訣別―大前研一の新・国家戦略論 [単行本] 大前研一 () 内容紹介バカな政府を持つと高くつく。過去の延長線でしか考えない官僚と、政局しか頭にない政治家に任せておけば、日本は衰退する。しかし、バカな政府をつくったのは国民であり、結局のところ自分たちで変えていくしかない。過去に成功した「ニッポン・モデル」はすっかり陳腐化し、硬直化した。いまこそゼロベースの大改革を断行し、新しい日本をつくるときだ。ベストセラー『平成維新』以来の本格的な国家戦略論!

四章・149頁、・仁川空港に投資を一極集中することで東アジアのハブ空港として地位を着々と築いている韓国に対して、日本では甘い需要予測を基に作られた地方空港が乱立し、国が管理する空港も地方自治体が管理する空港も大半が赤字を垂れ流し続けている。

第六章 そして、ゼロベースの大改革を断行せよ----日本の二〇二五年ビジョン

六章・221頁・先進国の共通番号制(図表5)について見てみると、最も進んでいるのはスウェーデンと韓国だ。


プライバシーを保護する「第四の機関」、224頁、電子政府先進国のシンガポールでは、建築許認可の申請もCAD(コンピューター利用設計システム)からネット経由で受け付けている。


六章226頁・「一八歳成人」と「高校義務教育化」


道州制で世界の富を呼び込む


道州は殖産興業に不可欠な人材育成で、大学以上の教育に関するすべての権限を担うことになる。義務教育は基礎自治体が責任を持って行うことになるから、全国一律の教育を担当してきた文部省は不要になる。全国一律の教育そのものが不要になるからだ。


バカな政府を持つと高くつく。過去の延長線でしか考えない官僚と、政局しか頭にない政治家に任せておけば、日本は間違いなく衰退する。しかし、バカな政府をつくったのは国民であり、結局のところ自分たちで変えていくしかない。過去に成功した「ニッポン・モデル」はすっかり陳腐化し、硬直化した。いまこそゼロベースの大改革を断行し、新しい日本をつくるときだ。ベストセラー『平成維新』以来の本格的な国家戦略論。


日本の一人暮らし世帯比率3割を超えています。私たちは、お金さえあれば、たった一人で暮らせるようになりました。しかし、その「便利さ」と引換に、私たちは利害や考えの異なる他人と譲りあったり協力したりしながら生活していく機会、社会的あるいは民主的な訓練の機会を失ってしまったのではないでしょうか。他方、一人暮らしでもなく、恋人・家族との同居でもない、第三の居住のかたち「集住」が若者を中心に試され始めています。私たちが当たり前 と考えてきた一人暮らしや家族との生活に改めて光を当て、社会の仕組みを問い直します


第733号(2012年05月31日号)増田俊男 日本は世界最大の「改正保留国」先ずは参議院の廃止


立法を非能率化している最大の原因は全く不要な参議院の存在です。

同じ法案を何故衆議院と参議院で審議する必要があるのでしょうか。


衆議院は男性のみ、参議院は女性だけと言うなら分かりますが、特に違いの無い両院で同じ法案の審議は不要です。参議院は「良識の場」などと言われますが、与野党には良識のある人と無い人がいるとでも言うのでしょうか。どうしても国会に良識の場が必要なら、参議院議員の立候補者は「良識の国家試験」の合格者だけとし、また有権者も参議院議員の投票資格試験の合格者のみにしたらいいのではないですか。しかしそんなことは出来ない相談ですから、参議院は廃止するしかないと思います。

やはり国会は一院制にすべきでしょう。本当は衆議院議員の立候補者も有権者も資格試験を義務付けるべきだと思いますが、まあ、無理でしょうね。

このままでは国会の機能と質は下がるばかりでしょう。


首相公選


首相は公選にして任期を4年から5年にすべきでしょう。

与党が変わっても首相は変わらない、言わばアメリカの大統領並みの強大な権限を与えるべきです。毎年首相が変わるようでは他国から相手にされなくなります。実は528日の日本経済新聞に出ていたのですが、IMF(国際通貨基金)169カ国のデータをもとに不安定な政治が経済に与える悪影響を調べた結果がありました。それによると、なんと日本のように毎年一度ならず二度も首相が変わるような国ではGDP(国内総生産)2%も下がるそうです。日本の政治が安定すれば日本にはまだ2%の潜在成長率があることになります。

日本の首相がアメリカの大統領並みになったら日本の国際的評価は上がり日本は名実ともにアジアの大国になるばかりか景気も良くなるでしょう。

小泉政権は5年以上続き、景気は「いざなぎ景気」を超すほどでした。

 

 

憲法第9


日本最大の癌は憲法第9条です。政治最大の使命は国家と国民の安全です。現在日本の安全は片務条約(アメリカは日本の安全を守るが日本は守れない)である日米安保に頼っています。つまり日本の対外的国民の生命・財産はアメリカに依存しているのです。鳩山由紀夫氏のように「日本はアメリカの属国」という言い方もあるでしょう。

自衛隊は憲法第9条の「専守防衛」の原則に縛られて軍事力を持っていながら日本が敵国から攻撃を受けるまで使えません。その為日本の国境周辺の資源は潜在的に相手国の資源になろうとしています。


第二次大戦の敵国


日本は第二次大戦終戦後まだロシア、北朝鮮と平和条約を結んでいません。従って国連憲章の「敵国条項」の適用を受けロシアや北朝鮮が日本は危険であると判断すれば国連安保理の承認なしに日本に対し先制攻撃をすることが認められています。では何故日本は今までロシアとの平和条約を拒み続けてきたのでしょうか。答えは「小冊子」(Vol.36)をご参照ください。

日本には改正しなくてならないことが他にもたくさんあります。

それは将来へ余裕を残していることで、日本は世界の最有望国と考えることも出来ます。

18:51 2012/06/01





単行本: 264ページ 出版社: 朝日新聞出版 (2011/11/4) 発売日: 2011/11/4

目次


第一章 迷走する日本


◆バカな政府を持つと高くつく12頁、

原発事故のツケは国民に、12頁、


能力の欠如が被害を拡大する、17頁、


◆バカな政府を持つと恥をかく22頁、

危機管理能力の低さを世界に知らしめた、22頁、


デタラメだった計画停電、26頁、


◆バカな政府はウソをつく、29頁、


「メルトダウンはしていない」、29頁、


ウソを言う人、ウソを書く人、30頁、


◆バカな政府は国民が作った、32頁、

選挙は何のために行われるのか、32頁、



首相選びの新ルールを作れ、35頁、


◆人のふり見て我がふり直せ、37頁、


外国製品に対する理不尽な規制、37頁、


本当のグローバリズムとは何か,40頁、


◆自分たちで変えていくしかない、42頁、

日本人は追い込まれたほうが強い、42頁、


外圧を受けて日本は変わる? 44頁,


第二章 混迷の原因はどこにあるか----官僚、政治家、国民それぞれの罪


◆過去の延長線でしか見ない官僚、50頁、

バブル崩壊で官僚の迷走が始まった、50頁、

第二章 混迷の原因はどこにあるか----官僚、政治家、国民それぞれの罪


◆過去の延長線でしか見ない官僚、50頁、平成2466日 水曜日バブル崩壊で官僚の迷走が始まった、50頁、


国民の代表として選ばれた政治家が国家運営の基本方針を決め、官僚が具体的な施策に落とし込んで実行していく。明治以降の日本の100年の近代化は、官僚制度によって下支えされてきたと言える。政治が右往左往している時代でも、水面下で霞ガ関の官僚がしっかり手綱を握って差配し、国家運営の道筋をつけてきた。


戦前には「内務省」という官僚組織が「内務省」という官僚組織が、今日の厚生労働省、国土交通省、総務省、国家公安委員会などの権限を一手に掌握して国家の近代化に大きな役割を果たした。

内務省の仕事ぶりをよく表しているのが日本の私鉄である。現在なら鉄道は国交省運輸局、都市開発は同じく都市・地域整備局、住宅整備は同・住宅局、病院の開業は厚労省という具合に、許認可を与える役所が異なる。しかし内務省ではこれらをワンセットにして認可できた。結果、私鉄の鉄道もは主要駅から郊外に延びて沿線の駅ごとに宅地造成や商業開発が行われ、街がつくられたために都市の人口が分散された、世界の大都市は貧困層が都市部に残ってスラム化するという共通問題を抱えているが、日本の場合、私鉄沿線に人口が分散したおかげで都市がスラム化しなかった。

51n、12/6/6 81616秒、
2012年6月6日 8:19:15


51n、12/6/6 81616秒、


こうした私鉄網は世界に類を見ないもので、健全な中産階級を作り出す近代化の重要な装置の一つになった。戦後に復興から高度成長期にかけても官僚制度は大いに機能した。ほとんど政治体制までも灰燼に帰した日本が蘇るためには、わずかに生き残った官僚が天下国家を論じて大局的に政策を立案し、遂行するしかなかったからだ。


川崎製鉄が日本初の高炉を作ったときには、国は協力しなかったと言われている。その後、通商産業省(現経済産業省)は「鉄は国家なり」と言い始め、日本は国策として鉄鋼生産に力を注いだ。その結果、日本の鉄鋼メーカーは圧倒的に世界一を占めた。当時、我々は通産省が策定した五ヵ年計画を、目を皿のようにして読んだものだ。日本の鉄鋼業が全盛期を迎えたころには、通産省は「産業のコメは半導体である」と言い始める。これをきっかけに日本企業の半導体投資が加速、後発だった日本の半導体産業はあっという間に世界一に駆け上がった。次いでポスト半導体として情報化社会へのシフトを唱えたのはアメリカの猿真似だったにせよ、結果的にはこれも的中した。このように中央の官僚が長期戦略の旗振り役になって日本の産業構造を大きく動かしてきた。


52n、12/6/7 6423秒、

炭鉱をつぶしたり、繊維の機織機をつぶしたり、造船所の船台を半減したり、すさまじいまでの産業構造転換を演出した。ところが1990年のバブル崩壊を境に官僚の迷走が始まる。

当時、私は「東京の地価は10分の1になる」「日経平均は1万円を割る」「銀行も100行ぐらいはつぶれる」といった警告をメディアで繰り返していた。突拍子もない予言を口走っていたわけではない。いまでは広く使われるようになった収益還元率法で賃貸料から適正な不動産価格を選定し、それを積み上げて出した結論だった。

1990年代初頭には大蔵官僚と何度も議論したが、彼らは「アンタのような人間が騒ぎ立てるからクラッシュが起きる。自分たちが日本経済を軟着陸させてみせる。余計なことは言わないでくれ」という言い方をしていた。このころから官僚のおごりや大局観のなさ、付け刃的な手法が目に余るようになり、日本は最初の「失われた10年」へととっ入していく。


その後、長引く不況の中で官僚に対する風当たりが強まり、政治家官僚をコントローしるしようと政高官低の状況が生まれた。その権化が「政治主導」を掲げた民主党政権である。


ところが経験もリーダーシップもないうえに不勉強な輩が多い今の政治家に「政治主導」が務まるわけがない。官僚にお先棒を担いでもらわなければ何もできない現実にすぐに行き当った。政治主導なんてうかつなことをいうべき出来ではなかった」と枝野幸男民主党幹事長代理(現経済産業大臣)自ら口にする始末で、官僚主導政治の象徴として廃止した事務次官会議を復活させるなど、政治主導のお題目はこっそりと返上している。


53n、12/6/9 73925秒、



組織の肥大化、専門化、54頁、


自分たちに都合のいい法案しか作らない、58頁、


役人の綱引きで出来上がった妥協の産物、61頁、


◆政局しか頭にない政治家、63頁、

繰り返される政局、63頁、


政治家が欲しいのは"標語"だけ、69頁、


◆「一億総評論家」の時代、74頁、

「知の衰退」が日本をむしばむ、74頁、


すべての元凶は偏差値教育にあり、79頁、


"バカ"を作る教育、84頁、

答えがない世界で重要なスキルとは、87頁、


変化の兆し 、94頁、


組織の肥大化、専門化、54頁、


自分たちに都合のいい法案しか作らない、58頁、


役人の綱引きで出来上がった妥協の産物、61頁、


◆政局しか頭にない政治家、63頁、

繰り返される政局、63頁、


政治家が欲しいのは"標語"だけ、69頁、


◆「一億総評論家」の時代、74頁、


「知の衰退」が日本をむしばむ、74頁、


すべての元凶は偏差値教育にあり、79頁、


"バカ"を作る教育、84頁、


答えがない世界で重要なスキルとは、87頁、


変化の兆し 、94頁、


第三章 このままいけば日本は衰退する----国家債務危機の真相、


◆二〇二五年、二〇五五年のビジョンがあるか、98頁、

日本の国家戦略には危機感がない、98頁、


GDP世界第三位の座も危うい、101頁、


◆個人消費と家計のメルトダウン、104頁、

日本経済は「一人負け」、104頁、


「一億総下流化」が進んでいる、107頁、


日本の家には価値がない?111頁、


「日本人は貯蓄好き」も今は昔、114頁、


子どもより自分や配偶者に投資せよ、117頁、

「やりたいこと」が二〇個あるか、119頁、


◆矮小化する日本の魂


抜き差しならない債務危機、122頁、


覇気をなくした若者たち、129頁、


単身世代が最大、136頁、


元凶は「高齢化」より「少子化」、132頁、


経済成長に移民は欠かせない 、137頁、


第四章 三つの訣別----陳腐化し、硬直化した「ニッポン」から抜け出すために


◆江戸時代からの訣別


答えのない時代を生き抜くために、144頁、12/5/20 6430秒、


私が最初に日本のゼロベースの改革を必要性を世に問い、そのための改革案を提唱したのは年号が変わった平成元年(1989年)出版の「平成維新」(講談社)においてである。以降もめまぐるしく移り変わる世界情勢や時代状況に照らして、その都度、日本を繁栄に導くためのアイデアを提示してきたが、「平成維新」で示した私の基本的な考え方は今もってまったく変わっていない。


