世界は変わっている。公務員も変わらなければならない倉田哲郎(箕面市長)71頁・.pdf へのリンク2024年1月13日 7:46:40


なぜ、彼らは「お役所仕事」を変えられたのか? 単行本 2019/8/8

加藤 年紀  ()公務員には、世の中を変える力がある。

今、最も公務員に読まれるウェブサイト「Heroes of Local Government(HOLG.jp)」編集長が伝える、自治のトップランナーたちの仕事の流儀!

「出る杭は打たれる」と言われる公務員の世界にありながら、業務分野の地味・派手を問わず、自らの信念を貫き、役所の中で成果を上げてきた公務員たちがいる。

苦難にぶつかりながらも、「常識・前例・慣習」を乗り越えた10人の実践を通じて、公務員が行動・挑戦し、組織の中でやりたいことを実現するヒントを伝える。


「役所は『出る杭は打たれる』世界。頑張るほど、悪目立ちしてしまう。そう思うと、勇気が出ない」 

「地域の役に立ちたいと思って公務員になったのに、やりたい仕事ができず、達成感を感じられない」 

「実績をつくろうとしても、チャンスをもらえない。自己保身ばかりの上司をどう動かせばいいいか…」

「最近、くすぶっている自分がいる。このままではまずい、とわかってはいるけど…」

――そんな想い・悩みを抱える、すべての公務員に「一歩踏み出す勇気」を贈る一冊!

はじめに・・公務員には、世の中を変える力がある・6頁・


【目次】

はじめに――公務員には、世の中を変える力がある・19頁・

1章 公務員だから活躍できる・19頁・


01 公務員という後ろ盾があるから、挑戦できる・山田崇(塩尻市)/ シティプロモーション・20頁・
なぜ、彼らは「お役所仕事」を変えられたのか? 加藤 年紀 ()公務員には、世の中を変える力がある。
1章 公務員だから活躍できる・20頁・12/7/2023 1:19:25 PM


○大企業と研修プログラムを開発し、関係人口を増やす・21頁・

○住民・企業ニーズに向き合い、その架け橋となる・25頁・

○一番腹が立ったのは市役所の職員・27頁・


○「地域で挑戦する若者」を応援する大人を増やせ・29頁・

○役所はちょっと頑張れば、すぐに頭が出る・32頁・

○自分自身が公共のような存在でありたい・33頁・


02 使命感を持って、好きなことをやる――井上純子(北九州市)/ 観光・36頁・

○限られた予算で効果を最大化―会議でコスプレ企画が決定・37頁・

○「公務員」×「個性」――ギャップを活かして尖らせる・39頁・

○いきなり、NHKの全国放送「ニュースチェック11」に登場・40頁・

○メディアのニーズを汲み、WIN-WINの関係をつくる・41頁・

○逃げるように帰った、孤独な職員表彰・43頁・

○子育てが終わったときに、何も残らない人生にはしたくない・45頁・

○バナナ姫の復活――YAHOO! のトップページに掲載47頁・

○税金を使わず活動――支援金額は50万円超・48頁・

○バナナ姫は公務員だから応援してもらえた49頁・


2章 どんな仕事も改善できる・53頁・


滞納債権整理回収室において、2007年から2016の実績比較で、市全体の差押え件数を約3,4倍増加、約35,8億円の市税滞納繰越金を約12,6億円にまで圧縮させることに貢献。2023年12月5日 9:01:14

03 目の前の仕事に誇りを、目の前の仕事に全力を―岡元譲史(寝屋川市)/ 徴収・54頁・

○滞納繰越額を20億円以上圧縮――職員の意識も変化・55頁・

○税金で食っているからこそ、市民全体のために仕事をする56頁・

○払わない人が得するなんて不公平――お願い徴収からの変革・58頁・

○同僚と良好な関係を築き、周囲のサポートを得る・60頁・

○気迫を込めてマニュアルを作成――他自治体にノウハウを共有・61頁・

○本業で成果をあげ、異なる課題に手をつける・63頁・

○「お前の顔に火つけたるわ」――恐怖に心折れないために・65頁・

○徴収職員は悪魔ではない――徴収の仕事に誇りを・68頁・

COLUMN1】世界は変わっている。公務員も変わらなければならない/倉田哲郎(箕面市長)71頁・


04 学びと実践の先に、突破口は必ずある・鈴木浩之(神奈川県)/ 児童虐待・72頁・

○根本的な課題を捉え、本質的な解決策を問い続ける・73頁・
・根本的な課題を捉え、本質的な解決策を問い続ける・2023年12月7日 8:16:40

○家族に寄り添うことを可能とする、海外手法の導入・76頁・

○取組みの成果を可視化し、分析を繰り返す・79頁・

○新たな取組みを進めるには、過去を否定しない・81頁・

○忘れられない一言「お前が担当する子どもは不幸だ」・82頁・

○怒鳴られることも必要なプロセス・85頁・

3章 冷静と情熱、緻密さと大胆さ・89頁・


05 ボトムアップで組織を動かす・山本享兵(和光市)/ 公会計・90頁・

○自分が役所に転職して、先進事例をつくればいい・91頁・

○目的と手段を混同しない・93頁・

○物事が変わるのは、人の気持ちが変わったときだけ・96頁・

○役所の中で気軽に声をかけられる人を50人つくる98頁・

○「生情報の収集」「持続力」「プログラミング思考」・100頁・

○自治体で働く公認会計士のロールモデルになりたい・102頁・

COLUMN2】挑戦する公務員が「当たり前」にならなければならない/小紫雅史(生駒市長)105頁・


06 不都合な真実を伝える覚悟を持つ・菊池明敏(岩手中部水道企業団)/ 水道・106頁・ 

○会議設計のこだわりが、突破口を開く・107頁・

○緻密なシミュレーションを根拠に、粘り強く提案・110頁・

○先頭から見える景色は、二番手には見えない・111頁・

○自分を超える若い奴らが出てくると面白い・113頁・

○「水道事業体の9割は黒字」はフェイク・115頁・

○修羅場で触れた「水道人」の矜持・117頁・

4章 官と民の視点を操る121頁・


07 市民をまちの当事者に変える・大垣弥生(生駒市)/ 広報・市民協働・122頁・

○「民間経験者のお手並拝見」という空気123頁・

○小さな改善の積み重ねで、信頼を獲得する・126頁・

○信頼があるからチャレンジできる・129頁・

○「誰かに寄りかかっていればいい」というマインドを叩き直す・131頁・

○まちを好きになり、まちに関わってもらうスイッチを押す・134頁・

○常に新たな市民を仲間にする・137頁・

○毎年、新しい取組みにチャレンジする・138頁・

COLUMN3】公務員戦国時代の到来/東修平(四條畷市長)141頁・


08・予算ゼロだからこそ、始められることがある・黒瀬啓介(平戸市)/ ふるさと納税・142頁・

○予算がゼロでもやれるところからやる・143頁・

○事業者と対等な関係で協働する・145頁・

○カラープリンターを使ってカタログを手づくり・146頁・

○寄附者ファーストの追求――どこの自治体でもやらないことをやる・147頁・

○ふるさと納税で儲けようという事業者は参加しないでほしい・149頁・

○ふるさと納税は、生産者の人生を背負う・151頁・

○民間企業への出向を市長に直談判154頁・

○出向で感じた自治体のゴール設定の甘さ・155頁・

○とことん真剣に公務員をやろうぜ・157頁・


5章 公務員・行政の可能性を信じる・161頁・


09 小さな成功体験が未来を拓く第一歩・酒井直人(中野区)/ 業務改善・162頁・

○小さな成功体験が大きく未来を変えた・163頁・
・「議員の給与システム、例規検索システム、文書管理システム、財務会計システム、そして、広報のホームページ作成システム、地図情報システムなど、今、区役所で一般職員が使う者の8割ぐらいに携わりました。システム屋さんのような感じですね(笑)」
2023年12月5日 13:31:40

○システム導入と同時に規程を改定・165頁・

○「変えられるもの」と「なくせるもの」を精査する・167頁・

○組織全体に改善の風土を根づかせる・170頁・

○公務員は不作為病にかかっている・172頁・

○役所は職員のモチベーションまで考えなければならない・174頁・

○目の前の仕事を徹底することは、回り道ではない・176頁・

COLUMN4】公務員にしか救えない人がいる/熊谷俊人(千葉市長)179頁・


10 公務員の志が、世の中を変える・脇雅昭(総務省・神奈川県)/ モチベーション・180頁・ 

○自治体職員への恩返しとして「よんなな会」を開催した・181頁・

○熱量が仲間をつくる・183頁・

○忙殺されている公務員が志を高めることのできる場・186頁・

○安定と言われる公務員だからこそチャレンジする・189頁・

○公務員がカッコイイと思われる世の中をつくりたい・192頁・

6章 常識・前例・慣習を打破して、公務員像をアップデートせよ!195頁・


○公務員による公務員バッシングという不思議・196頁・

○人事制度は語る――公務員は今も昔も「駒」である・198頁・

○「常識」を疑え―非常識な取組みに耐え得る「信頼残高」を獲得せよ・200頁・

○「前例」を使い倒せ――未来は前例から見通せる・203頁・

○「慣習」に眠る改善の余地――業務の本質を突き詰めろ・205頁・

○役所のイノベーションを阻む最強の殺し文句「標準化」・206頁・

○やりたいことを実現する方法は、2つしかない・208頁・

○自己承認欲求という落とし穴・211頁・

○あなたが変えられるものは何ですか・212頁・

○公務員の仕事に誇りを持ち、公務員像をアップデートする・213頁・

○公務員は、「世の中」を変えることができる・214頁・


おわりに――公務員の「可能性」を信じて216頁・

2022/09/09 15:16

12/5/2023 7:38:10 AM


公務員には、世の中を変える力がある。組織の壁を越えたトップランナー10人の姿を描く!

著者について

株式会社ホルグ代表取締役社長。2007年、株式会社ネクスト(現・株式会社LIFULL)入社。2012年、同社インドネシア子会社「PT.LIFULL MEDIA INDONESIA」の最高執行責任者(COO)/取締役として日本から一人で出向。

子会社の立ち上げを行い、以降4年半の間ジャカルタに駐在。同社在籍中の20167月に、地方自治体を応援するウェブメディア「Heroes of Local Government(HOLG.jp)」を個人としてリリース。 

20169月に同社退社後、同年11月に株式会社ホルグを設立。各地で奮闘する公務員に取材、インタビュー記事を掲載するほか、2017年から「地方公務員が本当にすごい! と思う地方公務員アワード」を主催。

2019年からは「地方公務員オンラインサロン」を運営。forbesjapan.comオフィシャル・コラムニストとして「地方公務員イノベーター列伝」を連載。

地方公務員オンラインサロン by HOLG CAMPFIREコミュニティ (camp-fire.jp)


https://youtu.be/7-LOQtGF2wg

https://youtu.be/m4kuQlq6tEk

https://youtu.be/D7VO2SEVewM

 

2022/09/09 15:25



なぜ、彼らは「お役所仕事」を変えられたのか? 加藤 年紀 ()公務員には、世の中を変える力がある。
1章 公務員だから活躍できる・20頁・12/7/2023 1:19:25 PM


・公務員という後ろ盾があるから、挑戦できる・

・山田宗(塩虎市)やまだ・たかし

1975年生まれ。塩尻市企画政策部地方創生推進係長(シティプロモーション担当)。地域の課題に当事者として取り組むべく、空き家を活用したプロジェクト「nomode]20124月よりりスタートし、「地域に飛び出す公務員アウォード2013」大賞を受賞。TEDsakuでのトーク「元ナンパ師の市職員が挑戦する、すごく真面目でナンパな「地域活性化」の取り組み」が話題に。2016年から首都圏のプロ人材の官民連携プロジェクト「MICHIHARA」をスタートし、グッドデザイン賞2016受賞。

・同年、ソフトバンク地方創生インターンシップ「TURE-TECH]を実施するほか、2017年にはリクルートホールディングスと塩尻市の包括連携協定などに携わる。内閣府地域活性化伝道師、「信州移住計画」ファウンダー。著書に「日本一おかしな公務員」日本経済新聞出版社。

