してもらおう」と言うことも、フォーラムを企画した鴨田克彦たちのねらいの一つだった。役場の改革に奮闘する逢坂を、外から応援してやりたいという気持ちは、研究会活動や選挙運動を通じて結び付いた仲間の間に共有されてた。

しかし、「青年町長誕生」で新しいエネルギーを得たのは、逢坂の身近な仲間に留まらないことも確かだった。道内の、自治の現場に関わる多くの人々の「ニセコで盛り上がりたい」という気持ちが、フォーラムの盛況にも見て取れた。

フォーラム前日に、同じくニセコ町で開催されたのが「北海道自治体学会」の設立総会である。全国レベルの自治体学会とほぼ同じだけの歴史を重ねてきた「自治体学会北海道フォーラム」だったが、北海道独自にネットワークを強化し、活動を展開させていこうと、風連町職員で北海道町村かいに派遣中の桑原隆太郎が鴨田らと共に仲間に呼びかけた。

設立総会では、三名の代表運営委員に、森啓(北大法学部)、川村(北海道町村会)、中島(恵庭市)が選任された。事務局は内田(北星学園女子短期大学)が引き受けた。こうして北海道自治体学会はニセコ町を誕生の地として始動した。55・


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・協働への試行・


「もっと知りたい今年の仕事」という表題の40頁ほどの冊子が、ニセコ町内の各戸に初めて配布されたのは、95年4月のことだった。

町民に、いかに分かりやすく町政情報を伝えるか。毎月の広報誌はもちろん、町民の目線で広報事業を抜本的に見直していくこともまた、「情報共有」のための必須作業だった。その一つの試みが、役場の発行物らしくない表題のこの「予算説明書」である。

町議会で審議される予算書のような書式では、町民は読み取りにくく、毎月の広報に盛り込める情報量にも限界がある。新年度予算の中身、つまり、町がする仕事を、町民の日常使う言葉でできるだけ平明に伝えるための新しいメディアが必要だと逢坂は思っていた。

モデルのない初めての取り組みで、最初は苦労の連続だった。担当の広報広聴係は、四月下旬に行われる地域住民代表を対象にした会合に間に合うように冊子を作らなければならない。三月中旬に各部署から予算にようの原稿を集めて編集するが、部署によって上がってくる情報は質、量ともに差が大きく、短期間のうちにそれをバランスよく一冊に統一・加工する作業は並大抵ではなかった。57・


58頁・町民の声や職員の工夫は、「基金」は「貯金」に、「起債」は「借金」に言い換えるなどの行政用語の「翻訳」や、他の自治体の統計情報を引用して、町の状況をより相対的に把握しやすくするデータの掲載などに生かされた。見直しを重ね、こまやかに改訂がなされるうちに、冊子を参照しながら地域のことを語る町民は増えていった。

こうして予算説明書は、「もっと知りたい今年の仕事」という名称とともにニセコ流の情報共有のシンボルとして自治体関係者の間に徐々に知られるようになり、類似の冊子を発行する自治体も全国に珍しくなくなった。

・情報共有からさらに一歩進み、実際の町の事業に住民の声を生かしていく住民参加システムの試行もスタートした。95年11月から始めた「事業別住民検討会議」である。


・住民検討会議は、まちづくりの重要な事業について町民が誰でも自由に参加し、意見表明できる公開の会議で、ハード面、ソフト面にかかわらず、事業計画が白紙の状態から住民にまちづくりに参画して貰おうというのが狙いだった。逢坂は、従来の由拿行政主導の事業計画づくりを脱して、住民の話し合いで事業計画の熱度を高めていきたいと考えていた。59頁・

・住民検討会議の最初の対象事業としたのは「道の駅」整備計画である。題して「観光インフォメーション施設整備に関する住民検討会議」。アウトドアレジャーのメッカとして、年間140万人の観光客を迎えるニセコだが、市街地付近には、公衆トイレを備え、地域の観光情報の提供や特産品の販売もできる施設はなく、長年の懸案となっていた。58・


59頁・17/1/9 951分・

こうした札幌の研究者たちの無償の熱意とニセコ町との結びつきは、やがて、まちづくり基本条例の検討に向かうなかで、急激に深まりを見せていくことになる。

研究会の支援の成果は、例えば、「不存在の町政情報に関する情報取得・作成義務」という条項にも表れている。これは、公開請求された町政情報が存在しない場合に、その文書を新に作成したり取得して、請求者に提供する義務を間に負わせるという、全国でも先駆的な内容である。


・こうして、前文と四十六条からなるニセコ町条項公開条例は、対応して策定された個人情報保護条例とともに、98年9月、議会に提案され、可決された。

「まちづくり町民講座」を初めとする町民との多様なチャンネルによるコミュニケーション、庁内政策推進会議などの横断的な職員参加、町民と職員混成のワーキンググループによる協働作業、広報広聴検討会議や札幌地方自治法研究会を通じた外部有識者ネットワークとの連携。

それらの着実な積み重ねの上に、逢坂町政四年目に望んだ条項公開条例策定は、無風のうちに迎えた二期初年度に実現した。それは「まちづくり基本条例」という、一段と高い独自構想に向かう途上の、確かな里程標でもあった。66・


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会議の実施に、町職員たちの予測は全く悲観的だった。利害関係で対立しやすい建設場所の選定を含めて、住民の自由討論で事業内容を固めていくことに、ほとんどの職員たちは強い不安を抱いていた。

