役場の仕事はサービス業 28・役場の仕事はサービス業2023年12月9日 7:39:08

すべて黒字の第三セクター・20

第三セクターで新人研修・40

森林組合の新たな挑戦・44

第二章 食料基地の選択・・・・・・55

山の姿は民族の象徴・58

新全総が生んだ北上山系開発・60

破れたカナダで獣医の夢・62

失敗したら自分の名折れ、笑いもの・65

人・技術・カネなく信用なし・69

他県の牛を受け入れる・73

第三章・ワインづくりへの助走・・・・・・79

ワインづくりに半信半疑・80

鍬を使えば土がわかる・85

魂と魂がぶつかる真剣勝負・88

池田町で知る町長の心・92

冷たい視線に新たな闘志・95

採用前に研修派遣の内示・99

林業として始めたワイン・102

第四章・試練と葛藤の狭間で・・・・107

やる気があるのか、うぬぼれるな・108

厳しいなかに寛大さ・122

選挙用掲示板で牛舎・120

112/8/2023 7:24:12 AM

・多角化へ多彩な挑戦・126

一日も早く名医になれ・130

第五章 日本一の公共牧場を目指して……………………137

教科書にない畜産・138

カギ握る土と草づくり・142

公務員とは思わない・145

財政難でも海外研修・148

牛肉自由化で大きな打撃・153

くずまき交流館「プラトー」誕生・155

第六章 くずまきワイン再生から飛躍へ…………161

売り上げの一・五倍の借金・161

待てなかった発売時期・167

買ってくれから売ってくれに・167

税務署に小さな脅し・173

完売へしたたかな作戦・177

ワインの知識ゼロでセールス・180


くずまきワイン相次ぐ受賞・184

第七章 環境の世紀に向けて・・・・191


高原に回る十五基の風車・192

費用五十七億円、町の負担は一・四%197

大地の熱でジオサーマルの家・201

三千五百万円で買った安心と安全・206

第八章・まちづくり劇場の人びと・・・209


イーハトーブの赤い屋根・210

弾力的発想の実践・216

水車が回る森のそば屋・223

12頁・12/8/2023 7:42:33 AM

ジュニアホルスタインクラブ・228

ミセスが集う「よつば会」・232

第九章くずまき高原牧場の四季・・・・・241


究極のチーズとブランデー・242

だれにもやさしいコテージに・246

老人クラブもボランティア・250

交流から生まれる新たな事業・253

食べ物を大切にする習慣を・255

カルロス・ゴーンといっしょに写真・258

本業以外にどれだけ貢献・262

駐車場に学ぶ四階建て牛舎・266

第十章 苦闘・の日々から見つめる未来・271


御殿の牛舎に多額の借金・272

牛舎に非常口や誘導灯・276

肉屋と食堂、宿屋も始めた・280

これが怒らずにいられるか・286

基本はいい土づくり・289

知らないことは恐ろしい・294

濃厚飼料は行き詰まる・299

職員採用も企業的感覚で・304

牧場の持つ癒しの力・308


エピローグ・

1 癒しの牧場・312

2 未来に向けて「ぼくらの夢」・322

おわりに.......326


葛巻町ゆかりの「本」と「お店」・334

13頁・12/8/2023 7:54:10 AM


株式会社岩手県・葛巻町の挑戦

プロローグ・・・スノーワンダーランド・15

第一章・葛巻グループの経営戦略:27頁、紹介する。

岩手県葛巻町長の中村哲雄さんは講演に出かけると、自分のことを決まって次のように「岩手県の北部、北緯四〇度、ミルクとワインとクリーンエネルギーの町・葛巻町のトップセールスマン、そして、株式会社岩手県葛巻町の社長のつもりで日々奔走いたしております中村です」

