星野リゾート公式サイト


・星野リゾートの事件簿


日次・はじめに・1、


・その謎を解くために、スタッフが自分で考え、悩み、行動し、周囲のスタッフを巻き込 ひ――。
そんなストーリーを本書では取り上げる。5頁・
2023年12月4日 5:49:35



・頂上駅の雲海 アルファリゾート・トマム(北海道占冠村):11頁・
・踊る超名門旅館|古牧温泉 青森(青森県三沢市)...37頁・
・新人社員のブチ切れメール|アルツ磐梯(福島県磐梯町)………………………57頁・
・一枚のもりそば|村民食堂(長野県軽井沢町)...73頁・
・地下室のプロフェッショナル一星のや軽井沢(長野県軽井沢町)・89頁・
・地下室のプロフェッショナル一星のや軽井沢(長野県軽井沢町)
・89頁
2023年12月4日 5:45:18



・先代社長の遺産「ホテル プレストンコート(長野県軽井沢町)・107頁・
・地ビールの復活 ヤッホーブルーイング(長野県軽井沢町)・123頁・
・常識との決別 リゾナーレ(山梨県北杜市) ........139頁・
・コンセプト委員会のメンバーは、「ファミリー客に何を提供するのか」について、
議論を深める必要があった。このとき、大きな手がかりになったのが、星野の問いかけだっ2023年12月4日 11:05:59た。

・スキー場なきスキーリゾート・リゾナーレ(山梨県北杜市)…………………155頁・
・激論する未経験スタッフ|ァンジン(岡県伊東市)・169頁・
・名おかみの決断一菜(静岡県熱海市)・187頁・
・あとがきにかえて・社員が辞めない会社になる・203頁・
・事件が会社を強くする・星野佳路・星野リゾートは長・・・215頁・


星野リゾートの事件簿、なぜ、お客様はもう一度きてくれたのか?
星野リゾートの事件簿なぜ、お客様はもう一度来てくれたのか?)・2023/12/01 5:34・ゼラチン、酵母工
はじめに
・どこまでも広がる 雲海を見下ろしながらコーヒーを楽しめるカフェが、北海道のど真ん中にある。
・このカフェは「雲海テラス」と呼ばれ、トマム山の山頂にある。見渡す限り続く雲海の眺めは、ときに雄大で、ときに幻想的だ。一度見たら一生忘れられないくらい心に残る。山頂の空気はすがすがしく、そこで飲むコーヒーの味は格別だ。
・雲海は日によって表情が違う。下に雲が迫って、まるでカフェが雲の中に浮いてい はるか下の山麓に雲海が広がり、雲の連なりを眼下にじっくり眺められる場合もある。雲海は時間の経過とともに少しずつ姿を変える。雲海を照らす太陽の光も色彩を変える。だから、ずっと見ていても飽きることがない。

・2頁・2023/12/01 5:36・



・雲海テラスがオープンする期間は限られている。トマム山頂から雲海が見えるのは夏の早朝である。カフェの営業は夏の数カ月、毎朝数時間だけである。
・それでも、口コミでその魅力が伝わり、毎年、何千人もの人が全国からやって来る。雲 海テラスからの晩めは、「夏の北海道の新しい風景」として、大きな注目を集めている。
・雲海テラスのある「アルファリゾート・トマム」は、ホテル、スキー場、ゴルフ場などを備えた総合リゾートである。パブル経済の崩壊によって一度は経営破綻したが、今ではファミリー リゾートとして立て直しに成功している。雲海テラスはトマム再生の象徴である。
・破綻したトマムの再生を引き受けたのが、軽井沢に本拠を置くリゾート会社の星野リゾ ートである。
・星野リゾートは1904年に軽井沢の開発を開始し、100年以上の歴史を持つ。だが、約15年前まで長野県内の老舗企業にとどまっていた。同社を全国的なリゾート企業にしたのが4代目社長の星野佳路である。
・星野は1960年生まれで、慶応義塾大学を卒業後、米国の大学院を経て、実家の「星 の弊害を強く感じた星野はいったん会社を去るが、しばら 父親に代わって社長に就任すると、経営改革を断行した。
・星野は、古参社員などの反発を受けながらも、一歩ずつ会社を変えた。そして自社のビジネスを構築することに成功する。その経験を生かして、破綻したホテルや旅館の再生 を引き受けるようになった。日本各地にある破綻リゾートの運営を旧経営陣から引き継 ぎ、再生に取り組んでいる。
・3頁・



・悩み抜いたスタッフが自分から動き出す
・本書の主役は、星野リゾートが運営する全国のホテルや旅館のスタッフである。

・トマムの雲海テラスを作ったのは、スキー客を運ぶゴンドラ・リフト部門のスタッフで ある。彼らの本来の業務はゴンドラとリフトを整備し、動かすことである。華やかなリリゾートを支える地味な仕事だ。
・もともと「裏方」だったゴンドラ部門のスタッフは、「顧客満足度を高めるために、何ができるか考えよう」という星野の問いかけに、初めは何をしていいか分からなかった。
・しかし、ある日、自分たちにできることに気がついた。そして多くの人を魅了するサービ スを生み出した。

・お客様を満足させることは、簡単なようで、難しい、大多数のビジネスパーソンにとって、お客様の気持ちは、永遠の謎かもしれない。
・4頁・2023/12/01 5:46


・その謎を解くために、スタッフが自分で考え、悩み、行動し、周囲のスタッフを巻き込 ひ――。そんなストーリーを本書では取り上げる。2023年12月4日 5:48:23
・登場するスタッフの中には、旅館やホテルの総支配人もいれば、研修中の新入社員もいる、いずれも星野リゾートで実際に起きた出来事である。
・青森の温泉旅館では、三井物産を辞め、最初パートとして星野リゾートで働き始めた 総支配人が、再生に向けて新設したレストランを盛り上げるために、「みんなで踊ろう」「まず自分が踊る」と先頭に立った。
・高級旅館「星のや軽井沢」では、「エコリゾート」を実現するという星野の野心的な提案に対して、中途入社したばかりの温泉のプロが意地を見せた。環境負荷の軽減とコスト削減を両立させるために、従来なかったエネルギーシステムを作り上げた。
・軽井沢の飲食施設「村民食堂」では、常連客のクレームに対して、スタッフがどう対応したらよいか悩み抜き、大胆な対応によってお客様の「怒り」を「笑顔」に変えた。
・こうした「事件」が星野リゾートでは、次々に起きる。そのたびに星野はスタッフの行動を見守り、問いかけ、アドバイスする。決して細かい指示は出さず、スタッフが自ら動き出すのを待つ。その間、星野はスタッフに対して、繰り返し、こう語りかける。
・「お客様の満足度を高めよう」
・5頁・



・星野は、現場では脇役どころか、姿さえほとんど見せない。必要なときに、会議に参加 したり、メールを送ったりして、勇気づけるだけだ。それでも、星野が掲げた「リゾート運営の達人」というビジョンはスタッフの間に浸透し、再生のパワーを生み出している。
・合理的な手法と納得感あるルール
・リゾートの再生に当って、星野は調査会社を使って詳細なデータを集めることから始め る。そのデータに従って「コンセプトづくり」を進める。これは再生する施設のメーンター ゲットとなる客層を決め、どうアプローチするかを考える作業である。
・コンセプトを明確に定めたうえで、それに合わせた詳細なサービスメニューを組み立て 顧客満足度を高める。サービスの評価を高めることでリピーターを増やし、稼働率を上げる。同時に、業務の進め方を見直し、ムダを取り除く。こうして収益性を高め、早期の黒字化を実現する。――これが星野の基本スタンスである。
・星野は、再生を実現するためには、社員のモチベーションアップが不可欠だと考えているだから社員の自由なコミュニケーションを重視する。
・星野リゾートでは、若いスタッフが上司に向かって、遠慮することなく「自分はこう考える」と主張 する姿を目にする。星野は、「誰の主張か」でなく、「どんな主張か」が重要だ
・6頁・2023/12/01 6:03・2009年6月