「住民はエゴの塊のようなところがある。無責任に好きなことを言うだけになるのではないか」、「全く白紙から議論というのは無理だ。いくつかの案を用意しておいて示すようにしないと収拾がつかなくなる」。事業担当の職員らは戦々恐々の思いで、町長に再考を促した。しかし、逢坂がそれに諾諾「だく‐だく【諾諾[ト・タル][文][形動タリ]他人の言葉にさからわないで承諾するさま。「唯唯(いい)諾諾と従う」・とすることはなかった。

「一度だけやってみよう、ダメならやり直せばいいんだから」。失敗を恐れて何もやらないでいるより、やった方がいい。何に付けてもこれが町長の方針だった。

こうして95年12月のある日の夕方、ニセコ町民センターで初の住民検討会議が開かれた。集まった町民は三十八人。役場側は町長や事業担当者など六人。

円卓を囲んだ町民たちは、「施設の必要性と建設場所について検討したい」という役場側の簡単な趣旨説明の後、自由な話し合いに入った。施設の必要性に関して異議のある町民はおらず、合意はすぐ取れたが、場所の選定に議席が進むと、意中の候補地を主張し合う対立が次第に激しさを増し、会場は険悪な雰囲気に包まれた。59・


59頁・「やっぱり無理だった」。会議が始まって二時間が経ち、町職員たちに後悔の念が重くの覆い被さろうとしていた頃、このままでは候補地案を容易に絞りきれないと感じた町民から「それなら一度、資金面などを試算してみよう」という意見が出て、空気が変わった。

「白紙の会議」通り、資料は何も用意されずにフタを開けた会議だったが、次回は、争点となった具体的候補地について資金や施設規模などを役場で試算し、その資料を基に議論を続けようと言うことに落ち着いた。

・あわや空中分解かという場面を何とか切り抜け、住民検討会議は、翌年二月に無事第二回目が開催された。そこでは、市街中心にほど近い国道の交差点の一角に建設すること、施設は町の財政負担を考えて、最小限の機能による整備にすることなどの基本方針が住民たちの間で合意されていった。その後、検討会議はさらに数回行われ、多くの町民を巻き込みながら、「道の駅」計画は練られていった。建築設計についてはコンペを実施し、選考委員会も公開で行った。

97年5月、情報プラザ館、トイレ等、フリースペース棟、駐車場からなる、道の駅「ニセコビュープラザ」がオープンした。フリースペース棟に設けられた地元農産物の直売コーナーが盛況ぶりを見せ、当初、農家十二戸の参加で始まったが、五年ほどで六十戸に増えた。この直売コーナーのアイデアも、計画段階で農家から出されたものだった。

「子供たちの借金を残さないように」、「維持管理費も考えて身の丈にあった施設がよい」とハード面では贅沢を避ける一方、ソフト面では町民自身が関わりやすく、活用しやすい、さまざまな提案を取り込んだ施設になった。60・


61頁・ビュープラザの検討経過を振り返って片山は言う。

「町長の一回だけやってみよう、と言う言葉にダマされて最初はエライ目にあったが、施設ができてみると、オープンな協議の成果が出て、ほとんど町民から批判が出ない。もし行政主導で安易な物産センター的施設にしていたら、失敗していたかもしれない」。

その後、ビュープラザは観光客、町民がともに頻繁に出入りする、文字通りの「ニセコの玄関口」になっていった。61・

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・自治の仕組み作りへ・61・


ビュープラザを皮切りに、その後、ニセコ町では、温泉施設「ニセコ駅前温泉綺羅乃湯」の建設計画(99年6月着工・2001年2月完成)61・


62頁・や「尻別川流域の将来構想」策定(九十七年度)など、町民自身がまちづくりに積極的に発言、参画する機会が作られていった。

いずれの場合も最初の会議では、町民の行政不信がむき出しになったり、議論百出で収拾がつかない問い場面があった。しかし、何回か会議を続ける中で、町の財政状況などを客観的に指摘する町民や、長期的なビジョンでまちづくりを考えようと呼びかける町民が現れて、会議の様子は変わっていった。時間はかかるが、建設的な提案や意志決定が見られるようになり、町職員の間にも、住民参加の可能性について手応えが得られるようになった。

逢坂は、住民参加についておそれず実践してみた成果を感じながらも、決して楽観はしていなかった。例えば、町民検討会議に参加した町民のこんなつぶやきが気になっていた。

「議論を重ねて納得の得られる結果になってよかった。でも、こんなに大変なら、この次はもう出たくない」。参加する町民の負担が大きすぎる、と言う批判だった。公開と参加が、必ずしも手放しの歓呼で住民に迎えられるとは限らないことを、逢坂は種々の取り組みの経過を見ながら痛感していた。

「地図を持たずにくらい森を歩くようなしんどさでは住民参加は続かない。いく手を照らす明かりになるようなルールを作らなければ」。

その思いは、まちづくりの基本条例という次の大きな構想へのステップに、やがてつながっていくものだった。62・


63頁・九十七年度は、逢坂町長一期目の大詰めの年だった。前年度末の三月に行政手続き条例を制定し、行政の透明化への前進を図ったが、この年は、これまでの実践をもとに、まちづくりの基本に据える「情報共有化」の体系的な検討に着手する年になった。

