バクテリアを呼ぶ男・葉坂 勝著・究極の生ゴミ革命・


・究極の生ゴミ革命・バクテリアを呼ぶ男、第一章、・一四頁〜四四頁まで楽しめる、


バクテリアを呼ぶ男・究極の生ゴミ革命・第二章有機物は廃棄物ではない・・生ゴミは資源だ

・四七頁・〜九二頁・迄、2023/07/05 10:27堆肥発見!


究極の生ゴミ革命・バクテリアを呼ぶ男・第四章 第四章・二一世紀への窓口が見つかった!


究極の生ゴミ革命・バクテリアを呼ぶ男・プロローグ・9頁・〜一三頁・2023/07/07 8:41

・プロローグ


・平成六年の秋、秋田県のA家禽という、鶏を一五万羽以上飼育している会社の社長夫妻が私のところに訪ねて来ました。彼らが言うには、養鶏場から毎日毎日二〇立方メートルもの鶏糞が出て、その処理に困り果てている。その処理ができなければ早晩倒産に追い込 まれてしまう、何とかしてもらえないだろうか、と涙までこぼして訴えるのです。

・というのも、今の法律では、人間のし尿については市町村の責任で処理施設をつくることになっていますが、家畜の糞尿は産業廃棄物とされ、その処理は排出事業者である畜産農家が個々の責任で行うことと決められているのです。この処理まで手がまわらずにその まま垂れ流しにして公害問題を起こし、住民から告発されて廃業する畜産農家は数知れずです。(「廃棄物の処理及び清掃に関する法律=以下廃掃法」参照)

・とにかく鶏糞の処理さえ完全にしてもらえれば採算が合うんですと、すがるように社長が言いますから、私は「わかりました。うちのプラントが二レーンあれば完全処理ができますから、つくりましょう」ということになりました。

一〇頁


・うちのプラントというのは、つまりハザカプラント、有機性廃棄物の高速発酵堆肥化施設のことなのですが、発酵槽一レーンは幅三メートル、深さ二メートル、長さ一〇〇!ですから、それをいっぱいにすると六○○立方メートル。それが二レーンで一二〇〇立方メートル入ることになります。そこへ毎日毎日、二〇立方メートル(約二〇トン)鶏糞が投入されて処理されるわけです。月に六○○立方メートル、一年で七二〇〇立方 メートル鶏糞です。

・プラントニレーンは、翌年の二月に竣工しました。 工式の朝気温零下六度というのに、ぎっしり詰まった発酵槽からはもうもうと発酵の湯気が立ちこめ、近所の人から「火事が起こっているぞ」という知らせがあったほどです。その発酵熱のために、厳寒の中を参列した私も他の人たちも皆、ジャンパーやオーバーコートを脱ぎすてたのです。

・こうして倒産の危機を免れました。それはよかったのです。ところが、です。

・連日二〇立方メートルものがどんどんレーンの投入口に放り込まれていくのに、レー ンの末端から一ヵ月経っても何も出て来ない。 半年を過ぎてもやはり何も出て来ないのです。

・「一体こりゃ、どういうことなんだ?

・一一頁・2023/07/07 9:12


A家禽の社長は頭をかしげてうなりました。この調子だと、一年経っても何も出て来そ うもない。毎日の鶏糞がきれいに処理されているのですから何の文句もないわけですが、これは驚きだし不思議です。それ以上にこの社長にとっては大きな当てはずれでもあった のです。というのは、鶏糞堆肥は重宝がられて高く売れます。

・彼の思惑では、この発酵レーンから出てくる堆肥を売ろうと考えて、堆肥をストックする立派な倉庫を建設し、堆肥を入れる袋や袋詰めの設備まで用意して待ちかまえていたからです。このプラントをつくるに当たって、私はあらかじめ社長に「鶏糞の処理だけでいいんだね。堆肥をつくって売るなんてスケベ根性を起こしたって駄目だよ」と釘をさしておいたにもかかわらずです。

・それから二年近く経って、ある新聞社がA家禽を取材しに行き、私のところに電話してきました。「葉坂さん。あの現象は新聞にどう書いたらいいんでしょう? 二年分の鶏糞、一四〇〇〇立方メートルも入っているのに、未だに何も出て来ず、堆肥なんてとんでもないそうです。一体どうなっているのか説明していただけませんか」

・で、私はそんな時、いつもこう答えます。

・「その件については、私に聞くよりバクテリアに聞いてください」と。(・バクテリアとはなにか?“バクテリア”は“細菌”の英語であるbacteriaから来ています。)

・有機物というのは、バクテリアによって発酵分解されると、最終的には消えて無くなってしまうことをほとんどの人が理解しがたいようです。それを私が言うと、そんな、ホラぱっかり吹いてと、誰も信用してくれない。

・一二頁


・ところが、二年も出て来ない事実には誰が本当に驚くのです。

・正確に言えば、鶏糞は水分と空気とミネラル分に分解され、残るのはミネラルだけです。その量はこの場合一四〇〇〇分の一以下ですから、無いに等しい。レーンの中で、そのいろんな種類のバクテリアが自然に従って分解し、リサイクルをくり返して、廃棄物の完全理をしてくれているのです。このバクテリアの働きは、人間の浅はかな計算を超えたものです。人智を超えた神のです。私はいつもあらためてその自然の摂理のもと大自然の力に驚かされています。

・このプラントの恐るべきところは、廃棄物の処理だけをしたいのか、そこから堆肥がほしいのか、あるいはその両方がほしいのか、そういう時、バクテリアにその都度適した生活条件を整えてさえやれば如何様にでもなることです。それをなぜ恐るべきと言うのか?