21頁・


2018年に年間231回の講演、元ナンパ師公務員と呼ばれ、多くのメディアでその姿を目にするのが、塩尻市の山田だ。元ナンパ師公務員と呼ばれるゆえんは、大学時代に繰り返したナンパにある。その経験が功を奏したかは不明だが、山田は自らを実験台と称し、公私を問わずに実践と検証を絶え間なく繰り返す。

・これは時代の趨勢だろうが、今、個人と組織の活動を隔てる境界線が薄れつつある。2つの世界を行き来することが、個人と組織、双方の活動に相乗効果をもたらすようになったが、山田の事例はその先駆けといえる。

・大企業と研修プログラムを開発し、関係人口を増やす

・山田は20184月に、地方創生推進課、シティプロモーション係の係長を努めることとなった。部署の前身は、20154月生まれた、企画課のシティプロモーション係だ。当時、担当課長と山田の2人で始まったこの部署は、20193月時点には、正規職員七名、地域おこし協力隊員6名の計3名体制へと成長した。

・「2015年に塩尻市は第5次総合計画というものを策定したんですよ。9年間の長期戦略とシティプロモーション戦略、それと、3年間の中期戦略をスタートさせました。私たちの役割は住民とのコンタクトポイントを作り、その戦略、施策を広く伝えること。

22頁・12/7/2023 1:12:40 PM


・それと並行して、次の戦略と施策をつくるために住民の声を集めることなんです」

・そこには、塩尻市の強いこだわりがあった。

・「大手のコンサルにお願いをして、金太郎師みたいな総合計画をつくったわけではありません。2年かけて、塩尻のありたい姿を市民や専門家、そして職員ら交えて考え、[30年後も選ばれる地域」をめざす職場をつくりました」

・シティプロモーション傾のもう1つの役割は、自らがプロトタイプとして、攻めの姿勢 を取り続けることだった。そのため、今までに例のない事業を次々に展開していく。

・「塩尻市では、民間企業の社員も塩尻市の職員が一緒になって、塩尻市の課題解決案を MICHIKARA (ミチカラ)』という取組みを行っています。2015 今年度で5回目となりました」

・塩尻という地で行われる23日のこの合宿は、企業からすると研修という扱いになる。 2015年の初開催では、リクルートグループ、そして、ソフトバンクグループとスタートを切った。翌2016年は日本たばこ産業が参画。2017年にはオリエンタルランドと日本郵便株式会社、さらに2018年にはANAホールディングスがその輪に加わった。

23頁・


・これらの企業の研修参加者数は累計で100名を超える。

・「総合計画の策定時点では、住民や企業とともに解決すべき課題に、踏み込めなかった部分もあります。そこで、このプログラムでは、塩尻市が具体的な課題を設定し、民間企業の社員と協働 による解決をめざします」

・第一回の「MICHIKARA」で設定された課題は次のものだ。

1、新体育館の活用戦略と民間投資活用の可能性

2,地産地消型木質ペレットによる熱供給事業の展開戰略

3、ネットワーク・テレワークインフラ等のICT基盤活用戰略

4・空き家対策戦略

5・子育て女性の復職,両立支援戰略

・多くの企業が参画するのには理由がある。

・「研修プラグラムの最後に、課題解決策を市長に直接プレゼンできるんです。もしそこで認められれば、行政経営システムに基づき、来年度の予算案に反映できる仕組みとなっています」

24頁・12/7/2023 1:59:32 PM


・実際に過去9つの案件に予算がつき、すでにプロジェクトとして動き出しでいる事例も存在する。

・一方、市にとって、協同や課題解決とは異なる前からも大きなメリットがある。

・「職員にもって、民間企業の社員と一緒に考える会は貴重で刺激的なんです。人材育成やモチベーションのアップにも、目に見えてつながっています」

・そして、山田の実践と検証は次のフェーズへと続く。2016年には「MICHIKA EA」の学生インターンシップ版をスタートさせた。

・「リクルートマーケティングパートナーズと「WILL × 地域創生」、ソフトバンクとは「TURE TECH (フレテクごというプロジェクトを実施しました。企業からは、今まで自社に関心がなかった学生に、地方創生という文脈でアプローチができたと高評個をもらうことができました」

・こうした官民協働の現場では、組織文化の違いによって、意思疎通がままならないこと もある。それを防ぐため、山田には強くこだわるポイントがあった。

25頁・


・「我々が大切にしているのは仕様書づくりです。まず、「向き合うべきテーマ」「テーマの背景」「我々のビジョン」「過去にトライしたことの進捗やその結果」を示し、その上で解決してほしい課題を明確に提示しています」

・地域の課題を公開すると、過去の責任を指摘されるようなリスクもある。しかし、山田は臆せず課題をかみ砕いて伝え、民間企業との溝を埋めていった。

・住民・企業ニーズに向き合い、その架け橋となる

・少子高齢化によって財政的な線画が見され、多くの自治体では行政サービスの低下が懸念されている。そのため昨今では、行政、企業、住民の三者が有益となる官民連携によって、サービスの向上をめざす自治体も増えてきた。今後、企業や住民との架け橋を担うことができる公務員は、さらに重宝されるようになるだろう。

・「塩尻市役所には561人の職員がいますが、市長には「山田みたいなのは一人でいい」と言われています()。実際、ちゃんと業務をしてくれている多くの職員が、塩尻市にはいます。だから、最初に行動して、最初に血を流すのは私の役割だと思っています」

26頁・12/7/2023 2:14:02 PM

・山田は先体を切って、民間企業と信頼関係を構築してきた。

・「MICHIKARA」で実現したいのは、大手企業であっても挑戦できないことが、塩尻に来ればできる。そういう世界です」

・塩尻市は、市民にとっても発戦可能な機会の創出をめざす。シティプロモーションで陥りがちな補助金による移住者の誘致とは、大きく一線を画していた。

・「他の地域の人口を奪うのは違うと思うんです。日本全体の視点で見れば、減りゆく人口を奪い合う必要はないんですよ。ふちろん、「老後を信州で」っていうプロモーションをする自治体があってもいいと思うんです。でも、塩尻市はそうすべきではないと思っています」

・山田は、人々の本質的なニーズに向き合っていた。

・「これからは、好きなまちで自分らしく暮らすことを求める若者がどんどん増えていく中 と思います。塩尻をその選択肢の1つに入れてもらうため、よりブランド力を磨いていく必要があるんです。もちろん、市の職員自身も磨かれないといけません」

27頁・

・一番腹が立ったのは市役所の職員

・今でこそ、仕事に情熱を傾ける山田だが、もともとは職務に没頭するタイプではなかっ た。スイッチが切り替わる出来事は、10年前にさかのぼる。

・「2009年に市民交流センター「えんぱーく」という、複合公共施設の開設準備室のメンバーになりました。当時、市民団体のリーダーの方々が10人くらい集まった会議で、イベントの呼びかけをしました。そこで、私が大失敗をしたんですね。1時間の会議のうち30分は、みんなの前で立たされながら、怒られ続けたんです。上司が心配して、「お前、今日はもう帰ってもいいぞ」と言うほどでした」

・山田はその体験から目をそらすことなく、自らを見つめ直した。

・「怒られた理由を突き詰めると、今まで一切、市民活動をしたことがなかった事実に行き着いたんです。しかも、会議の参加者の中で、給料をもらいながら関わっていたのは、私だけ。それも税金からです。そんな奴が、「ボランティアで動いてください!」と言ってら、そりゃダメだろうと思いました」

・後に出向した商工会議所でも同様のことを感じた。

28頁・12/7/2023 2:50:47 PM

・塩尻商工会議所の会頭に報酬は支払われていません。一方で、年会費として、会頭は本間70万円、3人の副会頭~35万円、約九〇人の議員は五万円から15万円を払っています。こんなことも知らなかったんですよ!

・実体験から内省を繰り返した山田は、業務時間外に市民活動を始めた。

・「Shio,ji,ig」という 。しおじりで、アートをしよう。アートでつながろう。というプロジェクトを行いました。もう1つが、シャッター商店街の空き家を活用した「nanodaAnode」というプロジェクトです。失われたにぎわいを取り戻すため、さまざまな! ベントをそこで

開催しています。20124月に始めて約7年が経ちますが、その間に行われたイベントは約400回です」

・商店街の空き家を借りるため、取組みに賛同した市職員が、毎月千円ずつ自腹で出し合った。実は(MICHIKARA」や「 TURE-TECH」は、この「nanoda」のつながりから誕生した。

・「自腹を切るからこそ、まちの課題を一市民として感じられるんです。それを市の施策に活かそうと考えるようになりました。市民としての視点を役所に持ち帰り、塩尻に住む約67千人という、市民全体のための仕組みをつくらなければいけないんです」

29頁・

・市民目線で役所を見ると、思うところも出てきた。

・「塩尻商工会議所に出向した3年間の中で、一番腹が立ったのは市の職員でした()

・電話をしてものらりくらりとかわされる。結論を出せない奴は電話に出るな」って、いっも思っていました。でもね、自分も外に出るまでわからなかったんですよ」

・その頃の山田は、まだ公務員の可能性に気づいていなかった。

・「昔はね、公務員のことをバカにしていたというか、超ナメていたんですよ。学生時代のバイトや、大学の研究室よりラクだと思っていました。だって、成果を出さなくていいんですもん。大学では応用化学という領域を研究しましたが、成果が出ないと卒業できませんでしたから」

・「地域で挑戦する若者」を応援する大人を増やせ

・役所の中でやりたいことを実現する際に、最もハードルになり得るのは上司だ。ひるがえって、上司からの理解が得られれば、活動の幅は大きく広がる。

30頁・12/7/2023 3:03:57 PM

・「私が尊敬すると上司の一人に、田中速人さんという方がいます。彼は「えんぱーく」の ときにも、危なっかしい私の望みを活かしてくれました。『1歩踏み出してみろ、2歩踏み出せ、3歩踏み出せ!もし3歩目で、俺が思っている方向と違ったら、肩叩いてやる。責任は全屈俺が取るから。とにかくやってみろ』、そうおっしゃるんです。そんなこと言われたら、やるしかないですよね」

・田中との縁は、このプロジェクトだけで終わらなかった。

2015,5次愛合戦略のシティプロモーションがスタートしたとき、企画政策部長は田中さんでした。彼は退職前の最後の1年でも守りに入らず、「俺に単なる計画だけをつくらせるのか。』「打ち手も出していけ。そういう部署だから」って言ったんです」

・「その言葉があったからこそ、年度末の2月、ギリギリのタイミングで山田は「MICH

IKARA」の実施にこぎ着けつけることができた。

・忘れられない言葉は他にもある。

・「あるとき、こう言われたんです。「山田お前、5年、10年経ったとき、あのときやらかしたな。という酒は一緒に飲める。だけど、『お前は何もやらなかったなと いう酒は飲めんぞ』と」

31頁・

・部下に挑戦を促すことは管理職としてリスクを負うことにもなる。当然、山田への信頼 があってこその言葉だろう。実は、庁外においても、山田には厚い信頼が寄せられていた。 たとえば、商工会議所時代の一幕だ。

・「山田正治会頭は「これから先のことは、若い人たちが挑戦しなきゃいけない。とにかくやれ!』と言ってくださいました。しかも、「成功したら山田くんの手柄、失敗したら私のせいにしなさい。私はもう歳。山田くんの失敗は、全部墓場に持って行ってあげる」と。本当に寛容ですよね」

・山田は自らが先人たちに救われたからこそ、次の世代をサポートしていきたいと言う。 「私も後輩に同じことをしないといけない。そして、地方創生に求められるものの1つが、 「地域で挑戦する若者」を応援する大人を増やすことだと考えています」

・厳しい顔つきから一転して、今度は天真爛漫に口を開く。

・「よく若い職員が「上司のせいで・・・」とか、「今の体制ではできない」とか言うじゃな いですか。でも上司、特に部長・課長は5年もすればいなくなるんですよ。それは、年功序列や終身雇用のデメリットであり、メリットでもあるんです。別の観点で考えると。年功序列だから、自分が管理職になれる。そのときには挑戦ができるんです」

32頁・12/7/2023 3:19:41 PM

・役所はちょっと頑張れば、すぐに頭が出る

・往々にして、公回目は自らの価値を認識していない。山田も同じことを感じていた。

・「公務員への信頼感はもっと活用すべきです。よく、「nanodaは、公務員としての仕事なの」と聞かれるんでてね。もちろん、個人のプロジェクトです。だけど、私は公務員なんですよ。それは、隠せない。むしろ、隠すどころか、しっかりと見えるようにすることが大切です()