・たしかに 中村さんは町長であると同時に社長、企業経営者と呼ぶのがふさわしい。

・役場の仕事はサービス業2023年12月9日 7:38:37

・中村さんは昭和四十六年に日本大学農獣医学部を卒業して、葛巻町役場にはいった。それから平成十一年に町長選挙に立候補をして当選するまで二十八年、町役場に語をおいたが、役場のなかで仕事をしたのは最初の五年間だけで、それも町営牧場の管理をし、あとの二十三年は第三セクターの社団法人「葛巻町畜産開発公社」で過ごし、国の北上山系間発事業によって生まれた公共牧場の管理と運営にたずさわった。

・はじめは主任獣医、その後、事業部長、昭和六十三年からは専務理事として公社経営の指揮をとった。

29頁・

・この間、業務主任、事業部長の十一年五カ月は小岩井農場から派遣をしてもらった専務理事に経営の厳しさを教わり、薫陶を受けて腕をみがいた。専務理事になってからは本業の牛飼いのほかにホテルの経営、牛乳、ヨーグルト、アイスクリームといった乳製品の生産など、事業の多角化にとり組んで軌道に乗せた。したがって自治体職員としてよりも、むしろ、企業人としての道を歩んだといっていい。

・中村さんが町長になったあとで職員にした調示も、また、そういう企業人らしさがにじみ出たところがあった。

・「グローバルな視点で、より地域に密着すること」

・「役場の仕事はサービス業。町民は顧客。顧客満足度の向上を」

・「情報の量が仕事の質を決める。アイデアの最も質も決定する」

30頁・12/8/2023 8:11:34 AM

・「当たり前のことを他人より一生懸命にやること」

・「常に危機感と問題意識を持ち、プロとしての仕事を遽行すること」

・しかも、中村さんはそのことを具体的な形で示して見せた。

・町長になって間もないころだが、葛巻中学校にプールを新設することになった。部下がつくって持ってきた起案書を見ると、建設費は一億五千万円。中村さんは一瞬、「おかしいな」と思い、担当者に向かっていった。

・「これは少し高すぎるな」

・しかし、担当者はポカンとしてなにもいわない。

・「これはいったいどこから出たものなんだ」

・「設計会社の提案です」

・よその町村ではどうして いるのか、調べてみたのか」

・「いえ、それは」

・「あのな、君、設計会社というのはいつも最もいいものを出してくるんだ。それをそのまま受け入れていてはたまらない。税金を使って仕事をしている我々は、いいものを、できるだけ安い値段でつくるという使命を持っているんだよ。

31頁・

・ほかの町村で最近、学校のプールつくったところはないか、あればいくらくらいでできたか調べてごらん」

・担当者が調べてみると、遠野市と川井村で九千八百万円で屋根つきの立派なブールができていることがわかった。葛巻町でもそれを採用、結局、最初の案より五千万円も節約すことができた。

・「六コース、屋根つきの立派なものです。しかも、屋根は透かしにして、太陽の光がはいるように工夫をしました。ヒントは牛舎の屋根からもらいました。情報の量が仕事の質を決めるというのはこういうことです」

・中村さんは公社の専務理事時代にいずれは牛乳の加工をと思っていたので、講演に出かけるようになった平成二年ごろから、講演の前後に近くの牛乳工場の視察を組み込んだ。そのためには早朝の出発も、深夜の帰宅もいとわなかった。

・「行けば二時間くらい経営者や工場長からじっくりと話を聞きました。容器は瓶がいいの か、紙パックがいいのか、殺菌温度は何度がいいのかなどを、いろいろな人から聞きました」

32頁・12/8/2023 8:31:28 AM

・結局、牛乳の製造販売は平成八年に始めたが、紙は臭いを通すので、魚のそばにおかれた場合を考えたのと、資源の浪費につながることから瓶を使い、殺菌温度は大手メーカーは百二十度か百三十度、二秒だが、それでは高温すぎて、人体に最もいい蛋白質といわれる乳蛋白質を変質、劣化させるので、七十五度、十五分で処理をすることにした。情報を十分に集めて、比較検討したうえで決断した。それをこんどは役場で職員に求めているわけである。