・それはさておいて、今世間で一般に行われている廃棄物の処理を見ますと、焼くか埋めるかのどちらかです。それが全国至る所で公害問題を起こしています。 一番問題になっているのは下水道の汚泥処理。重金属がネックになって農地などには埋められない。で、仕 方なく焼いて処理するわけですが、汚泥を絞って焼いても一割の灰が出てきます。また、埋め立て基準を超えた物を焼いて濃縮するのですから、もっと悪い物が残ることになります。

・一三頁・


・ゴミ焼却場については煙やから出てくる猛毒のダイオキシン等も問題になっています。環境を良くしなければと日頃言っている行政が、こうしていの一番に環境を破壊しているわけです。

・だいたい外国から高い金を出して油を買って来て、汚泥を焼くなんて、ほんとに下らないことをやっている。燃してどうするんですか。莫大な設備費を投じて、たとえば仙台北にある一日一〇〇トンを処理する焼却炉なんかは七〇億円かけてつくったのですが、維持費はトン当たり四万円にもなります。ふつうのし尿処理場でも二、三万円。何という税金の無駄使いか。

・それを解消するためにこのプラントをつくるならば、設備費は五分の一で済み、トン当たりの経費もわずか二〇〇〇円 残漬物も残らないのです。しかも、その過程で副産物としてある良質の土が生じるとなれば、差し引き経費は限りなくゼロに近いと言ってよいでしょう。

私は「廃棄物は豊かな資源である」と言っています。 そしてこのプラント・システムを「地域資源循環型」と言っています。このようなプラントが誕生するに至った。その発想と道程はどのようなものだったかを語ってみたいと思います。

プロローグ・13頁・終,2023/07/07 9:32


・究極の生ゴミ革命・バクテリアを呼ぶ男、第一章、・一四頁〜四四頁まで楽しめる、

・バクテリア発見。

・その給食センターの汚水処理施設での私の仕事は、浄化槽の管理をするだけでした。つまり、汚水の流入量や濃度から微生物の量やPHとか塩素量などを量って、機械のチェックをするわけです。そんな仕事は三〇分ほどで済んでしまい、常駐ですから後はのんびりと毎日昼寝したり、事務所で無駄話をしたりしていました。

・そんなある日、私はふと不思議に思ったのです。浄化槽には一日四〇〇トンもの給食の汚水が流入して来ます。その中に、人参や大根やネギの切れはしや残などが入っています。それがさっぱり何も出て来ないのです。おかしい、どこかに溜まっているんじゃない。もしそうだとしたら、これは大変なことになると感じました。興味を持った私は、雨の降る日に会社から水中ポンプを持って来て浄化槽の水を吸い上げ、空っぽにしてみま した。吸い上げた水は、当時はまだ規制もそれほど厳しくなかったので、そのへんに不法投棄しました。

・二一頁・


・浄化槽の底を覗いてみると、ともかく今日入って来たのはそのままありますが、あとはほとんど影も形もない。どこへ行ってしまったのか?で、次の槽も空っぽにしまし た。そこにはもっと何も無い。私はいろいろと疑問を抱き、思案に暮れました。その時、ふと頭に浮かんだのです。「そう言えば、浄化槽はバクテリアがどうとかと、たしか言ってたな」と。

・私はすぐに会社の実験室に行き、顕微鏡で汚水を覗いて見たのです。レンズの向こうに何かがちょろちょろと動いていました。何だこりゃ!?

・初めて見ました。これがバクテリアなんだ......

・これが人参や大根や汚水を食ってない水をきれいにしているのです。そうなら、これらが棲みやすい環境をこしらえてやるようにすればいいんだ。養成すればいい。

・それからは、浄化槽を自分なりによく観察してみました。どういうバクテリアが出たらどういう状態になるのか、あるいは汚水の流入量がこれぐらいならこんなふうになるんだとかそういうことを全部自分で感じながらやって来た結果が、今でも浄化槽の汚れの程 BOD生物化学的酸素要求量がどうの、MLSS汚水中の微生物や浮遊物質の量がどうのとかという専門的なことは何もわかりませんが、浄化槽をパッと見て、今バクテリアは下痢しているんじゃないだろうかとか、疲れて休みたがっているんじゃないかとか、いろんなこと肌で感じ取り、そしてその時々に当たって何してやればいいのかという、彼らがうまく活動できるいろんな条件まで、およそのことがわかるようになった めです。

二二頁・2023/07/07 13:56

23頁・


・糞はなぜ汚いって言うんですか?

・独立したいという願いのためと、浄化槽のいろんな疑問を解く基本を知りたいために、浄化槽の維持管理の資格を得る講習会に参加することを私は会社に申し出ましたが、日頃 理解のあることを言いながら会社は許しませんでした。会社としては、職員に下手に資格を取って独立なんかしてもらっては困るからです。

・そこで私は、当時わずか四万五千円の給料でありながら、一〇万円もの借金までして東 京で開催される浄化槽の講習会に、二週間の泊まりがけで出かけました。

・講習会には三〇〇名もの人が詰めかけていましたが、講師の先生方の話のほうは、し尿処理場や浄化槽の構造や機能の原理など、およその流れはつかめても、ほとんどがチンプ ンカンプン。最後が終った時、先生が「何か質問はありませんか?」と問いました。

・そこで私はまっ先に手をあげたのです。

・「し尿処理浄化槽のことでさっぱりわからないことがあります」

二四頁・


・「何がわからない?」

・「まず一番に、糞はなぜ汚いって言うんですか?