・それは。山田の実体験から痛感したことだ。

・「BROJAに「お掃除なのだ」という、商店街の空き家を皆で掃除させてもらうイベントがあるんです。掃除をした後に大家さんと食事したり、コーヒーを飲んだりするんですけど、この「イベントは公務員としての信用があるから実現するんです」

・実は 過去に、nanodaに感銘を受けた若者が、その取組みを真似ようとしたことがある。しかし、大家の許可を得ることができず、実現することはなかった。

・「だって知らない人に「タダで掃除させてください」って言われたら、すごく怪しいそういう意味では、公務員であることが私にとって、すごく大きな後ろ盾だったと思います。公務員だからこそ、地域で挑戦ができるんです」

33頁・

・山田は公務員の価値を、最大限活用している。

・「よく、公務員を辞めないのかと聞かれるんですけど、民間のトップの人やペンチャー企業の経営者の皆さんと話していると、一緒に競いたくないなって思いますよね。市役所って民間に比べて全然ぬるいから、ちょっと頑張ればすぐに頭が出るんです()

・自分自身が公共のような存在でありたい

・最近になって、山田は自らの行動基準を刷新した。

・「私はこれまで迷ったときに選択できなかったんです。でも、これから先は、声の少ないほうを選択することに決めました。今、「山田さん辞めないの?」とたくさん言われているので、それが続く限りは公務員でいようと思っています()

・自身を俯瞰して見ることで、新たな発見もあった。

・「最近参加したイベントで、私は何者なのかと、自分自身と徹底的に向き合ったんです。ワークショップの中で、私を象徴する言葉を見つけるために、150個ほどの単語を書き出しました。その中で、一番しっくりきたのが「月』だったんです」

34頁・12/7/2023 5:59:34 PM

・意外な答えだった。山田が月が太陽のどちらかと問われたら、多くの者が太陽と答えるだろう。

・「月になった理由を考えたら、2つの答えが出てきました。1つは、自分がNが、2に向いているということ。たくさんのプロジェクトを回しているので、イノベーターやパイオニアタイプだと思われることが多いんですが、本当はそうではありません。実は常に誰かがやりたそうなことを進めているだけなんです。次は何をやるのかと期待されるんですが、私自身がやりたいものはあまりない。私をよく知る人には「山ちゃんは、究極の指示待ち人間だね」と言われます。

・もう1つの理由を尋ねると、公務員としての意識が色濃く浮かべ上がった。

・「公共は「ムーンショット」という夢を見て、月に向かい続けることができます。民間だと売り上げや利益が必要で、一定期間で結果が出なければ止めざるを得ない。でも、公共はやると決めたらやる。たまたま訪れてきた市民に寄り添うことが出来るんです」

・山田が太陽のように見てたのは、全力で伴走からなのかもしれない。

・「山田崇という人間も、 山田が太陽のように見えたのは はやると決めたらやる。たまたま訪ねてきた市民に寄り添うことができるんです」

35頁・

・役所でやりたいことを実現するヒント・

・公務員の信頼を活用する

・公務員自身が自覚していないことも多いが、公務員や行政組織への信用はとてつもなく大きい。活動を進めるうえで、そのアドバンテージを利用しない手はない。

まず実践し、走りながら修正する

・世の中の多くの物事は進めてみないとわからない。たとえば、ソフトウェア開発というミスが許されない仕事であっても、走りながら軌道修正する業務フローが増えてきた。なぜなら、それがゴールへの最短ルートになり得るからである。

オンとオフをつなげる

・社会全体で個人と組織の境が曖昧になってきた。個人の活動が組 織の活動につながり、組織の活動が個人の活動につながる時代。オン・オフという概念から抜け出すことが、いずれ、仕事の成果をもたらすこととなる。

35頁・12/7/2023 6:18:17 PM・終わり・



なぜ、彼らは「お役所仕事」を変えられたのか? 単行本 2019/8/8

加藤 年紀  ()公務員には、世の中を変える力がある。

2章 どんな仕事も改善できる・53頁・

03・目の前の仕事に誇りを、目の前の仕事に全力を――岡元譲史(寝屋川市)徴収・54頁・2022/09/11 5:11

・おかもと・じょうじ・1983年生まれ。寝屋川市経営企画部都市プロモーション課係長。入庁後、12年間にわたり税金や保育料などの滞納金を徴収する滞納整理業務に従事・

滞納債権整理回収室において、2007年から2016の実績比較で、市全体の差押え件数を約34倍増加、約358億円の市税滞納繰越金を約126億円にまで圧縮させることに貢献。2023年12月5日 9:00:43

・培ったノウハウをもとに、おおさか市町村職員研修研究センター(マッセOSAKA)の研究事業として「徴収事務マニュアル」を作成。また、自主研究会「迷子不動産活用プロジェクトチーム」を立ち上げ、所有者不明土地・建物問題を研究。

・一般社団法人日本ほめる達人協会が提唱する「ほめる」の定義(=人、モノ、起きる出来事に価値を伝えること)に共鳴し、同協会の認定講師資格を取得。滞納整理業務の価値を全国の徴収職員に伝える。

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・「お前、夜道に気をつけろよ」「お前にも大事な家族がおるやろ」「顔と名前、覚えているからな」「俺は全部失ったから、怖いものはないからな」

・自治体のおいて、時にこんな言葉をかけられることもあるのが、地方税徴収、滞納整理の仕事だ。日回目にいっても決して人気のある部署ではない。その厳しい職場環境にあって、若くして大きな成果を上げたのが、寝屋川市の岡元譲史だ。

・滞納繰越額を20億円以上圧縮・・職員の意識も変化

・岡元が地方税の滞納整理担当となったのは、入庁6年目の2011年。寝屋川市が2009年に「滞納債権整理回収室」を新設してから2年後のことだった。滞納繰越額の健全な状態は、現年度課税額の1%以内だと言われる。当時の寝屋川市は10%を超える危機的状況だった。

・「2007年の時点で現年度課税額約300億円に対して、約36億円の滞納繰越額がありました。それが、2016年で126億円、2019年度の決算では10億円を下回るのではないか、と言う水準にまで改善されています」

・岡元が移動後に取り組んだのは、差押えの判断を早めることだった。従来は、差押え実施前に催告書を複数回、段階に応じて送付していた。

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・その運用を改め、催告書に記載された納付期限までに対応しない者については、すみやかに差押えを行った。

・また、捜索や不動産競売など、難易度が高く、より専門的な法知識が必要となる業務にも積極的に取り組んだ。

・「玄関や窓の鍵を強制的に開けて、家の中を捜索することもありました。また、分割納付で5千円ずつ払っていたような人でも、相当の給与があるなら差し押さえて強制徴収するようになりました。そういう厳しい処分を続けているうちに「寝屋川は対応に厳しくなった」という噂が広まり、自ら納付する方も増えていったと思います」

・地道な取り組みの積み重ねは、職員側にも大きな変化をもたらした。

・「役所内でも「滞納が放置されれば、厳しい処分は当たり前」という意識が生まれるようになりました」

・税金で食っているからこそ、市民全体のために仕事をする

・こうした滞納整理業務の知識を取得することは、決して容易ではない。元東京都職員で、滞納整理に関する多数の著書を持つ、不動産鑑定士の杉之内孝司氏は、その困難さをこう語っている「平成259月、おおさか市町村職員研修センター・ミニ講座「滞納整理の現状と課題について」基調講演より。」

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・「徴収業務で通用するためには、地方税法や国税徴収法など、相当勉強をしなければなりません。その要求される勉強の度合いは、他部門より量的にも質的にも遙かに大変です。(中略)徴収部門がいきタックない部署とされる原因かもしれません」・岡元は、そんな苦労を厭わなかった。法律の知識にとどまらず、お金に関する知識も必要だと考え、ファイナンスシャルプランナー3級の資格も取得した。

・厳しい対応を滞納者に課すと、「税金で食ってるくせに!」などと反発を受けることも少なくない。しかし、主元はひるむことなく仕事に邁進した。

・「実際、僕は税金で食ってるんです。でも、税金で食っているからこそ、一生懸命、市民全体のために仕事せなあかんと思っています」

・もちろん、岡元にも葛藤がある。好き好んで厳しい対応をしたわけではない。

・「差押えや捜索は、本人の意思とは関係なく無理矢理徴収すると言うことです。いくら、「納付している大多数の市民のために」「と言う大義名分やきれい事を言っても、どうしたって滞納者を苦しめながらやっているわけです。それなのに他の滞納者に緩慢な対応をしてしまったら、今まで辛い思いをさせてきた人たちに申し訳が立たないですよね」

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・厳しい処分を行うことによって、「ここまでやっても取れない」と言うことが明確になる。だからこそ、法律に基づき不納欠損(徴収を諦め、損金処理をすること)を行う妥当性が生まれるのである。

・払わない人が得をするなんて不公平・・お願い徴収からの変革

・岡元が滞納債権整理回収室で成果を上げることが出来た大きな理由に、入庁後に配属された部署での経験がある。2006年に新卒で入庁した岡元は、2010年までの5年間、保健福祉部子供室で、保育所保育料の徴収担当を務めた。このとき、岡元は滞納者に初めて向き合うこととなる。

・「恒常的に保育料を滞納している人がいることを知りました。僕も子どもを保育園に預けていましたし、大半の人はちゃんと払っている。払わない人が得をするなんて、「こんな不公平なことはないやん!」と、強く思ったのがスタートです。真面目に頑張っている人がバカを見る、そんな世の中にはしたくないと思ったんです」

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・当時、保育料滞納を原因とした差押えは全国でもほとんど行われていなかった。「皆さん払っているんでお願いしますよ」という、まさに「お願い徴収」が一般的だった時代だ。

・そんなときに、「法律を勉強して、法律に基づいた厳しい処分をやってくれ」と課長に請われ、保育料の徴収業務を専任で担うこととなった。

・しかし、初めての徴収業務は一筋縄ではいかなかった。

・「苦しいから払わんのや!」「そんなこというんやったら、お前が取りに来い!」「お前ら公務員みたいなラクな仕事じゃないんや!」と、高圧的な言葉を浴びせられることもあった。不満を募らせた滞納者と窓口でもめ、上司に仲裁されたこともある。

・それでも、継続は力なり法知識を学び、差押えなどの厳しい対応を地道に行うことで、徴収率は大幅に改善。2005年に953%だった保育料の徴収率は、岡元の在籍した最後の年、2010年度には978%、2017年度には988%に達した。

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・同僚と良好な関係を築き、周囲のサポートを得る

・役所の中で仕事を頑張ると、上司や同僚の一部から叩かれることも少なくない。だが、岡元は入庁以来、各部署で協調性を発揮し、良好な関係を築いてきた。

・「保育担当の時も、普段からコミュニケーションを大切にしていました。僕の母親ぐらいの年齢の女性が多くいらしたこともあって、自分が子育てで悩んでいることなど、プライベートな話も聞いて下さいました。本当に息子に接するみたいな感じで可愛がってもらいました」

・そんな岡元を上司も強力にサポートした。

・勧告書を一斉送付したりすると、電話が何本もかかってきて、他の人にも対応して頂く必要が出てしまいます。そういうときに「部署としてはこういう方針で動くから、岡元君に協力してあげて下さい」「岡元君は厳しい処分を一手に担ってくれるから、周りもサポートしてあげて下さい」と、課長が協力を促して下さいました」

・上司にとって、良好な人間関係を構築している職員をサポートがしやすい。逆に、共闘性が低い部下のために、積極的に協力を呼びかえることには二の足を踏む。それによって、「えこひいき」などと言われ、余計な反発を受けることになりかねないからである。

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・気迫を込めたマニュアルを作成・・他自治体にノウハウを共有・

2011年度から2012年度、岡元はおおさか市町村職員研修研究センターが立ち上げた「徴収力強化研究会」に参加する。研究会の目的は、徴収職員向けの「徴収事務マニュアル」をつくり、滞納整理のノウハウを広く伝えることだ。

・マニュアルのコンセプトは3つあった。

1つめは、理解しやすい「身近に頼れる先輩のようなマニュアル」であること。自治体は3月末に年度を区切るが、5月末までに徴収できたものは、前年度の徴収分として会計処理をすることができる。つまり、前年度の未納とはならない。