・平成十七年四月には町立葛巻病院に通う人たちのための専用バスを廃止して、

路線バスに転換した。ただ、通院をする人たちは病院でカードをもらって示せば、従来通り無料で乗れる。町ではそれを告知しなくてはならないが、職員は廃止のお知らせをつくり、全戸に配布をすればいいと考え、チラシの試案をつくってきた。見ると小さな活字でたくさんの文字が書いてあった。

・中村さんは

・「このチラシでは一○%くらいの人しか読まないだろうな」

・そういって差し戻した。

33頁・

・職員は活字を大きくし、多少は読みやすくして持ってきたが、中村さんはそれでも、まだ、物足りず、こう指示をした。

・「担当課の全員が交代で三日間ほど患者バスに乗り込んで、こんなふうに変わります。料金はこれからもいりませんので、納院で必ずカードをもらってくださいと肉声で説明するんだ。そうすればわかってもらえるだろう」

・職員はチラシを全戸に配れば、それで告知は終わったと考える。しかし、本当に伝わったかどうかはわからない。どうすれば伝わるかを、いろいろと考え、最も伝わりやすいようにするのがサービス葉としての行政ではないか。しかも、それは顧客の住民からみれば当たり前。そういうことをしっかりやろうと中村さんはいうのである。

・それも、また、中村さんが公社で学んだことだった。

・「くずまき高原牧場は酪農家から一日一頭五百円の預託料をもらって牛を預かり、育てて返すのが本来の仕事です。預けた農家は自分のところで育てるよりもいい牛になって戻ってくることを期待しますし、そうでなければ、もう、預けようとはしないものです。それが当たり前で、したがって、その当たり前のことを、よそよりもしっかりとやらなければ牧場も伸びてはいきません」

34頁・12/8/2023 8:41:11 AM

・それが顧客の満足度の向上と、当たり前のことを他人より一生懸命に、という訓示につながってくるのである。

・ただ、地方自治体はどこでも同じだが、財政面はきわめて厳しい。国が地方交付税交付を削減していることもあって、予算規模も年々縮小、平成十一年度の一般会計予算六十九億三千万円が十七年度には四十八億九千万円にまで減った。

・当然、組織と人件費にもメスを入れざるを得なくなり、中村さんも就任をした年の十一年四月から十七年四月までの六年間に退職者四十四人に対し採用を十四人にとどめ、職員数を二百二十四人から百九十三人へと三十一人減らし、収入役も十五年十月に廃止、退職勧奨の年齢も十六年に六十歳から五十九歳に引き下げた。

・給与も同様で、三役は十五年から十七年までに六・三%、一般職員も十三年から十七年人までに六・七%引き下げた。そのほか、管理職、通勤、特殊勤務、時間外などの手当も減額、それによって人件費を十一年度の十三億五千万円から十七年度には十二億四千万円に削減した。

35頁・

・また、町議会は十六年に定数を二十人から十六人に減らしたが、次の平成二十年の選挙からは、さらに、十人に減らすことがすでに決まった。同様に公選の農業委員も十五人から十人にするという。

・赤字に悩んでいた葛巻病院の再建にもとり組んで、黒字化を実現した。病床を減らし、薬の院外処方をし、調理業務を民間に委託した。

・「正職員が患者の食事をつくっていました。それを民間に委託をすることで、八百万円の人件費が二百五十万円ですむようになりました」

・だが、中村さんは、それでも、まだ、スリム化の手をゆるめない。退職勧奨の年齢を五十九歳にしたあとも、補充は最小限にとどめることで、百九十三人の職員を、こんどは平成二十一年度末までに、さらに、四十一人削減して百五十二人とし、その結果、職員数を平成十一年の三分の二にするという。また、役場の組織も簡素化し、現在の九課三局を統廃合して四課三局としたうえに、課長補佐、係長も廃止をするという。もちろん、給与の一段の減額も避けられそうにない。