・スタッフは、部門の責任者である「ユニットディレクター」に立候補することもできる。立候補したスタッフは、自分の改革案をほかのスタッフの前で語る。スタッフはそれを聞いて責任者を選ぶ、リーダー人事に対する納得感が生まれるため、スタッフはお互いにチ
ームとして結束する。
・星野は「リゾート運営の達人」というビジョンを実現するため、施設ごとに、顧客満足度、利益率、環境に関するエコロジカルボイントという三つの指数に常に気を配る。精神論ではなく、合理的な尺度を決めて、スタッフの意欲を引き出す。
・「100年に一度」と言われる不況が続き、どんな企業も、スタッフ一人ひとりの能力を十分に発揮させなければ、生き残ることが難しくなってきた。星野リゾートの企業再生には、組織活性化のヒントが多数含まれている。企業規模や役職を問わず、ビジネスにかかわるすべての人に、何かを示唆してくれるだろう。
・本書は、日経BP社発行の経営情報誌「日経ベンチャー」に2009年3月まで1年間にわたって連載した「星野リゾートの事件簿」に加筆したものである。取材に当たって、星野リゾートのみなさまに多大な協力をいただいた。この場で改めて謝意をお伝えしたい。
・7頁・



・登場する人物の肩書や年齢は、日経ベンチャーに連載した当時のままである。敬称はすべて省略した。
・なお、日経ベンチャーは2009年4月、雑誌の名前を「日経トップリーダー」に一新し、経営者のための実践的な情報誌という特徴をより明確にした。その新刊に合わせて、星野リゾートを舞台にした新連載「「教科書通り」で会社を伸ばす」がスタートした。こちらもぜひ、お読みいただきたい。
・2009年6月・
日経トップリーダー副編集長 中沢康彦
・8頁・2023/12/01 6:12



・星野リゾートの事件簿 日次
・はじめに・1、
・頂上駅の雲海 アルファリゾート・トマム(北海道占冠村):11頁・
・踊る超名門旅館|古牧温泉 青森(青森県三沢市)...37頁・
・新人社員のブチ切れメール|アルツ磐梯(福島県磐梯町)………………………57頁・
・一枚のもりそば|村民食堂(長野県軽井沢町)...73頁・
・地下室のプロフェッショナル一星のや軽井沢(長野県軽井沢町)・89頁・
・先代社長の遺産「ホテル プレストンコート(長野県軽井沢町)・107頁・
・地ビールの復活 ヤッホーブルーイング(長野県軽井沢町)・123頁・
・常識との決別 リゾナーレ(山梨県北杜市) ........139頁・
・スキー場なきスキーリゾート・リゾナーレ(山梨県北杜市)…………………155頁・
・激論する未経験スタッフ|ァンジン(岡県伊東市)・169頁・
・名おかみの決断一菜(静岡県熱海市)・187頁・
・あとがきにかえて・社員が辞めない会社になる・203頁・
・事件が会社を強くする・星野佳路・星野リゾートは長・・・215頁・

11頁・2023/12/01 6:24・



・頂上駅の雲海 アルファリゾート・トマム(北海道占冠村):11頁・

・かつて「バブルの遺産」と言われたアルファリゾート・トマムは、星野リゾートによる再生によって、新しい輝きを放ち始めている。施設を見直し、雄大な自然環境を満喫できる サービスプログラムを導入し、宿泊客数は上向いた。赤字体質からの脱却が着実に進んでいる。
・2004年に星野リゾートが再生に着手した当時、旧経営陣の下で働いてきたスタッフは「これからどうなるのか・・・・・」と大きな不安を感じていた。部長職を務めていた伊藤修 もその一人だった。
・地元で生まれ育った伊藤は高校卒業後、実家の牧畜業に入った。肉牛を相手に、朝早くから日が暮れるまで、汗を流した。牛を育てる牧草地はもともと、伊藤の父が開拓した場
所である。
・その静かな牧草地に 突然、リゾートの開発の話が持ち上がった。それがアルファリゾー ト・トマムの事業計画だった。
・やがてトマムでホテルなどの建設が始まった。パブル経済前夜の1983年、トマム開業と同時に伊藤は牧畜をやめ、リゾート施設で働くスタッフとなった。そして、スキー場 のリフトやゴンドラの運営・保守管理をする「索道」部門に所属した。
・伊藤がゴンドラ担当になったのは、大きな理由があったわけではない、「自分にはリゾートの接客なんて無理」と考えた伊藤は、牧畜で大きな農業機械を扱っていた経験から、「機械の扱いならば、何とかなるかもしれない」と単純に考えた。伊藤は一から仕事を覚えた。そして、華やかなリゾート支える裏方のリーダーとなった。
・トマムの激動の歴史が そこから始まった。
・13頁・



・「顧客満足度?」「自由に意見を 出す?」

・開業後、しばらくするとバブル経済の到来で開発計画が次々に実現した。それまで牛が のんびり牧草を食んでいたのどかな地が、くつろぎを求める人々を対象にした一大リゾートに変視した。
・伊藤にはその変化自体がどこか信じられなかった。しかし、仕事は忙しく、感傷に浸る暇もなかった。
・バブルに陰りが出始めると、状況はがらりと変わった。トマムの運営会社は「売り上げをいかに伸ばすか」に躍起になった。営業部門でない伊藤の耳にも、営業強化の話がいつも入った。トマムの経営がさらに悪化し、破綻する数年前になると、伊藤は上層部の指示でコストカットに追われた。
・そんな努力も実らず、トマムの経営がさらに悪化し、破綻する数年前になると、伊藤は上層部の指示でコストカットに追われた。
・そんな努力も実らず、トマムの経営は破綻した。
・14頁・2023/12/01 6:36



・トマムの経営を引き継ぎ、再生に乗り出した星野リゾートについて、伊藤は会社の名前 すら聞いたことがなかった。「さらに大変になることだけは間違いない」と覚悟した。
・再生がスタートするに当たって、長の星野佳路はトマムに来た。星野はTシャツにス ニーカーという身軽な服装だった。
・スタッフはその姿に「何だかビジネスマンらしくないし、社長らしい服装でもない。一体、この人は何なのか」と驚いた。星野はスタッフに直接、「リゾート運営の達人を目指す」「コンセプトを明確に定め、顧客満足度を上げよう」「全員が自由に意見を出そう」と自分の考えを明確に語りかけた。
・伊藤は振り返る。「それでも正直言って、そのときの社長の言葉は、全然意味が分からなかった。それまで、売り上げを伸ばせ、コストをカットしろと言われ続けていたのに、突然、「お客様の満足が最大の目的」だと言う。会社は売り上げがなければ存続しないのに、どうして新しい社長は満足度なんて言い出すのか、まったく理解できなかった」
・星野の言葉は、「コストカット」「上から命令」「絶対服従」に慣れた伊藤にとって、驚きだった。伊藤はそれまで現場責任者として、「もっと自分たちに任せてくれたらうまくいく』「自分たちがしっかり考えてやった方が、」もっと面白いかもしれない」と感じたこともあったが、愚痴の域を出なかった。
・16頁・2023/12/01 6:49



・それだけに星野の言葉が、伊藤には魅力的に響いた。同時に、「本当にそんなやり方で大丈夫なのか」と半信半疑でもあった。
・伊藤の下で働いていた鈴木和仁も同じ不安を持った。
・鈴木は北海道出身で、もともと自衛隊で大砲を担当していた。両親がトマムの近くに住んでいることから、「親のそばで働こう」と仕事を探していた。スキー場のリフトの改札のアルバイトとしてスタッフになった。真面目な仕事ぶりが認められて、伊藤の推薦によって、トマムの社員になった。
・鈴木は、星野の話を聞いて、「なんだかとても若者向きの会社に見える。中年の自分で大丈夫なのか」と感じた。
・期待と不安の中、伊藤も鈴木は星野リゾートの社員となった。伊藤は改めてトマムの索道部門の責任者になった。
・悩んだ末に残った7人
・星野リゾートによるトマム再生の取り組みが実際に動き始めた。それは売り上げ重視」になれた伊藤にとって驚きの連続だった。
・18頁・2023/12/01 16:04・