十月、その推進組織の一つとなる「広報広聴検討会議」の第一回の会議が開催された。この会議は「住民の視点に立った広報広聴の仕組みを検討し、制度として確立する」事を目的とした町長の諮問機関で、木佐茂男・北大教授を始め、自治体広報に関する有識者や町議会議長など、町内外混成で五人の委員が着任した。

最初の挨拶に立った逢坂は「今後の自治を進めるに当たって意志決定の仕組みをルール化することが必要」と述べ、「情報公開、情報共有、住民参加のあり方について、まちづくり条例やまちづくり憲章なども念頭に置き、幅広く議論してほしい」と期待を語った。それは、これまでの試行をもとにいよいよ本格的に仕組み作りに取りかかるという決意表明でもあった。

・座長に選出された木佐は「これからの情報共有のあり方」と題してスピーチし、「地域の個性と身の丈にあった、広報広聴の仕組みが求められている」と強調したこうした情報共有の仕組み作りの途中で、まもなく浮上したのが、条項公開条例と個人情報保護条例の是非だった。

「情報共有に徹すれば、他の自治体のような情報公開条例はニセコでは不用なものではないか。もともと役場に集積した町政情報は住民のものでもあり、住民が求めるかどうかにかかわらず公開すると言うことなのだから」。63・


64頁・・逢坂も片山もそう考えて、情報公開条例に積極的な意味を見いだせないでいた。木佐の「ドイツの自治体では、住民が情報を入手する仕組みが整っているから、情報公開制度は必要ない」という話にも刺激を受け、「情報公開条例のない町にしよう」とさえ考えていた。

しかし、転機はやってきた。

「今はいいが、首長が変わっても情報は出てくるのか」という町民の声や、「一定のルールがないと、職員の判断で情報が出たりでなかったりする「裁量的秘密主義」に陥りやすい」(安部泰隆・神戸大教授)と言う専門家の指摘に触れる中で、情報共有化の仕組み作りの一つとして、条例の整備に取り組むことになった。

98年2月、「まちづくり町民講座」で、条項公開法を求める市民運動事務局長の奥津茂樹を講師に招き、公開学習会を開催した。64・


65頁・これを皮切りに、広報広聴検討会議や庁内政策推進会議での検討を経て、五月には、町職員と町民六人の委員によるワーギンググループを立ち上げ、他自治体の条例の研究などを本格的に始めた。

しかし、もともと住民から見て入手しにくい行政情報を引き出そうというスタンスで作られたのが一般的な情報公開条例制度であり、情報共有を前提にしているニセコ町に取って参考になる他自治体の例は多くはなかった。

・結局、まちづくり町民講座などの町民の議論に登場した、アメリカの「情報公開自由法」がヒントになることがわかり、条例案作りの道筋が開けてきた。情報自由法では、住民から請求されるまでもなく、政府が自ら進んで公開することを義務づける「自動公開原則」があり、これが住民の負担の軽減を可能にしていた。

そこで町政情報のうち、「情報を公開することに審査をしない、自動的に公開すべき情報」を「開示情報」と名付けて、請求者に手間や負担をかけずに開示することにし、審査を要し、請求手続きの必要な情報を「非開示情報」として分別する、と言う考え方が検討の中から生まれた。

「公開は、むしろ当たり前」という情報共有化の理念を貫き、住民の目線で、情報公開のルールを考えれば、どうなるのか。そうした模索を経て、「ニセコの常識」にあった情報公開条例案が作られようとしていた。

・条例案の作成には、広報広聴検討会議座長の木佐が橋渡し役となって、札幌地方自治法研究会のメンバーによる専門的支援が行われていた。特に、その中心を担ったのは、札幌市職員の田中孝男で、仕事の合間を縫って、ニセコの条例案の作成や精査に没頭し策定を支えた。65・

66頁・17/1/10


 

・4自治基本条例プロジェクト・67頁・平成29110

68頁・自治プロメンバーはニセコ町で合宿研究会を開いた、途中で一泊してニセコにたどり着いたメンバー、初めてニセコに来たメンバーもいた、骨格も見えてきた(北海道新聞、1999年6月二十一日付掲載)


69頁・

・有志結集・

「今夏、島根で開催予定の第五回自治体法務合同研究会における、北海道グループの報告テーマは「特定小規模自治体をイメージした自治基本条例案」とすることになりました。この報告準備のためのプロジェクトチームを、2月21日の次回研究家の開催前に発足させることにします。参加希望者は、至急、ニセコ町の片山健也さん、または木佐までお知らせ下さい」。

1999年2月始め。札幌地方自治法研究会のメンバーに届いた例会案内の電子メールには、会代表の木佐によるこんなメッセージが添えられていた。これが「自治基本条例プロジェクト」、略して「自治プロ」誕生の発端である。

「自治体法務合同研究会」とは、全国各地の自治体法務に造詣の深い自治体職員、研究者、ジャーナリスト、弁護士などが、年一度、参集する研究会である。その先駆けとなったのは、95年の札幌地方自治法研究会で、ニセコ町で開催されていた。木佐はすでに、前回の一月例会で意思表明をしていた。

「ニセコ町では町政執行について定める総合的な条例、つまり、自治基本条例を制定しようとする動きがあります。ニセコ町をモデルにした自治基本条例とはどのようなものか、プロジェクトチームを組んで研究をしてみたいと考えています。いずれメンバーを募集しますのでよろしく」。