・そのために、徴収部門では45月が追い込み時期となるが、4月には移動時期でもある。新人の指導に十分な時間が割けない先輩・上司のかわりに、マニュアルが大きな力となる。

2つめは、「国民健康保険料や介護保険料など、税以外の徴収担当者にも参考となるマニュアル」であること。これまでにも税のマニュアルや、実務解説書は複数あったが、岡元もかつて担当した保育料を含め、税以外の債権に関する実用的な徴収マニュアルは、ほとんど存在しなかった。

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・「市税の徴収は職場内で先輩に相談したり出来るんです。でも、保育料の徴収などは担当が一人だけという場合も多くて、先輩から教えてもらうことがないんですよ。そういう人たちに向けて作りました。

3つめは、「研修でも使えるマニュアル」であること。研修教材、OJTの教本として活用できる事を意識した。実際にできあがった「徴収事務マニュアル」は、その実用性の高さから、財布を希望する自治体が続出。徴収職員の教本として、広く活用されている。

・徴収力強化研究会において、共にこのマニュアルを作成した松原市の原田さんは、岡元と関わった2年間をこう振り返る。・「徴収現場でのあるある話や悩み、時には愚痴なんかも含めて、とにかく熱く語り合いました。岡元さんについては特に印象に残っているのは、マニュアルにかける強烈な思いです。妥協を許さず、徴収担当職員に寄り添うという気迫を感じました」

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・本業で成果を上げ、異なる課題に手をつける

・岡元の功績は、滞納整理業務の成果だけではない。本来業務で成果を出しながら、合間を縫って自発的に進めたのが、所有者不明不動産への取り組みだ。

・「2040年には、所有者不明の土地の総面積は北海道くらいになると言われています。

この問題について、市役所の中で密接に関わる業務の1つが公定資産税の賦課・徴収なんです。

・所有者不明不動産にはいくつかのケースがあります。例えば、代表者が死亡して会社の実態がない法人が所有する場合や、相続が幾重にも重なることで、相続人が容易に特定できない場合などです」

・不動産は存在するが、そこに納税義務者の姿がない。こうなると、納税通知書の送達先もなく、督促状も送付できない。担当の固定資産税課は手をこまねいていた。

・「所有者が不明の場合だと、まともに課税できないんです。それを、徴収担当の立場から解決できないかとずっと考えていて、2011年度から本来業務とは別に、少しずつ対応することにしました」

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・所有者不明の不動産の問題を解決するには、多大な費用・時間・労力を要する。地方自治法第2条における「最小の経費で最大の効果を」という理念に照らせば、案件への着手には躊躇が生じる。ところが、岡元には別の考えがあった。

・「確かに純粋な回収金額だけを見れば、費用、対効果は悪いかもしれません。しかし、所有者不明のまま放置された場合、その土地は事実上、使用不可となります。極端に言えば、「国土が喪失する」という事です。そうなってしまった場合、大きな調査費用や人件費もかかります。むしろ、案件を後回しにせず、速やかに対応することが、長期的に見て最も費用対効果が高いと考えたのです」

・強い意志は、具体的な行動に直結する。

・「まず所有者の相続人を調査・特定するように動きました。次に、特定した相続人に対して、不動産を相続するのか放棄するのか選択を迫ります。もし、滞納固定資産税を支払わない場合は、差し押さえて公売にかける。最後に売却代金から税金を回収して、残金を相続人に振り分けるのです」

・このスキームは権限上、固定資産税担当者に行うことはできない。国税徴収法に基づき、差し押さえ・公売の出来る徴収職員だから可能となる。

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・「売却が前提のスキームなので、不動産がある程度流通する地域でなと難しい面はあります。また、資産としては小さい額の場合もあるでしょう。ただ、その土地が流通したり、開発されたりすることの価値は大きいと思います」

・2017年、岡元はこの経験を活かし、所有者不明不動産に関する自主研究会「迷子不動管轄用プロジェクトチームを立ち上げた。

【寝屋川市 岡元譲史 #4】所有者不明不動産の99%は解決できる - Holg

12/5/2023 8:41:11 AM


・「専門家を招いてフォーラムを開催したり、過去の取り組みや他自治体の先進事例をまとめた報告書を作りました。報告書は、この問題に取り組む全国の同志にも「使える」「役に立つ」内容にすることを心掛けました。そのため、実際の起案文書や様式、参考資料などを添付しています」

・徴税事務間にアニュアル作成したとこ同様に、岡元は自らの経験や成果をかみ砕いて共有した。誰も手を付けたがなかった領域を体系化し、報告書はウェブ上にも公開した。

・「お前の顔に火つけたるわ」・・恐怖に心折れないために

・「お前、夜道に気を付けろよ」「お前にも大事な家族がおるやろ」「顔と名前、覚えているかならな」「俺は全部失たから、怖いものはないからな」。

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・さて、冒頭で紹介した脅しめいた言葉は、実際に岡元が滞納者から投げかけられたものだ。徴収業務は、常に危険と隣り合わせにある。

・実際に、トラブルはたびたび発生する。2013年には、宝塚市役所の市税収納課で、ガソリン入りの火炎瓶が投げつけられる事件が起きた。職員2名が軽傷を負い、市民までをも巻き込んだこの惨事は、宝塚市に預金を差し押さえられた滞納者によるものだった。

・その事件の直後、岡元に一本の電話があった。岡元が担当する滞納者からだ。すると、耳を疑うような言葉が電話口から聞こえてきた、「俺やったら、お前の顔に火つけてたるわ」。突然の犯行予告だった。大事には至らず、この人物は後に逮捕される。しかしながら、これらの出来事から、徴収職員にのしかかる精神的負荷が大きいことは明らかである。

・徴収業務を担当したばかりの岡元や、やはり、不安と戸惑いを強く感じていた。「恥ずかしながら、僕も1年目、2年目は結構泣いていましたよ、本当に」心の支えの1つが読書だった。

・「パナソニック創業者である松下幸之助さんの本をよく読んでいました。「順調よし、逆行よし」みたいな個所を見つけると、「なるほど、逆行よしや!この逆行が自分を鍛えているんや!」という風に、自分に言い聞かせていたんです。講演録も毎日のように聴いていましたね」

 

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・読書を通じて、「ほめる達人」という、人や物の価値を積極的に見出す活動にも出会った。2013年からの仕事の中でも実践し、疎まれがちな滞納整理という仕事に、価値を見出すことが出来るようになった。

・岡元には全国から研修依頼が寄せられる。その主なテーマは「滞納整理の価値と戦略」だ。現役の徴収職員に対して、滞納整理のノウハウだけでなく、その価値をも説いている。

・「自分につらい経験があったからこそ、このしごとの価値を伝えていきたいですね」・岡元は現在も「ほめる達人」の活動を続け、2018年には「優秀認定講師」として表彰された。

・こころの支えとなるものは他にもあった。それは、全国で共に学ぶ仲間の存在だ。

・「LGNET」という自主勉強会グループに10年近く参加しています。普段はインターネット上で情報共有をしながら、年に1回大規模な研修会を開催して、交流を深めています。

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・心を支えてくれる存在が、複数あることが大切ですね」

・さまざまなコミュニティに関わることで、知識だけではなく、精神的な安定も手に入れることが出来た。

・徴収職員は悪魔ではない・・徴収の仕事に誇りを

・岡元はある種、達観しながら、徴収の仕事をこう振り返る。

・「徴収職員は、対応者が大事にしているお金であっても、心を鬼にして取り立てないといけない場合があります。たとえば、子供のための学資保険であっても、差し押さえて強制解約し、滞納金に充てていました。恨まれて当然だと思います。「あなたは、子供の未来を潰しました」と言われることもありました」

・確かに、滞納者から見れば、徴収職員は敵視せざるを得ない存在だ。多くの徴収職員もそれは覚悟できている。一方で、岡元が何より心を痛めるのは、頑張る徴収職員に対する役所内の目だ。

・「法律に基づいて役割を果たそうと一生懸命やっていたつもりなのですが、僕も一部の同僚から「悪魔」と呼ばれていた時期がありました。

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・もちろん、権力を笠に着て、高圧的な態度をとるような職員は論外です。でも、徴収の仕事に真摯に向き合い、役割を果たそうと頑張る人たちは、しっかりと評価されるべきだと思います」

・2018年4月に、岡元は多能債権整理回収室から異動した。しかし、今も日々奮闘する全国の徴収職員にエールを送り続けている。

・「徴収職員が感謝されることは、ほとんどありません。窓口や電話で怒鳴られるなど、怖い思いをすることもあります。それでも僕はこの仕事に携わることが出来てよかったと心から思っていますし、徴収の仕事に誇りを持っています」

・どんな仕事にも価値がある。そして、どんな仕事も改善できるのだ。・

22/9/11 161539秒・

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・岡元讓史に学ぶ・役所でやりたいことを実現するヒント

・強烈な課題意識と行動力の源泉となる・好んで市民と敵対したい職員はいない。徴収でも所有者不明不動産でも、強烈な課題意識が岡元の原動力となった。課題意識持ち、自発的に行動する姿は、お役所仕事の対極にある。

・モチベーションをマネジメントする・新たにチャレンジが想定通りに進むことはない。困難な状況でも、行動を継続できるかどうかはモチベーションに依存する。岡元の場合は「読書」「仲間」などが自らの挑戦を支えた。・崇と協調し、信頼を得る。・たとえ成果を出したとしても、組織内でいざこざを起こす人間に仕事は任せにくい。組織に所属する限り、周囲との円滑なコミュニケーションが求められる。

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・世界は変わっている。公務員も変わらなければならない

箕面市 - Wikipedia

倉田哲郎(箕面市長)行政は社会の映し鏡だ。社会で起こる総ての事象(課題)について、行政内で必ず誰かがそれを担当し、コトが起これば対応を求められる。

・そして、世界は時代と共に変化している。そこで暮らすたくさんの人々を支え、生活圏域を日々改善していくのが公務員のミッションである以上、世界の変化に遅れることなく、公務員も変わっていかなければならない。

・公務員の皆さんには、貴方のついた役職がこの世界で唯一無二の役職であることを常に忘れないでほしい。同じ地域、同じ対象、同じ分野を、同じ職責で任されている人は、世界中どこを探しても、貴方の他には誰もいない。

・貴方だけに任されたその世界で暮らす人々を、支え、笑顔にしていけるか否かは、貴方次第だ。折に触れ、公務員を志望した初心を振り返り、変化を恐れずチャレンジし続けてほしい。・そして、総ての行政組織が、そのチャレンジに十分応えられる組織となっていくように、私も頑張りたい。

2022/09/13 9:24

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なぜ、彼らは「お役所仕事」を変えられたのか? 加藤 年紀 (著)公務員には、世の中を変える力がある。
【COLUMN1】世界は変わっている。公務員も変わらなければならない/倉田哲郎(箕面市長)71頁・




♯04 学びと実践の先に、突破口は必ずある・鈴木浩之(神奈川県)/ 児童虐待・72頁・



第2章 どんな仕事もできる・学びと実践の先に、突破口は必ずある・
・すずきひろゆき・神奈川県・72頁・


・1960年生まれ。元神奈川県中央児童相談所虐待対策支援課長。法務局矯正局瀬戸少年院法務教官を経て、1985年、神奈川県に福祉職として入庁市、主に児童福祉司として児童相談所に勤務。児童虐待対応における先駆的手法である「サインズ・オブ・セーフティ」導入を進め、現場での実践と研究、普及活動を行う。
・また、虐待に至った保護者に直接インタビューをし、支援のヒントを得るべく論文をまとめ、日本社会福祉学会で奨励賞を受賞。2019年4月より立正大学社会福祉学部社会福祉学科で准教授を務める。
・主な著書に、「ファミリーグループ・カンファレンス入門」「子供虐待対応におけるサイエンス・オブ・セーフティ・アプローチ実践ガイド」(共に共編著、明石書店)がある。臨床心理士、社会福祉士。
・73頁・