・しかし、それでいながら職員にサービス業としての役割の徹底を求める中村さんの姿勢は変わらない。

36頁・12/8/2023 9:11:00 AM

・町民に対しては「幸せを実感できるまちづくり」を実践し、職員には「危機意識と企業 的感覚の醸成による行政改革」の推進を強く求めていくという。

・すべて黒字の第三セクター

・葛巻町役場は株式会社「岩手県葛巻町」の本社だが、それを支え、一体となって、まちづくりにとり組んでいるのが昭和五十一年に発足し、中村さんが二十三年にわたって過ごした社団法人「葛巻町畜産開発公社」をはじめとする三つの第三セクターで、子会社あるいは関連会社といってもいい。あとの二つは六十一年に誕生した「葛巻高原食品加工株式会社」と平成五年設立の「株式会社グリーンテージくずまき」である。

・そのうち畜産開発公社は国が北上山系開発事業の一環として、昭和五十年から五十八年にかけて、町内の土谷川、袖山、上外川(かみそでがわ)の三カ所につくった公共牧場の管理をする。牧場では町内外の酪農家から牛を預かり、育てるのが本業で、牛の数は創業時の三百六十五頭が、いまでは三千二百五十頭にまでなった。

・三カ所の牧場はいずれも町の東端、西端、南端に位置するが、メインは東端の土谷川。

37頁・

・いまではここを「くずまき高原牧場」と呼んで、牛を預かり、育てるだけでなく、乳を搾り、牛乳、アイスクリーム、ヨーグルト、チーズ、パンなどをつくり、肉牛も飼育をして、焼き肉を食べさせ、「プラトー」、「シュクランハウ ス」と名づけたホテルやコテージで牧場体験にきた人たちや一般の宿泊客を受け入れる。プロローグで紹介したスノーワンダーランドも毎年ここが舞台である。

・中村さんは公社にいたころ「現状維持は後退と同じ」

・をモットーに、在籍をした二十三年間に二十三種類の事業を構築した。その後、専務理事が現在の鈴木重男さんになってから小規模事業を統廃合し、事業数は十四となったが、鈴木さんも、また、新しい事業や企画にとり組み、スノーワンダーランドやパン、チーズづくりを手がけ、施設も拡充、さらに、牧場に畜産と木質のパイオガス発電などのクリーンエネルギーを導入した。

第一章 葛巻グループの経営戦略・・38頁・12/8/2023 11:44:24 AM

・一方、葛巻高原食品加工は主力の「くずまきワイン」にジュース、ジャム、山菜加工を加えて売り上げを伸ばし、利益を上げ、町民を「ワインとミルクの旅」と名づけたヨーロッパの視察と研修に誘い、最近は県都の盛岡市をはじめ各地でワインパーティを開催するようにもなった。

また、グリーンテージくずまきは北欧風の外観を持つホテルとレストランで、隣接をする総合運動公園と同時にオープンした。ここも健闘、ファンをふやし、平成十四年には個室を増設、部屋数が倍の二十四室になり、宿泊定員も五十八人が八十人にふえた。

・第三セクターの理事長、社長は歴代の町長がつとめ、実際の経営は公社は専務理事が、葛巻高原食品加工、略称「くずまきワイン」は常務取締役、グリーンテージくずまきは常務取締役・支配人が責任を負うことになっており、現在、公社の鈴木さんは役場からの出向だが、くずまきワインの漆真下(うるしまっか)満さん、グリーンテージくずまきの大平守さんは民間人。理事長、社長の中村さんによると

・「いずれも厳しく、苦しい時期はあったが、今は全てが黒字」

39頁・

・「十七年度の場合、売り上げ高は牧場が十二億二千二百万円、くずまきワインが三億七千五百万円、グリーンテージが一億七千五百万円くらいで、合計十七億七千二百万円。純利益『が三社合わせて五千百万円。牧場が百二十人、ワインが二十九人、グリーンテージが二一人、合計百七十人を雇用し、そのうち七十人はUターンをしてきた若者です」