木佐と田中孝男らが道内の自治体職員に呼びかけて、北海道大学法学部304号室で例会を主宰し始めたから、すでに十数年が経っていた。91年頃に片山や逢坂が始めて顔を出して以来、ニセコからは毎月、若手職員を含め、途切れず誰かが研究会に参加して、まちづくりの新鮮な話題を提供していた。69・


70頁・研究会は町長誕生を見守り、情報公開条例制定を初めとした政策法務支援を行うことによって、ニセコ町との縁を年々深めてきた。

木佐の新しいプロジェクトチーム結成の呼びかけも、そういう意味ではメンバーにとって意外なことではなかった。まだ全国に施行例のない「自治基本条例」への挑戦とあって、「ニセコでいよいよ着手か」との感慨を抱く者は少なくなかった。

「自治プロ」有志の初顔合わせとなる二月例会の当日。北大構内は、雪にすっぽり覆われ、所々に学部棟の壁がかろうじて顔を出していた。70・


71頁・この季節は、北海道内の移動は自家用車では非常に困難になる。札幌市内のメンバーはむしろ少なく、ニセコ町を始め、苫小牧市、白老町、小樽市、江別市、遠くは道東の釧路市からも、限られた便数のJR列車などで、十五人の有志たちが土曜日の人気のないキャンバスに集まってきた。

「やあ、どうも」。片山は、労をねぎらうように参集したメンバーの一人ひとりに声をかけていた。「お役に立てるかどうか」と照れくさそうに答えたり、「本当に自治基本条例の制定を目指しているんですね」と、あらためて確かめようとするメンバーもいた。

この日は、やむなく所用で木佐が欠席したため、片山が進行を担当することになった。まず、片山自身が、自治基本条例の制定を目指す理由を丁寧に説明し始めた。

「ニセコ町では、逢坂町長の誕生後、公平で分かりやすい町民本意の町政を目指し、町民と行政との情報の共有、行政の透明性の確保、住民主体の行政の実現を目標に活動をしてきました。さまざまな実践がなされ、町民の町政への参加も徐々に広がってきたと感じられるようになりましたが、これは町長のリーダーシップによるところが大きいものです。しかし、リーダーシップだけに依拠するやり方では、町長が変われば住民参加が重視されなくなる可能性があります。そこで、今まで取り組んできたやり方を制度として確立したいと考えるようになりました」。

・こうした片山らの意向を受けてニセコ町の広報広聴検討会議の座長をしている木佐が自治基本条例の検討を勧めた。そして、その専門的サポートを使命とするプロジェクトチームとして「自治プロ」を立ち上げることになった。71・


72頁・17/1/10 910分・・こうした経過が、片山の話から明らかになっていった。

「自分たちの研究が、実在の自治体の、具体的な制度として結実するかもしれない」。集まった有志たちの間に、そうした静かな興奮が広がっていった。

72・



・マイノリティ・・


15人はすでに研究会の顔見知りで、いまさら自己紹介でもなく、代わりにプロジェクト参加の動機を順に披露していくことになった。

有志たちは、このプロジェクトがニセコ町から公式に委託を受けたものでもなければ、用意された研究費があるわけでもなく、会議出席の交通費はもちろんすべて手弁当で参加することを事前に了解していた。なぜ、こんな負担の大きな「ボランティア」の誘いに乗ることにしたのか、自治体法務を研究する同士として何となく察しがつくものの、互いにどんな言葉が飛び出すか興味深かった。

・「地方分権改革は、自治体に政策形成能力、自治体に政策形成能力、自治体の法令解釈能力を求めるようになると言われ続けてきた。しかし、改革の終盤にいたっても法務能力のレベルアップを図ろうとしたり、政策課題解決へ向けた法的システムの構築をしようという動きは私の回りでは生じなかった」。

「自治体の法務事務が未だに法制執務しか扱わない中にあって、総合型の条例の立案を経験できるチャンスはこれが最初で最後かもしれないと思った」。72・


73頁・「ニセコ町職員の、あのやる気はどこから来るのだろうか。特に自治基本条例だからと言うわけではなかったが、ニセコ町でやろうとすることを退官することによって、進んだ自治と言うものを考えてみたい」。

・思いを吐露し合ううちに、徐々に、共通項もあぶり出されてきた。その一つは、さまざまな職務に携わる自治体職員のなかでも、意欲のある法制専門担当者が感じる、いわば「マイノリティの孤独」とでも言うべきものだった。

地方分権改革の気運とあいまって自治体職員の研修意欲は道内でも高まっていたが、その関心対象とは専ら政策形成に関連する研修だった。法令の自主解釈権が拡大するに伴い、政策法務、自治体法務が重要になるとささやかれているにも拘わらず、実際の自治体内では、法制部門のリニューアルや強化が明らかに遅れを取っていた。法制部門は、依然、条例や規則を立案する際の用語選択や条文構成のテクニックを中心とする「法制執務」から抜け出せず、議案提出前に行われる「例規審査」の一時を除いて、相変わらず日の目を見ない場所に置かれているように見えた。

・そのことは、自治体の仕事について法的意味を持って捉え、政策実現のために法システムを積極的に設計・活用すべき、と考える職員が自治体内では「マイノリティ」だと言うことを意味していた。