あれから20年余年、新しい世紀の最初の10年が早くも経過し、平成の年号も23回目を数えた。しかし日本は改革らしい改革を果たせぬまま、いつ終わるともしれない「失われた20年」を漂流している。保身と先例優先の自己本能が働く官僚に改革はできない。改革の実行役である政治家は政局に明け暮れ、その政治家を選ぶ国民の集団知は衰えていくばかり。知力だけではなく「少子高齢単身化」で気力も体力も衰えていく。第二章で説明した日本の混迷の原因は、そのまま改革が進まない理由である。


145n、12/5/20 83318秒、

145n、12/5/20 83318秒、


一から物事を構築するよりも過去の延長線上の創意工夫で状況を打開する方が得意な日本人の民族性の問題もある。基礎研究よりも応用開発の分野で日本の技術力は優位性を発揮してきたし、生産技術や現場オペレーションの「カイゼン」はお手のもの。改革より改善。大きく変えるより、小さく変える、部分的に変えるマイナーチェンジで乗り越えようとする性向が日本人は強い。キャッチアップすべき目標と明確な答えがあった時代には、過去の延長線上の創意工夫を積み上げていけば着実に前進することができた。

しかし、今や答えがない時代である。答えのない時代を生き抜くためには、自ら答えを見つけ出す想像力や構想力、それを強力に推し進める実行力がきわめて重要になってくる。時には目の前の壁を「破壊する勇気と力」も要求される。過去の延長線上を探しても、そこに答えはないのだ。日本の場合、特に戦後復興と高度成長という成功体験が強いために、戦後大使うというものにどうしても引きずられやすい。世界第二の経済大国まで上り詰めた輝かしさから、戦後の政治経済が抱えている陰の問題点にはなかなか目が向かないし、先入観や固定観念にとらわれずにゼロベースで新しいシステムを作り直そうという気概に欠ける。


146n、12/6/4 165032秒、


さらには戦後の偏差値教育飼い慣らされた結果、ゼロベースの発想ができる人材はすっかり出てこなくなってしまった。斬新な未来図を提示して人々を一つの方向に引っ張っていくようなビジョン型リーダーは政界にも財界にも、もちろん官界にも乏しい。戦後体制のみならず、日本は江戸時代から続いている社会システムの残滓があちこちらに残っている。それらに縛られて、あるいは制御不能のイナーシャ(慣性)になっているから、21世紀の「初頭」という時代が足早に過ぎ去ろうとしているのに、日本は新しい国家像を描けないのでいるのではないだろうか。白いキャンバスの上に日本の新しい形を描くために、オールクリアの状態からゼロベースの改革を実現するために、今の日本に必要なのは過去からの訣別ではないかと私は思っている。

東日本大震災の死者は15000人を超え、行方不明者と合わせると約二万人が犠牲になった。1900年以降に発生した世界の巨大地震で死者が最も多いされているのは、1976年に中国に河北省唐山市近辺で発生した唐山大地震だ。中国共産党の秘密主義のおかげで実態はあまり知られていないが、二十四万人強の死者が出たと公式発表されている。2010年の中米ハイチ地震では二十三万人、2004年のスマトラ沖地震では二十二万人の死者・行方不明者が出ている。ちなみに日本の最大級の自然災害と言えば1923年の関東大震災だが、この時の死者・行方不明者は10万5000人といわれている。


147n、12/6/4 172243秒、


こうした過去の巨大大地震に比べて死者・行方不明者数こそ少ないが、東日本大震災が際立った特異なのは亡くなられた方の大半が津波に命を奪われている点だ。地震そのもので亡くなられた方は少ない。私も被災地をバイクでつぶさに踏破したが、倒壊した家屋のほとんどは津波によるもので、地震の揺れで倒れたものは少なかった。もし津波がなければ、被害はずっと少なかったと考えられる、日本の家屋の地震に対する対策は同じ地震大国のトルコやハイチ、中国やチリなどに比べてはるかに進んでいた、ということだ。


一方、津波が到達する限界標識は驚くほど正確だった。東北の沿岸部には過去の津波の到達場所を示す看板や石碑がいくつか点在している。こうした目印を超えたところも一部にはあったが、大半の標識は正しかった。つまり東北の人々は津波の被害範囲を知っていたということだ。

歴史をひともとけば、日本は巨大地震と大津波に繰り返し襲われてきた。明治以降で死者二万人以上という国内最悪の津波被害を出した1896年の明治三陸地震では高さ約38bの津波が確認されている。高徳院にある鎌倉大仏が建立されたのは1254年で、もともとは奈良・津大二の大仏と同じように大きな伽藍に入っていたが、室町時代に二度の津波で大仏殿が流されて121dの大仏だけが露座するようになった。与から顎にかけてある「傷」は関東大震災の時にできたクラック(裂け目)を修理したものだ。


148n、12/6/4 184225秒、


津波がここまでやってくる等ラインがわかっていながら、甚大な被害を出したということは過去の津波の経験が教訓として生きていなかったということだ。三陸の多くの町では1960年のチリ地震の津波被害を想定して対策をとっていたが、それだけでは不十分だったのである。

東北復興については、これまでの津波被害の反省から講じてきた対策が自然の驚異の前にほとんど無力に終わったことを踏まえなければならない。過去の延長線上で津波の危険があるエリアに都市を形成し、生活を営んでいたら同じ悲劇は何度も繰り返される。

東北復興プランについて、「元通りに復旧するという考え方はやめるべき」と私が繰り返し主張しているのは、津波の惨禍が繰り返されてきた過去というものと決別しなければ本当の復興は果たせないと思うからだ。10bの津波を想定して20bの防波堤を作っても、安心はできない。30bの津波が来ないという保証はないからである。つまり「想定」に対して対策してもダメなのだ、というのが今回の3・11の最大の教訓だと思う。

人は長年住み慣れた土地、先祖代々受け継いできた土地への愛着が強い。多くの被災者は再び津波に襲われるかもしれないという不安感を抱えながら、元通りの暮らしを取り戻したいと願っているだろう。しかし、資産や財産を流されて経済的に困窮する被災者や民間に任せきりにしていたら、戦後復興で闇市が乱立し、今も東京の下町には消防車も入れないような町並みがたくさん残ってしまった失敗の二の舞になりかねない。


そして津波の教訓はやがて忘れ去られて、いつかまた同じ悲劇が繰り返される。防災の観点からも元通りに復旧するのは困難であり、被災を教訓に21世紀の安心安全な日本の町をづくりのモデルケースになるような復興を目指すべきだろう。149頁、平成2465
2012年6月5日 6:21:59


いまだに残る幕藩体制、149頁、

いまだに残る幕藩体制、149頁、平成2465日、


日本が訣別すべき過去は三つある。一つは江戸時代の幕藩体制からの訣別である。東北地方を見るとわかりやすい。

東北地方を見るとわかりやすい。自治体こそ集約されて東北六県になっているが、秋田なら大館能代空港と秋田空港、山形なら庄内空港と山形空港、青森は津軽藩に青森空港、南部藩に三沢空港という具合に、幕藩体制の単位そのままに同一県に二つの空港が設置されている。それでいた東北には世界に飛び立てるハブ(拠点)空港は一つもない。つまりヘソがないまま400年のメンタリティー(精神構造)で自己主張を繰り返しているだけである。

日本は狭い国土におよそ100の空港と1200もの貨物港があるが、これは江戸時代の単位で空港や港湾を作っているからだ。福岡県には交通の便がいい福岡空港があるのに、北九州市や近隣の佐賀に空港ができるのは、筑前、肥前、豊前という枠組みが根強く残っているからなのだ。長野県でも松本では気に入らないということで「長野平野に空港を」という運動が昔から続いている。


150n、12/6/6 5554秒、

仁川空港に投資を一極集中することで東アジアのハブ空港として地位を着々と築いている韓国に対して、日本では甘い需要予測を基に作られた地方空港が乱立し、国が管理する空港も地方自治体が管理する空港も大半が赤字を垂れ流し続けている。

国土交通用が発表した2008年度の国内線利用実績によると、全国98空港で需要予測に対して実績値が100%を上回ったのは熊本空港(167%)、長崎空港(136%)、庄内空港(128%)、岡山空港(119%)、那覇空港(118%)、旭川空港(112%)、名古屋空港(109%)、羽田空港(103%)の八空港しかない。実績が比較可能な空港の九割が需要予測を下回り、三割以上の空港が予測値の半分にも達していなかった。

「需要予測」のレポートは「○○総研」「××研究所」というような企業や航空行政の関係官庁出身者も多く在籍するような財団法人が依頼を受けてまとめているケースが少なくない。ゼネコン(総合建設会社)地元の政治家、地元財界の「空港が欲しい」という期待を一身に背負っているから、必然的にレポートをまとめるときに、「中国からの観光客が数万人見込める」などとありもしない数字を並べ立てて実態以上に大きな絵を描く傾向が強い。高速道路やダム建設などあらゆる需要予測レポートにも言えることだが、要するに初めに建設ありきの甘い予測値でゲタを履かせるのである。


151n、12/6/6 53525秒、

後述する「国土の均衡ある発展」という田中角栄の呪縛に、江戸時代の行政単位による綱引きが絡んで、日本全国に不要、不採算なインフラ(社会基盤)やハコモノが作られてきた。しかし地方空港の実態が示しているように、税金をばらまいて作っていた公共施設はどこも赤字状態で、維持管理コストを地方財政にまかなってもらっているケースが多い。いまとなっては地方を疲弊させるお荷物でしかないのだ。

それでもなお、地方自治体は江戸時代の参勤交代よろしく、霞が関に陳情に出かけていく。大名が定期的に江戸に出仕して将軍にまみえる江戸時代の参勤交代は、各藩に財政的負担を強いるための一種の軍役だったが、地方自治体が自発的に行っている現代の参勤交代の目的は予算の獲得だ。例えば福岡市と北九州市のように隣り合う市町村同士が、東京から金を引っ張ってくるために予算の分捕り合戦を繰り広げている。地方に行けば中央省庁の出先機関が大きな顔をしているし、自治体の中には中央の役人の受け皿になっていることを自慢するような人もいる。霞ガ関や永田町に陳情すればお金が降ってくると思い込んでいる地方のお上意識も、江戸時代からの長きにわたる中央集権制度がもたらした悪癖だろう。グローバルな競争力がない自給自足的な地場産業も、中央に陳情すれば補助金で延命してくれる。つい最近までは養蚕農家に補助金が出ていたぐらいである(2010年度で助成金は打ち切り)。


152n、12/6/6 6946秒、

日本には「水利権」(河川や湖沼など水を排他的に取水して利用できる権利)のように江戸時代よりもっと古くからの慣行も残っている。

夏場になると福岡円の福岡市や愛媛県の松山市、香川県の高松市ではよく水不足になるが、山の反対側の大分県や高知県では水が余っていて、ちょっと工夫すれば水はいくらでも回せる。ところが、分水嶺と水利権の問題があるために、県や市町村という小さな単位にこだわって、一切、水を回そうとしないのだ。水利権は飛鳥時代の大宝律令にまでさかのぼる問題だが、「おらが町の町営下水道」などという狭い予見は捨て去って、水道事業を集約して広域化し、少なくとも都道府県単位、できれば道州単位に再構築するべきだと思う。日本の水は現在、全体の65%が農業用水、15%が工業用水、そして20%が水道用水(生活用水)として使われている。もっとも上流のおいしい水が農業用水に使われ、次が工業用水になり、水道用水は最も下流の汚れたところで取水しているから、基本的には水利権は江戸時代の「(志)農工商の身分制度そのままの序列で現在も運用されていることになる。

東京の水は都が管理していて、水道水は主に利根川の分流である江戸川を中心に取水して浄水している。これを関東広域で一括管理して利根川上流で取水するようになれば、江戸川の下流で活性炭を限界まで使った水ではなく、利根川水系や渡良瀬川遊水地のおいしい水を都民も飲めるようになる。JR東日本が各駅構内で販売しているミネラルウオーター「大清水」(上越新幹線の大清水トンネル掘削工事の際に湧き出した水が原料)とな時美味しい水が水道で味わえるのだ。


153n、12/6/6 63241秒、

2012年6月6日 6:38:27


◆明治時代からの訣別


都道府県には定義も根拠もない、154頁、

都道府県には定義も根拠もない、154頁、12/5/20 84541秒、


二つ目には明治時代に行われた行政改革との訣別である。


前体制を否定する明治時代最大の行政改革と言えば、1871年(明治四年)に行われた廃藩置県だ。明治新政府はすべての藩を廃して、府県を置くことで中央集権体制を強化した。

廃藩置県によって今日の「四七都道府県」の原型になる行政区分が導入されることになった。しかし、当道府県が何かということを明確に定義した文書はどこにもない。都と道と府と県は何がどう違うのか。行政単位として権限に違いがないのなら全部「県」と呼べばいいのに、なぜ北海道は「道」、東京は「都」で、大阪や京都は「府」なのか。何の法的根拠ないのだ。「市町村」もそうだ。一般には都道府県の下位にある概念と思われるが、これについても明確に規定されていない。「市町村」を英語に直そうとしても、適当な訳語が見つからない。それぞれ市、町、村はあるが、「市町村」というあいまいなくくりが英語にはない。あえてあてるなら「コミュニティー」だろうか。