・行政にはさまざまな領域の業務が存在する。中でもセーフティネットとして市民を救い。
・福祉職の中でも、近年、児童虐待の環境変化はめまぐるしく、大きな注目を集めるようなった。児童虐待への対応は行政サービスの中でも異質な面がある。家族への介入によって強い対立が生まれたり、関わることを拒否されることも珍しくない。
・そのため、多くの現場職員は強いストレスにさらされ、悩みや葛藤を抱えながら職務を全うしている。
・過酷な環境化にもかかわらず、業務品質の向上をめざし、先駆的な対応手法を
導入したのが鈴木浩之だ。すべての業務領域における改善の希望となるであろう、鈴木の取組みを追ってみたい。
・根本的な課題を捉え、本質的な解決策を問い続ける・2023年12月7日 8:15:51
・鈴木のキャリアは国家公務員として始まった。1983年に新卒で入省した法務省時代の経験が、後に児童虐待の対応へと没頭するきっかけとなった。
・「少年院の教官を2年間務め、そのときにいろんな子どもたちと出会って児童に関心を持ちました。当時、虐待はあまり問題にされていませんでしたが、今考えれば虐待を受け
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・範囲の仕事を担う。
だことが、走行という行動に表れていたのだと思います」
児童相談所の仕事に就いたのは、35歳の時だった。
・「妻が千葉県の教員をやっていましたが、私は国の職員だったので全国転勤もありました。ですので、もし、どちらかが辞めるとなると、私かなと思っていたんです。そんなときにちょうど神奈川の福祉職の試験を見つけて、35歳のときから働くことになりました。県では身体障がいを持つ方のケアワーカーを4年、児童養護施設で6年仕事をして、以降、3 5歳くらいから20年以上児童相談所で働きました」
・鈴木は児童相談所のキャリアの最後に、虐待対策支援課。この虐待対策支援 神奈川県特有のものだという。
・「虐待対策支援課は、現場で直接的に虐待対応をするわけではありません。主に神奈川県所管の5つの児童相談所をさまざまな専門機能でパックアップする役割を果たしています。
・たとえば、虐待を受けた子どもや虐待をしてしまった親に対して、医学的なセカンドオピニオンを提供する。子どものけがについて法医学者に説明を依賴する。親の精神医学的なアセスメントを行える体制を支援することもあります」。
・これだけではない。職員への研修や児童虐待の現場の調査研究、里親業務の統括など広範囲の仕事を担う。
・75頁・



・「新しい手法を企画・実践することも役割の1つで、性的虐待等を受けた子どもに対して司法面接を導入する試みも行いました。事件化してしまったケースでは、虐待を受けた 子どもが、何度も面接調査を受けるため、大きな精神的な負担がありました。なるべく子 どもに負担をかけない面接法の導入は、現在の三機関協同面接につながっています」
・児童虐待は、平成の時代とともにその致が急増した。1990(平成2)年度に全国で 約1100件だった対応件数は、2017(平成29)年度には約13万件超を数えた。約30 年で、実に100個以上に膨らんだ。
・その大きな要因は、市民の虐待に対する意識の変化だ。1990年に子どもの権利条約が批准され、2000年には児童待の防止等に関する法律が制定された。かつては問題視されていなかったことが、時代の流れの中で子どもの人権侵害だと捉えられるようになった。
・「2005年からものすごい勢いで追待の通告件数が増えてきました。昨今では、子どもが夫婦間暴力を見ることが心理的虐待とされ、件数の半分以上を占めています。
・一方、時代とともに児童相談所の対応にも変化があります。従来よりも保護者に対して殷然と対応し、積極的に一時保護を行うことが求められるようになりました。
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・子どもが極めて危険な状況では、令状を取って立ち入る「臨検索」にも対応できるよう、 現場担当者向けの実践的な研修も行っています」
・近年、子どもや親の意志に反してでも、強制的に保護する事例が増えている。また、児童相談所が警察や司法と連携し、厳格な対応を進める必要性もうたわれるようになった。
・もちろん、保護をしなければ、子どもの命を守れないケースもある。しかし、一時保護によって根本的な問題が解決するわけではない。この狭間で鈴木は常に葛藤していた。
・「一時保護をしただけで、子どもが夢や希望を持って生きていけるわけではありません。
・子どもは親と離れたいわけではなくて、虐待のない世界で生きたいだけですよね。
・危機介入や一時保護だけではそれを実現できないのではないか。そう感じて、いつもモヤモヤしていました」
家族に寄り添うことを可能とする、海外手法の導入
・こうした苦悩の中で出会ったのが、オーストラリアで開発された「サインズ・オブ・セーフティ」と呼ばれる対応手法だ。
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・「サインズ・オブ・セーフティを端的に言えば、本来、悩むべき家族が『悩める』ように支援することです」
・家族が悩むということは、家族が主体者として虐待と向き合うことを意味する。
・「私たちは虐待を起こさせないために、保護者を強い権限で指導していく歴史を辿りました。今もまだそういう傾向はあると思います。
・だけど、本当に子どもの安全を守ることができるのは、家族しかいないと思っているんです。我々がどんな指導をしたところで、家族が子どものことを自分事として考えなければ、状況は何も改善していかないと思ったんです」
「児童相談所は常に悩みながら仕事をしています。しかし、本来、児童相談所よりも家族が 悩む必要があると思うんです。家族が悩む機会を奪うことは、家族をエンパワーするどころか逆にディスパワーしてしまうことにもなります。そんな葛藤の解決策が、サインズ・オブ・セーフティでした」
・78頁・・12/7/2023 4:59:41 AM



・親が虐待を繰り返さないように「指導」するのではない。サインズ・オブ・セーフティは異なる角度からアプローチを行う。
・「サインズ・オブ・セーフティを和訳したら「安全のサイン」ですよね。家族が持っている安全を守る力を引き出し、可視化することで、子どもにとって安全な環境をつくるという考え方があるんです。
・まず、「供待が続くと、子どもの未来にどのような危険が待っているのか」を家族と共存します。その前提があるから、「子どもの安全な未来」という目標を家族と設定できるんです。
・そこに一緒に向かって行くことで、児童相談所の職員が子どもの安全づくりに役立とうとしている存在だと伝わります」
・児童相談所は家族に 寄り添い、支援する役割を担う。
「虐待をしてしまう保護者は、大きな不安を抱えているんです。子育てで行き詰まったときに、暴力によって子どもをコントロールしようとしてしまう。一時的に子どもは言うことを聞くかもしれませんが、だんだん、叩いても抑えきれなくなってくるんです。そうなると、今度はもっと過激な暴力が振るわれる。その悪循環に陥らないように同じゴールをめざす必要があるんです」
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・取組みの成果を可視化し、分析を繰り返す
・「以前は、子どもが安全な状態であるという基準は、明確ではありませんでした。しかし、サインズ・オブ・セーフティでは安全の基準を定義することで、その基準を満たすことできれば、子どもが家庭の中で安全に暮らすことができるんです。これも、児童が相談所が家族と同じ方向をめざすことのできる一因です。
・安全の基準にはいくつかの定義がありますが、子どもを守る仕組みとして、家族以外の力を借りることも多くあります。親族や友人・知人が虐待を防げるように仕組みづくりを しておくのです」
・具体的な対策のイメージを聞いた。
・「他人に助けを求めるのは気がひけますよね。そこで、たとえば、子ども用に携帯電話を買ってもらって安全を守れる 人を登録し、危険が迫ったときに発信できるようにします。
・あらかじめ保護者がセーフティ・パーソンとなってもらえる人を何とか探し出して、いざというときに電話ができる相手を確保します。さらに、誰かが駆けつけてくれるまでに。逃げられる場所を確保する計画も必要かもしれません。家に安全なスペースをつくってもいいし、近所の家に入れてもらうのでもいい。セーフティ・パーソンという新たな人物を 加えて、危険を回せる具体的な仕組みを、家族自身がつくり上げることがポイントです」
・80頁・12/7/2023 5:28:22 AM



・誰かが定期的に家庭訪問をして、安全を確認するケースもあるという。それぞれの家族の状況に合わせて、虐待の起こらない環境を構築している。
・「保護者の変化によるものだけで、虐待の発生を防ぐのではありません。もちろん、保護者が変わることは重要ですが、それに頼り切ると、子どもにリスクが生じます。アルコール中毒のお父さんがお酒を飲んで帰ってきたとしても、虐待に巻き込まれない環境構築こそが、安全の仕組みと呼べるのです」
・可能性を感じて始めたサインズ・オブ・セーフティ。その成果は数値として表れた。
・「鎌倉三浦地域児童相談所に配属されていたときに、組織全体でサインズ・オブ・セーフティに取り組み、約4年間の統計を取ったことがあります。その結果、一時保護の期間が平均1か月から約半分になりました。家族が必死になって安全づくりを進めたため、1日で子どもを帰したケースもあります」
・1日というのは驚きだ。リスクはないのだろうか。「サインズ・オブ・セーフティでは保護した期間が重要なのではなく、安全が確保されているかどうかが大切なんです。安全な仕組みを構築したら、1日で帰してもらうこともできる。だからこそ、保護者が必死に向き合うようになるんです」
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・保護期間が短縮された要因が、すべてサインズ・オブ・セーフティによる成果とは断定できないと、鈴木は冷静に振り返る。しかし、その表情からは静かな自信がうかがえた。
・鈴木の謙虚さと緻密さを象徴する言葉が続く。
・「もともと、サインズ・オブ・セーフティの概念に近い仕事をしていた職員もいますし、課長であった私がリーダーシップを取って、一時保護の期間を減らす方針を取っていました。ですので、次のステージでは、もっと精度の高い純粋な統計情報が必要だと思っています」
・新たな取組みを進めるには、過去を否定しない
・ 組織の中で新しいことに取り組む 反発はなかったのだろうか。
・「もちろん、何かを始めようとすると、多くの場合、反発があると思います。ただ、『良い実践をしたら、子どもや家族の役に立つ」というのは、いろんな立場を超えて
・82頁・12/7/2023 5:39:49 AM




・鈴木は過去を否定しないことを心がけた。
「先輩の業務の中に含まれていたサインズ・オブ・セーフティの関素をまとめて、広めることもありました。過去の歴史の中には、新しい取組みと共通の方向性が必ず存在します。それを見つけて強調することが大切なのです」
・最近では「改革」という表現を避け、「アップデート」といった表現が使われることも増えた。「改革」だと過去を否定するニュアンスが生じてしまうからだ。
忘れられない一言「お前が担当する子どもは不幸だ」
・児童相談所で働き始めてから、鈴木は自らの活動を外部へと発信するようになった。自分たちだけで実践して終わりだと、ノウハウは周りへは広がらない。そこで鈴木は実践内容を理論やモデルケースに落とし込み、外部の職員でも使える形にかみ砕いていった。
・「毎月、実践家や研究者と一緒に研修や勉強会を開催しました。また、現場に近い立場を活かして、虐待に至った保護者に直接インタビューをし、支援のヒントをまとめた論文を書きました」
・83頁・



・論文の1つは、日本社会福祉学会の奨励賞を受賞した。忙しい日々の中、鈴木は土日や 通勤時間を使って論文を執筆する。その努力の裏には、悔しさを抱える原体験があった。
・「私が児童相談所に来たのは歳の頃です。もともと福祉関係の仕事をしていたので、自分の中ではそれなりに福祉について学んできたつもりでした。でも、児童相談所では自分の知識がまったく役に立たなかったんです。そもそも、同僚が話している内容すら理解できませんでした」
・先輩から厳しい言葉を投げかけられ、傷ついたこともあった。
「『お前が担当する子どもは不幸だ」と言われたときは、すごくショックでした。実際、「私じゃなかったら、もっとうまく話が進んだかな」と、腑に落ちる部分もあったんです。そういう体験をして「こんなところで終わるのは悔しい』と思ったときに、私の選んだ道は勉強することだったんです」
・鈴木は自らの劣等感を埋めるために、心理学を学び始める。2年間、平日の夜と土曜日に学校へ通うことで、新たな視点も獲得した。「最初は自分の存在意義を確認するために研究を始めたんです。でも、やがて、実務を担う中でも、研究が必要だと思うようになりました。本来、現場と研究は一対のものなんです。お互いに行ったり来たりしないと、どちらも高まっていきません」
・84頁・12/7/2023 6:27:37 AM