・特に牧場についてだが、国内の公共牧場はかつては千五百くらいあったが、五百は経営不振で閉鎖をし、いまでは千以下に減ったという。そのなかで本業として三千頭を超える牛を飼い、たくさんの副業を展開し、軌道に乗せている牧場はほかにはない。しかも、十八年二月には中央畜産会が主催する十七年度の「畜産大賞」を受賞、名実ともに日本一の公共牧場となった。

・ただ、町ははじめは第三セクターが施設を運営する場合、委託料を支払い、修理も町でしてきたが、平成13年から委託料をなくし、管理の一切を第三セクターが自主的に行うように改めた。それによって第三セクターはリスクを負わなければならない反面、柔軟な運営が可能になった。

40頁・12/8/2023 12:00:04 PM

・畜産開発公社の鈴木さんも

・「従来は第三セクターの施設にも町の規定を適用していましたから、料金、時間の管理などにもこまかな規則があって、弾力的な運用のしにくいところがありました。これからはプラトーのホールにしても、たとえば子ども会や老人クラブが使う場合はタダにして、そのかわり営業目的の利用には高い料金を設定することもできますし、利用時間の延長も自由にできます。厳しい半面、工夫をして、がんばって、利益を上げれば、それを使って、さらにいろいろなことができますから、よかったと思っています」

第三セクターで新人研修

・また、町では平成十三年から新人の職員を三つの第三セクターで研修させるようになった。期間はだいたい三週間程度。特に牧場では場内に寝泊まりしながら牛の世話、牛舎の清掃、搾乳などといった牛の管理のいっさいをこなし、くずまきワインでは販売、製造、ぶどうの手入れ、ホテルでは接客、ベッドメーキングなども手がける。三つの子会社を回ることで、一次、二次、三次産業までのすべてを体験させると同時に、採用時から企業的 感覚を養わせるのがねらいで、それも、また、葛巻町ならではのことかもしれない。

41頁・

・葛巻町建設水道課の橋場学さんは平成十五年に役場にはいり、やはり、第三セクターでの研修を体験した。グリーンテージ、くずまきワイン、公社の順で、それぞれ一週間ずつ勤務をした。

・グリーンテージでは宴会場でのパーティの設営、客室の掃除とベッドメーキング、泊まりのときは深夜の見回りにも同行した。くずまきワインでは初日から盛岡市内のデパートの特産品フェアで営業を手伝い、その後、瓶詰めをしたワインを箱に入れたり、ぶどう畑で薬剤の散布なども手がけた。特産品フェアでは客から「この赤ワインとこちらの赤ワインでは、どこがどう違うのか」と聞かれて、戸惑い、事前にパンフレットをよく読んで、勉強をしておかなかったことを悔やんだ。

・公社では一週間泊り込みで牛の世話、搾乳などをした。搾乳のときは朝四時半に集合して作業、八時半ごろ朝食、それから、また、作業になった。子牛の角切りなども体験したが、切った跡に焼き印を押すと、牛が暴れる。それを押さえるのにも要領のあることを知った。

・牛を引っ張るのでも、思うようには動きません。牧場の人たちは上手に引きます。仕事をすることの大変さ、大切さを身をもって知りました」

第一章 葛巻グループの経営戦略・42頁・12/8/2023 12:23:36 PM

・橋場さんは公社の鈴木さんから

・町に関する数字をきちんと覚えるように」といわれたことが印象に残っているという。

・「葛巻町はどんなところかと聞かれたときに、自然が豊かで す、というような答はダメで、人口、面積、予算の規模、公 社やワインの売り上げ、従業員の数などを、しっかりと記憶 しておき、場面に応じて話せるようにといわれました。とて も新鮮な研修でした。これからの仕事に活かしていきたいと思います」