155n、12/5/20 9926秒、



「市」と「町」と「村」という行政区分の違いについても明確に規定されていない。役場のある村もあれば、ない村もある。役場もなく自治会だけの町もあれば、町議会があって町長選挙まで実施している町もある。しかし、何の権限があって町議会や町長が存在するのかも不明だ。


12/5/20 930

会社組織にも言えることだが、ガバナンス(統治)の基本はどのような階層構造で組織をまとめ上げるか、である。しかし日本の場合、階層を構成している行政単位である都道府県や市町村とは何なのかという明確な定義すらない。しかも基本的な階層構造が定義されていないのに、戦後の地方自治法で人口50万人以上の都市を政令指定都市などと規定してしまっているから話がややこしい。

同じ「市」でも政令指定都市は県と同等の権限が与えられている。だから、政令指定都市の市長とその政令都市を抱えた県の知事は基本的に仲が悪い。橋下徹大阪府知事と平松邦夫大阪市長が骨肉の争いを演じているのは周知だし、横浜市、川崎市、相模原市という三つの政令指定都市を抱えて何の口出しもできない神奈川県知事は、「湘南市長」と揶揄されている。

政令指定都市が設けている「行政区」もまぎらわしい。例えば横浜市には神奈川区や鶴見区など一八の区があるが、これは東京都の二三区とは別物。東京二三区は地方自治法では「特別区」という扱いで、もともとは明治時代に定められた区政に由来する。同じ区でも東京二三区は区長も区議会もあるが、神奈川県の場合は任命された区長がいるだけで行政単位として窓口以上の機能は果たしていない。

156n、12/5/20 1734分、
2012年5月20日 17:41:04


その東京特別区に位置付けも国民には実にわかりにくい。例えば世田谷区の人口は約84万人。堺市や新潟市に匹敵して、鳥取県(約59万人)の人口より多い。本来なら「区長」は「市長」いや「県知事」に匹敵する権限を持ってもおかしくない。ところが実際には東京都の下部機関という位置付けだから、「市」よりも自治権が制約されている。例えば上下水道や消防などの行政サービスを単独で行いないから、警視庁、東京水道局、東京消防庁などが二三区をまとめて管理しているのだ。


形式的な廃藩置県以降、都道府県や市町村などの行政単位がきちんと定義されてこなかったから、階層構造が不明確な上、各種の行政サービスの担い手が地域によってバラバラで、日本の統治機構は生活者にとって使い勝手が悪いものになっている。また都道府県や市町村の役割と責任が明確にされてないがゆえに、本当の地方自治が育ってこなかった。


アメリカは州によって差異はあるものの、州の一番大事な役割は産業育成と雇用創出、市民の生活基盤の安全安心に対する責任はそれぞれのコミュニティーが持つということで役割分担がハッキリしている。一九八〇年代には日本からの投資を誘致するのが州知事の大事な仕事で、当時、アーカンソー州知事だったクリントン元大統領は来日しては日本の企業を接待して、大阪のクラブで自らサクソフォンの演奏に興じていたものだ。


157頁、12/5/20 1757分、


日本の都道府県にはアメリカの州のような権限は与えられていない。細川元首相が熊本県知事時代に熊本駅前のバス停を30b動かすために建設省(現国交省)に通い詰めたのは有名な話だが、「参勤交代」してお許しを得なければ知事はバス停一つ動かせないのだ。


市街化調整区域を外して住宅地や商業地に転用したくても農林水産省が許認可権をガッチリ握っている。では市街化調整区域で農業をきちんとやっているのかと言えば、それもやらない。自治体はただ市街化調整区域から外れるのを待っているだけ。だから千葉県の柏市などでは七七%もの農地が遊休地になっている。土地の利用のすべての権限を自治体に移譲する、ということができれば街並みも格段に整備されるだろうが、今は首長にそういう権限はない。


行き過ぎた中央集権体制が日本を閉塞状態に追い込んだと言えるが、長足の近代化を見して中央集権の強化が行われたのが明治という時代だった。内政や地方行政を一元管理するために内務省が置かれ、戦時下では統制経済という形で国民経済がコントロールされ、東京への一極集中が急速に進行した。傾斜生産方式、食糧管理法、電力10社による発電、送電、配電事業の独占など戦後の日本経済に端々に統制経済の名残がみられるし、地方分権の必要性が叫ばれながらも東京一極集中の流れは依然として変わっていない。


158n、12/5/21 156分、

明治に強化された中央集権は今も日本社会にガッチリと根を張り、官僚統制経済が続いている。戦後の地方自治は概念ばかりで実体はなかったに等しい。本来、産業政策などというものは北海道と東京と九州では違っていて当然なのに、どこも全国一律。予算を傾斜配分するのでもなく、地方は財源を持っていないから、地域経済は活性化しないし、魅力あるブランドや商品は育ってこない。それでは世界からの投資やホームレスマネーを引き込めないから、結局、財源は将来世代から借りてくるしかない。ということで国債を乱発して国家債務危機寸前まで追い込まれている、というのが日本の現状なのだ。


変わりたくても変われないという日本の機能不全を解消するには、廃藩置県以来の統治機構を廃して、ゼロベースでつくり直す以外にない。「平成維新」以来、私が一貫して言い続けてきたことであり、新しい統治機構のあり方としてかねがね提唱しているのが道州制なのである。


158n、12/5/21 1516分、


戸籍制度は実態と乖離している,158頁、

戸籍制度は実態と乖離している,158頁、12/5/21 154030

東日本大震災いよる大津波で岩手県、宮城県の被災市町村で合計約38000件の戸籍データ(正本)が流失した。管轄法務局へ保存してある副本などの記録から戸籍は再生できたということだが、ごく最近になされた届け出に関しては副本による複製が間に合わずに、住民が自分から申し出なければ回復不能な戸籍データもあったという。阪神淡路大震災の時にも、運転免許証や健康保険保険証はおろか戸籍の正本や副本まで焼けてしまって身分を証明するもの何もないという人が続出した。


159n、12/5/21 154715秒、


日本では個人と国家の契約関係は戸籍謄本に記載されることから始まる。しかし、日本の戸籍制度の原典である戸籍法はもともと明治時代に作られた古い法律で、このデジタル時代にいまだに「紙縒りで綴らなければならない」などという時代錯誤な条文が残っている。だから戸籍はいまだに紙台帳で管理されているのだ。


国民データのリスク管理という観点からすれば、戸籍をデジタルデータ化して、大震災や大津波、原子力発電所の事故や核攻撃にも耐えるようなセキュリティーの高い複数の場所で管理すべきだろう。そのためには戸籍法を改正しなければならないが、それよりも時代遅れの戸籍制度を後生大事に抱えていることの方が日本の社会にとって大きな問題だと私は考えている。


戸籍制度が基礎単位としているのは「家」である。これは「生まれながらにして平等」をうたった日本国憲法にも違反している。憲法は個人と国家の関係しか規定していない上、「家」の概念そのものを否定している。にもかかわらず、法律上の婚姻関係のない男女に生まれた子供を「非摘出子」として差別する構造を最近まで内包していた。


実はこのことが日本の少子化の元凶になっていた。ひところ、「できちゃった婚」という言葉がはやったように、日本では子供ができてから結婚届を出すケースが非常に増えてきた。


160n、12/5/21 1647分、


そこには「未婚で生まれると非摘出子として差別されるから子供がかわいそう」という意識が少なからず働いていたと思われる。

厚生労働省が発表している「出生関する統計」(2010年度)によれべ、結婚してから第一子が生まれれるまでの期間は、1975年には、「10ヶ月」がピークだったが、今や「6ヵ月」がピークになっているという。つまり最初の子どもの妊娠期間より結婚期間のほうが短いわけで、日本では子供ができてから結婚するのが普通なのだ。

逆に結婚していない夫婦からの子どもの出生率というのは、日本はわずか2・6%しかない。少子化の歯止めのかかったフランスでは56%。民主党政権はフランスの少子化対策の真似をして「子ども手当」を目玉政策にしたが、フランスでは戸籍に関係なく子供が生まれたらその子に子ども手当が支給される。腰の入れ方が違うのだ。

デンマークなどでは、非摘出子だろうが非摘出子だろうが、病院で生まれ落ちた瞬間にデンマーク国籍とID(識別番号)が与えられる。生まれた瞬間に親とは関係なく個人が国家と契約を結び、個人としての権利義務が発生し、一国民として尊重されるのである。出生届の父親の名前を記入する必要はない。それくらいやらなければ子供は増えないのであって、どこの家に生まれたかで子供を差別する戸籍制度を堅持する社会では少子化には歯止めはかからないだろう。

161n、12/5/21 176分、


◆戦後体制からの訣別


もう戦後の成長モデルは通用しない、162頁、


地方を疲弊させたバラマキ公共事業、166頁、


過去と訣別してホームレスマネーを呼び込もう 、169頁、


第五章 まず、小さな勝利を積み重ねる


◆一国二制度でやりたいヤツにやらせろ


大事業への第一歩、174頁、


中国とロシアの差はなぜ生じたのか、177頁、


分権化が富を生み出す、180頁、


権限移譲は「変人特区」で、182頁、


◆地域間競争で風景が変わる


中国の都市のパワーはすさまじい、186頁、


競争を排除すると衰退する、189頁、


◆「例外の先行」が進歩を生む


スケールの大きい韓国の経済自由区域、191頁、


新しい時代の扉を開くには、195頁、


アジア最強国家の秘密、199頁、


◆いまこそ「偉大な社会」を


休眠口座を活用するイギリスの「大きな社会」構想、202頁、


税金を使わなくても活性化できる、207頁、


国民の社会貢献を促す仕掛け 、212頁、


第六章 そして、ゼロベースの大改革を断行せよ----日本の二〇二五年ビジョン


◆国民データベースを構築する

ITゼネコンに任せるな、216頁、12/1/2 75分、


小さな勝利を積み重ねて「いけそうだ」という雰囲気が出てきたら、いよいよゼロベースの改革に取りかかなければならない。過去に作ったものを手直ししたり、屋上屋を重ねたりするのではなく、基礎から新しく作り直す。創造なくして過去からの決別は有り得ない。そして基礎から作るとなれば、「日本の2025年ビジョン」のような新しい設計図がいる。


第四章の冒頭で説明したように、私は1989年に「2005年ビジョン」として「平成維新」を著した。日本をベロベースから作り替えるための基本的なフレームワーク(枠組み)は今も変わりない。しかし改訂版は必要になっている。その理由は二つ。一つめは1989年当時には想定できないスピードでBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国)以下の新興国が台頭してきたことだ。世界経済の主役は先進国から新興国に交代して、もはや後戻りしないことは明白になっている。


217頁,1/2/2012 8:27 AM


世界における日本の役割や今後の展望は、米中のみならず、新興国との関係性を抜きに語ることはできない。

二つ目の理由は少子高齢化の現実である。「平成維新」では2005年に日本人の平均年齢が50歳に近づくことを前提に変革の必要性を説いたが、2005年はとうに過ぎ去って、日本は少子高齢化によって社会構造が大きく変わっていく現実の中を生きている。当然、今、立っている足元に基準点を置いてビジョンを作り直さなければならない。私が低参するゼロベース改革には五つの項目がある。まず一つめは「国民データベース(DB)である。国民一人一人が生まれた瞬間から個人情報全てをデータベース化し、国家が一括して管理・保護する。そうしたもこんデータベース、国民的なデータベースを構築する必要性を私は「生成維新」から一貫して提議し続けた。なぜ国民DBを構築しなければならないのか。主な目的は二つある。公的サービスの一元化と低コスト化である。


日本ぐらいデータベースが乱立している国は他にない。納税者番号、年金、健康保険、運転免許証、パスポートなど役所ごとに別々の番号が国民に割り振られ、しかも各データに互換性がない。最寄りの役場に行っても戸籍、住民票、住基ネット(住民基本台帳ネットワーク)などの情報が乱立している。


218頁、12/1/2 850分、


各省庁や地方自治体にあるデータベースはバラバラなレガシーシステム(既存の古いシステム)で膨大なコストがかかっている上、コンピューター同士がお互いにコミュニケーションできないという致命的な欠陥を抱えている。年金のデータベースが問題となったが、同じような欠陥はほぼ全ての役所、自治体にあると考えていい。

生活者は脈絡のない識別番号をいくつも与えられて、しかもそれぞれの行政サービスの窓口はバラバラなのだから不便極まりない。

私が提唱する国民DBでは、現在の戸籍のような情報から、納税、健康保険、年金、自動車運転免許、婚姻、出入国まで、あらゆる個人情報が保存される国民全員に固有のID(識別番号)が与えられ、その番号は死ぬまで変わることがない。IDを使えば日本全国どこでも、海外でも、すべての行政手続きが簡単にできるのだ。日本人である限り本籍地も不要になり、公共サービスを受ける場所の限定もなくなる。

 

「本籍=データベース」と考えてもいい。

国民DBで全ての国民情報を一元管理するようになれば、公的サービスの利便性と公平性は飛躍的に向上するし、税金の無駄遣いもなくなる。私の試算では行政コストは原稿の10分の1以下になるはずだ。

全ての役所が共通の国民DBを活用するようになれば、省庁間、市町村間のシステムの企画の不統一もなくなる。声紋や指紋などのバイオメトリクス(生体認証)による個人認証を導入すれば、本人が海外や遠隔地にいても、あらゆる行政サービスが携帯電話やネット経由で受けられるようになるし、後述するように選挙は世界中どこにいてもできるようになる。


219頁、12/1/2 1324分、

当然、行政の窓口は24時間、365日、年中無休にできる。

逆に国民DBを持たないまま、それぞれの役所が戸籍ベースの杜撰な情報管理をしているから、年金記録が消失するような問題が起きる。コンピューター上の基礎年金番号と照合する「名寄」もまともに出来ない。高齢者の所在不明とその家族による年金の不正受給問題が発覚するなど、同じような問題が次々と出てくる。