・新たな気づきによって、自らの役割を再評価することもできた。「実務家は現場ですごく貴重な経験をしていますが、忙しさからあまり研究できせん。でも、親御さんの言葉を代弁できるのは、現場にいる人だけです。特に虐待対応のような変化のある分野は、現場のほうが先に進んでいきます」
・コンプレックスを力に変えて成功した者は少なくないが、鈴木もまた、その一人と言え る、学びへの熱量は尽きることはなかった。
・「臨床心理士の資格を30歳のときに取りました。ただ、私は心理の仕事をするためではなく、ソーシャルワークの中に心理学の要素を取り入れることで、良い仕事ができるようになると考えていました。自分の存在価値みたいなものを資格に頼るのはちょっとせこいような気もしますが(笑)、それでも自分にしかできない仕事領域を感じらました」
・ 鈴木は自らの実践と研究が評価されるにつれて、ようやく自身のポジションを見出すことができた。しかし、当然のことながら、学びに終わりはないようだ。 「仕事をしているとまたどこかで行き詰まるんです。幾度となく壁みたいなものにぶつかって、そのたびにもっと勉強が必要だと感じる。その繰り返しです(笑)」
・85頁・



・怒鳴られることも必要なプロセス
・児童相談所の仕事は大きな責任を伴うだけに、心理的な負荷もまた大きい。だからこそ、鈴木には忸怩たる思いがある。
・じくじ【忸怩】深く恥じ入るさま。「内心―たるものがある」6:46 2023/12/07・
・「私は児童相談所を人気がある職場にしたいと思っています。もちろん、児童相談所は厳しい職場です。夜中や休みも関係なく、保護した子どもを、「返せ! 返せ! 返せ!」と怒鳴られることだってあります。でも、安全が確保できていなければ、返すことはできません。そのままずっと怒鳴られ続けると思うと、若手にとっては耐えがたいらものになります」
・厳しい環境を乗り切るために、1つひとつのプロセスに意味づけが必要だと、鈴木は主張する。
・怒鳴られてた先に、家族と一緒の世界が見えたりすることもあるんです。怒鳴られていることも1つのプロセスだと考える。「今この段階にいるんだな」って俯瞰して見ることができれば、怒鳴られても頑張れるじゃないですか」
・86頁・12/7/2023 6:38:12 AM



・児童福祉の現場では、今も多くの職員が日々奮闘している。2018年、そうした同僚、後輩たちにスキルを伝えるため、鈴木は研究者らと「サインズ・オブ・セーフティ+(プラス ) ネットワーク」を立ち上げた。
・「自分は何も役に立ってないと感じることもあると思いますが、決してそんなことはありません。うまくいっていないと思っている実践の中にも、うまくいっていることが必ず、あります。家族とすったもんだしながらやっている中には、彼らにとって役に立っていることが必ずあるんです」
・2019年3月、鈴木は神奈川県を退職し、翌4月から立正大学で教鞭をとる。新天地に行っても、児童相談所で働く仲間への想いは変わらない。
・「児童相談所の仕事は本当に大変な仕事です。だからこそ、そこで働く職員は、世の中で大切な役割を果たせていると思います。これからも、児童相談所の仕事に魅力を感じて取り組み人が増える一助になればと思います」
・実務のあるところには、研究の余地が必ずある。そして、研究の余地があるところには改善の余地が必ずあるのだ。
・87頁・



・鈴木浩之・に学ぶ・役所でやりたいことを 実現するヒント・
✓ コンプレックスを力に変える・
コンプレックスをバネに成功している起業家は数多く存在する。 誰しも少なからずコンプレックスはある。それにどう向き合い、どう行動するかで、仕事の成果に大きな違いが生まれる。鈴木は学び に没頭することで道を拓いた。
✓ 過去の業務の中に先進的な要素を探す・
「前例」には先進的な要素を持つ、優れた取組みも存在する。新 たな取組みを進めようとするときは、適切な前例を示すことによっ て、組織内の理解を得ることが可能となる。
・現場は知恵の宝庫である・
・公務員は実務の中で多くの知見やデータを取得できる立場にあ る。しかし、その一方でデータが徹底的に検証されたり、世に公開されることは少ない。銘木はその実践経験や統計データをもとに研 究・検証を重ね、論文などの形で多くの発信を行った。・
・88頁・12/7/2023 6:57:39 AM・終わり・






地方再生と地域公共交通(第17回モビリティ・マネジメント・表現者くらいあん、公式チャンネル、

https://youtu.be/0GcwGGpE2lU

2022/09/13 8:29


地方公務員オンラインサロンの使い倒し方と仲間を増やすアプローチ術とは? - Holg


 

 

[達観(たっかん)とは。意味や解説、類語。[](スル)1 広く大きな見通しをもっていること。遠い将来の情勢を見通すこと。「時勢をする」2 目先のことや細かなことに迷わされず、真理・道理を悟ること。俗事を超越し、さとりの境地で物事にのぞむこと。16:02 2022/09/11]

[賦課とは|税金の基礎知識|iFinance

https://www.ifinance.ne.jp/learn/tax/txwd024.html


 

賦課 【読み方:ふか、分類:税務】 賦課は、国または地方公共団体(都道府県・市町村)が租税(税金)などを特定の人(個人・法人)に割り当てて負担させることをいいます。 また、賦課に対して、国や地方公共団体が租税などを強制的に取り立てることを「徴収」と言います。10:22 2022/09/11]

・「催告(さいこく)の意味-goo国語辞書


https://dictionary.goo.ne.jp/word/

催告2022/04/18 · 催告(さいこく)とは。意味や解説、類語。[](スル)相手方に対して一定の行為をするように請求すること。債務者に対して債務の履行を請求するなど7:27 2022/09/11

その他「ダイヤモンドオンライン」「日経xTECH」などで執筆・寄稿を行う。三芳町魅力あるまちづくり戦略会議政策アドバイザー(2018年度)。ニュースイッチ社外ファシリテーター。

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第5章・公務員・行政の可能性を信じる・161頁・

小さな成功耐燃が未来を開く第一歩、

酒井直人中野区、業務改善・

163頁・


20186月、東京都中野区の職員だった酒井直人は、中野区長選挙を戦っていた。

・選挙には、再選を目指す現職区長も出馬。自治体職員が現職、いわば元上司の対抗馬になることは大きな勇気が伴う。当然だが、負けてしまえばそこに居場所はない。

・当時、小学3年生の愛する娘もいた。葛藤もあっただろう。しかしながら、境は信念を貫いた結果、見事に当選を果たした。ここでは中野区職員として歩んできた22年を振り返りながら、公務員の可能性について考えてみたい。

小さな成功体験が大きく未来を変えた

163


・酒井は新卒で入庁した中野市役所において、様々な改善を進めてきた。

・「議員の給与システム、例規検索システム、文書管理システム、財務会計システム、そして、広報のホームページ作成システム、地図情報システムなど、今、区役所で一般職員が使う者の8割ぐらいに携わりました。システム屋さんのような感じですね(笑)」2023年12月5日 13:30:15

・初めて改善に関わったのは中野区役所に入ってから3年目の時だった。

・「区議会事務局に在籍していましたが、先輩に任せてもらいながら、議員報酬を払うシステムを変えました。確か年間200万円ぐらいかかっていたんですが、それが高すぎると思い、中小企業向けの給与計算ソフトを約10万円で購入しました。しかも、買い切りだったので、ランニングコストはかかれません」

164頁・・2022/03/26 9:3512/5/2023 12:19:15 PM


・コストは大きく削減されたが、業務にマイナスの影響は出なかったのだろうか。

・「ソフトを導入してことで作業も楽になりました。以前のシステムは手動で例外対応をしなければいけないことが多かったのですが、そういったことが不要になりました。又、古いパソコンを使っていたので計算をするのに1時間かかっていたのが、新しい給与計算ソフトでは3秒ぐらいで終わっちゃう。今まで何だったのか、と思いました。(笑)」

・酒井は当時は珍しかった、議会の会は控え室へのネット回線の導入も進めた。こうした経験によって、次第に改善の意義を強く感じるようになっていった。

・「役所ってとんでもなく無駄なことをやっているんだと気が付くようになりました。でも、それは裏を返すと、いろんな業務に改善できる余地があると言うこと。つまり、宝の山があると思ったんですね」

・早稲田大学大学院の法学研究科を修了した酒井は、役所に入ってからも司法試験の勉強を続けていた。

165頁・2022/03/26 10:30


・弁護士を目指していたからだ。ところが、若手時代の小さな成功体験が、未来を大きく変えることになった。

・「役所の仕事が面白いと感じて、司法試験の勉強をパッとやめてしましました。それからは役所の仕事に没頭することになりました」

・システム導入と同時に規程を改定

165


2,003年、酒井は法規担当として条例規則の制定や訴訟を担当していたが、区に文書管理システムの導入を進める動きがあることを知った。

・「プロジェクト型の仕事は負荷が大きいので、好んで関わりたい人はいませんでした。でも私からすると、「なんて面白そうな仕事なんだ」と思ったんです。そこで、手を挙げて隣の文書担当係に移り、その後、行政文書を電子化。電子決済を導入しました」

・単なるシス導入にとどまらず、決済のあり方もそのものにメスを入れた。

・「役所は決済を回す時に、10個以上のハンコがいるんですよね。部長決裁の場合は、自分の係長と課長、隣の部の課長、隣の部の部長、隣の隣の部の部長とかって延々とハンコを押していく。

166頁・2022/03/26 10:45


・簡単な決済でも12週間かかるんですよ。そういうのを見て「何をやっているんだろう」と思っていたんです」

・押印者が増えることによって、一人ひとりの責任は薄くなる。酒井は事案決定規程を見直し、大きく権限委譲を進めた。

・「従来は、鉛筆1本買うのも課長が決済していたんです。まるでアリバイづくりですよね。そこで、担当者が起案して係長がハンコを押せばおしまいにしました。課長は施策の方向性を固めてマネジメントするのが仕事ですから、いちいちすべての予算執行ををチェックする必要はないと思ったんです」

・当時、酒井はヒラの職員だったが、課長からの信頼も厚かった。「責任は私が取るから、何でも好きにやっていい」と言わしめるほどだった。

・電子決済システムの次に、財務会計システムの導入に取り組んだ。

・「まだ、紙の伝票を使っていた時代だったんです。鉛筆1本買ったら100円、消しゴムを1つ買ったら50円、と帳簿をつけていたんですよ。年間で600枚近い伝票を処理していましたが、最初の方で計算を間違えると、600枚すべてに修正が必要になったりする。

167頁・2022/03/26 10:58


・アホみたいでしょ。財務会計システムの導入を早くやらなきゃと思ったのは、電子システムを使えば、間違えたところを直すだけで全部自動計算してくれる。凄く効率化できるんですよね」

・笑顔で明るく言い放つのが、なんとも酒井らしい。

・「実は、もともと区の計画では文書管理システムより先に、財務会計ソフトを入れることになっていたんです。ところが、その順序が逆になり、文書管理が先に終わりました。とても苦労して文書管理を進めたのに、財務会計システムが全然終わりそうもなかったことにちょっと頭にきたんです。そこで手を挙げて、次は情報システム化という部署に移動しました。おそらく、同僚からはうるさい奴が来ると、疎まれていたと思います(笑)」

・「変えられるもの」と「なくせるもの」を精査する

・当時、財務会計システムへの移行は予定より2年遅れていた。酒井はもちろんのこと、組織内にも危機感があった。しかし、大きな改善になればなるほど調整は難しくなる。それでも酒井は目の前の業務から逃れることはなかった。

・「我々は本来、組織全体を見なければいけません。特定の所管で多少手間が増えても、組織全体では圧倒的にメリットがある場合もあります。そうした時に、粘り強く所管を説得するのがとにかく大事です」

168頁・


・ときに、所管課から呼び出されることもあった。

・「お前は俺たちの仕事をわかっていないから1日仕事をしろ」と言われて、その部署の仕事をやらされたこともありました。もともとは初日は私が言って、2日目は係長が行く予定でした。ところが、1日目に私がしおらしく一生懸命やったので、翌日に係長が行く必要がなくなりました(笑)」

・改善を進める中で、辛いことも数多くあった。

・「他の職員が私を見る目が怖くなったんですね。「また仕事を変えやがって!」「システム化なんか必要ない!」と言う人がいっぱいいました。インターネット掲示板の2チャンネルで叩かれたり、当時すごく嫌な思いもしました。「どいつがかいたんだろう」と、疑心暗鬼になりますよね(笑)」