・櫻田慎さんは十七年に役場にはいり、生涯学習課に配属、十八年に総務課に移った。短大を出たあと岩手県庁の畜産課で非常勤の職員として働いていたとき、畜産に興味を持ち、盛岡市の出身だったが、アルバイトをしながら、葛巻町の試験を受けて合格した。

・採用はもちろん新年度の四月だが、アルバイトをしているのなら事前に研修を受けてはどうかという町のすすめもあって、二月から二カ月間、第三セクターで仕事をした。

43頁・

・公社で一カ月、くずまきワインとグリーンテージは半月ずつとなった。

・畜産開発公社では、まず、打田内茂さんのチーズづくりを手伝い、牛乳工場に回り、牛の世話をし、しいたけ栽培とプラトーの仕事にたずさわった。牛の世話をしているときには三日続けて子牛が生まれた。最後の一頭は母牛の体液が子牛の鼻にはいって死にかけていたので、柱に下げて、液を出させ、そのあと藁で子牛の体をふいた。

・「三日も続けて子牛の誕生につき合えたのは本当に幸運でした。一回でも運がいいといわれます。牛は最初は自分をにらんでいるようで、こわく感じたものですが、えさをやったり、背中にブラシをかけたりしているうちに、だんだん慣れて、かわいくなりました」

・くずまきワインではぶどう畑で剪定をしたが、事前に教わり、わかったつもりになっても、実際に畑に出ると、どこのところを切ればいいのか、すぐにはわからず、手が止まった。

・グリーンテージはほとんどが宴会場でのウエイター。ちょ うど三月の後半で、異動の時期だったので、役場の送別会が多かった。

44頁・12/8/2023 12:54:20 PM

・着ている制服の名札を見て

・「君が来月からくる櫻田くんか」

・と声をかけてもらったことも何度かあった。

・「二カ月にわたって研修をしてみて、働いている人がみな、この町が好きで、もっともっとよくしていこうと考えて、一生懸命になっていることが、ひしひしと伝わって、感動し ました。自分もみんなに負けないように、がんばりたいと思います」

・森林組合の新たな挑戦

・葛巻町では酪農とともに林業も大事な基幹産業。町の面積四万三千五百ヘクタールの八六%にあたる三万七千三百ヘクタールが森林で、葛巻町森林組合の関係者が百二十人、山にはいって作業のできる人たちが二十代の若者から七十代まで百人はいるという。

・ただ 、森林はきちんと手入れをしていか なければ、国土保全と水源かん養、地球温暖化防止などという森林の持つ機能が働かない。このため葛巻町森林組合では組合長で町議会 議長もつとめる中崎和久さんを先頭に新たなチャレンジが始まった。

45頁・

・たとえば平成十六年には組合参事の竹川高行さんを委員長とする里山森林整備実行委員会をつくり、「森の新ビジネス」と名づけた事業を始めた。ビジネスといっても、もうけをねらうものではなく、むしろ、啓蒙、啓発活動で、事業には町内の自然環境体験団体の安孫(やすまご)自然塾に協力を求めて、工業用金網では六割のシェアを持つ小岩金網(本社東京)と共同で開発した炭焼き用の簡易窯で間伐材から炭をつくり、それを金網のカゴに入れ、沢に沈めて水を浄化し、クレソン、わさび、せり、タニシなどを栽培する。もち ろん、まだ、実験段階で、現在は安孫地区と町の東端の平庭高原に装置ができているという。

・さらに、木材を使うことで、コンクリート製品の使用量を減らそうと、間伐材をカゴマットに詰めて土留工資材として利用する「活物カゴ」の開発も進めており、その際、間伐材が腐朽するのを防ぐため、あらためて柳などを挿し木しておくという。

46頁・12/8/2023 1:02:05 PM

・十八年五月には「企業の森」と名づけた活動も始まった。町外の企業に葛巻町の山林を買ってもらったうえで、組合に管理を委託してもらおうというも ので、とりあえず、小岩金網に八ヘクタールと住宅メーカーの藤島建設(本社埼玉県川口市)に六ヘクタール購入をしてもらったが、組合長の中崎さんは今後、さらに「企業の森」への参加を募りたいという。