・そのとたん。会場は大爆笑に包まれたのです。何を馬鹿なこと言っているんだという嘲り叫び声が、あっちから、こっちからも乱れ飛びました。ようやく会場が鎮まると、面食らったような顔をしていた先生が、

・「そのご質問には、すぐには答えられませんから。十五分休憩した後にお答えします」と率直におっしゃって、別室に引っ込まれたのです。

・十五分後の先生の答えは次のようなものでした。

・・「今のは大変いい質問です。その説明をせずに今まで講義してきたことをお詫びします。糞は原則的には汚くありません。なぜ汚いと言うかといえば、それが体外に出て空気に触れた途端にれたとたん、にいろいろな雑菌がつきやすく、やすく、すぐ腐敗していきます。同時に不可解な匂い を発しています。それで汚いと決めつけているだけです。

・一方、このように糞に雑菌がつきやすい性質を利用して、その菌に食べさせようとつくっているのが浄化槽なんです。糞は原則的には汚くありません」

・この答えで、私は今までわからなかったすべての説明が理解できたのです。

・その後で浄化槽に関する筆記試験がありました。

・二五頁・


・流入から放流に至るまでの一連の微生物分解の問題が十二問ほど出たのですが、方程式も数式もわからない、おまけに学校でほとんど勉強をせず漢字もろくに知らなかった私は、答えを全文ひらがなで、数式も使わいけずに書いたのです。世の中の原理原則と摂理をもって物事のプロセスを噛み合わせてば、答えはこれくらいの数字になりますと。それが正解でした。合格したのです。

・方程式を解いて正解を出した人でも、その方程式がどういう過程を経て、なぜそうなっているのかを知っている人はほとんどいません。それは、そこに至る自然の原理原則、摂理のことを全く理解していないからです。

・後になって処理施設のメーカーと話し合っている時でも、方程式によって浄化槽の図面を描いて、流入量がこれくらいなら、これくらいの微生物をつくって分解すれば、これくらいの水になって流れますよ、なんて言うわけです。カチンときて私が、

・「計算上はそうかもしれないが、いま流入している現在の水を見て、その状態がどうなっているか、おおよそでも、BODが何ppmかわかりますか?」と聞きますと、

・「計ればわかりますよ」と答えます。

・「はぁ、計ればわかる。それは大したもんです。計ってどうするんですか。その分析結果はいつわかるんです?

「五日後ですが・・・・・・」

二四頁


・「今のことがわからなくてどうするんですか」

・五目前のデータをどうしようと言うんでしょうか。今しているもののことがわからなくて、バクテリアに通した条件、環境をつくれるわけがありません。私にはバクテリア

現在のみやすい環境をつくることができます。

 

・たとえば、文章に区切り「。」と「、」があって、「112だ。」というようにどれも断定で終わっているわけですが、目に見えないバクテリアには、そんな「。」や「、」は ありません。いつも「?」マークです。自然界というものは、すべて「?」マークじゃないでしょうか。断定はあり得ません。

・生活環境がこうだから、浄化槽に入って来るものはこういうふうになっているんじゃないだろうか?今はバクテリアはこうなっているんじゃないだろうか?」等々と、自然に対しては、いつも三つ以上の道理のある答えを持たなければ浄化槽の管理なんかやれません。

・目に見えないものの「?」マークの中から、統計的にこれがいいんじゃないか?と答えを出す。でも、「これだ」と断言することはできません。人は「山は高いものだ」と断言してしまいます。そうじゃありません。1+1=2ではないのです。自然には、言葉で言い表わせない部分がいっぱいあります。だから自然はいつも疑問形なのです。

・ですから、浄化槽の運転マニュアルというのは、あったらおかしいのです。

・二七頁・2023/07/07 15:15


・無いに等しい。各メーカーの機械的なマニュアルは作ってあります。こういう場合にはこうしなさいとかしないとか、浄化槽に対して負荷がかかった場合にはこういう運転をしなさいとか、書いてあります。そこで私はメーカーさんに聞くのですが、

・「負荷がかかったというのはどういう状態のことを言うのですか。この浄化槽の容量に対しての負荷なのか、中に入っているバクテリアの量に対しての負荷なのか、質に対しての 負荷なのか、この三つの場合がある。

・それぞれ対応のし方は違うのに、それを簡単にただ「負荷がかかった場合」のひと言で片づけてしまっている。どんな場合に、何に対して、どのように負荷なのかの説明がなければ、こんなもの何の役に立つんですか」と。それで

メーカーさんとよく喧嘩になったものです。

・また、排水処理で空気を吹き込んだり、撹拌して液中に酸素を供給して、有機物を分解するバクテリアの働きを促すことを曝気といいます。

・この曝気ということについても、マニュアルには「過曝気」の時はこなるから、こうだというようなことを書いていますが、過曝気とはどういう状態のことを言うのか。

・ある曝気を見た時に、汚水が無茶苦茶な動きして乱流を起こしていると、ああ曝気だなと判断するのですが、曝気が過剰だと言うなら、何に対してですか?浄化槽の容量に対してですか?中のバクテリアの量に対してですか?質に対してですか?と、ここでも三つの質問が出てきます。その中で、こうでなかろうか、ああでなかろうかと考えるわけです。

二八頁


・人間でも酸素の濃度が高まると過呼吸になって倒れてしまうけれども、にでも同じです。要は、何に対して過曝気なのかという問に答えられなくてはいけません。

・・ですから、マニュアルに書いてあることを一律に当てはめて、どの浄化しみな同じだと思っては大きな間違いです。

・マニュアルの写真と文章を照らし合わせてみても、ある特定の浄化槽に当てはめることはできません。同じメーカーの同じ容量の、同じ方式のでも使う場所、環境と入って来るものが違えば、バクテリアの種類も全然違ってく るのです。