・仕事の出来る者は、総じて物事の本質をシンプルに捉える。酒井の改善へのアプローチも実にシンプルだ。

・「重要なことは根拠法令や規程を徹底的に分析し、「変えられるもの」と「なくせるもの」を精査することです。

169頁・2022/03/26 12:38


・役所内で決めた規則がある場合はそこも改善の対象にします。根拠を詰めていかないと、所管部署はやりません。

・一方で、所管にとってのメリットを示すことも必要です。理詰めで相手をやっつけても話は進みません。ましてや、「区長が言っているからやるんだ!」と伝えても、同僚や部下は動かない。私自身が進めるべき理由を腹落ちさせた上で、「一緒にやろうぜ!」という雰囲気をつくらないといけないんです」

「「腹落ち」と「腑に落ちること」は、どちらも納得した時に使いますね。 この二つはどう違うのでしょうか。 結論から言うと、「腹落ち」と「腑に落ちる」は同じ意味です。 「腹に落ちる」と「腑に落ちる」とするとよりわかりやすいですが、どちらもお腹に落ちる、つまり自分の心に納得できたということで、

12:34 2023/12/05


腹落」

・その境地に達するまでには、一定の月日を要した。

・「正直言って、昔はイケイケドンドンで行動して、いろんな人とぶつかりました。でも、それでは物事は動かないと思い直して、人間変わりましたね。生意気だったことで痛い目に遭って、深く反省しました。本当に悔い改めたんです(笑)。

・他人と過去は変えられないけど、自分と未来は変えられるってよく言うじゃないですか。まさにその通りなんです。対話によって政策を考え得られる組織にしたいと思ったら、まず自分が率先してやらなければ駄目ですよね」

・相手を論破するのではなく、心の壁をいかに取り払うのかを意識するようになった。考えが変わると行動も変わる。

170頁・2022/03/26 12:53


「導入ハードルを下げるために、町内でシステムの使い方を説明する講師を何十回も務めました。その狙いは「実際に使ってみたら、超簡単だ!」と思ってもらうこと。そう思ってももらえたら、導入が進むじゃないですか」

2022/03/26 12:5612/5/2023 12:36:51 PM


・組織全体に改善の風土を根づかせる

170


・酒井は、2,004年に中野区役所で始まった「おもてなし運動」を牽引した。これは、顧客満足度向上を目的に、役所目線ではなく区民目線で行政サービスを見直す活動だ。実行を担う「おもてなし推進委員」が募集されたが、酒井はここでも手を挙げた。

・「最初は、区民と直に接する窓口系の領域から始まりました。言葉遣いや服装を改め、区役所の中の案内をわかりやすくしたり、市民が申請する手順を簡略化すると言った、業務フローの見直しも含まれます。

・酒井のように自ら手を挙げて委員になったもの以外は、毎年、各部署の推薦で入ってくる。はじめは温度差もあるが、役所の目指すべき姿と現状、具体策を語り合いがなら、少しずつ仲間を増やしていった。

・「委員として活動した仲間は、毎年一定数が卒業していきます。何年かたつと、やがて、卒業生が各部署で改善の役割を担うようになっていきました。

171頁・2022/03/26 13:06


・部署をまたがるような改善を行おうとした時も、「卒業生に声をかければ話が早い!」なんてこともありましたね」

・酒井はおもてなし推進委員を9年間務めた。

・取り組みを進める過程で見ててくる課題もあった。管理職の中に、「自分の部署改善は必要ない」という意識を持っている者も存在した。そこで、課長職を改善運動の責任者として、業務フローに組み込んだ。

・「年度初めに管理職が年間の経営戦略を立ててるんです。その際、自部署の改善運動で取り組む内容を、具体的に書いてもらうようにしました」

・長期計画に沿って管理職が改善の責務を負う。これは、組織内において、改善の風土を根づかせるため有効手法だろう。

・「改善は「終わりなき航海」のようなものです。一度改善をしても、また次の課題が現れる。だから、常にやり続ける必要があるんです。トヨタの改善方式って風土になっていますよね。中野区でも風土として根づかせていく必要があるんです」

172頁・2022/03/26 13:57


・公務員は不作為病にかかっている

・不作為・あえて積極的な行為をしないこと

・職場で嫌われてまで、なぜ酒井は改善を進めたのだろうか。

・「税金を預かっている身としては、目の前で非効率なものがあったり、無駄遣いがあったらずいと思うじゃないですか。最大のパフォーマンスで応えて、区民に「お得感」がないといけないんです。「この給料でここまで働いてくれるの?」って思わせたいですしよね」

・「住民満足度」言った言葉を耳にすることはある。しかし、公務員が、「お得感」と発する姿は衝撃的だった。

・「役所ってどこか甘いんですよ。民間だと頑張らないと会社が潰れたり、部署がなくなりますよね。でも、役所は潰れないと思っている。その向き合い方ではもう駄目なんです。自分が妥協すると、結果的には住民が損をすることになるんです。

・公務員は不作為病にかかっていると思います。確かに公務員が失敗したら叩かれます。でも、本当はやらないことによる損害の方がものすごく大きい
目の前に課題があるのに後回しにすると、その損害がどんどん大きくなっていくんです」

173頁・2022/03/26 14:11


・さらに熱を帯びて、酒井はこう続ける。

・「システム導入をすれば、コスト削減できることなんて、わかりきった話じゃないですか。でも、全国ではまだまだ進んでいないところも多いんです頑張って改善をするだけで年間何百万、何千万という税金の無駄使いがなくなる。3千人の職員が、11時間仕事を削減できたら、毎日3千時間の改善になるじゃないですか。

・財務会計システムの導入では1日かかっていた例月の支払いが、約30分で終わるようになりました。おおよそ500人の職員がシステムを使っていたと見積もると、毎月約500人分、年間では6千人分の削減です。人件費を考えたら、年間22,500万円ほど浮くことになるんです」

・酒井は業務改善にやりがいを感じるあまり、庁外でもその活動に取り組んだ。

・「2,006年には、全国の自治体が優秀な改善事例を共有する全国都市改善改革実践事例発表会の第4回として「改船なかの20」を開催しました。

【中野区 酒井直人氏:第1話】役所はとんでもなく無駄なことをやっている - Holg

12/5/2023 12:45:44 PM

2,010年には、改善運動に取り組む自治体職員が情報共有を行うネットワーク「K-NET」を、山形県の後藤氏、尼崎市の立石君らと立ち上げた。

174頁・2022/03/26 14:31


・物理的な距離は離れていても、メーリングリストを通じて価値ある意見交換がなされた。

・その後2,013年には、KNETの有志らと、改善の実務論を学ぶ「自治体改善マネジメント研究会」を設立した。

特非)自治体改善マネジメント研究会とは | 自治体改善の輪 (jichitai-kaizen.net)

・役所は職員のモチベーションまで考えなければならない

174


・区長になって10ヶ月ほど経った2,0193月、再び酒井に会った。課題が山積する中で、初の年度予算編成という黒もあっただろう。それでも、以前とは変わらない快活な笑顔を交えながら、人事政策へのこだわりを語った。

・「4月以降、部長級には50代前半の3名を起用します。もちろん、50代でも若くないと言われるかもしれませんが、今までの中野区ではなかったことです。また、2,019年の仕事始めとして、14日には「目指すべき中の区職員の姿」というものを明示しました」

・「前例にとらわれず、自ら主体的、自律的にスピード重視で取り組む」

・「地域に飛び出して、多様な人々と積極的に関わり、信頼関係を築く」

175頁・2022/03/26 14:50


・「多様な地域の人材をコーディネートして、地域の課題を解決する」

・「日本国内はもとより世界の先進事例にも目を向け学ぶ」

・「客観的データや合理的根拠等のエビデンスに基づいて政策を立案し、効果を検証して仕事を進める」

・社会変化が進む中、これからの職員に必要なエッセンスを凝縮した。今後、人事評価制度や研修制度モコの指針に合わせてつくられていくという。

・実は、酒井には歯痒い経験があった。それは、選挙で役所の人事政策に触れても、住民の心には響かなかったことだ。

「職員のモチベーションは、そのまま区政のパフォーマンスの良し悪しに直結します。これからの時代、役所は組織として、そこまで考えていく必要があるんです」

・個人のモチベーションは組織を強くする。企業ではこの理解が広がるが、離職率の低い自治体では、未だにモチベーションが重要視されているとは言い難い。

176頁・2022/03/26 15:07


・目の前の仕事を徹底することは、回り道ではない

・やりたいことを実現するためのヒントを尋ねると、酒井はこう応じた。

・「管理職でない場合は、「役所の外に出て行って、外から組織を見てほしい」と伝えています。私自身は外部で急激に活動し始めたのは10年目で、それによって自分の組織の問題点に気が付くことが出来ました。それまでは自分の目の前の仕事を一生懸命行うだけで、組織のことはわかりませんでした。

・ただ、若い時にも目の前の仕事を徹底することは、決して回り道ではなかったと思います。まずは目の前の仕事で成果を出す。そして、他の自治体職員のノウハウを参考にしながら、また目の前の業務を改善する。そうやって本業の力を蓄えながら成果を出すと、周囲から認められるようになります。そうなったら、今度は広い視点で組織課題を見つけてほしいですね」

・人材開発へのこだわりは人一倍ある。それはライフプランにもしっかりと組み込まれていた。

177頁・2022/03/26 15:33


「実は、自分が70歳になるまでは、政策をつくれる自治体職員を増やしたいと考えています。ただ、70歳になったら焼きとん屋をやると決めているんです(笑)」

・酒井は愛嬌たっぷりに言葉を紡いでいく。

・「中野という町で、地域の人と一緒にまちづくりに取組、盛り上げることが出来るのは本当に楽しいです。「こんなに楽しいことをさせてもらっているのに、給料をもらっていいのか」といつも思いますね(笑)。

・どんな立場であれ、自治体で働けることはとても幸せなことだと思います」

・幾重にも重なる成功体験が、とてつもなく遠くへと酒井を導いた。小さな成功体験を積むのは決して難しいことではない。目の前の仕事を徹底すれば、誰であっても実現できることだろう。しかし、小さな成功体験を侮ってはならない。なぜなら、その成功体験こそが、すべての可能性を切り開くための大いなる第一歩だからである。

178頁・2022/03/26 15:44


・酒井直人に学ぶ、役所でやりたいことを実現するヒント

・課題解決を楽しむ・酒井は、役所には多くの無駄があり、それこそが宝の山であると考える。どの組織にも課題は存在する。課題を発見したときに、それを前向きに捉えるか、それとも、後ろ向きに捉えるかによって仕事の成果は変わる。

・情報を発信することで、情報が集まるサイクルをつくる

・酒井はまず自らの成果を上げ、その事例を広く共有した。情報を発信する者には情報が集まる。その好循環がさらに大きな成果を生んだ。

・小さな成功体験が大きな成果へとつながる

・酒井が次々と大きな改善を続けることが出来たきっかけは、入庁3年目に議員給与システムの改善を実現したことだった。成功体験は人に前進する勇気を与える。小さな成功が積み重なることで、やがて大きな舞台を託されることとなる。

2022/03/26 16:0612/5/2023 1:10:46 PM


 

 

・しか救えない人がいる千葉市長・

・酒井直人に学ぶ、役所でやりたいことを実現するヒント

178


課題解決を楽しむ

・酒井は、役所には多くのムダがあり、それこそが宝の山であること考える。どの組織にも課題は存在する。課題を発見した時に、それを前向きに捉えるか、それとも、後ろ向きに捉えるかによって仕事の成果は変わる。

・情報を発信することで、情報が集まるサイクルをつくる・酒井はまず自らが成果を上げ、その事例を広く共有した。情報を発信する者には情報が集まる。その好循環がさらに大きな成果を生んだ。・小さな成功体験が大きな成果へとつながる・酒井が次々と大きな改善を続けることが出来たきっかけは、入庁3年目に議員給与システムの改善を実現したことだった。成功体験は人に前進する勇気を与える。小さな成功が積み重なることで、やがて大きな舞台を託されることとなる。

 

178頁・2022/03/26 8:31


 

・モチベーション]定義/動機付,物事を行うための,動機や意欲になるもの。刺激。熱意。〔消費者の購買動機や,スポーツ選手の意欲などに用いられることが多い〕

15:03 2022/03/26


・エッセンス【essence】 本来は芳香をもった油状の植物からの抽出物で,精油と呼ぶこともある。最近は合成品も多く利用されるようになった。代表的な天然エッセンスにはレモンの皮からしぼったレモン油,バニラ豆を破砕してアルコール抽出したバニラ油,バラの花びらを水蒸気蒸