・例えば、お客様からサービスに関する相談を受けると、トマムのスタッフはそれまで「会社として都合悪いことは基本的にお断りする」ことにしていた。しかし、星野は「お客様の満足を考えて動こう」「どうしたらお客様の満足度を上げられるかという視点から考えよう」と強調した。
・伊藤は「これまでの対応の仕方とはまったく違う。何がやりたいのか、まだよく理解できない」と頭を抱えた。
・鈴木もなかなか、なじめなかった。「もしかしたら、自分に合わないのではないか。辞めようか」と考えたこともあった。しかし 、北海道の雇用環境は厳しい。10代の鈴木は、な かなか再就職先を見つけるのは難しそうだと考え、転職をあきらめた。
・「社長にあんなことを言ったら、激怒されるのではないか」
・星野はトマムを訪れるたびに、自由に意見を出すことの意義を強調し、フラットな企業文化の定着を図った。だが、ビラミッド型の上意下達組織の中で、上から下りてきたものを下に落としていくだけだった伊藤には、星野の考えはなかなか理解できなかった。
・星野リゾートの本拠地である軽井沢から来たスタッフは、会議の場でも、社内のメール交換でも、社長に対して「自分はこう思う」と、自分の意見をはっきり伝えていた。
・19頁・



・伊藤はその姿を見るたびに、「あんなことを言ったら、社長が激怒し、どこか別の部署に飛ばされるのではないか」とびくびくした。しかし、社長の星野は社員の反対意見に対して、怒るどころか、平然と議論していた。伊藤はその様子に「びっくりするというか、感動するほどのインパクトを感じた」。
・だが、同時に「お客様の立場で考えたり、自由に議論したりするというのは、何だか難しい気がする。負担が大きいな」と尻込みした。そして「星野リゾートに経営が変わっても、自分はトマムにとどまった判断は正しかったのだろうか。これから本当にやっていけるだろうか」と不安をさらにさらに募らせた。
・なかなか星野リゾートのやり方に慣れなかった伊藤は、ある出来事がきっかけで考えを 変えた。それは伊藤の担当するリフトで、お客様がけがをしたことだった。
・以前ならばこうしたトラブルが起きたとき、会社はすぐに弁護士を通して、お客様に対応しようとした。そのやり方はお客様のけがを心配するというよりも、トラブルを解決するために業務的な姿勢で臨むもので、どこか冷たい対応だった。
・星野リゾート流はまったく違った。けがをしたお客様の訴えをスタッフが直接、とにかく聞いた。親身になって、話を聞き続けた。お客様の気持ちをたっぷり話してもらったうえで、どうしたら納得してもらえるかを考えた。
・伊藤はこのとき、「お客様のために動く」ことの意味がようやく少しだけ分かった気がした。
19・2023/12/01 7:12・20頁



・たけがをしたお客様はそんな対応に好感を示し、翌年もトマムにスキーに来てくれた。破産前からトマムで働くスタッフの中にも、やがて年齢や役職の壁を乗り越えて、お客 様のために動く決意を語る社員が出てきた。顧客満足度の向上に真剣に取り組む人が出 きた。
・一方、「こんなやり方では、とてもついていけない」「自分には合わない」と、なじめずに辞める人もいた。
・伊藤の索道部門は2人が辞めた。残ったのは伊藤を含めて7人である。
・「そんなこと言われても、無理だよ」
・星野は部門ことに、「顧客満足度の向上に向けて、今後1年間の戦略」を考えて、発表するように求めた。ゴンドラのメンバーは「自分たちは後方支援部門であり、戦略と言わ伊藤は悩んだ。
・星野リゾートの旅館・ホテルでは毎月、各部門の現状や課題を議論する「戦況報告会」を開き、丸一日かけて話し合う。トマムの報告会には、星野も毎回、姿を見せた。
・こうした場で、「顧客満足度」「自由な議論」などを強調し続ける星野の姿勢は、まったくぶれがなかった。伊藤は星野の明快な姿勢を見続けるうちに、「こんなやり方もあるのか」といつしか強く共感するようになった。
・21頁・



・索道部門の7人も伊藤が中心となって、顧客満足度をテーマに議論をスタートした。ただし、40代、50代のベテラン社員が多い。これまで通り「自分は裏方」という意識が強く、「顧客満足度」といってもピンとこなかった。
・全員で話し合った結果、7人はまず、「あいさつと笑顔」に取り組むことにした。「これならば準備も費用も不要。すぐにできるし、お客様が喜んでくれる」と思ったのだ。メンバーは「自分たちが「社長に言われたから」と、本から取ってきたような戦略を実現しようとしたところで、つぶれるだけだ」「それならば、ささやかもしれないが、あいさつと笑顔から始めて、一歩ずつ進むしかない」と話し合った。
・それでも、実際にお客様を前にすると、顧客満足度を考えたことのない7人は言葉が出ない。1年目は表情もこわばっていた。
・しかし、同じ目標で2年目に入り、何とか踏ん張るうちに、伊藤はお客様が喜ぶ様子に少しずつ気づき始めた。
・やりがいを感じ始めた伊藤は、メンバーを励まし続けた。そして「何とかお客様から褒められるところまで行こう」と模索した。自分たちで独自に研修会を開いてほかのスキー場の接客の様子を聞き、全員が自分の感じたことをレポートにしてまとめた。それを基に、ゴンドラのスタッフは自分なりにマニュアルを作った。
・22頁・2023/12/01 7:22



・だが、さらに高いハードルが7人を待っていた。ある日の戦況報告会で星野が言った。「トナムの夏の魅力を高めるために何ができるかを考えよう」
・トマムはスキーシーズンの冬場は施設稼働率が高いが、夏場には改善の余地がある。星野はトマムの再生にとって、通年リゾート化が重要だと考えた。そこで星野はこの日のテーマとして「夏期の顧客満足度」を掲げたのだった。
・7人には「本業は裏方」という意識がある。しかも夏はゴンドラのメンテナンスが続き、お客様と接する場面が少ない。ゴンドラ部門は、冬の顧客満足度を高める努力は始めたが、夏については顧客満足度の測定自体していなかった。
・ハイグレードな施設に見合うだけの「夏の魅力」をどう作るか。星野の問いかけに7人は戸惑った。メンバーの一人がため息をついた。「自分たちにそんなこと言われても、できない。とても無理だよ」。
・夏を前に、7人はスキーシーズンを終えたゴンドラのメンテナンス作業に入っていた。ケーブルを支える高い鉄塔に登り、油まみれになってパーツを交換したり、色のはげた個所をペンキで塗り直したりする作業が毎日続いたが、伊藤の心の片隅には、「夏の魅力」という星野の問いかけが常にあった。
・23頁・



・「お客様にも、この眺めを見せたいなあ」
・ある日のこと、伊藤は午前中、ゴンドラ山頂駅付近で作業していた。休憩時間に7人が集まると、眼下に雲海が広がっていた。地元で生まれ育った伊藤は、この早朝の雲海が大好きだった。ただし、それは「見慣れたいつもの風景」でもあった。
・だから、普段ならば雲海をちらりと見ればそれで終わり。だが、この日は違った。伊藤の頭の中を「お客様が喜ぶ姿」がよぎった。それは1年間かけて、あいさつと笑顔に取り組む中で初めて知った姿だった。
・伊藤がぽつりと言った。
・「お客様にも、この眺めをぜひ見せたいなあ。ここでおいしいコーヒーを飲んでくつろいでほしいなあ」
・何気ない一言だった。顧客満足度を意識し続けることで、伊藤は自分の気持ちが素直な言葉として口に出た。
・26頁・2023/12/01 7:49