こうしたトラブルを避けるためにも戸籍を廃止して住民登録と合体し、情報を一元的に統治したリレーショナルな国民DBを構築すべきなのだ。自分がこれまでいくらの年金を支払っているのか、このまま引退したらどれぐらいの年金がもらえるのか、といったことがいつでも自分で確認できるような双方向性もそこに付与されなければいけない。

また第四章でも触れたように、「法の下の平等」という憲法の精神に反する戸籍制度を廃することは、少子化の歯止めにもつながってくる。

政府は税金や社会保障分野の個人情報を一つにまとめる「共通番号制度」の2015年導入を目指していて、その際、住基ネットの住民票コードを活用するのが有力な選択肢の一つになっている。国民DBを構築する上で共通番号制度の導入は欠かせないが、住基ネットの活用にはとても賛同できない。


220頁、12/1/2 1342分、

住基ネットは各自治体がIT(情報技術)ゼネコン(総合建設会社)の食い物にされてバラバラにシステムを作っている。

構築費は実に800億円に達しているのに、そこに収容されている情報は10ギガバイト。二層式DVD一枚に収まる程度に過ぎない。その維持運用に年間140億円もかけながら、利用率は0・7〜1%と極めて低い。政府が作り出した無駄の中で突出しているのだ。

かなり幼稚のレベルのシステム設計なので融通は効かないし、拡張性にも技術的な限界がある。日本の電子政府のもとになる汎用的なデータベースを作るのであれば、当然最新の技術とシステム要件を満たしたものをゼロから作るほうが安いし早い。

ゼロからシステム開発する際には、くれぐれもITゼネコンを使わないことだ。広く門戸を開いて、例えばシリコンバレーや、インドの人たちにも参加してもらって、システムのアイデアを募る。もっと大胆な提案をすると、15〜25歳くらいまでのサイバーマニアを集めて、クラウドソーシング(無償あるいは低賃金で参加してくれる不特定多数の人々に開発業務などを委託すること)でシステム開発させるのだ。開発費用はITゼネコンを使った場合の100分の1以下になるだろう。高層の提案コンテストをやれば全世界から応募が殺到するだろうし、トップの数団体に共同で発注する、など工夫すれば、もっと安くできるかもしれない。


政治や行政を根本から作り替える、六章・221頁、12/1/2 1623分、

先進国の共通番号制(図表5)について見てみると、最も進んでいるのはスウェーデンと韓国だ。

この二ヵ国は、「税務、社会保障、住民登録、選挙、教育、兵役」の全てを共通番号で管理するオールインワンの制度になっている。

税金や社会保障のみならず、共通番号制は幅広く「社会歴」全体に利用範囲を拡大することが可能で、たとえば個人の既往歴やアレルギーなどの「医療情報」を加えれば、利便性はさらに高まる。私のようなアレルギー持ちは病院から嫌がられる。治療に使える薬剤かどうか、いちいち主治医の確認を取らなければならないからだ。IDから既往症やアレルギーの情報がすぐに引き出せるようになれば、医療現場でもより迅速な対応が可能になる。


222頁、12/1/2 1636分、

また国民DBと共通番号制を活用すれば、選挙制度の電子化も一気に進む。

現状は立会人のいる投票所にわざわざ足を運んでタッチパネルで投票する程度で、とても電子投票と呼べるような代物ではない。しかも住基ネット同様に、ITゼネコンの言いなりになって市町村ごとに独自の投票システムを採用しているから、例えば都道府県の知事選や議会選で投票をやろうにも、市町村それぞれの方式が違うので使えない。市議選や町長選用の選挙システムだから住民の直接投票にも使えないのだ。

電子投票システムは、国民DBをもとに分散システムを作ればいいだけのこと。選挙や住民投票の種類などそう多くないのだから、全てを想定した標準システムを作って各市町村に導入すれば、国政選挙から地方選挙まで使える電子投票ネットワークが簡単にできる。

電子投票は本人確認がネックになるが、IDと前述のバイオメトリクスを組み合わせればそれも問題ない。例えば「私は大前研一です」という声紋をデジタル化して登録しておけば、簡単な照合で本人認証が出来るので、世界中どこにいてもプッシュフォン(携帯または固定電話)やパソコンから投票できる。

声のでない人は暗証番号を組み合わせて投票してもらえばいい。総務省の役人と電子投票について議論したことがある。彼らは「電子投票の場合、脅されて投票を強要されるケースも考えられる。


223頁、12/1/2 173分、

本人の意思で投票していることを確認するためには、やはり投票所に足を運んでもらわなければ」という。

ハガキの切れ端を持ってくれば本人確認もろくにしない現行の選挙制度の問題を棚に上げて、ふざけた言い草である。選挙のたびに異常に不在者投票の多い地域があるが、それは投票日に不在に人が多いからではない。票が金で買われたり、脅かされたりして事前に投票した人が多いからなのだ。投票所までマイクロバスを仕立ててくる候補者を放置していて、なんという言い訳なのかと呆れてものが言えない。一回の国政選挙にかかる費用は約800億円と言われる。だからやたらに解散されたらたまらないわけだが、電子投票を導入すれば費用は大幅に削れる。

少なくとも投票用紙を作成、送付するコストや投票所の設置コスト、選挙の立会人や開票作業の人件費は一切かからない。

地上波のデジタル化で空きチャンネルがたくさん出来たので、そこで46時中政見放送を流して、有権者はそれを見て電話やネットで投票する。コンピューター管理で投票をストックしているから、投票日を決めることもない。投票期限だけを決めておけば、有権者は自分の都合のいいタイミングで世界のどこからでも投票ができるし、投票締め切り後、瞬時に最終集計結果が出る・・。

このような選挙の流れになれば、有権者の投票行動も大きく変わるだろう。さらにいえば、電子投票システムによって、憲法改正や原発問題など、国家の重要案件についてファレンダム(直接投票)で国民の判断を仰げるようになる。例えばスイスがそうであるように、政治参加のあり方が直接投票に近づくほど、政治マターに国民の関心が向くようになる。


224頁、12/1/2 195分、

そうなれば、意味のない参議院は廃止して、国民の直接投票を「上院」と位置付けたほうがいい、というのが私の考え方である。つまり、拙著「平成維新」で提案した上院は国民による直接投票、下院は全国の国会議員による運営、という新しい「二院制」だ。

国民DBの構築というコンセプトを掘り下げていくと、こうした問題まで行き着く。日本の政治や行政の仕組みを根本から作り替える、いわば21世紀の国家建設における基礎工事中の基礎工事なのである。

1/2/2012 7:39:07 PM

 

プライバシーを保護する「第四の機関」、224頁、電子政府先進国のシンガポールでは、建築許認可の申請もCAD(コンピューター利用設計システム)からネット経由で受け付けている。あとはコンピューターが基準に適合しているかどうかを判断するだけだから、一瞬で許認可が下りる。このシステムは日本のコンピューター会社が作ったものだ。つまり、国民DBの構築をきっかけに電子政府化が進めば、県庁の建築許認可に一ヶ月もかかるような日本の許認可行政も変えられる。

日本では、用無しになることを恐れる役人が自分の権限や裁量を手放そうとしないから、役所業務のコンピューター化がなかなか進まない。しかし、「どうしても役人でなければいけない仕事は何か」を突き詰めて考えていくと、そんなものはほとんど存在しない。


225頁、12/1/2 1950分、

窓口業務はもちろんのこと、許認可業務にしても、利権や不正が入り込む隙をなくすためには最良部分を取り払ったほうがいいわけで、それならばコンピューターで十分に対応できる。

年金行政にしてもコンピューターでやれば「払った、払わない」などという問題は生じない。

行政サービスが自動化されれば、役人に唯一残される仕事は予算や事業計画などのプランニング、それから人手を使わなければならない介護や清掃などの現場だけになるだろう。従って大半の役人はいらなくなる。

 

このように公的サービスを提供するコストを大幅に下げ、逆に利便性をアップさせる国民DBだが、国民情報をひとつのデータベースに寄せるときに絶対にクリアにしておかなければいけないことがある。それは国民DBを誰がどういう権利で使うのか、守るのかという問題だ。

現行の個人情報保護法ではプライバシーは完全には保護されていない。例えば国税の査察捜査では、金融機関に脅しをかけてターゲットの個人データを全部出させているのが実情だ。

そもそも日本で国民DBや共通番号制の導入が遅れたのは、多くの国民にアレルギーがあるからだ。戦前、時の政府は国民の戸籍データを使って、壮健な次男、三男を狙い撃ちするかのように赤紙(召集令状)を送りつけた前科がある。この為左派の人々が国民監視につながる背番号制に頑強に反対してきたという経緯がある。


226頁、12/1/2 206分、

為政者や行政によるデーターベースの悪用やプライバシーの流出を防ぐために23重のセキュリティーをかけるのは当然で、さらに立法、行政、司法、三権の上に「第四の機関」を置く必要があると私は考えている。「平成維新」ではコモンデーターベースを守るための組織を作るべきだと提言した。

コモンデーターベースの開示に関しては、その機関が全てを管理して、「この部分のデータはこの目的のためには使っていい」という判断を三権から独立して行うのだ。

ときには行政に対しても、国会に対しても、裁判所に対しても毅然とNOを突き付ける。そのために第四の機関は三権より上に位置していなければならない。国民全体のインタレスト(国益)というものを代表するに足りる良識のある公正無私な人物をオンブズマン(行政監察官)に選び、「人権院」のような第四権力を組織して、国民の大切なプライバシーの集積である国民DBのお目付役になってもらうのが最善だろう。

1/3/2012 8:54 AM

 


「一八歳成人」と「高校義務教育化」

クリエーティブな人材を育成する、226頁、12/1/3 1047分、

ゼロベース改革の二つ目は教育である。教育改革は日本が21世紀を生き抜くために極めて重要なテーマなのだが、聞こえてくるのはいつも的外れな教育論議ばかりだ。自民党安倍晋三政権の肝いりでスタートした「教育再生会議」にしても、本質的な提言は何もなされなかった。

そもそも「教育再生」という方向性からして間違っている。「再生」というのは、昔はよかったのに悪くなったから元の状態に戻す、という意味である。元に戻してどうしようというのか。徳育を充実させたり、ゆとり教育をやめて授業内容を増やしたりして、仮に古き良き昔の教育が取り戻せたとしても、この先、少子高齢化で労働力が急速に失われていく成熟国の日本がBRICS以下の振興経済国と対等に渡り合えるとはとても思えない。

 

これまでの日本の教育は「どんなものにも答えがある」という前提に基づいてきた。教師は文部科学省が作成した学習指導要項にのっとって生徒に「答え」を教えてきた。工業化社会に必要な均一化した人材を大量に作り出すためならそれでもよかったが、そんな時代はとうに終わっている。「答えがある」ものについては、ネット検索でもすれば誰でも即座に答えにたどりつける。世界は「答えがない」ものに取り組むことに価値を置く時代に突入しているのだ。

「答えがある」ことが前提の日本の教育では「答えがない」時代には対応できない。だから世界から後れをとっている。政治家も識者も教師もそういう現状認識ができていないから、「教育再生」などという懐古主義的なコンセプトにすがりつくのである。


228頁、12/1/3 116分、

私が考える21世紀の教育の目的は、どんなに振興経済国や途上国が追い上げてきても日本がメシを食べていける人材の育成である。言い換えれば、「答えがない世界」で果敢にチャレンジして、世界のどこに放り出されても生き残れる人材をひとりでも多く生み出すことだ。

 

参考になるのが北欧のフィンランドやデンマークで、これらの国は新しいタイプの人材を育てるために国を挙げて取り組んでいる。

大量生産・大量消費の工業化社会とは違う、新しい社会に適応したクリエーティブな人材、答えがない時代に答えを見つけ出せる人材をどれだけ生み出せる生みだせるかで今後の国力は決まってくる。だから教育プログラムは再生して昔に戻すのではなく、根本から全面的に変えなければならない。

つまり教育のゼロベース改革が必要なのである。教育のゼロベース改革といっても、問題の裾野が広すぎてどこから手をつければいいのか、当事者である教育関係者にはわからなくなっているのが現実ではないか。私は「我が国の教育制度は何を持って基本とし、国はどこまでやる責任があるのか」という教育の基本的なフレームワークに関する議論がすっぽり抜け落ちていることに大きな問題があると思っている。

何のために教育をするのか、義務教育とは何が義務なのか、なぜ義務なのか、誰の義務なのか、といった定義が曖昧なままなのだ。そこで、わかりやすいフレームワークとして私が長らく提案してきたのが「18歳成人」と「高校義務教育化」である。


229頁、12/1/3 1148分、

もし憲法で保障されている「人間の尊厳を失わない最低限の生活ができる」能力を国民に身につけさせることが国家の責任であるならば、そのための準備が義務教育期間ということになる。

そうなれば「近代社会で自立した人間生活ができるための教育をすること」がまさに国の責務として定義されてくる。言い換えれば「立派に社会人としてやっていける責任と義務を自覚し、ある程度の賃金を稼いでいける最低能力とスキルを身につけている」ことになる。だとすれば、義務教育が中学までというのは不十分で、高校までを義務教育とするべきだろう。そして自立した社会人としての生活が送れる準備が完了した高校卒業時(=18歳)を「成人」とみなして、選挙権を与える。