・「荒れたままの山林を企業が買い管理を組合に委託をすることで、山の保全につながるうえ、こちらには新たな雇用も生まれます。また、企業は森林の機能の維持に貢献をしているということで、イメージの向上にもなるはずです。たくさんの企業に協力をしてほしいと思っています」

47頁・

・実際、十八年七月には早速、藤島建設が五十人の社員を二泊三日の日程で研修に送り込み、「藤島の森」で森林の手入れや植林に汗を流した。これからもこうした活動を積極的にしてほしい。

・さらに、森林組合は十八年五月の会社法の改正で八子会社の設立が容易になったのに伴って、新たに子会社をつくることになった。

・「これまで森林組合はもうけることも、損することもできませんでしたが、新しい会社法では子会社をつくって企業活動をすることができるようになりましたので、挑戦することにしたわけです」

・子会社の名称はいまのところ「森林(もり)の恵み」とする予定で、やはり、小岩金網や藤島建設、地元の企業、商店などにも出資をしてもらう。資本金は最初は百万円から二百万円もあればよく、事業は当面、雑穀、きのこなどの食材の加工と樹木の販売を手がけていくという。

・中崎さんは

「山をしっかりと守りながら、新しい資源を見つけて、工夫をすると、それが新たな仕事や雇用につながることが少なくない。地域資源を最大限に活かした森林組合に育てていきたい」

48頁・12/8/2023 2:50:48 PM

・という。

・ただ、どこでも同じだが、山の樹木は戦後、植林をしたものが成長し、手入れをしなければならない時期にきているにもかかわらず、これまで大手住宅メーカーなどは量を確保しやすいことと価格の面から外材を用い、国産材には目を向けようとしなかった。

・しかし、中崎さんは

・「最近は事情が少し変わり始めて、一部の住宅メーカーと国などがいっしょになって国産材を見直す方向に動き出した」

・「それというのもアメリカ、カナダ、ロシアなどを中心に、環境への配慮などから木材を他国に輸出をするのはおかしいという動きが出てきているんです。実際、ここにきて外材の輸入にブレーキがかかっています。その結果、メーカーなどが、国産材に目を向けるようになりました」

49頁・

・実は、小岩金網といっしょに「企業の森」に加わり、また、「森林の恵み」にも出資をしてもらう予定の藤島建設はこれまで葛巻町のカラマツの集成材を使った木造住宅を年間百六十棟前後建てて、販売をしてきたところ。こんどの「企業の森」と「森林の恵み」への協力もそれがベースとなって実現した。

集成材をつくっているのは町内の高吟製材所で、以前は直接、取引をしていたが、平成十三年ごろになって事情が変わった。高崎製材所の経営がピンチに陥り、継続が危うくなったからである。しかし、藤島建設は高吟製材所の技術を高く評価し、合し、森林組合が間にはいってくれるのであれば、引き続き集成材を購入したいという意向を示した。

・組合長の中崎さんは町長と相談、町に組合の債務を保証してもらい、そのうえで藤島建 を組合が受けて、高吟製材所に集成材の加工を委託することになった。

・それについては中村町長も

・「高吟製材所は二十一人を雇用しているし、集成材の技術もいい。それに受注をするには山に木材を貯えておくという先行投資も必要なので、それについての債務を保証した」

・という。今後、住宅メーカーなどの国産材に対する関心が高まれば、こうした集成材の需要もふえるのではないかという期待も大きい。

第一章葛巻グループの経営戦略・50

12/8/2023 3:05:03 PM

・中崎さんによると「葛巻の木材は材のバランスがとれていて、しかも、十分な強度がある」という。

・「ここの木は年輪が平均化をしています。夏は暑く、冬が悪いというように四季がきちんとしているからです。また、傾斜地なので大木に育ちます。平地ではなかなか大木にはなりません」