・いずれ私独自の視点からマニュアルを作ってみたいと思っています。

2377・二九頁・


バクテリアは忠実

・これは私が独立してからの話なのですが、T市庁舎の浄化槽の管理をしていた頃、市の古い食肉処理場の排水処理施設が採算が合わなくなって閉鎖になるというので聞いてみると、そこは宮城県でも最も古い浄化槽で、しかも流入量も倍になって維持できなくなっていたのです。

・新しくつくり替えるにしても何億円もの費用がかかるので、結局は閉鎖に決まったといいます。それで私は、駄目でもともとだから、市長に頼んでその浄化槽を一週間貸してもらってくれないか、と申し出たのです。いいだろうという了解をもらって、私はその浄化槽を操作しに行きました。

・そこで私は担当の人に現状を聞いてみました。するとやはり、流入量が二倍になり、濃度も倍以上になって処理できないというのです。私は言いました。

・「あなた方の計算上では、一の入ったものを一のバクテリアで処理させると考えるからできないということでしょう。二のものが入って来ているのに二のバクテリアをおくスペースがないというわけでしょう。

三〇頁


・私やあなたのように半人前しか動かないバクテリアなら新しく大きな場所が必要だろうけれど、同じ人間でも二人前も三人前がいるんじゃないですか。二倍入って来るのなら、二人前、三前働人バクテリアを入れればいいんじゃないですか?

・「馬鹿にすんな!そんなことできるわけがない」

・「できるかできないか、わからないけれど、そういう環境をつくってやればいいんでしょう?」

・海に近いどんよりとした川にはなまけものの魚が棲んでいますし、激しい急流にはヘビでもネズミでも水に落ちたらカッと喰らいつくような魚がいるように、浄化槽の中にそういう二倍三倍働くバクテリアが棲めるような環境をつくればいいのです。

・私はその浄化槽でそれをやったのです。そうしたら、みるみる一週間も経たないうちにその浄化槽はきれいになってしまいました。種菌なんか一匹も入れていません。環境をつくっただけなのです。そういう条件さえ整えれば、バクテリアは一分間に十万倍にも増えるといいます。

・この場合、先ほどの例で言えば川の上流のような過酷な条件をつくったわけです。

・三一頁・2023/07/07 16:02


・つまり水の量とか空気の量とか濃度とかのいろんな条件を考えて、浄化槽の流れの質を変えたのです。

 

・浄化槽というのは、簡単に言えば、流入した汚水が曝気槽から沈殿槽に行き、バクテリアの固まりのような重いものは下に沈み、軽いものは上へ浮く。この上に浮くようなもの をすばやく処理すれば、上ずみがきれいな水となって流れて行くわけです。その時に、曝気ひとつにしても、前段の沈殿槽へ一部を戻してやる汚泥返送ひとつにしても、計算上はこうでなければ駄目だというマニュアルがあります。私はそんなマニュアルにとらわれずふわふわした浮いているものをみな食いつくし、また少々の流れでもどっしり沈んでいるようなバクテリアがおればいいというように、流れの質を変えてしまったのです。

 

一清掃業者の発見 第一章 バクテリアと生きる。

 

・当時の浄化槽放流水のBODの基準は一六〇ppmという高いものでした。現在の平均基準値は二〇から三〇ppmです。水道水は五Ppm以下。一週間できれいになったその浄化槽からの放流水は七〜八PPmまで下がり、その後、閉鎖されることなく汚泥も出していません。このような結果を見て、T市の関係者は仰天し、私に感謝状までくれました。この施設はもちろん現在も立派に稼働しています。

・この汚泥というものについても、どんな浄化槽からも汚泥は出るのですが、バクテリアの分解が完全なら出て来ないのです。与えられた環境によって、バクテリアは汚泥が出るようにも働くし、出ないようにも働きます。それほどバクテリアは、恐ろしいまでに自然理に忠実なのです。

三二頁・


・一般家庭の浄化槽で言えば、糖尿病の人家とか抗生物質を使っている人の家とかは、

 

・バクテリアが駄目になって採算が合いません。彼らも死んでしまってドロドロの悪臭を放ちます。ですから浄化槽を見れば、その家の人の血圧の高低とか糖尿病かどうかなどうかなどがわかります。こういう病気の人がいませんかとしたりすると、「なぜわかったの!」と不思議がられます。 お宅ではこういう食べ物を食べておられるでしょう」と言いますと、「なんでそこまでわかるんですか?

・そこで私はこう言います。

・「いやバクテリアが言ってましたもの」

・三三頁・


独立への道

・「独立しなくちゃ駄目だ。独立しなくちゃ駄目だ」と思いつつ日を送っていた頃、私は、あるメーカーの浄化槽の維持管理をしていたのですが、当時、T市の担当衛生課の係長をしていた人がやはり同じメーカーの浄化槽のチェックをしていたのです。その係長は、私がチェックして帰ると後から必ずやって来て、私と全く同じチェックをしたそうです。

・そしてそのデータを見ると、衛生課がチェックしたものより私のチェックしたものの方がはるかに厳しかったといいます。

・それから一、二年たって、仕事の合間に1市役所のポイラー室で、ボイラーマンや市課長を交えて雑談することがありました。その時たまたま私が、「独立したいんだけれど、どこも許可してくれる所がないんだよなぁ」と半ばあきらめたように、嘆くように言いましたら、その係長が、「いや、あんたがやりたいって言うのなら、うちの町で許可が出るようにしますよ」と言ったのです。私はハナから信じていませんでしたから、「何を係長、出せるものなら出してみなさいよ」と笑ってその終りました。

三四頁


・ところが三ヶ月ほどして、係長が「許可証が出せるばかりになりましたよ」と言って来たのです。「だけど、これを出すためには器具機材、バキュームカーとか持っていないと駄目なんだそうですね」

・「えーっ、本当なんですか?