・伊藤の一言に、鈴木は「そんなモービスを始めても、本当に人気が出るのか」と思った。長く働く鈴木ももちろん、雲海をいつも目にしていたが、それがトマムの魅力になると思えなかった。
・雲海は山の麓にあるゴンドラの乗り場から見ると、ただ頭上に雪がかかっている光景
が広がるだけだ。雲よりも上に上らなければ、雲海の美しさは分からない。曇り空を見て、お客様が本当に頂上まで来てくれるか。鈴木はまったく自信がなかった。
・だが、ほとんどのスタッフは「それ、いいなぁ」「トゃんの魅力ってこういうことじゃないか」と次々に声を上げた。伊藤はその様子を見て、「顧客満足度を上げる取り組みとして、いけるかもしれない」と思った。
・鈴木は納得できなかったが、「みんなが言うならば」と渋々賛成した。
・この日の夕方から、7人は「雲海を見ながらコーヒーを飲んでもらう」プランを話し始めた。やがて、「ゴンドラの山頂駅付近に早朝営業のカフェを作ろう」と話が膨らんだ。が、同時に三つの課題が 浮かんだ。
・一つは「接客」である。ゴンドラ部門として取り組む課題である以上、接客を自分たちで担当するしかない。だが、誰もカフェなどの飲食店で働いた経験はなく、「スプーンとソーサー 方」「コーヒーの運び方」「エプロンの着方」など、まったく分からない。本格的な接客経験のない7人にカフェが できるのか。
・27頁・



・二つ目は本来の夏の仕事であるゴンドラのメンテナンスをどうするか。カフェで人手を 取られるあまり、本来の業務がおろそかになることはないか。
・三つ目は「早朝の準備」である。伊藤が調べると、山頂駅付近から雲海が見える可能性が高いのは午前5時ころからの数時間。これに合わせてテーブルやイスをセットし、ゴンドラを動かし、飲み物サービスに備えるには、午前4時から準備する必要がある。そのためには早朝3時には家を出発しなければならない。本当に対応できるのか。
・課題をクリアするために、7人は考え、話し続けた。
・仕事の手順を見直しして課題を解決

・約2カ月の話し合いを経て、7人は課題への答えを出した。
・まず、「接客」は、トマムのレストラン部門の担当者に頼み、空き時間に7回の研修をしてもらうことにした。7人は注文の受け方、飲み物の置き方、食器洗浄機の使い方などを一から学んだ。ゴンドラメンテナンスの昼休みに、7人は軍手をはずして練習を繰り返した。「普段は作業着なのに、ウエーター姿で人前に出ること自体、勇気がいる」という人もいた。それでも地道に取り組み、自分たちの力でカフェを運営することを決めた。
・28頁・2023/12/01 8:03



・次に「ゴンドラのメンドナンス」については、作業手順を見直した、従来の作業手順は、「縦社会」だった時の仕事ぶりを引きずっていた。「仕事に慣れない人が下準備」したあとで、ようやく仕事のできるベテランが動くなど、効率がかった。それを全員で力を合わせて下準備することにした。
・また従来は、仕事の段取りはベテランがすべで決めて、口頭で伝えるだけだったが、作業効率を上げるためにあらかじめみんなで相談して進行表を作ることにした。仕事を効果的に分担する工夫も取り入れたことで、円滑に作業をするメドが立った。
・残る問題は「早朝の準備」だった。7人の中には、通動に自動車で一時間以上かかる人がいて、「そんなことになったら、生活があまりにも変わってしまう。わざわざそこまでしなくてもいいのではないか」と反対した。「そんな暮らしになったら、朝だか昼だか分からなくなる。そうまでしてやりたくない」という人もいた。なかなか譲る気配はなかった。
・伊藤は「トマムが変わるためには、自分たちも変わろう。自分たちもトマムの魅力をお客様に伝えるために、何かをしよう」と思った。しかし、乗り気でないメンバーは、どれだけ話しても聞き入れない。雲海カフェの計画は宙に浮きそうになった。
・あきらめ切れない伊藤は全員を説得して回った。そして、みんなで協力して取り組む体制を「半ば強引」に作った。



・29頁・
・鈴木は「本当にうまくいくのか。無理じゃないか」という思いがあったが、伊藤の思いに引っ張られて、「じゃあ、やってみようか」と動き始めた。
・こうして2005年夏、ゴンドラ山頂駅付近で早朝カフェのテスト営業が始まった。
・飛び上がりたいくらいうれしくなった
・カフェといっても、砂利の敷いてある小さな広場に、テーブルとイスを運んで並べただ けのシンプルなものだ。期間と時間を絞ったテスト的な営業だった。
・それでも初日を迎えた7人は、慣れないウエーター姿で準備をした。そして、心の中では、「こんな早朝に、わざわざお客様が集まるだろうか」とドキドキしていた。
・だが、しばらくする とお客様は次々にやってきた。お客様の姿を見るたびに、7人は飛び上がりたいくらいうれしくなった。2年間かけて、やっとのことで身につけた笑顔とあいさつが、このときには驚くほど自然に出た。
・この日は雲海が見られなかった。しかし、お客様は気温3度の心地よい早朝の空気の中で、トマムの雄大でみずみずしい風景を堪能していた。7人は次々に飛び込んでくる注文お客様は途切れることがなかった。スタッフは「このままでは大変だ」と慌てた。追加のに追われた。
・お客様は途切れることがなかった。スタッフは「このままでは大変だ」と慌てた。追加のテーブルとイスぞふもとから山頂駅までトラックで運び、急ごしらえで座席を増やした。



・30頁・2023/12/01 8:19
・研修を重ねたとはいえ、サービス面は不慣れでミスもいくつか出た。それでも、お客様には満足そうな笑顔が目立った。伊藤はその様子が何よりもうれしかった。
・「うわあ、すごいなあ」と思わず声を上げるお客様の笑顔を見るうちに、不安ばかりだった鈴木も、お客様に喜んでもらう楽しさに目覚めた。
・2ヵ月の期間中に約5000人が集まり、テスト営業は大成功だった。伊藤はこの様子を秋の戦況報告会で発表し、本格展開を訴えた」。
・星野は微笑んだ。「面白い、いいね」。
・現場を知るスタッフが大きな力を生む
・サービスの具体的な中身づくりについて、星野は現場に任せた。
・伊藤は2006年の正月から、早くもその年の夏に向けて、企画を練った。テスト期間中には、お客様から「営業開始の時間をもっと早くしてほしい」「地面が砂利で、何だかさびしい」「注文したものが出てくるまで時間がかかる」など改善を求める声も多数集まっていた。
・伊藤はそうした声を取り入れながら、企画書をまとめて提案した。伊藤は「雲海をもっと楽しんでもらうために、テラスを建設したい、そして、お客様にもっとアピールしたい」説明した。



・32頁・2023/12/01 8:29
・トラムは再生中のため、新規のの投資に星野は慎重だった。だが、伊藤の提案を星野は受け入れた。
・伊藤はこのとき、この場所でゲームを行うなどイベント化することも提案した。しかし。星野は「雲海の見えるカフェといっても知らない人が多い。まずは、この場所自体を知ってもらうことに専念しよう」と方向を定めた。
・星野はこうして誕生したカフェを「雲海テラス」と名付けた。夏の限定サービスとして人気を呼び、2007年は約1万7000人が集まる大ヒット企画となった。伊藤たち7人が自分たちの力で新しいサービスを生み出したことに、星野はトマム再生の足取りの確かさを感じた。
・「裏方」を自認していたゴンドラ担当の7人の取り組みが、トマムばかりか、北海道の新しい魅力を掘り起こした。星野はその理由を「トマムのスタッフが、顧客志向になったからこそ、実現できた」と強調する。
・星野はトマムの再生に当たって、顧客満足度の向上を強調し続けてきた。そして、スタッフが考えて動くように、自由な議論を続けた。それがスタッフを変えた。現場スタッフの顧客志向の行動が、雲海テラスの大ヒットを生んだ。