法制の専門的研究を続けてきた有志たちには、多少の差こそあれ、こうした見かけと掛け声だけが専攻する地方分権改革の流れの中で取り残されたかのような思いがあった。「自治基本条例の実践的研究」は、そうした忸怩たる思いを解消し、持てる専門性をもろくにぶつけられる課題として魅力的だった。73・


74頁・17/1/20 516

・地方自治の重要性が意識される戦後の何回かの節目で、その登場が期待されたが実現できずに来た幻の条例。それが「自治体の憲法」とも呼ばれる自治基本条例であり、それを求めているのが、すでに「情報共有の町」として先覚性が注目を浴びつつあるニセコ町である。

初会合が終わる頃、マイノリティたちの気持ちはもう「自治のフィールド=ニセコ」に飛んでいた。2017年1月20日 8:11:22


・・先行例に戸惑う・・

ここまで






わたしたちのまちの憲法―ニセコ町の挑戦 単行本–20033月・木佐 茂男 (編集), 逢坂 誠二 (編集) 人口4600人。北海道の小さな町が全国で初めて自治基本条例を制定した。連携と交流に支えられ、住民自治への歩みは続く。 人口4600人。北海道の小さな町が全国で初めて自治基本条例を制定した。連携と交流に支えられ、住民自治への歩みは続く。全国初の自治基本条例が制定されるまでのドキュメントと、詳細な条例分析の二本立て。

展望・215頁・平成2912日 月曜日・


最高規範性を担保するために・


ニセコ条例第43条は、自治基本条例についての一種の最高規範性を表している。最近では、より直接的に最高性を規定してもよいのでは、と言う学説や実践例も出つつある。ストレートな最高性の表現も魅力的である。また、その改正手続きにおいて一般の条例改正の要件に加重した手続き(住民投票や議会における特別多数決)を加えることについても、検討してよかろう。

この際、ニセコ条例第45条、羽咋市条例第22条のような定期的な見直し規定は、最高性に矛盾して置くべきではないという見解がある。ただ、これは日本国憲法だけを念頭に置いている。例えばドイツの憲法である基本法は、2,000年7月23日の最終改正で約50回の改正(49次改正は2,001年11月26日)を経ている。ほぼ毎年改正していることになるが、考えてみれば、現実に即した法であろうとするならば、常に見直しが行われるのは当然である。そうしなければ、現代版「プロクルステスのベットになってしまう。

変更をするほうが、生理現象なのである。ニセコでは育てる条例」と言っているし、倉石村ではこの条例を「つくり育てる」と条文で明記している。

・実効性を確保するために・

戦略的な戸別改革の積み重ねを経た「着実な準備過程」がある場合には、条例自体が直ちに使える道具として機能を発揮する。一方、改革の遅れている自治体においては「激震」手法として、戸別改革を進めるため誘導的に自治基本条例を制定する場合が考えられる。215・


216頁・このケースでは制度運用の定着に時間を要する。

自治基本条例の実行後・実効「ジッコウ」度をチェックする究極の機能は、どのように設計すべきであろうか。もともと、自治体政治の全般に羅針盤を与え、チェックするために設けられたのが自治基本条例であるが、それが機能していない事態が発生した場合の矯正機能・矯正機構が、条例上用意されるべきであろうか。まさしく屋上屋を重ねることになるため、自治基本条例の矯正のための審議・審査機関などは置くべきではなかろう(議会で特別委員会を置くことは別)。ただ、住民や職員の個々の権利侵害に対する手当は十分に行われなければならない。

また、自治基本条例が単なる自治体行政機関当局のアクセサリーと化すことの内容にするためには、自治基本条例の元での条例、規則等の体系化が必要である。こうした下位規範の整備を定期的に行っていくよう、住民が監視できる仕組みが求められている。

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・制定手続きのあり方・

条例の実効性は、その最初の制定過程・制定手続きのあり方にも大いに関わってくる。

自治基本条例の制定手続きについて、特に決まった形式があるわけではない。手続き的に住民投票に付すべきといった主張も側聞するが、自治基本条例を巡る立法事実は、自治体の種類や規模、地域特性、既存の法務体制等によって多種多様であり、当該住民投票に要する経費とあいまって、画一的に決すべきものでもない。216・


217頁・たとえば、議会を自主解散し(地方公共団体の議会の解散に関する特例法参照)、憲法制定議会的な自治体議会を新に組織することも、あってよい。

ニセコ条例以後、全国各地で検討が進むにつれ、条例制定手続きにいくつかのタイプがあらわれている。審議会型(公募委員の有無、割合によって違いがある)、市民委員型、職員研修型、議員立法型に分けられるのがその例である。

先行する自治基本条例の内容は各地でまちまちであるが、総じて、立案を執行機関当局が主導する条例(審議会等に行政当局が提出した「たたき台」が大きく変わらないものを含む)は執行機関等の事故拘束度が低く内容が乏しいのに対し、住民が立案の主導権を取るところではないよう豊かな条文になる傾向があるように見受けられる。

その点で、立案のための公募中心の住民組織(市民委員会等)を設け、首長と協定を集結して条文案を提出するスタイル(多摩市など)は、中小規模の自治体では有効な手法と思われる。条例制定手続きのベンチマーキング先となろう。

ただ、こうした自治体の最高規範、いわば憲法の制定に当たっては、より広範な議論が望まれる。行政当局が関わる組織の案しか提示されないというのではなく、専門家や特定グループ、小中・高等学校における授業などで、多数の民間草案が出されることが、結果として議会における条例審議や議決する条例案の成案化を実りあるものにする。首長の選挙公約事項の年次計画的な消化といったスタイルでの条例制定は、自治基本条例の最高規範性の立法事実を欠く。