世界では90%以上の国が成人年齢を18歳としており、投票権も18歳から与えている国が圧倒的に多い。肉体的にも18歳成人というのは納得できるだろう。

しかし日本では反対意見の方が多数である。今の18歳はとても成人とは言えないというのがその理由だ。しかし、それを言ったら20歳でも25歳でも似たようなものだろう。大切なのは18歳で高校をでるまでに立派な社会人を育てるのだ、という意見と気概を持って教育制度を大幅に変えることである。民主党のマニフェスト(政権公約)の一つだった「高校無償化」が2010年春から始まったが、本来、義務教育でもない高校の授業料を納税者が負担する理由はない。


230頁、12/1/3 1330分、

このままでは単なるバラマキだ。しかし、高校が義務教育化されば「高校無償化」も政策と一貫したものになってくる。

義務教育は「社会で自立した生活ができる人材を育てる」ことを明確な目的として、高校のカリキュラムや授業も「責任ある成人」を作り出すためのものにする。その代わり、高校までの授業料は国が面倒を見る・・これなら非常にわかりやすい。

 

権利と義務の契り、230頁、12/1/3 1336分、

 

後述するように日本の統治機構を国、道州、基礎自治体という三層構造に改革した時には、義務教育の責任を負うのは基礎自治体である。社会人として立派に通用するための教育を、高校卒業まで責任をもって行う。そのためには今の受験重視の知識詰め込み教育をやめて、社会人としての責任、自覚、能力などを「6,3,3、」または中高一貫の「6,6」で計12年かけて身につけさせる。

立派な社会人を育てるには、地球環境、家族、金、社会、人生設計、社会人としての道徳、日本と世界、ダイバーシティー(多様性)などに関しての広範なカリキュラムが必要だ。これらは職業教師が教え切れるものではない。そこには前項の「グレート・ソサエティー」で説明したように、ボランティアの企業人やプロフェッショナルが多数必要になる。親、店主、警察官、サラリーマン、消防士、介護福祉士、医者、政治家などにも社会貢献の一つとして教育現場で活躍してもらう。

例えば日本に700万人もの多重債務者がいるのは、金の貸し借りについて十分な社会人教育がなされていないせいである。多重債務問題に通じた弁護士が、トラブルの具体的な事例を交えながら金を借りる責任について教えたほうがいいだろう。

高校を卒業するときには、「社会人として責任を自覚して権利を行使する」、または「義務を全うする」などの誓約をせた上で、前項のIDが記された「社会人カード」(すべての行政サービスに共通の背番号)を交付する。それが運転免許証、パスポート、年金カード、健康保険などを兼ねる。もちろん、投票もこのIDで行う。

義務教育を終了した18歳の成人は投票、飲酒、喫煙、運転、婚姻、借金など全ての社会人に与えられる権利を付与される反面、納税、刑罰などの責任も負う。少年法の適用もこの年齢で終結し、ここからは大人としての責任が発生する。

投票権を行使するのは権利であると同時に義務である。義務を果たさないのは社会人として不十分だし、そういう社会は機能しない。だから投票権も含めて、高校卒業時に契を交わす。形式的な成人式とは違う。「あなたは今日から社会人。これだけの権利があると同時にこれだけの義務が生じます。認めますか」と宣誓書にサインさせる。


 

232頁、12/1/3 1413分、

サインしなければ各種の権利は渡さない。送る側も送り出される側も誇りが持てる厳粛なセレモニーによって、18歳という人生の大きな節目と社会への巣立ちを祝福したほうがいい。

現状では投票、飲酒、喫煙は成人してからということで20歳からになっている。しかしバイクは16歳、自動車は18歳で免許が取れる。だから動く凶器で事故を起こしても社会的な責任が追求できない。また安倍政権下の2007年に成立した国民投票法では、投票権は18歳から与えられている。なぜ他の選挙権と異なるのか、国民に詳しい説明はなかった。このとき投票年齢を18歳に引き下げるようにかなり強引に要求したのが当時野党の民主党で、自民党は法案を通すために民主党の言い分をのんだに過ぎない。

こうした矛盾をすべて解決し、「高校無償化」にも国民投票法政策にも正当性を与えるのが、「18歳成人」と「高校の義務教育化」なのである。


 

カビの生えた文科省のプログラムは捨てよう、233頁、12/1/3 150分、

義務教育が憲法で言うところの「最低レベルの生活ができる能力の付与」ということになれば、大学の目的はそれより高度な生活をするための準備をする、ということになるだろう。すなわち、大学は生活レベルを上げるための知識と技能、稼ぐ力をつけるための場所となる。

233頁、

だから大学のはじめの二年間におこなわれる一般教養などは高校に渡すべきだ。義務教育を終えた「成人」なら一般教養を身につけているのは当たり前。大学はあくまで自分で選んだ、あるいは将来選びたい方向に向かって腕を磨き、競争力を身につけて、よりよい生活ができるようにするための場所である。

 

どのくらい稼ぐ力をつければいいのか。大学の授業料に対する投資利益率から考えてみよう。大学の授業料は「52万円(国立大学の年間授業料)×4=208万円」。

一方、もし高校で社会に出て働いたとして4年間で稼いだ給料は、「18万円(平均給与)×48ヶ月=864万円」。

大学に四年間通った場合、大学に行かないで仕事をしている人よりも、合計で1072万円分の所得格差が生じていることになる。これを10年で回収するとすれば、「1072÷120ヶ月=8・9万円・月」つまり、高卒の人よりも月に9万円以上多い給料を稼げる力を身に付けるのが「大学に行く」目的ということになる。そこまでの力がつかないなら、高校を出てすぐに就職したほうがよかった、ということになる。

ハッキリいえば、大学はより良い生活をするための「高等職業訓練所」と割切ったほうがいい。こんなことを言うと大学教授や他の大学関係者はこぞって猛反発してくる。大学はもっと高級なアカデミックな場であって、そんなことは専門学校や工業高校の役割だと、見下げたことを言う。


234頁、12/1/3 164分、

しかし、象牙の塔の住民たちが自負するアカデミックとは、オリジナルの研究もせずに文献だけを読んで欧米の学説を解説してるに過ぎない人々が大多数である。欧米の文献など、今ならネットで誰でも検索し、まとめることはできる。

 

大学を「稼ぐための能力開発の場」だと割り切れば、高校から大学へエスカレーターのように進む意味もなくなる。早く社会で力を試したいなら、あるいは自分の将来の方向性が見えないなら、高校までの義務教育を終えた後に一度社会に出てみる。色々な仕事をしてみて、どのようなスキルを身につければよりよい生活ができるのか、あるいは本当にやりたいことが何なのかがわかったら、自分にふさわしい大学を選んで腕を磨くための教育を受ければいい。

その訓練期間は職種によって異なるはずだから、大学が四年生である必要も無くなる。法律や医学のように稼げるだけのスキルを得るまでに時間がかかるものもあれば、コンピューターのように基礎さえ学べば実務中心で鍛えたほうが習得が早いものもある。大学を四年と決めつけないで、必要な期間を2〜6年くらいに設定するのがいいだろう。

文部省の調査によれば、2010年春に卒業した大学生の就職率は61・6%。過去最大の下落幅を記録した2010年(60・8%)に続き厳しい状況にあるというのが、私たちに言わせれば当たり前のこと。今の大学は企業が採用したい人材を作っていないのだから。新卒の就職率が低下しているのは不況だけが理由ではない。日本にとどまっていては未来がないと、日本の企業が見切りをつけたからだ。


235頁、12/1/3 2014分、

世界、特に振興経済国に打って出ない限り、企業は生き残れない。そこで勝負すると決めたからには、新興国で通用する人材を求めるのは当然である。

パナソニックは2011年度に1390人を採用するが、そのうちの1100人は海外採用枠。国内採用は前年から半減して290人で、新卒採用に占める海外採用の比率が実に八割に達するという。

パナソニックは連結売上高にしめる海外比率を2012年度には55%に引き上げる方針を明らかにしている。アジアだけでも洗濯機や冷蔵庫など白物家電はこれから普及していく新興国はたくさんある。つまり、パナソニックの将来の世界シェアから見れば、海外採用比率八割というのは全く正しい数字なのである。

企業は事業戦略先行で10年後、20年後を見越して人を採用しなければならない。これをやり抜いた企業が勝ち残る。グローバル企業であれば、全世界から人材を集めて最適なフォーメーションを組は当然のこと。グローバルステージを目指す日本企業なら、国内採用を抑制して、海外採用を増やすのも当然の成行だ。

見方を変えれば、日本の大学教育は企業のグローバル思考に叶う人材を作り出せていないということだ。大学と企業のミスマッチを物語っているのが就職率61・6%という数字であり、「パナソニックショック」なのである。いくら税金を使って就職支援しても、大学教育が変わらなければ何の問題解決にもならない。


236頁、12/1/4 622分、

私の友人が政府の就職支援制度(最初の二年分の給料の半分を補填してくれる)を使おうと何人か面接したが、全く話にならなかった、と語っている。

平均五十社は受けて振られている人というのがどういう人なのか、政府は補助金をばらまく前に、自分たちの役所に採用するつもりで面接したらいいのだ。こうした人材が大学に進んでいく限り、卒業生の国内採用を手控える企業はこれからも増えていくだろう。

日本の大学を出ても就職できない。ということは、稼ぐ力を身に付ける場所という定義を今の日本の大学は満たしていないということだ。実際、近ごろはインターンシップ(就業体験)や大学と専門学校を掛け持ちするダブルスクールも盛んになっている。

今後、大学が生き残るためには、カビの生えた文部省の教育プログラムは捨てて、「稼ぐ力を身に付ける」教育カリキュラムに徹してもうラウしかない。

世界のどこでも稼げる力には「三種の神器」がある。「英語」「ファイナンス」「IT(それを駆使した論理思考、問題解決法を含む)」である。この三つは21正規を生き抜くための「世界共通言語」だ。これにもうひとつ付け足すとすれば、「リーダーシップ」である。

私は義務教育の段階からこの「3+1」教科を必須項目として教えていくべきだと思っているし、高等職業訓練所である大学教育においては、三種の神器がピカピカに磨かれなければならない。そのための教育プログラムを供することが大学の最低限の役割ということになる。

236頁、12/1/4 650分、
2012年1月4日 8:16:42

 

 


 

道州制で世界の富を呼び込む

統治機構は制度疲労を起こしている、237頁、12/1/4 653分、

世界が大きな変革期に突入している時代に日本だけが取り残されて「一人負け」状態になっている大きな原因が、中央集権的な統治機構の制度披露にあると繰り返し説明してきた。三つ目は統治機構のゼロベース改革である。

 

日本の機能不全を解消するには、統治機構をゼロベースで作り直す以外にない。現在の行政区を一度オールクリアにして、日本の国家運営の体系はどうあるべきか、統治機構をどうするのか、改めて決める。そして「都道府県」や「市町村」とい定義の曖昧な区割りを廃して、新しい時代に即した国家構成の単位として「道州制」を取り入れよ、というのが20年来の私の主張だ。

私の道州制プランは極めてシンプルだ。「道州」の下にすべてのコミュニティー(国民生活の核になる行政単位)が同格、横並びで連絡する。要するに国、道州、コミュニティーの三層構造である。

238頁、12/1/4 753分、

コミュニティーの人口規模を30万人程度とすると、日本全国に300〜400ほどのコミュニティーができる。これが生活基盤の単位になる。

 

コミュニティーの役割は地域住民の生活基盤の整備、安心と安全の提供。警察、消防、地域医療、小学校、中学校、そして高校までを義務教育と改めて、生まれてきた人が社会人(18歳成人)になるまでコミュニティーで面倒をみる。各コミュニティーの活動財源は各コミュニティーで確保、そこで生活する人から資産税を徴収する。

 

一方、道州は地域国家の概念に照らして一つの経済圏として成り立つ大きさで、500万〜1000万人規模の11の道州に区割りするのが私の提案だ。世界中から資本、企業、人材、情報を呼び込んで産業を興し、雇用を創出して、経済を活性化する。

つまりコミュニティーが生活基盤を責任を持つ、ということに対して道州は産業基盤の充実を主任務とする。財源として、道州は企業や個人から付加価値税を徴収する。また、例えば下水は一次処理、二次処理、三次処理をして安全な状態にして海に流さなければいけないが、コミュニティーのレベルでは三次処理まではなかなか手が回らない。そうした下水処理や水の調達、ゴミの燃焼など、コミュニティー単位ではうまく回らない問題は代わってコーディネートするのも道州の役割だ。

 

このようにコミュニティーと道州に権限を移譲すると、国の仕事は通貨・外交・防衛という国家の根幹に関わる基本政策だけになる。

239頁、12/1/5 119分、

ただし、人間の尊厳を失わない最低限の生活は国が守ると憲法は保障しているのだから、コミュニティーや道州でケアしきれない恵まれない人たちや高齢者に対する最終的な責任は国が持たなければいけない。

 

究極的には大選挙区制にして、各道州から十数人の国会議員を選出する。天下国家を論じることに専念する国会議員は100人もいれば十分。

国民DBの項目でも触れたように、道州から選出した国会議員で運営する下院と直接投票で民意を問う上院の二院制に移行すべきだろう。

コミュニティレベルの議員は首長以外は無報酬で、平素は仕事を持っている人々がその任に当たる。このようにすれば、行政コストも議会運営費用も大幅に下がる。

政権与党の民主党や自民党にも道州性を唱える政治家はいて、格闘や超党派の推進議連ができるたびに、「元祖、道州屋」として私も呼ばれてきた。しかし、彼らの政治会の言う道州制は、もっぱら行政コストの削減がダーゲットで、「市町村合併の次は都道府県合併」という延長線上の発想でしかない。

 