・33頁・
・実はトマムの再生がスタートしたばかりの時、星野は敷地内を自分の足でくまなく歩き回っていた。スキーを履いて滑り降りながら魅力を探し続けた。そんな中で、ゴンドラで山頂に登ったとき、「ここで何か雄大な自然を観賞できるものがあればいいのだが」と考えたことがあった。
・「雲海を見ながらコーヒーを」という企画案を聞いた当初から、星野は「新たに夏の北海道の魅力を象徴する風景になる」と直感した。だから、ゲームなどでイベント化するのでなく、あえて場所の魅力を知ってもらうことを優先した。
・基本的な方向が定まると、具体的なサービースの中身はスタッフに任せる。それが星野のやり方だ。「現場を知るスタッフが、「お客様に喜んでいただきたい」と思うようになったとき、大きな力が生まれる。その力にはどんな専門家も勝てない」と考えるからだ。
・いつしか雲海での仕事にどっぷり浸かる
・自分たちで作り上げたサービスの魅力に気づいた7人は、トマムにふさわしいサービスとは何かを考え続けた。そして、雲海テラスに様々に工夫を付け加えている。
・その一つが「雲海予報」だ。雲海は、必ず毎日見られるわけではない。伊藤によると、雲海テラスを営業する夏の期間中、雲海が発生する確率は3~5割ほどだという。



・34頁・2023/12/01 17:45・
・・34頁・2023/12/01 8:37
・7人は「雲海を見られるかどうか」を気にするお客様の気持ちに少しでも応えようと、
気温や湿度などに加えて。「ある方角に午後から雪が出ると、翌朝は冷え込む。するとトヤムは雪海が出やすい」など自分たちの経験則も生かし、雲海が出る確率を伝える「雲海 予報」を独自に作ることにした。そしてこれをホテルフロントに掲示して、「雲海が出ない日があっても、それはそれで楽しめるようにしよう」と考えた。
・伊藤はここでら「お客様を楽しませよう」と、雲海予報を出す「雲海仙人」の役を買って出た。別の部門から「できるかできないか分からないサービスの確率を出すなんて、おかしい」という批判があったが、社長の星野は「何でも枠にはめるのは良くない。チャレンジしてみよう」と、この試みに賛成した。
・伊藤は反対する人に「何かクレームがあったら、ゴンドラ部門ですべて対応する」と約束してこのサービスを始めた。実際に始めると、お客様は「雲海予報」を楽しみ、クレームはまったく出なかった。伊藤はさらにほかの部門と協力して、毎朝、雲海の様子やゴンドラの運行状況などの情報をフロントに流す体制も作った。
・お客様が雲海テラスをさらに楽しめるようにするための新しい試みも始めた。
・35頁・



・例えば、ゴンドラ乗車券を雲海の風景の絵はがきにしたのもその一つだ。その絵はがきに雲海テラスでメッセージを書いて送れるように、山頂にポストも設置した。
・これは「雲海テラスで過ごす特別な時間を、特別な思い出にしてもらう」ための試みで、 鈴木の発案でスタートした。はがきには雲海をデザインしたスタンプが押してある。
・さらに2008年からは、レストラン部門も加わって軽食メニューの提供もスタートす雲海テラスはトマム全体で取り組む大きなプロジェクトに育った。夏場の宿泊客の約3割は雲海テラスを訪れる。
・やがて伊藤が別のプロジェクトに移った。すると、鈴木がゴンドラのメンバーの責任者 7人の中でも、雲海テラスがうまくいくかどうかとりわけ不安が大きかった鈴木は、いつしか雲海での仕事にどっぷりとはまっていた。雲海仙人も鈴木が務めることにになった。
・「もっとお客様に喜んでもらうためには何ができるのか」。顧客満足度を知ったスタッフ のチャレンジは続く。

36頁・


2023/12/01 9:08・アルファリゾート・トマム・星野
アルファリゾート・トマム・星野 - 検索 画像 (bing.com)

アルファリゾートトマム - 検索 画像 (bing.com)

・2023/12/01 18:08・


・地下室のプロフェッショナル一星のや軽井沢(長野県軽井沢町)
・89頁
2023年12月4日 5:41:37



「星のや軽井沢」は、星野リゾートを代表する高級旅館である。

・川が流れる緑豊かな谷に沿って、離れ家形式の客室が点在する。24時間ルームサービスを受けられるなど、きめ細かな接客に定評がある。敷地内には茶屋やライブラリーラウンジもあり、ゆったりした静かな時間を満喫することができる。
・一度いらっしゃったお客様の要望を蓄積していく情報システムの活用などにより、かゆいところに手が届くサービスを提供する。季節とともに表情を変える自然を楽しむために、1年間に何度も訪れるお客様も数多い。
・施設、サービスともに顧客の評価は高く、2005年のオープン以来、新聞や雑誌の「行ってみたい温泉旅館」で常に上位に入る。
・星のやは、顧客満足度の高さと同時に、もう一つ、別の面からも大きな注目を集めている。それは環境に最大限に配慮した「エコリゾート」の発想を徹底していることである。普通に 宿泊しただけでは分からないが、環境面でこれまでの日本の旅館にない先進的な試みに成功している。
・地下室には、敷地内の地中熱などを活用する独自のエネルギーシステムがある。館内の 給湯、冷暖房の熱源装置などとしてフル稼働している。軽井沢の豊かな自然環境にやさしく、関係者の評価は非常に高い。
・このエネルギーシステムを担当するのが、星野リゾート社長室に所属する松沢隆志である。
・91頁・



・マイペースでひょうひょうと話す松沢は、あまり旅館のスタッフ風ではない。実際、お客慢に接するサービスは担当しない。松沢は星野リゾートで「SUCAI」と呼ばれる専門職の一人であり、星野リゾートの温泉全般を担当している。
・松沢は普段、星のやの地下にあるエネルギーシステムの管理室に一人、机を置き、さまざまな調査やエネルギー計画の策定などに当たる。「仕事に集中するため、昼食はいつも5分、トイレもなるべく行かないようにしています」「仕事に没頭するために、電話も取ることはありません」と語る様子は、非常に個性的である。
・星のやの新しいエネルギーシステムが実現したのは、松沢の「温泉のプロ」としての意地によるところが大きかった。
・新しいエコ リゾートへの思い
・日本のリゾート開発はこれまで、施設の建設による森林の破壊、施設ができてからの地下水の汚染など、環境面ではマイナスイメージで語られるケースが少なくなかった。旅館やホテルは一般に冷暖房用に重油などの化石燃料を大量に使い、二酸化炭素をどんどん排出してきた。緑に囲まれた場所にある旅館も、実は環境への負荷が少なくなかった。
・星野リゾートは約400年前、敷地内に社長の星野佳路の先祖がミニ水力発電施設を作るなど、代々にわたって軽井沢の自然環境を生かし、調和するように気を配ってきた。

・2023/12/03 14:47・94頁



・エコロジーに対して先進的であり続けてきたと自負する星野は「自然環境に配慮したリゾートづくりをさらに進めたい」と考えた。そんなとき、星のやの建設プランが浮上した。・星のやの建つ場所にはもともと、約90年の歴史を持つ「星野温泉ホテル」があった。星野リゾートのルーツである。星野は古くなった同ホテルを閉鎖し、約2年かけて「星のや」を作ることを決めた。星野はエコリゾートという思いを込めたいと考えた。