・「ほら,決裁書ももらいましたよ」

・・私は仰天してしまいました。早速私は、バキュームカーを求めようと思い、各メーカーさんと話し合い、月賦で買いたいと申し込みました。ところがこの広まってしまい、 メーカーに対して「あなたの所で新参者にバキュームカーを売ったら。我々はもうあなた取引きしませんよ」という同業者からの申し入れがあったのです。ここから私に対する同業者の妨害といやがらせが始まったのです。私はメーカーからはバキュームカーを売ってもらえませんでした。

 

・バキュームカーが無ければ許認可は出せません。弱り果てた私は、これまでの知り合い八方電話をかけて、中古のバキュームカーはないかと聞いてまわりました。そうしたら、青森の業者で今度買い換えのために中古の四トン車を六台下取りに出すという情報が入り、その一台を五〇万円で売ってもらえることになったのです。

・三五頁・


・もちろんそんなお金は持っておりませんから、実家の兄の所へ借金に行きました。独立のことは半ばあきらめかけていたところでしたから、バキュームカーがあればなんとか独立できる。もし買えなければ自分の一生はこれで終ってしまう、今までもいろんな厄介をかけてきたけれど、これが最後の頼みだと、妻といっしょに行って涙を流して頼んだのでしかしその願いは断られました。貸してもらえなかったのです。私にはそれくらいの信用しかなかったのでしょう。

・もう仕方がないから、友達や知人などから借りてかき集めれば何とかなるかもしれないと、妻とふたり、がっくり肩を落として実家を後にしました。ところが、兄は兄で、弟はあちこち借金し回って、どうせそのつけがみな自分の所に回ってくるにちがいないと考えたのでしょう。親戚一同、おじさん、おばさんまで立会いの下で、ようやくお金を貸してくれたのです。

・その大金を持って、私は妻といっしょに夜行列車に乗って青森へと発ちました。新幹線もまだない頃です。朝早く、青森に着いて、その六台のバキュームカーの所へ行きました。一台を選んで、自分で運転してみて、まあこれならということになったのですが、六年も使った下取りに出す車ですから、タイヤは坊主でした。それをもう少しましなものに取り替えてもらったり、ホースも付け換えてもらったり、部品のスペアも付けてもらったり、

三六頁


・五〇万円払ってしまえば何も残りませんから、できるだけ後で手のかからないようにと、いろんな注文をつけ、旬にはガソリン代もありませんからと満タンにしてもらいました。

・その日は朝飯も昼飯も食べていませんでした。というのも、帰りのガソリン代が心配だったからです。青森の町はずれの端で帆立貝を売っていました。私は特の思いがありました。

・もう独立なんかできないんじゃないかと思っていた頃です。このままではどうしようもないか別の商売でもやろうかということで、帆立貝とか鮑の卸業をやったことがあったのです。朝二時頃起きて、三時半には海に着いて、海から上がったものを生きたまま、市場へ八時頃に持っていくわけです。

・半年ほど続いたのですが、この仕事は季節もので、半年稼いだら半年休むということですから、これもうまくないと。それで、魚や貝をどうやったら生きて運べるか、今でいう活魚のはしりみたいなこともやりました。浄化槽をやってましたから、車の中に自分で工夫して魚の水槽を作って、料亭などにも売りに行きました。毎日のことですから、どうしても魚や貝が売れ残ります。

・初めはそれを近所の人たちに分けていましたが、そのうちにマイクを手に仙台に出て団地を回って、「生きた帆立貝はいかがですかぁ」と行商もやりました。

・三七頁・


・そんなことをやっている時に、S市のあるメーカーで、これまで浄化槽の施工だけをやっていたところに新しく管理部門を設けようということで、その資格のある人の募集がありました。清掃とか汲み取りとか浄化槽の管理とかは今までやってきましたが、最終的に、作る側のメーカーに行ってみようか、それで本当に駄目だったらあきらめようということで、そのメーカーに入社しました。その縁で例のT市の総務課の係長に出会ったのです。

・そういうことがありましたから、独立するためにこうしてはるばる青森までバキュームカーを買いに来て、久しぶりに懐しい帆立貝を見て、子どもたちにお土産に買って帰りたいなあと心から思ったのです。それが買えるお金がなかった! 涙が出るほど情けなかった・・。

・そうして私たち夫婦はスピードもろくに出ないぽんこつの車に乗って、十七時間もかけ 村田町に帰って来たのです。夜中、腹をすかして待っている子どものことが心配になっても公衆電話ひとつあるわけでもなく、電燈もない暗い夜道をただひたすら走り続けました。昭和五十一年の十一月、二十九歳の時でした。

・こうして独立したものの、役所の仕事は四月が契約切り換え時期です。それまでの五ヶ月間、借金の返済もしなければいけませんから、今までやったことのない営業の仕事を始めました。

三八頁


・しかし営業はいやでした。こちらが一生懸命説明すればするほど、押し売りじないのかと疑われる。話している相手の奥さんがひきつってくる。こちらは早く浄化槽維持管理の契約をしてもらってお金が欲しいわけですから、それが顔に出るのでしょう。奥さんの知らせで会社から飛んで帰って来た旦那さんが「何があったんだ?」と思い恐い顔こちらの説明でやっと納得してくれるというようなことが幾度もありました。

・十二月に入ってようやく最初の契約をしてもらった時のことは、今でも覚えています。村田町から車で一時間余り南の宮城県と福島県の県境の山の中にあるFという町の郵便局長の家でした。妻と二人で行って、話をして契約を終えた時、お金はもらえるんだろうかとすごく心配だったのですが、くれました。三万一千円でした。