・もちろん、町も林業に対する積極的なバックアップを惜しまない。例えば葛巻町山財で家を建てた場合には五十万円を限度に一㎡あたり二五〇〇円を補助するし、畜産開発公社がくずまき高原牧場のなかに平成十六年、人工芝を敷き詰めてつくった体験 ・「木(もく) ドーム」や、その後のコテージなども、すべて、町産材を使用した。

・さらに、森林の機能を維持していくには伐採の後の植林、つまり、再造林が欠かせないが、その妨げとなっている間伐材の搬出経費を一立方メートルあたり二千五百円を補助するほか、再造林そのもに対しても経費の10%を負担する。森林組合では毎年、六十ヘクタールを伐採する一方で、四十ヘクタールの植林、つまり、再造林をしているので、それを支援するわけである。

51頁・

・そうしてみると森林組合は株式会社「岩手県葛巻町」の子会社ではないが、協力企業あるいはグループ会社といっていいのかもしれない。

・昭和六十三年に製造を始めたくずまきワインにしても、実は、林業の一環としてとり組んだものである。町民に特用林産物の山ぶどうを栽培してもらって買い取り、それを使ってワインを醸造しようとしたのである。したがって、工場も林野庁から林業構造改善事業の補助金をもらってつくった。ほかではすべて農業構造改善事業の補助金で、林野庁からもらったのは葛巻町だけで、おそらく最初で最後になるという。

・町長の中村さんが「ミルクとワインの町」といっているミルクは酪農、ワインは林業のことである。葛巻町は酪農と林業の町だということを「ミルクとワインの町」と表現をしているわけである。

・葛巻町の人たちは、以前は人前に出ると自分の町のことをこういって紹介した。

・「葛巻町にはなにもない。鉄道も高速道路も通っていないし、山の町でありながら温泉も

52

・なければ、スキー場もゴルフ場もないんです」

・日本中がリゾートブームにわいたころ、岩手県にはデベロッパーがホテルを建て、スキー場やゴルフ場をつくったが、葛巻町にはこなかった。中央の資本はこの町に目を向けようとはしなかった。

・それを残念がったこともあったが、いまになると、かえって、それがよかったのではないかと思う。だれも、なにもしてくれないから、自力でがんばる以外になかった。一人ひとりが力を合わせて、一歩一歩前進した。それが今日につながった。

・中村さんが役場にはいってから、町長は五人替わった。すべて選挙を戦って、町長のポストについた。中村さんも前任の遠藤治夫さんと戦った。にもかかわらず酪農と林業を基本にするという町の方向は揺るがなかった。第三セクターの経営方針も変わらなかった。

・苦しんだ時期があり、多額の赤字を出したこともあったが、当事者の責任を追及するよりも、どうすればそれを切り抜け、立ち直ることができるかを最優先の課題とした。第三セクターを選挙の道具にしなかった。

・葛巻町は人口八千二十人、二千七百三十三所(平成十七年国勢調査)だが、一万三千六百頭の牛を飼い、日量百二十トンの牛乳を生産する。牛乳をカロリーベースで換算すると、四万人分の食料に匹敵をするという。

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・また、第七章でくわしく紹介をするように風力をはじめ太陽光、畜産・木質バイオマス発電などのクリーンエネルギーの導入にもとり組んで、一万七千所帯分の電力の供給が可能になった。

・この町 を訪れる人たちは年間五十万人で、そのうち三十万人がくずまき高原牧場、二千人が酪農教育ファームと呼ぶ牧場体験、クリーンエネルギーの視察が二百五十団体、五千人にのぼるという。

・いま、葛巻町は全国のまちづくりのレースのトップに立った。第二章以下で葛巻町のまちづくりの歩みをふり返り、株式会社「岩手県葛巻町」の秘密に迫ってみたいと思う。

54頁・12/8/2023 6:53:28 PM・第1章終わり・

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