・このとき松沢は温泉調査・掘削の専門会社に勤めていた。大学で地球物理学を学んだ松沢は卒業後、専門知識を生かそうと考えて温泉掘削会社に入り、全国を回った。しかし、入社から約6年過ぎたころ、バブル崩壊後の不況によって、会社が倒産した。突然の出来事に、松沢は「これからどうしたらよいのか」と頭をひねった。
・星野は、自社の温泉施設関連の仕事を通じて松沢と面識があった。的確な分析力を持つ松沢の能力を評価した星野 は「当社に入らないか」と誘った。
・松沢は、星野リゾートが古くから水力発電に取り組んでいたことや、自然環境を観察すネイチャーツアーなど新しい試みに積極的なことなどを知っていた。星野リゾートに どこかを先進的な会社だ」というイメージを持っていた。転職先を考える中で、「世界で一流のサービスを実現する」など星野の野心的な考えを聞き、パワーを感じた。松沢は「松沢は、「は星野リゾートはこれまでと違う業種だが、その分、いろいろなことができそうだ」と入社を決めた。
・95頁・



・ちょうどこのころ、「星のや」の計画づくりが本格的に動き出そうとしていた。
・北欧を参考に日本初のプランを作る
・星のやのプランづくりには、社内外から約10人のメンバーが参加していた。
・入ったばかりの松沢は星野リゾートの温泉のメンテナンスを担当しながら、「温泉のプロとして早速、改革作りに加わった。
・話し合いは「環境にやさしい旅館を作ろう」「エネルギーシステムについて考えよう」と進んでいた。ニコリゾートにとって、エネルギーシステムは重要な課題だ。地熱エネルギーについて熟知している松沢は、「自分の役割がたくさんありそうだ」と思った。
・松沢は「星野ホテル」が約90年前から水力発電を流用してきたことに注目した。「従来の水力発電に自分の温泉の知識を組み合わせ、新しい自然エネルギーシステムを作ろう」と考えた。
・松沢は海外の事をインターネットなどから集めた。「ヨーロッパで軽井沢と気候が似ているのはどこか。それはスウェーデンやスイスではないか。だったらそうした地域。システムの機能をそのままに、投資額を減らすには一体どうしたらいいのか」と考え続けた。そして、自らのプランを二つの角度から見直すことにした。
・96頁・2023/12/03 15:01



・一つは、エネルギー効率をさらに上げるための抜本的なシステム改良である。松沢は現 場で培った知識を振り絞った。そして新たに温泉排水に含まれている熱エネルギーに目をつけた。
・星のやの温泉は源泉からのかけ流しであり、湯量も豊富である。この温泉を見つけるまでには先人は大変な苦労をしていた。松沢もそのことを何度も耳にしていた。星野リゾートの歴史が詰まった温泉をここで活用できないか。松沢はそう考えた。
・松沢はこのアイデアを実現するために外部の知恵を生かそうと、大学の研究者や商社 の担当者らを訪ねて回った。そして、ついに地中熟と水力発電に加えて、温泉排水を組み込んだエネルギーシステムの計画をまとめた。
・地道なムダ取りで投資額を圧縮
・ただし、もう一つの工夫は、地道なムダ取りだった。システムに不要なパーツがないかどうか。松沢は一点ずつ丹念に確認した。そして、何度も設計を見直し、必要のない部分を見つけて、次々に削った。
・99頁・



・専門的な知識の底上げと地道なムダ取りの積み重ねによって、6ヵ月後、新しいブラン
が完成した。「環境」「経済性」「顧客満足度」のいずれの観点からも説得力のある計画で、回収の期間も5年に短縮された。松沢にとって、汗と知恵の結晶だった。
・松沢は会議ので、考え抜いたプランをじっくり説明した。星野は松沢のプランを前に、即座に決断した。
・「よし、実施しよう」
・松沢はほっとした。同時に、「自分は入社してからまだ1年も経っていない。そんな自 が立てたプランをそのまま実行に移すなんて、何だかすごいな」としみじみと感じた。
・だが、喜びはすぐに、心配をもたらした。

それだけでは投資額を十分に削減 することはできなかった。
・松沢は新システム導入に対する責任の大きさを改めて感じた。そして、「本当に大丈夫 いう不安が渦巻いてきた。
・星のやのエネルギーシステム導入には、これから十億円単位の資金が投じられることになる。星野リゾートにとって社運をかけた大きなプロジェクトであり、失敗することは許されない――。松沢は大きく息を吐いた。そして会議のメンバーに対して思わず。尋ねた。「本当にこの計画でいいのでしょうか。計画をすべて実行しなくてもいいかもしれませさよ」
100頁・2023/12/03 17:14



・「これまでにない試みであることも考え合わせると、むしろ最初は当初案の半分くらいスタートしたほうがいいのではないですか」
・たった今、導人が決まったプランは、時間をかけて考え抜いたエネルギーシステムである。もちろん科学的な裏付けは十分ある。絶対的と言っていいだけの自信がある。
・それでも100%成功する保証はない。本当にうまく行くのだろうか。松沢は気持ちの
揺れを思わず口にした。
・珍しく慌てた口調の松沢に対して、星野が答えた。
・「計画はしっかりしている。予定通り、全面的に導入しよう」
・夜中に目覚めて何度も計算式を見直す
・新エネルギーシステムの建設工事が始まった。激しい崩落が起きるトラブルが途中で発生したため、工事は予想以上に難航した。

・松沢は課題が浮上するたびに工事の方法を練り直した。そして、ときには前職での経験を生かして、自分で掘削用のボーリングマシーンも操作した、星野は計画が決まった後は、すべてを松沢に任せていた。「WHAT (=何をするか)を決めたら、HOW TO (=どう実現するか)は現場に任せる。そんな星野リゾートのやり方を実感した」と松沢はふり返る。
・101頁・



・星野は工事中。一切口出ししなかった。
・松沢は毎日、現場をくまなく歩き回り、陣頭指揮を執った。どこに問題点があるのかを自分の目で確認して、解決した。ひょうひょうとした松沢といえども、気持ちが張り詰める日々が続いた。
・眠れなかったり、夜中に目が覚めたりすることもしばしばあった。万が一にも、自分のに落ち度があったら大変なことになる、と松沢は思った。
・エネルギーシステムについて、自分の試算が「本当に間違っていないだろうか」と不安になることが何度もあった。松沢はそのたびに、真夜中に床から起きて計算をやり直した。毎晩のように同じ計算を最初から最後まで繰り返した。
・そのうちに、いつしか計算式をすべて覚えた。それでもなお不安が募る松沢は、布団の繰り返し、「大丈夫だ」と確認できてから眠った。
・松沢が精魂込めて作ったエネルギーシステムは2005年7月、星のやのスタートと同たシステムを前に、星野は笑いながら言った。
・「何だか、松沢に大きなおもちゃを買ったなあ」
・松沢の緊張はこの時点でもまったく解けなかった。エネルギーシステムはー回動けばそれでいい、というものでない。安定して稼働し続けてこそ意味がある。それだけに順調に稼働するかどうか、しばらく様子を見る必要があった。
・102頁・2023/12/03 17:29



・ 松沢にとって気の抜けない日々がそれから約1年間も続いた。エネルギーシステムは気象条件が変化しても、客室稼働率が変化しても安定していた。松沢が最も心配していた厳冬期も順調に動き続けた。松沢はようやく胸をなで下ろした。
・「一石三鳥」のブラン を達成
・新しいシステムの導入効果は非常に大きかった。
・星のやは、施設全体で使うエネルギーの7割を自然エネルギーによって賄っている。化石燃料の使用は、厨房のLPガスなど一部だけである。二酸化炭素の排出量を大幅に削減ることができた。エコリゾートのコンセプトが実現した。
・新しいシステムは経済性も高かった。初期投資の回収は予想以上に速いペースで進んだ。当初計画で定めたら年よりもずっと早い1年10ヵ月で回収を終えた。原油価格の大幅な上昇が重なったことなどで、自然エネルギーの活用による燃料代の節約効果が大きくなっ たからである。
・宿泊代にもまったく影響せず、サービス水準の高さに対するお客様の評判も重なり、星野が担った「環境配慮」「経済性」「顧客満足度」の二石三馬の目標が達成された。
・105頁・