・「ああ、これで何日か息がつける。よかった」と安堵の胸をなでおろして、帰途について峠越えの山道にさしかかった頃に雪が降って来ました。坊主タイヤにチェーンをかけたく らいでは、山の中ですからどうにもならない。ガチャガチャするチェーンをとめるには、バイクの荷台に使うゴム輪しかないと、オートバイ屋で買おうとしたら、今でも値段まで えているんですが、一本七〇〇円。それが買えなかったのです。両輪で一四〇〇円。涙が出るほど無念でした。それで仕方なく橋のたもとに落ちていた細やロープを拾い集め、それを巻いてそろそろと帰ったのです。

・三九頁・


今では、バキュームカーにも高速大型バスに使うような高級タイヤをはかせる信じられないほど贅沢な時代になっています。

・こうして独立して、「県南衛生工業」の名で個人営業を始めたわけですが、その名称は、その四年ほど前、父が入院して死の床にあった頃に命名してもらったものでした。もしも 独立して会社を作るとしたらどんな名がいいだろうと相談したら、父が、県の南を制覇するくらいなら大しものだ。その意味で県南衛生≠ヘどうかと言ってくれたのです。初私は、「宇宙衛生」とか「世界衛生」とかはどうだろうと思ったのですが、そういう名はすでに使われていて駄目でした。

三九頁・2023/07/07 17:21

・二〇万坪栗林の顛末

・私の世の中に出る前の学校時代は大変な無鉄砲者でしたから、法律に相反するようなこともいっぱいやって来ました。それで法律に違反すればこうなるんだということは肌身で教えていただきました。そして世の中に出るようになると、自分一人ではなく女房も子どももいるんだから法律を基本にして生きていかなくてはいけないんだと思ってやって来たわけです。ところが、世に出れば出るほど、世間には法律があって法律がないことがわかってきました。

・清掃業者は汚泥処理場などの処理処分施設を持つか、使えなければ営業が許可されませんから「廃掃法」七条、一四条)、汚泥を埋め立てる畑を借り、山を借りするわけです。匂いやしみが出た汚水による公害問題などで、借りては駄目になり、借りては駄目になりが続くのですが、やっとここは面積が多いのでいいかなと思って行きますと、今度は、清掃業者が不法投棄しているといういわれのない投書があったりするのです。

・四一頁・


しかし、相手にとっても良く、我々にとっても良く、皆が良くならなければいけないわけです。土地を貸してくれた人もいいと思って私に貸してくれたのですから、せっかく貸してくれた土地を無駄にするのもいけないし、ましてや駄目にしてしまうわけにはいきません。そして、当時はK市やM町を中心に、その辺りの農家の人たちにはずいぶん世話になりました。農家の人たちも、いい作物ができたと言って、私の所に人参や大根を持って来て感謝してくれたこともありました。

 

・ところが、同業者は伸びていく県南衛生を目の上の瘤にして営業を妨害、各町にあるし尿処理場も使わせてくれなかったのです。その頃、私は例の借金もようやく返していましたから、今度は中古の一〇トンのバキュームカーを銀行から借金して六〇〇万円で買いました。民間では一〇トン車など一台もなかった時期でしたから、その時も同業者たちから「畑の中に一〇トン車を乗り入れた」と悪口を言われました。

・別に悪いことをしているわけではありませんから、私は平気でした。それよりも、その時私は大型免許を持っていな かったのです。そのためにひと一人を雇うほどの余裕はありませんから、免許を取るまでのしばらくの間は普通免許だけで一〇トン車を運転し、警察署の汲み取りもやっていました。

四二頁


・ようやく軌道にのってきたのですが、狭くて細かい処分地ばかりでどうしようかと弱っていた時、村田町の北にあるK町との間に東北一と言われる六五町歩 (二〇万坪)もある栗林があり、その持ち主である栗生産組合が肥料に困っているという話が耳に入りました。

それじゃ我々の有機性廃棄物を入れたらどうですかということになり、契約をもらうことになったのです。それも私自身ではなく、そこの組合長が昔から私の祖父や父との付き合いがあって、その信用で判をくれたのです。昭和五三年一月のことでした。

 

・農家の人と一緒になって栗の木との間に深き二メートルほどの溝を掘って、そこに廃物の汚泥を入れて覆土するのですが、一〇年経っても一周りできないほどの広さです。三年もすれば埋めたものは土に戻りますから、半永久的に続けることができます。生育もすこぶる良くなり、木の老朽化している部分をどんどん切り取ることができるようになって、その結果、形の大きい味の良い栗の実が穫れるようなりました。

・こうして地元の人たちにも大変喜ばれ、私のほうもようやく農地還元でやっていく見通しが立っ営業的にも一息つける状態になったのです。

・市町村のし尿処理場が使えるのは一般廃棄物だけです。 工場排水とか家畜糞尿とかの産業廃棄物がその頃どんどん増えて来て、その処理に同業者の人たちもやはり山を借りたり畑を借りたりして棄てていました。しかしそのやり方は、お金さえ入ればいいということ見境なく放り込むので、富栄養化などで畑や山が駄目になって草も生えなくなってしまいます。

・四三頁・


・そのために、あっちからもこっちからも公害苦情が百出して、棄て場がだんだん無くなってきました。

・そういう時に、県南衛生だけは、これだけの大きなスペースを持っていますから、逆に伸びていく一方で、一〇トン車も一台が二台になり、二台が三台になりといった調子です。

・土地が借りられなくなった同業者たちは、「なぜ県南衛生だけが生き残っているんだ」ということで、今度は行政をつき上げて、「あそこは公害を出しているからやめさせろ」と言い出したのです。保健所とか町役場とか、農家や団地にまで回って言いたてました。