15:02 2022/03/26

・エビデンス とは、 証拠 ・根拠、 証言 、形跡などを意味する 英単語 " evidence " に由来する、 外来の 日本語 。. 一般用語として使われることも増えてきており、多くは、以下に示す分野における 学術用語 や 業界用語 としてそれぞれに異なる意味合いで使われている。

15:00 2022/03/26


・メーリングリストとは、一度に複数人へ同じメールを送信できる仕組みのことで、「ML」と略して呼ばれることもあります。主にグループ間での情報伝達・共有する際に用いられ、これを利用できる独自サービスのほか、メーリングリスト機能を持つメールサーバーサービスもあります。

14:36 2022/03/26

・不作為[ふさくい]定義/法 自ら進んで積極的な行為をしないこと。法によって期待された行為をしないこと。作為

14:13 2022/03/26

「システム導入をすればコスト削減できることなんて、わかりきった話。でも、全国ではまだまだ進んでないところも多いんです。頑張って改善をするだけで年間何百万、何千万という税金の無駄使いがなくなる。三千人の職員が、11時間仕事を削減できたら、毎日三千時間の改善になる。」

7:33 2022/03/26


ウクライナの兵士たち、■酒井直人

酒井直人 - Wikipedia

プロフィール - 中野区長・酒井 直人(さかいなおと)公式Web

https://sakainaoto.hatenablog.com/profile

·        登校拒否の実体験から「対話」のある社会を渇望。

·        区役所の仕事で感じた光と影。「対話」社会実現への想い。

·        酒井直人の義憤「中野はこんなもんじゃない!」

2022/03/26 7:40sakainaoto.hatenablog.com

 

生い立ちから区職員時代までを振り返り、悩みと葛藤、中野区政に挑戦するに至った経緯をここに記します。

※プロフィール概要は写真下(キャプション)をご覧ください。

登校拒否の実体験から「対話」のある社会を渇望。

私は、両親が高校の教師という家庭に生まれました。私と弟の二人兄弟。岐阜県ののどかな町で、のんびりとした子ども時代を過ごしました。小学校までは片道徒歩40分。田んぼの間を伸びる道をひたすら歩いて通学していました。野球が大好きで、近所の友達と日が暮れるまで外で野球をしていました。

人生が一転したのは、小学校5年生のときの両親の離婚でした。

父方の祖父の土地に家を建てていたため、母親の親権となったことで家を失い、50キロ以上離れた母方の実家近くに引っ越しました。

家賃1万円の公営住宅。狭いアパートで、母親と私と弟の3人暮らしが始まりました。母は私と弟のために一生懸命働いてくれました。私も母を助けようと、料理や掃除の手伝いなど家事をするようになりました。

転校した小学校で、いじめに遭いました。異なる方言や自転車のヘルメットの形・色が違うなどのちょっとした違いが原因でした。

もともと排他的な地域性もあり、多様性を認めない土地柄に苦しみました。私は小学校高学年でしたからある程度はねのけることができましたが、弟はもっと苦労したと思います。とはいえ私も一時は登校拒否になり、ひとり親である母親に心配をかけたこと、今でも申し訳なく思っています。

しかし、この経験が「多様性を認める社会をつくろう」と思う自分の原点となりました。小学校6年生のときの卒業文集には「将来は社会に貢献したい。社会的弱者のために弁護士になりたい」と書いてあります。

その志を胸に、高校卒業後、早稲田大学法学部に進学しました。大学では、法律を授業外の特別コースでも学ぶ他、複数の大学から音楽好きが集まった吹奏楽サークルにも所属しました。バックボーンの異なるメンバー達が、対話でお互いを認め合いながら音楽に対峙する。多様なメンバーと演奏を聴く人々が、一体感を持てる。その楽しさにのめり込みました。

【酒井直人(さかいなおと)プロフィール】19711014日生まれ。岐阜県出身。妻・娘(小3)と中野区若宮に在住。早稲田大学法学部、同大学院法学研究科修了後、中野区役所入区。 議会事務局、財務会計システム担当、広報担当(副参事)、地域包括ケア推進担当(副参事)を歴任。電子決裁率日本一(当時)となる区役所の電子化、中野区歌「未来カレンダー Forever Nakano」の作成、「中野区地域包括ケアシステム推進プラン」の策定などの実績の他、自治体の改善運動を全国で支援するネットワーク「K-NET」立ち上げ、中野のまち情報を交換するfacebookページ「中野ファン」立ち上げ、まちの清掃ボランティア等にも意欲的に参加。第一回中野区検定1級、中野区ものしり博士号取得。中野への想いから中野区役所を退職し、政治団体「あなたと創る明日の中野の会」を立ち上げる。

多様性を認めるということは、まずは相手の主張をしっかりと聞く、相手を認める、そのうえで物事の決定プロセスを大切にすることが欠かせません。私の現在の基本的スタンスは幼少期に形成されたのだと思います。

区役所の仕事で感じた光と影。「対話」社会実現への想い。

大学在学時には司法試験に合格できず、中野区役所に就職してからも数年チャレンジしていましたが、区役所での仕事がどんどん面白くなっている自分にも気づきました。特にやりがいを感じたのは、ITを活用することで区役所の仕事を大幅にコスト削減や効率化ができたことです。そういった経験と共に、社会への貢献は弁護士にならなくてもできる、公務員はとても意味のある仕事で自分に向いているという実感が積み重なり、最終的に弁護士の道を捨て、区役所で思う存分仕事をさせてもらう道を選びました。

その後、文書管理システムなどの導入による、電子決裁率日本一を実現する取り組み、国民健康保険の収納率をV字回復する取り組み、中野区の広報で民間との協働を進める取り組み、地域包括ケアを事業者、区民、医師会などの団体の皆さんと一丸となって取り組むことなど全力で仕事をしてきました。

一方で、ずっと自分の中に、影を落としていたことがあります。それは、中野区の組織自体が、区民の皆さんのために全力で取り組む区政でなくなっていることです。

本来、公務員は身分が保証された上で、区民の皆さんのために汗をかける。区民の皆さんの暮らしが良くなると、感謝までされる。こんなにやりがいのある仕事は他にないはずです。しかし中野区役所では、トップダウンの区政により、職員は「言われたことだけやればよい」「どうせ上に言っても聞いてくれない」……416年続いた区政の中で完全にそんな風土になってしまっていました。

 

私自身、区民の皆さんの満足度向上を目的とした「おもてなし運動」で組織風土を変えようと9年間率先して取り組み、それでも風土が変わらないことから、時間外の職員勉強会を立ち上げて8年間毎月開催してきました。しかし、職員だけでいくら頑張ってもこの組織風土は変えることができないと行き詰まりも感じていました。

 

職員のモチベーションは、そのまま区政のパフォーマンスの良し悪しに直結します。今の中野区役所の状態は区民の皆さんにとってとても残念な状態であること、自省と共に「どうしたらいいのか」いつも頭の片隅にありました。

広報担当の頃から地域の皆さんと仲良くなることが増えました。区の仕事と並行して観光協会のボランティアスタッフやNPOでまちづくりに取り組む中で、たくさんの区民の皆さんと知り合うことができました。しかし、同時に「区を良くしたい、盛り上げていきたいという想いがあるのに、中野区はまったくそれを活かしてくれない」という実際の声を聴くことも増えていきました。トップダウンの区政により、職員はトップの顔色を伺うようになり、区民との協働がまったく進まなくなってきたのです。

こんなにも想いのある区民の力を活かさないのは、本当にもったいないことだと強く感じ始めていました。

酒井直人の義憤「中野はこんなもんじゃない!」

今年1月、現区長が5期目への出馬を表明したとき、私の中で押さえようのない衝動が湧き上がってきました。

中野区を良くしていきたいという人がたくさんいらっしゃるのに、その力を中野区は活かしていない。区の職員に対して区民の力を区政に活かしていくための育成がなされていない。

「中野はこんなもんじゃない!」

中野区をもっと良くしていくために誰かが立ち上がらなくてはならない。

それが区の職員としての責務だと思い、辞表を出して中野区政に挑戦することにしました。

中野区の良いところ、悪いところを私は内部からしっかりと見てきました。またNPO法人、自治体改善マネジメント研究会の設立メンバーとして、自治体の経営についても研究してきました。

今こそ、中野区政の刷新にこれまでの経験や想いを活かす時です。

区長は誰がやっても同じ、ではありません。

職員がみな区民のために存分に能力を発揮し、区民は行政に声を伝え、全国一の子育て先進区、高齢者施策先進区になっていく。

そんな「希望に満ちた中野区の姿」が私には見えています。

201861日 酒井直人

 

あなたの悩みも教えてください。共に、「明日の中野」を語り合いましょう。当事者にしか分からない悩み、葛藤があります。小さなことで構いません、あなたの声をお聞かせください。

※いただいた声は後日記事としてまとめると共に、今後の中野区政に活かせるよう、日々進んでまいります。

7:44 2022/03/26


ようこそ!「区長の部屋」へ

 

私は20186月に中野区長に就任して以来、区民のみなさんとの対話に努め、それを踏まえて、政策課題への対応に全力を注いでいます。

さらに、行財政の構造改革を進め、持続可能な区政運営の実現に取り組んでいます。

20213月には、区民のみなさんとの協働・協創により、新しい中野区基本構想を策定しました。

私たちの共通目標である基本構想では、「つながる はじまる なかの」と題して、10年後に目指す4つのまちの姿を明らかにしています。

・「人と人がつながり、新たな活力が生み出されるまち」

・「未来ある子どもの育ちを地域全体で支えるまち」

・「誰もが生涯を通じて安心して自分らしく生きられるまち」

・「安全・安心で住み続けたくなる持続可能なまち」

私は、これらの実現に向けて、特に次の3つの取組を進めていきます。

 

1 「子育て先進区」の実現に向けて

 

私が最も重視している政策の一つであり、これまでに区民のみなさんや現場の声を聞くとともに、子育てに関する調査を実施し、実態と課題の把握に努めてきました。

それらに基づき、子どもの命と権利を守るための取組をハードとソフトの両面で進めます。

 

2 地域包括ケア体制の実現に向けて

 

全ての人が可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを続けていくため、住まい・健康づくり、予防、見守り、介護、生活支援、医療が一体的に提供されるシステムを実現するための取組を区民のみなさんや関係団体とともに進めています。

 

3 活力ある持続可能なまちの実現に向けて

 

新たなにぎわいの拠点を形成し、中野の活力をさらに高める中野駅周辺各地区のまちづくりを着実に進めていきます。

 

私は、情に厚く、あらゆる個性を受け入れるまちであり、また、変わらぬ良さと変わり続ける発展性の両面を感じる中野が大好きです。

中野区最大の財産である「人」が一層活躍できるよう、セーフティネットの取組と、区民と区の協働・協創を進め、必ず感染症の危機を乗り越えて、中野の未来を築いていく決意です。

みなさんのご理解とご協力を心よりお願い申し上げます。

中野区長 酒井直人

https://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/room/index.html

7:51 2022/03/26


令和4年(2022年)第1回中野区議会定例会区長施政方針説明(2022210日)

https://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/101500/d032066.html

7:56 2022/03/26


・なぜ、彼らは「お役所仕事」をかえられたのか?加藤年紀著・2,019819日・

5章、公務員、行政の可能性を信じる、

161頁・2022/03/26 7:5909


・酒井直人、1,971年生まれ。中野区長。1,996年中野区役所に入区。最初の職場は議会事務局で議員の報酬システム、議事録検索システムなどの導入を担当し、改善の面白さに目覚める。その後、文書管理、財務会計システムなどの担当を経て、当時、電子決済率日本一と言われた中野区役所の電子化に貢献。

・中野区政策室副参事(広報担当)、地域包括ケア促進担当副参事を経て、2,0186月、中野区長選挙に当選。職員時代には、市民の満足度向上を目的とした「おもてなし運動」で組織風土を変えようと9年間率先して取り組むほか、2,010年に自主勉強会の枠を超えた改善運動の全国ネットワーク「K-NET,

自治体改善マネジメント研究会の立ち上げに参画。第1回中野区検定1級、中野区もの知り博士号を取得。・

2022/03/26 16:58