・同業のリゾート関係者はもちろん、環境やエネルギー分野の関係者からも反響は大きかった。「地球温暖化防止活動環境大臣表彰」などを受賞し、エネルギーシステムは、星のやのもう一つの顔になった。
・エコリゾートを徹底するため、星のやはほかにもさまざまな工夫を取り入れた。例えば夏エアコンの代わりに、屋根の一部に風の通り道を設けているのもその一つである。そこから日中の暖かい空気を排出して、代わりに外の清涼な空気が入る仕組みである。長野県の農家にかつてあった屋根の構造を参考に、大阪大学と共同で研究・テストを繰り返すことで実用化につなげた。
・星野リゾートは今後、ほかの旅館・ホテルでも自然エネルギーを生かしたシステムを導入していく方針を打ち出している。松沢はその中心人物として、知恵を絞り続ける。
・106頁・2023/12/03 17:43



星のや軽井沢
・長野県軽井沢町にある温泉で川の流れに沿って、点在する。各種の調査で「行ってみたい」の上位にランクされる、星野リゾートのルーツである「星野温泉ホテル」を建て替えて作った。

・先代社長の遺産・ホテルプレストンコート(長野県軽井沢町)
た。
・107頁・2023/12/03 17:51・終わり





・星野リゾートの事件簿、なぜ、お客様はもう一度きてくれたのか?
リゾナーレ八ヶ岳 | 星野リゾート【公式】 (hoshinoresorts.com)
・常識との決別・リゾナーレ(山梨県北杜市) ........139頁


・ 星野リゾートは全国でさまざまなホテルや旅館の再生を手がけている。その先駆けになったのが、山梨市北杜市にあるリゾートホテル「リゾナーレ」だ。
・星野リゾート社長の星野佳路は1990年代中ころ、低迷していた長野県軽井沢町にあ自社ホテル・旅館の立て直しに成功した。そして、一連の改革で培ったノウハウを生かして、他社のリゾート得生に乗り出した。
・リゾナーレはもともと、大手流通グループが会員制ホテルとして営業を開始した。イタリアの有名建築家マリオ・ペリーニ氏がデザインを手掛けており、施設全般に高級感が漂っている。首都圏からそれほど遠くないうえ、敷地内から八ヶ岳などの山々を望むことができるなど、できるなど、立地も優れている。その魅力を生かして、20~30代の若いカップルを主要なターゲットに据えていた。
・しかし、バブル経済の崩壊でプランが圧い始めると、やがて経営が行き詰まった。
・星野リゾートは2001年、リゾナーレの経営を引き離いだ。社長の星野は経営方針をゼロベースで再構築するために、「コンセプトづくり」からスタートした。これは「どんな客様に対して、どんなサービスを提供するか」を明確にする作業である。星野リゾートが旅館やホテルを再生するとき、必ず行う重要なスペップである。
・星野はコンセプトを固めるために、外部の調査会社を使い、リゾナーレの顧客分析を徹底的に進めた。同時に星野はコンセプト作りの担い手と「コンセプト委員会」のメンバーを社内から公募した。
・141頁・



・リゾナーレのスタッフにとって、何もかもが新しかった。破綻前から働いているスタッフの中には、どうしていいか分からず、動揺する人もいた。だが、それまでの経営に限界を感じていた人たちは星野の呼びかけに応じ、コンセプト委員会のメンバーとして16人が集まった。
・リゾナーレで現在、総支配人を務める桜井潤は、このとき委員会に自ら進んで加わったメンバーの1人だった。
・「旧経営体のときは、上から命令され、それに従うだけだった。仕事はやりがいのないものだった。それが星野リゾートになった途端、「自分たちでコンセプトを作ろう」と、大きく変わった。何だか面白そうだと思った。だから20代だった自分も迷わず参加した」
・二つのプランが浮上
・星野リゾートのコンセプト委員会は、出席する誰もが、どんなことでも、言いたいことを言える場である、その雰囲気は、上から何かを言われるだけの旧経営時代とは大きく違った。
・142頁。2023/12/04 7:08



・コンセプト委員会のメンバー16人は「リゾナーレを再生しよう」と意気込んでいた。それまでと異なる「自由な議論」に最初のうちは戸惑っていたが、会合に欠かさず出席した星野が冗談を交えながら、スタッフが話しやすい雰囲気を作った。なかなか話せなかったタッフも少しずつ自分の意見を口にするようになった。
・いったん意見が出るようになると、スタッフの意識が変わるスピードは速かった。せきを切ったように意見が飛び交い始め、やがてコンセプト委員会は朝から夜中まで続くほど、熱を帯びていった。桜井もその一人だった。
・コンセプトづくりの最重要事項が、「メーンターゲットの決定」である。これからどんなお客様をターゲットにするのかを決め、そこから詳細なサービスプランを検討する。それが星野リゾートのやり方である。
・星野は外部の調査会社を活用してデータを収集するところから始めた。その結果、メーンターゲットについて二つのプランが浮かんだ。
・一つは、施設の持つ高級感を生かして20~30代の若いカップルの獲得を目指すプランである。このプランは旧経営陣が描いた戦略を基本的に継承するものであり、ターゲットの変更はない。
・もう一つは、就学前などの子供がいるファミリーをターゲットにする新しいプランである。リゾナーレは従来、ファミリーをターゲットにしていなかった。しかし、調査会社のデータを分析する中で、ファミリーはカップルと同じくらい可能性のあるプランとして新たに浮上した。
・144頁・2023/12/04 7:41



・スタッフの共感で決定
・委員会のメンバーは、さまざまな角度から二つのプランの持つ可能性について、比較しながら話し合いを進めた。
・星野は何よりも議論をじっくり聞く姿勢を取った。そしてメンバーに対してときどき、「それって本当?」と尋ねたり、「もっと具体的にしてみよう」「では、どうしますか」と促したりした。

・星野はメンバーが自分たちでコンセプトを考えるための手助け役に徹していた。「こういうコンセプトで行け」と指示することはなかった。「こんなふうにしろ」と命じることもなかった。あくまで議論の主役となって考えるのは、リゾナーレのスタッフ自身だった。
・議論を聞き続けた星野はやがて、あることに気づいた。ファミリー層をターゲットにすいるプランを語るときのほうが、メンバーの表情が明らかに生き生きしているのである。

・リゾナーレはそれまでカップルをターゲットとしてきたが、うまくいかない歴史が重くのしかかっていた。スタッフの多くは「東京のシティホテルの真似を続けてもムダではないか」「カップルをターゲットにするのは限界だ」と感じていた。
・145頁・



・一方、ファミリー客は従来、ターゲットにしていなかった。そのためファミリー客の増加に違和感を覚えていた。
・それでも、ファミリー客はリゾナーレを気に入り、その数は着実に増えていた。リピート客になる人が少なくなかった。多くのスタッフにとって、いつの間にかファミリー客は感覚的に非常に親しみのあるお客様になっていた。
・スタッフの多くは詳細な調査によって、ファミリー客が大きな可能性を持つことを知った。そして、ターゲットを改めて考えるとき、ファミリーをメーンターゲットにする案に対して、大きな魅力を感じた。
・データを前に議論が続いた。カップルとファミリーはそれぞれに可能性があるように見えた。やがて議論が進むうちに、従来通り、カップルをターゲットにする案のほうがやや優位になってきたようにも見えた。カップルを推す人は、「データでもきちんと裏付けられているのだから、これまで通りでよいのではないか」と主張した。
・しかし、多くのメンバーの気持ちは違った。ファミリー客の開拓に挑戦しようと頑張り続けた。星野は議論の流れをサポートする中で、メンバーの多くが、ファミリーをメーンタゲーゲットにする案に共感していることを確信した。
・146頁・2023/12/04 7:53