・最初は栗生産組合の組合長も「県南衛生は農地還元をちゃんとやっている。 公害を出すようなことはしていない。 農水省のパイロット事業として造成された栗林も、おかげで非常によく成育してすばらしい実ができており、評判がよく、誰も迷惑していない。反対される筋合いはない」と対応してくれていたのですが、ところが向こうは、一軒一軒の組合にまで働きかけ始めたのです。そんな馬鹿なことあり得ないと思うでしょうが、事実あったのです。裁判にまでかけようと思ったほどでした。

・とうとう組合の方から、「役所の課長とか、保健所の課長とかが一軒一軒の農家に毎晩のように訪ねて来られていろいろ言われるということは、農家の人たちにとっては大変なことです」と言ってきました。

四四頁


・「公害を出してとやかく言われるのならわかるが、こちらは何も出していない。「理由は何ですか」としている間はよかったのです。結局,最終的に行政から出た答えは「蔵王山に降った雨に流れる恐れがあるからだ」と。その「恐れ」があるから,栗林に廃棄物を埋めると海を汚し公害を起こす恐れがあるというのです。とんでもないこじつけで したからまで二五キロも離れており、その間に畑もあれば市もあるのです。

・「県南衛生もそろそろやめたらどうか」

・そういう声の持ち主の人たちの間にも起こってきました。持ち主たちに迷惑をかけてまで続けるわけにはいきません。

・「わかりました。持ち主の皆さんからそう言われれば、やむを得ません。やめます。ただ たちには、一年契約ですから、今日駄目になったと言うわけにはまいりません。少くとも一年間は私に責任があります。一年間の猶予をいただけませんか」期限を切ったら、役所も了承してくれました。あと一年、それは昭和五九年三月末までです。

・たった一年間の猶子の中で、一体どうすればいいのか。車や施設の莫大な借金を抱えたまま、これから先どうなるのか。私もこれで終りか。 倒産となれば、親子で首をくくってお世話になった世間様にお詫びするしかないという所まで追い込まれました。

・四五頁・

第二章 有機物は廃棄物ではない・・・生ゴミは資源だ

終・四四頁・2023/07/07 18:01


 

 

 

 

 


第二章・有機物は廃棄物ではない・・生ゴミは資源だ・四五頁、から



・それから私は、これまで土地を貸してもらってお世話になった人たちにお礼とお詫びの挨拶をして回りました。半ばあきらめ、半ばどこかいい所が見つからないかとかすかな期待をかけながら。「ありがとうございました」と、そういう人たちと語り合っている中で、私は、どうしても不思議だな、と思い始めたことがあったのです。

・こういうゴミ処理業、汲み取り業の歴史なんて、ほんとにここ数十年の浅いものです。

・では、それ以前はどんな処理の仕方をしていたのだろうかという疑問を抱いて、「昔は、どうやっていたんでしょうね?」と尋ねてみましたら、会った人、会った人がすべて「堆肥だったよ」と答えたのです。

・「化学肥料の無かった時代、百姓は皆、「肥」をかけていたでしょう。鶏とか豚とか牛とかも飼っていたけれど、それでも自分の所だけでは足りなかった。それで学校とか病院とか役場とか、人の集まる所の糞尿を奪い合っていたんですよ」

四八頁


・「えっ、そんなんだったんですか。それで、そのまま畑にいていたんですか?

・「いや、堆肥にしてだよ」

・それがすべてでした。清掃業者が現れ、化学肥料が普及してくるとともに堆肥作りもする農家が減っていき、農家は廃れ、化学肥料を売る農協と清掃業者だけが栄えてきたのです。歴史上でも、こんなことはかつてなかったことです。

堆肥作りというのは、すべてを処理することができ、すべてが土に戻ることです。日本人はそれを何百年も何千年もやってきて、この日本をつくってきたのです。ところが、ひかえって今の産業廃棄物処理を見ても、「農地還元」という考え方はかけらもありません。下水道でもし尿処理場でもゴミ焼却場でも、何十億円もかけた施設で満足な処理ができない。そこから出る残渣物、汚泥をあとどうするのか、という問題を抱えてしている施設ばかりです。

・私にとって処理施設も処理場も無いとなれば、あとは「堆肥作り」しかないと思いました。しかし、昔ながらの堆肥作りをそのまま今やれるものではない。もし廃棄物を野積みにでもすれば、また不法投棄だと言われて公害の原因になると騒がれてしまいます。

・そこで改めて、堆肥のことを勉強してみようと農家を歩いてみたのです。「堆肥とはどういうものか」と聞いて回っているうちに、ある古い農家で、跡継ぎもいなくて堆肥がそのままになっているのを見ました。その堆肥のすその種が飛んで来てものすごく生育していました。私は聞きました。

・四九頁・


・「あれ、堆肥でしょう?

・「ああ、そうだよ」

・「あれぐらいになるまで、何年かかるんですか?