その点で、自治基本条例制定に向けて音頭を取る者、特にそれが首長ないし自治体当局であるときは、まず制定手続きについて広範な合意を得る必要がある。217・


218頁・17/1/2 923分・制定目標時期は設けるべきだが、その時期が優先されるものではない。自治基本条例の制定に先行して、「自治基本条例の制定手続きを定める条例」を別に定めることさえ検討してもよい。218・


2017年1月2日 11:07:39




・・地方自治の基本制度改革・


2,000年の第一次分権改革に伴う新しい地方自治の法構造は、先進国のどこにも例を見ない新しい道に進むものとなった。その一つが「完全標準自治体主義」とか「フル規格主義」と呼ばれるものである。自治体の規模を問わず、全ての事務を原則として処理するという自治体像に基づき地方自治制度を作るのである。この考え方は、第一次分権改革で突然あらわれたのではなく、もともと十分な理論的な詰めのないまま自治体を「統治団体」と行ってきたことに由来する、国における地方自治制度観がより鮮明になったものと言える。ただ、第一次分権改革は、この「完全標準自治体主義」を前提にして行われた。

確かに「完全標準自治体主義」は、補完性の原理と調和しうる考え方である。ただ、補完性の原理から直ちに、身の丈に合わない規模の事務事業まで行え、と言うことにはならない。

ところが、我が国の場合、国レベルで統一的に行われないことは、大小の区別なく組織機構を強要させた自治体が、自前で全て行われなければならない。個人情報保護条例、情報公開条例、行政手続き条例を、小さな自治体が自前で用意しなければならないという国は、おそらく、我が国のみである。218・


219頁・17/1/3 45分・

第一次分権改革において「完全標準自治体主義」を採用したことには、その検討過程で「事務の受け皿論」を回避するために、やむを得なかった面がある。

だがその結果、自治体は、先に上げたような条例の制定や、法令による事務処理の義務づけに、対応しなければならなくなった。そのため、能力的・人的に合併をして、自治体サイズを大きくせざるを得ない法構造になっている。

第一次分権改革以後も加速化されつつある政府による市町村合併への半強制的誘導は、こうした「完全標準自治体主義」を取ることと表裏の関係にある。

地方分権推進委員会から地方分権推進委員会が描いた第二次分権改革は税財源の拡充であったが、地方分権改革推進会議の中間報告(2,002年6月)以降は「ベースキャンプからの下山」とでも言うべきものになってしまった。政府当局は、合併しなかった小規模自治体の実質的な解体をも企図するようになった。

例えば、2,001年6月に定めた政府の「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」(いわゆる第一次骨太方針)は、大都市への仕事と責任の付与を、また小規模町村の仕事と責任の都道府県への吸い上げ検討を明記する(「権限」の付与ではないことに注意を要する)。なお、第一次骨太方針には、「地方分権」という言葉は、一語も出てこない。

こうした政府の構想を受けて、第27次地方制度調査会では、今後の基礎的自治体の抜本的な見直しの検討に入った。地方分権推進委員会委員長であり地方制度調査会委員である西尾勝氏が地方制度調査会の専門委員に2,002年11月に提出した私案は、事実上、制度としての「町村」の解体を図るものとなっている。219・


220頁・また、合併ができない自治体を、都道府県レベルの付属的な単なる「行政体」と考える政府サイドの見解が公式文書に見え隠れしだしている。

地方独立行政法人制度の創設や、民営化などとあいまって、自治体の「非自治退化」が進行していると言わざるを得ない。これは、地方自治の充実を求める日本国憲法の思想に反していよう。

自治基本条例は、こうした政府の小規模自治体の行政能力剥奪攻撃に対する、自治体側が自治能力を実証する為の反証としての役割を果たす。220・

平成2913日・


・市町村合併と自治基本条例・

市町村合併後に小規模の優れた条例や先進施設を以下に残していくか、その理論と手法開発が瀬戸際に立たされている。たいていの広域合併の場合、吸収する側の大規模自治体のルールや慣行がほとんど議論もないまま被吸収自治体に適用されることにあるからである。詳論は避けるが、どの事態のドンルールが優れているかの判断基準も含めて、深刻な状況に置かれていることを合併関係者は考えなくてはならない。

最近の合併論議において、政府関係者が強調するのは、80年代以降、地方自治が重視されていなかったり、機械的な合併が行われてきたイギリスやスウェーデンである。ところが、大陸ヨーロッパには極めて多数の小規模自治体が存在する。とりわけドイツではコンピューターやインターネットが普及し、いわゆる電子政府が可能になるに伴い、広域合併を回避できるようになった。220・

221頁・我が国の場合には、全く逆転して、電子自治体かを契機として合併を促進しようとしている。本末転倒と思われるが、それ故に、本格的に電子政府自治体(電子政府)が現実の物となった暁には、再度、自治体の分離分割を視野に入れた合併論議が求められているように思われる。自治基本条例にも、そうした観点かが背後にあってよいであろう。221・

平成2913


・国際的な視野から自治基本条例を見る・

それでは、諸外国からの自治体(地方政治)においては、自治基本条例のような、地域政府の憲法的な規範を制定しているのだろうか。アメリカ、ドイツ、イギリスについて少し見ていこう。