・星野はスタッフの意識を大事にしたいと思った。「「自分たちはこうなりたい」と思っているからこそ、そこへ向かおうとする力も生まれてくる。だから、スタッフの共感は非常に重要だ」・スタッフの気持ちが最終的な決め手になった。コンセプト委員会は結局、メーンターゲットを「ファミリー」にすることに決めた。
・星野の投げかけた二つの疑問
・「ファミリー向け」とうたうホテルは、ほかにもたくさんある。リゾナーレの再生に当たって、ファミリー向けに舵を切るならば、独自の魅力をアピールする必要がある。ファミリー客を引き付ける何かがなければ、お客様の満足度を高め、集客力を伸ばすことはできない。
・コンセプト委員会のメンバーは、「ファミリー客に何を提供するのか」について、議論を深める必要があった。このとき、大きな手がかりになったのが、星野の問いかけだった。2023年12月4日 11:04:43
・星野は、お客様を対象に実施したアンケートの結果を何度も見る中で、気になるデータがあった。「日本のホテル・旅館の魅力はどんな点にあるか」という質問に対して、ファミリー客の回答は「家族サービス」「思い出づくり」が上位だったことである。
・147頁・



・「旅館・ホテルは本来、くつろぎの場であるはず。「家族サービス」「思い出づくり」という回答は、どこかくつろぎから離れているのではないか」
・星野は調査結果に違和感を覚えた。家族サービスという言葉は、家族の誰かがサービスをする側に回ることを意味する。すると、サービスを担当する人は、リゾートに来てもくつろぐことができない。
・家族の中でサービスをする側に回るのは、子供の父親、母親である。
・星野はコンセプト委員会のメンバーに対して、自分の疑問を語った。
・「ファミリー客の親たちは、リゾナーレに滞在している間、本当にくつろいだ時間、楽しい時間を過ごしていると言えるのだろうか」
・星野の問いかけによって、メンバーの議論が一気に加速した。
・ある人は、「ファミリーをメーンターゲットにする以上、子供だけでなく、親らもっとくつろげるようにしよう」と提案した。これを受けて、ほかのメンバーが「親たちがくつろぐには、具体的にどうしたらいいのだろうか」と話をつなげた。議論は熱を帯び、長時間続いた。メンバーからは次々と新しいサービスのアイデアが出てきた。

・だが、議論を聞いていた星野は、話の方向にまたしても違和感を覚えた。
・メンバーが提案するサービスはそれぞれ悪くない。しかし、その内容はリゾナーレでこれまで働こしてきた親子の姿を前提としていた。
・148頁・



・これでは、従来のファミリー向けサービスの域を出ず、親はくつろぎを得られない。もっと良い方法がないのか。
・星野は考えるうちに、新たな疑問が浮かんできた。そして、コンセプト委員会のメンバーに対して、二つ目の問いかけをした。
・「ファミリーで旅行に来た場合、親は滞在中、子供とずっと一緒にいるのが本当に楽しいのだろうか?」
・親と子が離れ離れになってもいい
・星野の問いかけは、コンセプト委員会のメンバーにとって、目からうろこが落ちる思いだった。まったく衝撃的な提案だった。
・メンバーの一人で、現在ユニットディレクターを務める小山設志がそのときの様子を振り返る。
・「「親子は他に一緒」という常識にとらわれ、ほかの誰もが「親子はときには別もいい」とは考えたことすらなかった」
・星野の言葉に対して、反射的に「家族はいつも一緒にいたいものだ」と反発する人もいた。そこまでしなくとも」という人もいた。それまでのリゾナーレにはまったくない発想を前に、反発する人は少なくなかった。
・149頁・



・星野は結論を急がなかった。そして、自分の提案に対するメンパーの議論を促すために、言葉を続けた。
・「わざわざリゾートに来たのに子供に付きっきりでは、親はものすごく大変ではないか。もっと具体的に、リゾナーレで過ごすファミリーを思い浮かべて、いろいろな場面を考えてみよう」
・メンバーは、ファミリーが本当はどうなのだろう。ホテルに到着してから帰るまでをシミュレーションした。浮かび上がったのは、子供とずっと一緒で、子供を楽しませることに疲れ、自分は楽しめない親の姿だった。
・親はリゾナーレに到着してフロントでチェックインしてから、食事をするときも、館内などで泳ぐときも、常に子供と一緒に過ごしていた。そして、チェックアウトす 忙設状態だった。
・メンバー の間には、「大人(=親)も楽しめるようにしよう」という共通の認識ができた。最初のうちは「親子は常に一緒にいたほうがいい」と考えていた人も、やがて「親子はときには別々もいい」という提案に納得していった。
・そして「家族の過ごし方について、親子が一緒のとき、別々のとき、さまざまな形でおえられるようにしよう」という結論に達した。
・こうしてリゾナーレのコンセプトが「大人のためのファミリーリゾート」に決まった。
・150頁・2023/12/04 8:51・



・メンバーは短い言葉に、大人も子供もそれぞれ、リゾナーレをしっかり楽しんでもらおうという思いを込めた。
・頭では理解できても、実行に移すには不安を感じる人もいた。コンセプトに共感した桜井も「こんなリゾートが本当にあったらいいなあと思った。だが、正直言って、何だか難しいテーマかなめ」と感じていた。「本当に大丈夫なのかなあ」とかすかな不安を抱く人もいた。
・決めたら、スタッフ一丸で動く
・いったん自分たちでコンセプトを決めた以上、スタッフは自ら考えて動くしかなかった。最初に始めたのは、遊具などを置いて子供が遊ぶ場所を作ることだった。リゾナーレはフアミリー客が多いにもかかわらず、子供向けのサービスが不足していた。スタッフはまず、その課題の改善に取り組んだ。
・子供の遊び場がなかったリゾナーレのスタッフには、何もかもが手探りだった。桜井はなど、準備で汗だくになった。
・ささやかな試みだったが、効果は予想以上だった。子供たちは新しくできた遊び場で思いっきり跳ね回った。最初の一歩を踏み出したことで、スタッフの動きが加速した。
・151頁・



・さまざまな部門で、子供向けサービス導入などの取り組みが始まった。スタッフたちは、「子供が遊んでいる間、どうすれば親はくつろげるのか」「親が楽しんでいる間、子供が安全充実した時間をどのように過ごすことができるか」を考えた。
・一連の改革を象徴するのが、子供向けに体験プログラムを提供する「GAO/八ヶ岳アクティビティセンター」と、大人がくつろげる「ブックス&カフェ」だ。
・二つの施設は通路を挟んで向かい合っている。どちらもガラス張りで、どちらからも様子が見える。このため、例えば子供はホテルのスタッフと木工細工を楽しみながら、親の姿を確認することができる。親は本を読み、コーヒーを飲みながら、楽しそうに遊ぶ子供の姿を眺めることができる。
・工夫を積み重ねることで、少しずつ顧客満足度が上がり、それが集客の増加につながった。リゾナーレは星野リゾートが再生に着手してから3年後、黒字化を実現し、それ以降も黒字が続いている。スタッフは自分たちで作ったコンセプトをさらに磨き上げるため、新しいサービスを模求し続けている。
・152頁・2023/12/04 9:06・155




・リゾナーレ

スキー場なきスキーリゾート
リゾナーレ(山梨県北杜市)
山梨北杜市にあるリゾートホテル、イタリアの名 オ・ベリーニ氏がデザインを指し星野リゾート2001年再生 乗り出した。

・156頁・2023/12/04 9:27・終わり・