世界からヒト、カネ、モノ、情報を呼び込んで税金によらない産業発展の単位とする、という私の「地域国家論」とはかけ離れた発想なのである。

先行して北海道で道州制を実施すれば、国の出先機関と統合して行政コストが1000億円削れるなどという声が聞こえてくるが、重複している無駄使いがあるならさっさと削ればいいのであって、そんな話に道州制を持ち出す意味はない。

240頁、12/1/5 1358分、

中央集権のくびきから外れ、地方が自立し、自分たちで財源の使い道や産業政策を自由に考えられるようにならなければ、日本は世界のホームレスマネーや資本、企業、人、情報は集まってこない。世界から富と繁栄を呼び込むための単位が道州なのである。

 

 

 

生活基盤の質で競争するコミュニティー、240頁、12/1/5 142分、

思いつきのようなマニフェストを並べ立てて政権を奪取し、今やその見直しを迫られている民主党だが、統治機構の改革につながる重要なアイデアも提起している。

それが「基礎自治体」という考え方で、民主党のマニフェストには全国の市町村を人口30万人規模の基礎自治体として再編し、財源と権限を大幅に移譲して地域主権を確立する旨が記されている。

人口30万規模の基礎自治体が全国に300〜400できたとして、基礎自治体と国家の関係はどうなるのか。基礎自治体はそうやって経済的に自立するのか。

基礎自治体の権限や責任が不明瞭で、概念として中途半端であることは歪めない。しかし、基礎自治体という概念を掘り下げて考えていくと、日本という国家のあるべき方向性が見えてくる。

道州制では国民生活のかくになる行政単位は「コミュニティー」だが、基礎自治体はまさにコミュニティーであり、まずこれを生活基盤として位置付ける。そして、民主党が主張する地方自治・分権の受け皿をそこに全て載せる。つまり、市町村のような曖昧な存在ではなく、ここを産業や外交、金融などを除く全ての行政の受け皿かつ執行機関とするのだ。

241頁、12/1/5 1424分、

 

そうなると、今まで中央集権体制の中で全国一律で決められていた案件が全て基礎自治体で決められるようにしなくてはいけない。国はいくつかのモデルを提示することはあるかもしれないが、決定権はコミュニティーが持つ。

コミュニティーはまさに民主党が重視する生活者の安全・安心を提供する基礎自治体である。立法権も徴税権もあるが、住民負担が重くなれば逃げ出す人も出てくるだろう。

環境や治安が悪くなれば衰退する。逆にインフラ(社会基盤)が充実し、町並みが整備されれば流入人口も増える。警察や消防などのレベルは住民が決めるので、「三割自治」と言われていた弊害はなくなる。歳入に見合った歳出を図ることは当然だが、それを続けているうちに「事業仕分け」などしなくても、いらないものは自発的にやらなくなるし、自治体議会もほとんどパートタイムの住民参加型となる。

問題は、この規模の自治体では世界中から資本や企業を呼び込んで産業・雇用を創出していけないということだ。そこで民主党の政策に欠けている道州という概念が出てくる。

生活基盤を充実させる役割を基礎自治体に持たせようとすれば、産業基盤を担当する上位概念が必要だ。それが人口1000万人程度の地域国家、道州ということになる。北海道や九州がすでに「道」や「州」を使っているように、地理的にも人口的にも世界中から資本や企業を呼び込んで産業・雇用を創出する単位になるのだ。

242頁、12/1/5 2046分、

道州は殖産興業に不可欠な人材育成で、大学以上の教育に関するすべての権限を担うことになる。義務教育は基礎自治体が責任を持って行うことになるから、全国一律の教育を担当してきた文部省は不要になる。全国一律の教育そのものが不要になるからだ。

財源としても、基礎自治体が資産税、道州は付加価値税という住み分けが一番妥当で、その他のすべての税金はなくなる。道州同士は世界からいかに富を呼び込んで産業を育成するかを競う。300の基礎自治体は生活基盤の質で住民の獲得競争をする。

あるいはどれだけ立派な社会人を育成できるかを競い合う。日本全体はこのような自治体の競争と創意工夫によって生まれる活力で繁栄への道を歩み始める。

242頁、12/1/6 70分、
2012年1月6日 8:05:08

242頁、12/1/5 2046分、

道州は殖産興業に不可欠な人材育成で、大学以上の教育に関するすべての権限を担うことになる。義務教育は基礎自治体が責任を持って行うことになるから、全国一律の教育を担当してきた文部省は不要になる。全国一律の教育そのものが不要になるからだ。

財源としても、基礎自治体が資産税、道州は付加価値税という住み分けが一番妥当で、その他のすべての税金はなくなる。道州同士は世界からいかに富を呼び込んで産業を育成するかを競う。300の基礎自治体は生活基盤の質で住民の獲得競争をする。

あるいはどれだけ立派な社会人を育成できるかを競い合う。日本全体はこのような自治体の競争と創意工夫によって生まれる活力で繁栄への道を歩み始める。

242頁、12/1/6 70分、

 

◆途上国の税制から老熟国の税制へ

所得税と法人税は税率を下げたほうが税収は増える、242頁12/1/6 7時、

東日本大震災によって法人税の実効税率(国と地方の税率の合計)の5%引き下げなどの税制改正が棚上げされ、逆に復興増税一色になってきた日本の税制改革論議。しかし、法人税であれ、消費税であれ、これまでのように税率をちまちまと上げ下げする小手先に改革では何の効果も期待できない。税体系そのものをゼロベースで見直して、日本をタックスヘイブン(租税回避地)化していくべきだと私は考えている。

第一の理由は、すでに日本は「老熟国」になっているにもかかわらず、税制はすべからく日本が成長過程にあることを前提とした途上国時代のままだからである。

戦後の日本や現在の新興経済国のように人口が急増して右肩上がりの経済成長を続けている国では、労働人口はどんどん増えるし、企業も年々大きくなって収益を伸ばし、個人の収入も昇給して増えていく。だから企業の利益や個人所得に課税すれば税収も自然に伸びていく。そして累進課税によって高所得者から税金を多めにかき集めて、それを低所得者に回すという所得の再配分システムは、高度成長期の日本にとっては大変理にかなっていた。

しかし成長期を終えて成熟期に入った今の日本では多くの企業が低迷し、個人の昇給も止まって、先々、所得が増える可能性は低い。その上、少子高齢化で就労人口は減り続ける一方。

となると、所得税は税率を上げない限り大きく伸びないわけだから、極めて効率が悪い税金になっている。

244頁、12/1/7 1745分、

法人税も効率が悪い。その理由は、まず払わなくて済む仕掛けがたくさんあるために、捕捉率が非常に低いことだ。しかも「経費」については税務当局が認めるかどうか恣意的に決めている。また、実効税率が40・69%とアメリカと並んで世界一高いために、企業は生産・販売拠点の海外移転を加速している。そもそも人口が減ればおのずと消費はしぼむ。国内マーケットでは適当にお茶を濁して、海外で一生懸命稼ごうと企業が考えるのは当然だろう。法人税収が大きく伸びることもないのである。

従って日本の税制改革は、途上国の税制から老熟国にふさわしい税制にどう変えるか、という視点で議論されなければならない。

 

第二に理由は、世界的な税制改革の動きである。ボーダレス化した世界では、金持ちの個人や企業は税制を見て、国(レジデンス)を選ぶ。つまり、魅力的な税制を提供する国に資金も企業も人材も集まるのだ

だからどこの国も税制改革に躍起になっている。その三大潮流といえるのが、個人所得の減税またはフラット化、法人税25%の世界標準化、そして相続税の廃止である。

 

そうした世界の潮流に目を背けて日本は税制改革を平気で先送りしてきたし、減税よりも消費税などの増税論議が主体になっている。これでは世界の富を呼び込むどころか日本の企業や富裕層に「国から出て行け」と言っているようなものだ。

245頁、12/1/8 943分、

 

政府は「増減税一体改革」とか「税と社会保障の一体改革」などとまやかしのスローガンを掲げて、判で押したように増減税ワンセットの税制改革を打ち出してくる。財務省の操り人形といわれる野田佳彦首相も、復興財源から議論もしないで消費税を削除してしまった。

「税と社会保障の一体改革)のために2015年まで温存しておきたいからである。根底に「税収を増やすには税率を上げなければならない)という、かたくなな思い込みがあるからで、これこそ算数は得意でも経済の現実がわからない役人の典型的な発想だと言える。

この30年、世界では「所得税と法人税は税率を下げた方が税収は増える)という全く逆の現象が起きている。要するに税率を下げると個人も企業もウソを突いたり利益を隠したりする必要がなくなって正直に申告するようになるから、税収が増えるのだ。

たとえば1980年代アメリカの「レーガン税制」。それまで最高税率70%で累進が15段階もあった所得税を28%と15%の二段階のフラットタックスにした結果、税収が大幅に増加した。

21世紀に入ってからはロシアのプーチン政権による所得税のフラット化が絶大な効果をあげている。

12%、20%、30%の累進性だった所得税を2001年にオール13%のフラットタックスにした途端、所得税収が25%以上増えて、芋もしばらくは税収の大幅増が続いた。

246頁、12/1/8 1043分、

所得の87%が手元に残ることなり、所得を隠す者がいなくなって巨大な地下経済が表に出てきたのである。

2008年に「今後きちんと納税するなら、過去の脱税は罪に問わない」という刀狩政策を打ち出して税収を倍増させたインドネシアのような例もある。そのあたりの「納税者心理」というものを日本の政治家や経済学者、税制調査会のメンバーはもっと勉強するべきだ。

税率を重くしたり、徴税を厳しくしたりするだけでは、個人も法人も嫌忌して税回避行動を強める。税負担が重くのしかかる閉そく感から個人消費は冷え込み、景気は振るわず企業活動も低迷して税収減、という悪循環に足を取られかねない。

逆に減税によって地下経済を折り起こされるばかりではなく、個人消費や企業活動を刺激して税収アップにつながる乗数効果も期待できる。蓄えがある新進国では、「国民心理」が経済を動かし、税収の調整弁にもなっているのだ。

税制すら世界から富を呼び込むための武器になっている大競争時代である。日本の国税当局は法人税25%以下の国を「租税回避地」、すなわち「タックスヘイブン」と呼んできた。しかし、今や世界の大半の国は「タックスヘイブン」になっている。日本もゼロベースの税制改革で「タックスヘイブン」を目指さなければ世界から完全に取り残されてしまうだろう。

日本の国と地方を合わせた個人所得税収は約30兆円。約500兆円のGDP(国内総生産=国民の活動による付加価値の総和)のざっと半分が個人所得だと考えれば、30兆円の税収を維持するために必要は、12%である。すべての国民が12%のフラットタックスで納税すれば税収は減らないのだ。

247頁、12/1/8 117分、

私はすべての税を廃止して、コミュニティーに資産税を、道州には付加価値税を、と提案している。道州制に移行する前の有効な税制としては、以下を提言する。すなわち、所得税は12%のフラットタックス。法人税は世界標準の25%に引き下げる。税収総額のわずか1・6%と財政にほとんど寄与しないのに世界でも突出して高い相続税は廃止する・・。日本が「タックスヘイブン」になるためには、これらの税制改正が必要だ。

247頁、12/1/8 1125分、

 

資産税と付加価値税でカバーできる、247頁、

税制改革をゼロベースで議論する際には、次の三つの対立軸についてそれぞれ考えてみると問題を整理しやすい。

1つ目の対立軸は「社会負担方式VS,税方式」である。

国民負担率で見ると日本の租税負担率は25%程度。加えて医療、失業保険、年金などが社会負担方式として徴収されている。租税負担率と社会保障負担率を合計した国民負担率は約42%。

ヨーロッパには国民負担率が50%を超える国が多いが、それよりも日本の水準はやや低い。

248頁、12/1/8 1134分、

スウェーデンやデンマークなどは税金が高いが、社会保障は国が全部面倒をみるという典型的な税方式、日本の場合、どちらかといえば社会負担方式に寄った税体系だが、失業保険や健康保険なども結局は税金と同じだと思えば、税方式のみで運用することは可能かもしれない

ただし、日本人は世界で類をみないほど「増税」を嫌う国民であることに留意しなければいけない。消費税の導入時にも、消費税率を3%から5%に引き上げた時も、時の政権は退陣に追い込まれている。今後、2010年代半ばまでに段階的に消費税は10%に引き上げられていくことになりそうだが、そこでも同じことが起きる可能性は高い。

二つ目の対立軸は「フローVS.ストック」である。

 

フロー課税というのはフロー(収入)に対して課税するもので、法人税や所得税がその代表例だ。一方のストック課税はストック(資産)に対する課税。不動産税などは分かりやすい例だ。

一方のストック課税はストック(資産)に対する課税。不動産税などは分かりやすい例だが、銀行に預けられている多額の預金も「資産」として課税対象にすることができる。

日本のように経済的な成長が鈍化している国はフロー課税のままでは税率を上げる以外に税収を伸ばす方法はない。逆にストックは積みあがってきているから、ストック課税にシフトする道を考えておくべきだろう。

三つ目の対立軸は「直接税VS.間接税」である。

249頁、12/1/8 1339分、

「所得税」や「法人税」のような直接税方式戸「消費税」のような間接税方式のどちらを用いるのかも議論すべき事項。たとえばストック課税の場合でいえば、日本にある約1400兆円の個人金融資産に対して課税するのは直接税方式だ。

この場合、資産に対して1%課税するだけで14兆円の税収が入る。対して所得や資産の額によって課税額が増減したり免除されたりすることがなく、課税対象を広げようとする考え方が間接税方式。