もともと川崎市や逗子市は、その都市憲章条例をアメリカのホームルール・チャーター(都市憲章)制度を参考にして構想した。だが、そのホームルール・チャーターは、州憲法の授権などの手続きを経て制定されるものであり、一律には言えないが、多くのチャーターは非常に詳しい。自治体の正式名称、紋章、区画、地方政府の形態、機関・組織の権限と仕事、職員の人事・給与、選挙や直接参加、基本となる行政手続きなどを含む。日本では地方自治法が定めている内容まで、日本のように、フル装備の自治を行うようなことは、法律上強制されない。組織・制度の作り方にも自由度がある。

他方、ヨーロッパでは、今でも自治体を、一種の行政体と見る歴史的伝統がある。221・


222頁・これは、市民革命が必ずしも理想的な形で成功しなかったことに由来すると思われる。概してヨーロッパでは、小規模自治体が多く、また、議会のあり方も多様で、先に挙げた日本の要に各種の条例の制定を事実上、強要されることもない。

・例えばドイツの自治体には基本条例とでも訳すべきがあり、これまでは、ほとんど自治体の紋章など象徴的事項や基本組織について簡素に定めているだけであった。

しかし、最近になって、特に2,000年前後以降に改正され手いるドイツの基本条例では、住民参画規定や都市内分離、狭域自治の制度、男女共同参画オンブズマンなどについての規定が増加している。このモデルを州の自治体連合組織が提供しているケースもある。これは、我が国の自治基本条例制度制定の動きと、ある程度、軌を一にするような動向と言えるかもしれない。すなわち、我が国の今の動向は、本物の自治体への成熟過程を示す。

なお、保守党政権下のイギリスでは、1,991年に、公共サービスの基準としてシティズンズ・チャーターを定めた。これは、国を含む公共機関がサービスの苦情手続に関する原則などを設定氏、業績を測定・公表する仕組みであり、自治基本条例の系統に属するものではない。222・


17/1/3 822分・


・これからの期待と展望・

住民自治の制度的担保措置としての自治基本条例は今後とも増えていく。すでに情報を十分に公開し、情報共有を進めていたところでは、制定も用意であるし、運用もスムーズに行くであろう。222・


223頁・17/1/3 834分・

しかし、官僚制がはびこった自治体での制定は容易ではないし、形ばかりのものがスンナリとできてしまうだろう。参画・関与する住民の感覚が試されている。

確かに、やっと地方自治の主体としてこの種の条例制定を検討できる要になった自治体が生じつつある現段階では、自治基本条例の内容と制定手続きは、全国各地で様々なものになっていくであろう。そうした中で、優れた制定過程と内容を有する自治基本条例が、中央政府等からのお仕着せのものでなく、自発的に多くの自治体で参照され、我が国の事実上の標準モデルとなっていくことが、期待される。223頁・


17/1/3 850分・


コラム・まちづくり手法のカネをかけない転換策は?九州大学名誉教授・弁護士 木佐 茂男(第2967号・平成28718日)


NPO法人公共政策研究所発表の全国の施行済み自治基本条例一覧(更新日:平成28年5月12日)によると、本稿執筆時点(2016年6月30日)で市町村の自治基本条例(本コラムではまちづくり基本条例を含めて、 単に基本条例と総称する)は349ある。全市町村数の20%程度だが、今、改めて検討するのは、基本条例の運用状況であり、真に生きていないケースがあるとすればその代替策を模索するためである。

 

基本条例がこのうえなく機能している自治体もある。しかし、他方で、魂を込めて作ったはずなのに、ほぼ完全に無視していると思われる自治体もある。 活気があり基本条例があっても成長が止まる時代であるから、傾向的には自治体経営が不首尾にみえる市町村の多くは未制定である。

 

どの自治体も、まちづくり、地方創生事業、少子高齢化対策、空き家対策と喧しいものの、それらの政策課題を恒常的に自治基本条例に照らして練っているのか。もっとも、 これらの政策課題に向き合うだけの条文が用意されていない基本条例もあろうし、基本条例を作ったときに基本条例を駆使すべき場面を予測しなかった自治体もあろう。

 

基本条例がないものの、最近人口が社会増に転じた、あるいは社会減に歯止めがかかった自治体もある。これらの自治体は、是非、基本条例等の仕組みを設けて勢いが後退するのを避けて欲しい。

 

住民が現実的イメージを浮かべにくいお飾り的な基本条例に過ぎない場合、より実質的な住民の意見・意向の反映方策はないか。住民も自治体内の諸団体幹部もそう暇ではない。 すでに本コラムでドイツやスイスの例を何度も紹介したが(2508号、2693号)、金をほぼかけずに、役場の透明度と職員の「懸命力」を引き出す技を探したい。それは、議員、首長、 常勤や非正規の職員も含めて、氏名、担当の職場・地位、異動した職場歴、笑顔の顔写真、直通電話番号、電子メールIDの役場ネット上での公開である。上記の国では、写真の掲載には若干ばらつきがあるが、 人口が1,000人台であれ、これらデータの公開はかなり徹底している。経歴や顔写真がすでにさまざまな意味での外部評価の制度、いや武器となる。議員や職員は、その生き様が評価され、 データ公開が彼らにとり自分の存在意義の再検討の機会や自己磨きの最適の道具になろう。いささか理解しにくい「協働」で住民(や行政?)を縛るよりも、議員を含む全スタッフの情報公開をすれば、 自ずと、本来すべきことを行うしかない「自治」体になっていくのではなかろうか。