三つの対立軸を意識して、現在の日本の税制について考えてみよう。例えば年金保険料の税方式と社会保険方式の特徴についてみると、社会保険方式では個人が拠出した額に応じて支給される。税方式では個人の拠出が不要だ。また財源の負担者は、社会保険方式の場合には現役世代だけが、税方式では年金受給対象の高齢世代も消費税などの間接税の形で負担することが可能になる。

年金財源にもフローとストック、二つの考え方がある。現在の日本は、今年の保険料は今年の保険料で賄っているフロー方式。一方、ストック方式を採用すると積み立て・運用になる。事前に積み立てた保険料と運用収入で年金給付を行う。401K(確定拠出型年金)などがその典型的な例だ。

直接税か、間接税かについていえば、直接税には多くの人が収入や利益に応じて負担できるメリットがある半面、(不足してくると)急勾配の累進性になりやすい特徴がある。実際、日本の税制で最も累進性が高くなっている。間接税は酒税、たばこ税、消費税のように受益者負担のため、資産の額にかかわらず消費が同じなら等しい課税額になる。

250頁、12/1/8 143分、

「最小不幸社会」をアピールした官直人前首相のような「社会福祉型」を志向する人は、間接税は「逆進性(所得が低い人ほど税負担が重くなること)」があるとして低所得者には不利という側面を強調する傾向がある。しかし、この点だけの「損得」を考えても意味はないと私は思う。場合によってはヨーロッパの国々のように、部分的にある特定の生活必需食品などには税金をかけない、というような調整をしてもいいだろう。

こうした税制度全体についての理解を共有せずに、いきなりすべてを消費税にしわ寄せしようとしても無駄な議論に終わるだけだ。最初から従来の延長線上「フロー課税とフロー方式の保険」を前提につじつま合わせをしようとするから、「年金財源は足りない」などと嘆く結果になる。

三つの対立軸を考慮した上での私の結論は20年前から変わっていない。それは所得税、法人税、相続税などの従来の直接税を全部廃止して、資産課税一本にシフトすることだ。

道州制のような新しい統治機構ができたタイミングで税制改革を行って、資産税と(間接税も一本化して)付加価値税の二本立てにする。生活基盤を作る責任があるコミュニティーは資産税を、産業基盤や雇用を作る責任がある道州が付加価値税を徴収するのである。

252頁、12/1/9 176分、

資産税はストック(流動資産と公定資産)を持っている人が、自分の暮らしているコミュニティーに対して納付する。日本全体で不動産資産が1500兆円、金融資産が1400兆円(負債を除くと正味1000兆円)あるから、資産税を時価評価の1%にすれば25兆円の税収が見込める。企業も事業活動に使っていない遊休資産や保留資産などに1%課税される(5兆円規模と想定)。

足りなければ1・2%程度にしてもいい。資産を持っている人が資産税を払うという原則に立てば、相続税という概念はいらなくなる。親から資産を受け継げば自動的に相続人に資産税が発生するからだ。

一方、付加価値税はモノやサービスを買った人が支払う。

日本のGDPを500兆円というのは日本国民が年間トータルで生み出した付加価値の総計が500兆円ということだから、付加価値税が5%なら25兆円。10%なら50兆円。5〜10%の間で調整すればいい。

生み出された付加価値ごとに税金をかける付加価値税を導入すれば、所得税も法人税も必要ない。

現行に法人税は「工夫」次第で払わずに済むように出来ていて、大商社がほとんど法人税を払っていないというバカげた状況になっている。しかし付加価値税は売価から仕入れのコストを引いた数字できっちり出るから、付加価値税にすれば「創意工夫」のしようがないのだ。

私の試算では資産税と付加価値税で必要な税収はすべてカバーできる。もちろん歳出はその税収範囲まで削減しなくてはならない。複雑で不平等な税体系は一切不要。不動産取得税、自動車重量税、ガソリン税、タバコ税、入浴税と言ったわけのわからない税金はすべて廃止すればいい。これが大前流の旧穀の税制改革である。

すなわち道州制という統治機構ができるまでは、10%消費税、および12%の(フラットタックス)所得税と、25%の法人税のみに。そして道州制施行以降は、コミュニティーが1%の資産税、道州が10%の付加価値税の日本立て、ということになる。

12/1/9 1855分、

 

 

 

◆「一八歳成人」と「高校義務教育化」

クリエーティブな人材を育成する、226頁、

権利と義務の契り、230頁、

カビの生えた文科省のプログラムは捨てよう、233頁、

◆道州制で世界の富を呼び込む

統治機構は制度疲労を起こしている、237頁、

生活基盤の質で競争するコミュニティー、240頁、

◆途上国の税制から老熟国の税制へ

所得税と法人税は税率を下げたほうが税収は増える、242頁、

資産税と付加価値税でカバーできる、247頁、

◆日本ができる最大の国際貢献とは

日本のノウハウやプロセスを伝えよう、252頁、

移民受け入れは国と国の結びつきを強くする 、255頁、

 

エピローグ、258頁、

12/1/1 2010

大前氏のここ数年の集大成的な本です(遠慮のない日本の全面的な駄目だしと2025年以降の大前流日本プラン)

厳しい内容なので人によっては拒絶すると思います。

また日本をテーマにしたマクロな視点の内容です。

しかし著者の数値とポイントまで掘り下げていく姿勢と、国際的な活動の蓄積や実際に多くの重要人物と接している事などに裏付けられた広く深い見識による分析力は他で得る事は出来ないものです。

また分析〜プランまでの構成も非常に美しく、図表は少ないですが多くの内容が含まれている密度の高い力作です。

よって賛同不賛同に関わらず全ての日本に関わる人にお薦めします。

 

以下、各章と概要

第1章:迷走する日本(福島原発爆発以降の日本を中心にした現状分析)

第2章:混迷の原因は何処にあるか(官僚、政治家、国民、ヒトに主眼を置いた原因分析)...

レビューをすべて見る ?

3.0 タイトルにふさわしい、キレが欲しい。

「新・国家戦略論」と銘打ちながらも、

内容的には、大前氏のこれまでの論調の延長線上に展開された議論が大半。

これは残念。

 

大前氏のキレの根源は、過去の数々の著書から見る限り、

1)技術者ならではの根源的な洞察・論理構築を踏まえた

2)実現のハードルは高いながらも、社会変革への魅力を感じさせる提言

 

であったが、

今回は、共に中途半端な仕上がりに終わっている。

 

特に、

1)について、「なぜそうなのか」という掘り下げが不足しているため、

(否、恐らく大前さんのことですから、手加減をしていらっしゃるのでしょう・・・)

2)のキレに欠ける結果となっている。...

5.0 大前氏のここ数年の集大成的な本です(遠慮のない日本の全面的な駄目だしと2025年以降の大前流日本プラン), 2011/11/6

By トントロ2010 - レビューをすべて見るレビュー対象商品: 訣別―大前研一の新・国家戦略論 (単行本)

厳しい内容なので人によっては拒絶すると思います。

また日本をテーマにしたマクロな視点の内容です。

しかし著者の数値とポイントまで掘り下げていく姿勢と、国際的な活動の蓄積や実際に多くの重要人物と接している事などに裏付けられた広く深い見識による分析力は他で得る事は出来ないものです。

また分析〜プランまでの構成も非常に美しく、図表は少ないですが多くの内容が含まれている密度の高い力作です。

よって賛同不賛同に関わらず全ての日本に関わる人にお薦めします。

 

以下、各章と概要

第1章:迷走する日本(福島原発爆発以降の日本を中心にした現状分析)

第2章:混迷の原因は何処にあるか(官僚、政治家、国民、ヒトに主眼を置いた原因分析)

第3章:このままいけば日本は衰退する(今後の日本の予想)

第4章:三つの訣別(ヒトが過去に縛られ硬直化している事を根本の原因として、江戸・明治・戦後と時代を3つに分け過去から訣別しなくてはならないと説く)

第5章:まず、小さな勝利を積み重ねる(他の社会主義国の成功した国と失敗した国の分析、崩壊して這い上がった国の例等を挙げて考え方のヒントを提示。新たなスタートに至る前段階でのアイディア)

第6章:そして、ゼロベースの大改革を断行せよ(税制、地方自治権、教育、合理的な国の運営・・・著者流の新たな国家プラン)

 

この本に描かれているような家のローンや家族や会社など多くのものを抱えている人と抱えていない人、残りの人生等によって日本の現状と将来に対する考え方は違うものなのでしょう。

私は著者の考えに賛同します。

世界という環境が変わってしまった以上、危機回避の為に現状維持に力を入れるよりも積極的に適応するべきだと考えます。

 

またこの本の内容に賛同する方は周囲の人との軋轢があるかも知れません。 この先、人の心も乱れるかもしれませんが重要なのは日本人であるという自分のルーツを忘れないと言う事だと思います。 そういう意味ではこの本は日本の将来像を知ると言うより、考え方を吸収するという使い方が正しいのかも知れません。 私は、この本を読んで自分の考えに多くの事を修正・追加出来たので良かったと思います。

 厳しい内容ですがこの本には著者の日本への愛情が詰まっていると感じました。

5.0 高い確率で予想されている日本のデフォルトの後に想定される大改革と見た方が正しいかもしれない。, 2011/12/18

By 西山達弘 "緑の森と図書館" (群馬県) - レビューをすべて見る

(トップ500レビュアー)    レビュー対象商品: 訣別―大前研一の新・国家戦略論 (単行本)

大前研一による日本再生のための試案。

かつて何度も日本のための処方せんを提示し続けてきた大前研一であるが、ここ最近はいつまでも迷走を続ける日本にあきらめているような言動も多かった。

そういう意味では、本書は大前の最後の処方せんではないかという気もする。

 

前半は、大震災以降の迷走する日本を徹底的に批判する。計画停電の愚。メルトダウンはしていないと大本営発表を続けた政府。罰則規定までつけた警戒区域の指定の愚。県単位での出荷停止命令の愚。突然の浜岡原発停止の愚。ヘリコプターによる原発への放水作業の愚。などなど数え上げればきりがないが、すべて大前の言う通りである。

加えて震災後の緊急の危機対応をすべき政府が、政局をもてあそびマスコミもこれに乗っかる構図。

など実に情けないかぎりである。

 

そして、官僚や政治が混迷しているだけではなく、日本国民自身(そういう私も含めて)も「知の衰退」を起こしているが、その原因は、「偏差値教育」にあるという。

すなわち、この国で行われているのは文科省の学習指導要領に従って用意された答えをきちんとできたかだけを問う教育であり、21世紀に求められる「決断力」「判断力」「行動力」を養うことはできない。

 

そこで大前は、提言する。

一つは、江戸時代から続く幕藩体制からの訣別。

各県に二つづつ設置されている赤字まみれの空港や、となりの街が水不足でも供給されない水利権などがその典型だという。

もう一つは明治時代に行われた廃藩置県からの訣別。

そもそも都道府県や市町村の定義は、明確なものがないというから驚きである。

また、戸籍法自体も時代遅れの産物で、外国人との婚姻も想定されていない。

そして、三つ目が戦後体制からの訣別。

加工貿易立国という戦後体制の成長モデルや均衡ある国土の発展という美名のもとに推し進められたバラマキ公共事業からの訣別である。

 

これらと訣別したうえで、実に具体的かつ大胆な提言を後半で行っている。

その中身については、ぜひ本書を読んでほしいが、もはや将来に夢を持てなくなりつつある閉塞感に満ちたこの国に、希望の光を与えてくれるのは確かである。

 

ただ、残念ながら大前の言う大改革を行う政治家もいなければ、それを受け入れるだけの度量をもつ国民でもないように思う。

そういう意味では、高い確率で予想されている日本のデフォルトの後に想定される大改革と見た方が正しいかもしれない。

 

 

 

4.0 日本の展望は, 2011/11/11

By まるひろ - レビューをすべて見るレビュー対象商品: 訣別―大前研一の新・国家戦略論 (単行本)

失われた10年、20年と言われ続けた日本。

 

大前研一氏の観点から、国家戦略論を語る。

 

現在の政府への批判から始まるが、政府の組織自体が硬直化・陳腐化してしまった現状を知らされると

まだまだ明るい未来が見えてこない事に危機感を覚えた。

 

教育方針についてもゆとり教育の失敗から、 過去がよかったと安易な考えでもとに戻してしまうのも愚の骨頂。 答えがある時代から、答えのない時代に変化しているにも関わらず、 同様の考えで変化の時代を乗り越える事など不可能な事であり、 ますます世界から取り残されるのもうなずける。

GDP世界第2位を誇っていたが、それも過去の栄光。 ここらで、客観的に日本の立場を考え、世界でどのようにすれば生き残れるか、 特徴ある国家として活躍できるか、真剣に検討する時期にきているのは間違いない。

 

この本には、日本人の弱点ももちろんだが、強みの提案も記述されている。 全ての事を実施すれば正しいとは限らないが、 我々自身もどんどん変わる努力をしていかなければないと痛感させられた。

5つ星のうち 4.0 一部要約, 2011/12/22

By 知識収集家 - レビューをすべて見るレビュー対象商品: 訣別―大前研一の新・国家戦略論 (単行本)

多くの日本人は、「中国産の野菜は危険な農薬が使われてそうで危ない」という認識を持っている。しかし、野菜の生産量に対して使用される農薬の量が一番多いのは、日本産の野菜である。日本で生産された無農薬野菜でも、その多くは農薬に指定されていない薬品を使っているので、実質の農薬使用量が多いのである。

 

戦前の内務省というのは、現在の厚労省、国交省、総務省、国家公安委員会の権限を全て合わせた巨大な省庁であった。その結果として大きく残ったのが、日本の私鉄の鉄道網である。内務省が許認可権限を一手に行ったので、私鉄の鉄道網は主要駅から公害に伸びて沿線の駅ごとに宅地造成や商業地開発が行われたので、都市の人口が分散された。通常、世界のどこの大都市でも貧困層が都市部に残ってスラム化する問題があるが、日本の場合は私鉄沿線に人口ば分散したので、都市がスラム化しなかったのである。