9:38 2017/01/13 


地方自治の〈感覚〉―ソウル市女性職員の一言・九州大学大学院法学研究院教授 木佐 茂男(第2946号・平成28118日)

今、日本では、約70年間にわたって憲法の「地方自治」保障がごく当たり前のことと理解されている。ヨーロッパ地方自治憲章などに比べれば不十分な条項もあるが、 世界を見渡せば実践的に行える余地はいろいろあろう。

 

翻って、韓国。1987年の民主化宣言以来、さまざまな改革が行われてきた。特に司法改革がめざましいが、憲法で地方自治も保障され、1995年に地方自治が復活した。同じ年に、 日本の地方分権推進委員会も活動を始めた。

 

だが、今も、韓国では中央官僚の支配が強く、補助金行政や天下り人事による無責任さなどが目立ち、真の地方分権を確立しないとどうにもならないという自治体側の強い不満がある。こうした事情も背景に、 2015年には同国内各地で地方自治復活20周年を記念する種々の学会やシンポジウムが開催された。この国の自治の課題は少子高齢化、ソウル一極集中など、日本のそれとほぼ同一である。

 

昨年10月にソウル市とソウル新聞社が共催する「地方分権国際フォーラム」が市庁舎内ホールで行われた。ソウル市には市役所に研修で来ているアフリカ始め多彩な地域の参加者もいる。 このためフォーラム全部で日韓英の3か国語同時通訳がなされ、圧巻だった。共催者たる新聞社は、フォーラム10日以上前に、16頁もの広告なしのタブロイド判・地方分権特集号を出していた。 プログラムや実にしゃれたデザインの4つ折りリーフレットなどもイラスト入りで素晴らしく、意欲を感じた。

 

今回のテーマ設定は、地方分権自体が目的にもみえるものであったため、筆者は、地方分権には真の地方自治実現や豊かな生活を育むための手段的要素があり、「何でも分権」で済むわけではない、と語った。 別の日、ソウル市職員と大学教員・学生向けの講演をした際には、長時間の質疑も終わってすぐ壇上に駆け寄ってきた同市職員の女性が2人いた。管理職でも新入職員でもない。ただ、講演と質疑を聴いて、 お礼を言いたかったのだという。日韓の間には、種々の懸案があるから、参加者も少数で、日本からのゲストに冷たい視線でも投げかけられるかと思っていたため、想定外のことであった。

 

草の根の交流とまではいかなかったが、敢えて引き受けたフォーラムや講演から、変化の胎動が聞こえたようで嬉しかった。決して両国間に対立感情だけがあるのではない。芽をどう育てたらいいのか

http://www.zck.or.jp/column/kisa/2946.htm

9:42 2017/01/13


 多忙すぎる首長たち九州大学大学院法学研究院教授 木佐 茂男(第2925号・平成2776日)


この30年くらいおつきあいをしている自治体職員の方々で市町村の首長、副首長になられる方が増えた。研究仲間、勉強仲間の一人として率直に嬉しい。ただ、この方々の日常から知りうる範囲では、 わが国の自治体幹部はほぼ一様にあまりにも多忙で、それは異常な水準にある。スケジュールが秘書課(庶務係)で決められ、自分では何も行事を入れることのできない首長も多い。 ときにトイレに行く時間さえないという。筆者に電話をかけることができるのは都内出張時の移動の際の隙間時間帯のみ、という方さえいる。この政治家の忙しさは、何に由来するのであろうか。

 

かつて1994年に、ある若い首長が誕生したとき、筆者は深夜の当選祝賀会場のお寺でマイクを握った。「支持者の皆さんは、この新しい首長が積極的に勉強されるための時間の確保に協力していただきたい」と。 しかし、公務・政務と地域の諸事情は、新首長にゆったりとした学習の時間を与えることができなかった。

 

ドイツで会った幾多の首長たちは、長期休暇も取り、土日にまで公務や半公務的行事でスケジュールが埋まっているようなことはなかった。もとより彼らにも危機管理のための執務体制はある。 外国で長期休暇を取っているとき大事件でも起きればすぐ帰国するが、普通は職務代理制度で対応している。つまり第一市長と第二市長は同時に長期休暇を取らない。

 

これに対して日本の現状はひどすぎる。一つには、首長が再選のため常に有権者、支持団体に顔を見せておかなければならない。公務は自分が実質的に接していない組織、団体の充て職が多すぎる。冠婚葬祭、 各種業界団体の会合、各地・各業界の後援会など、票田の「田の草取り」も半端でない。

 

形だけの会合、首長を呼んでこないと恥をかく行事責任者たち、首長が来れば格が上がると考える諸団体、その根底には、有権者の政治意識度の違い。結局は、 一人ひとりの大人が政治的能力を身につけることを阻止してきた長期の政治の影響が、首長らを多忙にし、首長自身の健康、プライベートな生活、例えば家族だけでする地元での食事の機会さえ奪う。

 

有権者、様々な組織、団体は、思考したい首長や副首長が十分に思索できる時間や環境を確保できるよう支えなければ、先の展望はないと考えるべきではないか。

http://www.zck.or.jp/column/kisa/2925.htm

9:47 2017/01/13




ここまで