 

ドイツのユニバーサルバンク(総合金融機関)では、「○○大学の△△学部を何番目の成績で卒業した者は、いくらの生涯賃金を稼ぐ」というデータベースを必ず用意している。その為、このデータを使用して大学を卒業したての人にも無担保で融資を行うことが多い。このような融資を利用する若者は、その後、一生かけてこの融資の返済をするのである。

 

政令指定都市は、都道府県と同等の権限を持つ自治体なので、これらの都市をかかえる都道府県知事と仲が悪い。有名なのが、前大阪市長の平松氏と前大阪知事の橋下氏である。しかし、もっと顕著なのが神奈川県で、神奈川県には横浜市、川崎市、相模市という3つの政令指定都市があるため、神奈川県知事でもこれらの都市には口出しできない。よって、神奈川県知事は「湘南市長」と揶揄される。(神奈川県ではこれら3つの政令指定都市以外の地域のほとんどは湘南地方だからである)

 

デンマークでは、嫡出子であっても非嫡出子であっても、デンマーク国内で生まれた子供にはデンマーク国籍と国民番号が与えられる。そして、デンマーク国民として認識され、一国民として尊重される。出生届けを出す際に父親の名前を書く必要もない。

 

日本版の一国二制度の具体的な案として提案したいのが、「変人特区」である。変人知事や変人市長に独自の行政構想を行わせる権限を与え、自由な発想で都市開発や産業政策をとらせる手法である。必要な権限は全て中央から移譲し、建築基準法、緑地法などの許認可権も与えて土地利用の規制を大幅に緩和し、住民が納得する街づくりを推進する。

 

5.0 大前さんの国家戦略論の集大成!, 2011/11/13

By MackH (東京都) - レビューをすべて見るレビュー対象商品: 訣別―大前研一の新・国家戦略論 (単行本)

 

事前予約をし11/4(金)にこの本が届いて1週間で一気に読み終えました!これまで大前さんが主張してきたことの数々の国家戦略論の集大成として、必ず読んでおきたい一冊だと思います。これまでの大前さんの意見を聞いていた人には、全く新しい話は少ないかもしれませんが、個々の話がひとつの大きな流れの中で整理されていてわかりやすいです。

 

まず、色々なニュースで感じていた腑に落ちない感じの裏にあるものは何だったのかの説明で目からうろこのことが多くあると思います。次に、では具体的にどうすべきなのかの提言があり、閉塞感の先に方向性が見えてきます。とてつもなく大きな変革の実行が必要と書かれているので、どこから手をつけたら良いのか途方にくれることもありますが、第5章「まず、小さな勝利を積み重ねる」の例を見ると、できることもある、と思います。例えば、大阪府・市の選挙も、地方への権限委譲で道州制につながる成功例としての意義がある、とのことで、巷で報道されている以上の意義がある、と新しい意味合いを見つけました。

 

というわけで、この本を読んで納得することは多いと思います。さらに、納得にとどまらず、読んでアクションを起こそうと思ったことを、少しでも実行することで、少しずつ自分が変わり、周りが変わり、最後は日本が変わる可能性があるのではないでしょうか?! アクションを起こそうと思ったことを少しずつメモをとりながら、または線を引きながら、読んでいくことをお勧めします。

5.0 大前氏の提言を我々は真摯に受け止めなければいけない, 2011/11/20

By 橋本 - レビューをすべて見るレビュー対象商品: 訣別―大前研一の新・国家戦略論 (単行本)

今回の提言ではっとさせられたのは、『今の国力低下の元凶は高齢化というよりも少子化によるエネルギー喪失のほうが大きいのではないか・・・』という文であった。高齢化はすぐには直せないが、少子化は直せる。少子化が直れば高齢化も改善する。氏の本には毎回このような提言が載っている。過去を振り返れば、2003年頃Goldman SachsBRICsという言葉を生み出したが、これは氏の1989年の『Borderless World(『ボーダレスワールド』)』がベースになっているということを世界で知らない人はいないと思う。地域国家論も同様である。バブル絶頂期に日本が世界を先進国、後進国に分け、先進国である日本(?)から見て世界がどうなっていくかという見方をしていた時代に、これからの世界は国家という観念が崩れ(ボーダーレスワールドになり)、都市を中心とした地域国家が中心になってくると世界に示したのは氏である。事実、現在でも世界はこの提言を実践している。氏はこの間に『新国富論』、『平成維新』、『大前研一レポート』などを出して日本の問題点を憂い日本が歩むべき道を示した。最大の問題は世界が氏の提言を学ぼうとしたのに肝心の日本がそれを無視したことである。今でも上記の本を読むとこの間日本は何をやっていたのかと情けなく思う。特に政治家は目先の利益のみ考え足の引っ張り合いをして国の発展を止めてしまった。罪である。昨年『民の見えざる手』の読後でも感じたことだが、読んで理解しても実践しなければやらないのと同じである。今から22年前の89年に提案した道州制が日本でもようやく動き出そうとしている。氏の提言は一世代ほど早いため、なかなか実践までに結びくのに時間がかかるが、現代イスラエルの父ベングリオンやEUの父カレルギーのように後世に残ると思う。我々は氏の提言を忘れないようにしなければいけない。我々が後世にも伝え続ければ実現する。

 

 

 

3.0 タイトルにふさわしい、キレが欲しい。, 2011/11/10

By 岩田 祐一 "komatta yarou" (東京都練馬区) - レビューをすべて見るレビュー対象商品: 訣別―大前研一の新・国家戦略論 (単行本)

「新・国家戦略論」と銘打ちながらも、

内容的には、大前氏のこれまでの論調の延長線上に展開された議論が大半。

これは残念。

 

大前氏のキレの根源は、過去の数々の著書から見る限り、

1)技術者ならではの根源的な洞察・論理構築を踏まえた

2)実現のハードルは高いながらも、社会変革への魅力を感じさせる提言

 

であったが、

今回は、共に中途半端な仕上がりに終わっている。

 

特に、

1)について、「なぜそうなのか」という掘り下げが不足しているため、

(否、恐らく大前さんのことですから、手加減をしていらっしゃるのでしょう・・・)

2)のキレに欠ける結果となっている。

 

原子力のエキスパートという大前氏のオリジンを考えると、

今、大前氏の手による、日本の国家戦略に関する

洞察・論理構築・分析・提言の根底にすえるべきは、

やはり、何より、目前の問題たる、

「原子力と日本の、今と今後」でしょう。

 

これはエネルギー問題のみならず、日本の政治・経済・金融・

社会生活全般に深くかかわる、という意味で、

(大前氏の著書ならずとも、日本の国家戦略を考える上で)

一般的にも、最適のテーマとも感じます。

 

数々のしがらみもおありであろうなかで、書けることに限りが

ありうるのは、何となく、お察ししますが、

 

そこをいかに、可能な限り、乗り越えて、

大前さんの真髄をお示しいただけるか、

 

ここにこそ、大前さんの「ゼロベースの挑戦(!?)」があったり

するのではないか・・・と、

一読者として続編を期待してしまいます。。。

 

キレのいまいち弱い、大前さんの著書を手に取るのは、

過去の自身の心躍る経験と比べると、何よりも、

さびしい限りです。

 

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5つ星のうち 3.0 大前さんってアイデアマンなのね, 2011/12/24

By どこかのSE - レビューをすべて見るレビュー対象商品: 訣別―大前研一の新・国家戦略論 (単行本)

初めて大前研一さんの本を読みました。

コンサル業界で有名な方ということでそれなりに期待してよみましたが、

どちらかというとアイデアマンなのねって印象です。

 

自分のアイデアを実現するために都合のいい問題を取り上げて都合の良い原因

を並べている気がします。少なくともコンサルティングの第一ステップである

問題を深掘りするところはまるで出来ていません。

 

<ガッカリポイント>

スコープを政府・政治・国民・経済に区切って問題提起しているのは良いとしても

各テーマで何故その問題を取り上げているかについての説明が不足している。

問題の原因も断定的に1,2個に選別しており、根拠が事例ベースでしかない。

特に経済以外のテーマはほとんど著者本人の考えというだけの印象である。

 

<ナットクポイント>

解決策は改革をしようという一点に尽きておりとてもわかりやすく楽しく読める。

この改革を実行して成功するかどうかは資金を如何に効率よく運営できるかと

いうことに尽きており、全てがうまくいくわけではないだろう。

これだったらうまくいくだろうという印象はまるで持てないが、

Bestでないソリューションもやり切ることで効果が生まれるものだから

細かい反論は気にせず頑張ってやり切って欲しい。

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5つ星のうち 4.0 そこまできている, 2011/12/5

By marukou6856366 - レビューをすべて見るレビュー対象商品: 訣別―大前研一の新・国家戦略論 (単行本)

衰退する日本について書かれています。ギリシャより酷い日本の財務状況。個人資産の下落、収入の下落、収縮する日本。50兆の歳入で100兆の予算、1000兆の国債でどうして「デフォルト」を避けるのか。消費税20パーセントしか手がないのか。「訣別」とは既存のシステムからの訣別を言われている。中央集権一律システムからの「訣別」し、日本のシステムを一新する時期だと。時間は国債1000兆円まで。今ギリシャが改善要求されていることを受け入れざるを得ない時が来るのか。時間は待ったなし。

 

状況は、土俵際まで来ているのでは。もう国に頼ってはいられない。

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10 人中、4人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。

5つ星のうち 2.0 2年ぶりに大前氏の著作を拝読して。, 2011/12/14

By やすし (千葉県柏市) - レビューをすべて見るレビュー対象商品: 訣別―大前研一の新・国家戦略論 (単行本)

大学時代によく大前氏の著作を読んでおり、彼の考え方に大きく影響を受けておりました。

しかし、社会人になりアカウントやファイナンス、経済などを大学時代以上に勉強し、改めて彼の著作を読むと、「経済・会計を分かっていない人間」なんだなと感じました。

 

例えば、p102「(中略)日本のGDPはアメリカ、中国に次ぐ3位の座も守れないかもしれない。インドにも追い抜かれている可能性がある。日本経済が毎年2%規模で縮小し…以下略」

日本経済がなぜ2%も毎年縮小するという前提に立てるのかが不思議でならない。普通に経済活動を行っていればそんなに縮小するわけがない。それに、「少子化=経済衰退」ではない。そんな事を言ったらアメリカを除く全ての先進国はこの後衰退の一途を辿ることになる。

 

また、p116117にかけて、「…(中略)高齢者も支出を抑えようとする。かくして全ての世代で収入減になり、将来不安から消費を控えて貯蓄に回す傾向が強くなっているのだ。…以下略」

うん、確かにこのまま不景気が続けば誰でも貯蓄に励もうとしますよね。家計が貯蓄を増やすということは、家計の資産が増えるということです。家計の資産が増えたら、銀行の負債が増加します。そこで話が止まっています。銀行は預金という負債を投資に回すのだから、経済が活発になります。今は投資先がないので国債を買っているが、それはつまり銀行の資産が増えるということです。それはつまり日本政府の負債です。日本政府は負債を増やすだけではなく、もちろん公共事業を通して資産になります。

アカウントが分かる人間なら、「だれかの負債が増える=だれかの資産が増える」というのは常識です。しかし、大前氏の中ではこの常識は成立していないようです。

 

まだ第3章の初めしか読んでいないのに、これだけ突っ込みどころのある本です。

大前氏の斬新な発想や、グローバルな視点は勉強になります。しかし、経済理論やアカウントを勉強した上で、間違っているところは無視し、大前氏特有の斬新な発想は学ぶ、そういう視点で読まないと、「盲目的読者」になってしまう可能性があります。 

9:06 2011/12/29
2012年1月3日 9:15:52



【第178J.I.フォーラムのご案内】「孤住」から「集住」へ 〜暮らし方から社会のあり方を問い直そう〜178J.I.フォーラム 629日(金)開催「孤住」から「集住」へ〜暮らし方から社会のあり方を問い直そう〜


日本の一人暮らし世帯比率3割を超えています。私たちは、お金さえあれば、たった一人で暮らせるようになりました。しかし、その「便利さ」と引換に、私たちは利害や考えの異なる他人と譲りあったり協力したりしながら生活していく機会、社会的あるいは民主的な訓練の機会を失ってしまったのではないでしょうか。他方、一人暮らしでもなく、恋人・家族との同居でもない、第三の居住のかたち「集住」が若者を中心に試され始めています。私たちが当たり前 と考えてきた一人暮らしや家族との生活に改めて光を当て、社会の仕組みを問い直します。


○日時: 平成24629日(金)○会場: 日本財団ビル2階・大会議室      港区赤坂1-2-2 TEL 03-6229-5111

 http://www.nippon-foundation.or.jp/org/profile/address.html


※セキュリティの都合上、本案内状を会場1階で提出して下さい。

○開演: 午後630分(開場:午後600分)

○ゲスト: 久保田 裕之(大阪大学大学院人間科学研究科 助教)       篠原 聡子 (日本女子大学住居学科 教授)       ほか コーディネーター: 加藤 秀樹(構想日本 代表)


○主催: 構想日本○定員: 160


○フォーラム参加費: 2000円(シンクネット・構想日本会員は無料です)○懇親会参加費: 4000ゲストを囲んで、下記の会場で懇親会を開催いたします。 「頤和園(いわえん)溜池山王店」

   港区赤坂1-1-12 TEL 03-3584-4531

   http://www.iwaen.co.jp/tameike

20:28 2012/06/08


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2012年6月8日 20:33:58