○「四年か五年ぐらいだね」

・そうか、あんなふうに、種をまいて芽が出るほどになればいいんだなと、その時私は何かを直感しました。

・その四年、五年の間の過程を農家からいろいろ聞き出しました。ふつう農家では、農産物の収穫時期に出る残渣物や、盆とか正月とか祭りとかに家から出る残渣物を積んで、それに節、つまり季節のかわりめごとに糞尿をかけて、その度に切り返し”をしていました。しかし、発酵分解が毎日毎日続いて四年、五年もかかるようでは時間がかかって仕方がない。で、さらに聞いてみますと、どうやら残渣物を積み上げて湯気が立ってくる時に発酵分解が行われているのです。

・それも年中湯気が立っているわけではなく、節ごとに切り返しをやると何日かして湯気が立つ。そして次の時期が来るまでは湯気はおさまってる。休んでいるのです。じゃあ、何回ぐらい湯気が立つのかと聞いてみても農家の人は、そのへんはあやふやで、はっきりした事が聞けません。

五〇頁


・ただ、よく調べてみますと、節ごと混ぜ物をして切り返すと湯気が立つ。それは春夏秋冬ですから、年に四回。五年で二〇になります。完全な堆肥ができ上がるまでに二〇回湯気が立つわけです。

 

・現在、有機農家などで使われている堆肥は、秋に仕込んで、翌年の春にはもう田畑に入れてしまうというやり方です。これでは完熟にはほど遠い。生の状態同然で、まだ廃棄物と言っていい。ですから、田畑で急激に発酵が進むと苗の根腐れがしたり、作物の立ち枯などが生じるのです。あれは完全な堆肥ではありません。

・それにしても春夏秋冬、季節のリズムに従ってやっておれば、自ずと堆肥ができ上がっている。その自然の摂理の妙に改めて感心しました。四季のある日本というすばらしい国に住まわせてもらっている有難さも感じました。

・さて、積み上げて切り返しをして何日間か経つと湯気が立つことはわかりましたが、次に知りたかったのは、では「いつ、どうやって湯気が立つのかということです。どんな 条件になった時に湯気は立のか。

・半日でも一日でも湯気が立つのを待っていて、「間もなく湯気が立つぞ」と言われて飛んで行って見ていますと、積み上げて混ぜ返して、ぼうっと湯気が上がってくる条件などというものは、それはとても人間のなせる業ではないと思いました。

・五一頁・


・水分が多くて水が垂れているような時は発酵はしない。それがおさまって何時間が過ぎると、乾いて来て、ある時突然に湯気が立って来るのです。その条件の微妙さというのは、学者が水分何%でどうのこうのと言いますけれど、現実には神業的な現象なのです。そういう条件を作ることは人間にはできないのではないかと私は思いました。

・しかし、湯気が立つのは、その積み上げ方にもよりますが、ぼうっと湯気が立って頂点 に達するのは一日ぐらいです。二日目にはもうそれほどではなくなっています。ですから発酵分解している時間というのは約一日間です。あとは次の切り返しまで休んでいるわけです。それを休みなく二〇回湯気を立てさせ続けることができれば、単純計算で二〇日で完全な堆肥ができることになります。 これを具体化すればいいのだと、私は思いました。

・はじめはとても「つくれないのでは」と思っていた条件についても、ある時「放っておいても自然にそういう条件になることがあるんだ」と人に言われて、そうか、人間がつくろうとするのではなく、そういうふうになるように仕組めばいいのだと気づいたのです。朝仕込めば夕方までに、夕方仕込めば翌朝までに湯気が立つように仕組んでいけば、二〇日で堆肥ができ上がるのでは?

・ところで、この神業とも言うべき湯気の立つ瞬間の現象に関して、観察中に気づいたこがあったのです。

・第二章 有機物は廃棄物ではない生ゴミは資源だ

五二頁


・それはどういうことかと言いますと、堆肥にびびたにかけられたし尿がわらなどの積んだものを濡らして溜まっているのですが、見たところ昨日も今日も変わらなかったのが、ある時期に来て、そのわらや積み上げられたものがスーッと乾いた時があったのです。内部はまだ濡れているのですが、その時点から急に湯気が立ち始めたのです。これはどういうことなんだろうと思いました。乾き始めたのに中に水分がまっているのはなぜなんだろう?

・その時、ふと思い出したのは、学校の理科の実験でやったことのある毛細管現象のことでした。狭い隙間に本分が溜まっている。まさに毛細管現象で溜まっているのです。もしこの水分を取り除くことができれば、その部分から発酵が始まるのではないか、と気づいたのです。

・これだと思いました。しかしこれぞ人間のなせる業ではないのです。要は、いい加減に混ぜた物を発酵槽に入れたなら、できるだけ早く水分を抜いて発酵に必要な条件が保たれるようにすればいいわけです。そのためにはどうすればいいのか。

・毛細管現象というのは、ある程度の隙間があればこそ、表面張力で水分を保つのですから、そこへ空気を送ってやればいい。空気は上に登って、毛細管現象を保てなくなった水が落ちる。これを私は空気と水のすれ違い現象と名づけました。そうなれば自然の法則に基づいた発酵の条件が自ずからでき上がるはずだ、と私は確信したのです。

・五三頁・

・空気を送り込むことによって水分を抜く。これは画期的な発想でした。まさにこのプラントの特許の一部を成していると言っていいと思います。

・この原理を身近な例でわかりやすく言えば、濡れた二枚のガラスをぴたっと合わせます容易なことでは引き離せません。そこへちょっとでも空気が入れば、その瞬間に水が落ちてあっという間に二枚のガラスは離れてしまいます。 この簡単なことを堆肥の発酵の現場に応用することを思いついただけなのです。

・ただし、発酵に関わることですから、投入口付近の下からどの様な空気をどれくらい、どの角度から入れたらどうなるかということが大事です。この点は、すでに浄化槽の維持管理の永年の経験がありますから、空気とは何ぞや、バクテリアとは何ぞやということで わかっています。

・たとえば浄化槽についても、一般のメーカーさんは、デフューザーで下からできるだけ細かい気泡を出せば水に酸素を溶け込ませることができると宣伝していますが、空気というものは水の中でかたまってしまう傾向がありますから、酸素が溶け込むことはほとんど あり得ないのです。逆に、水は空気中ではばらばらに散らばる性質を持っています。霧状になります。ですから、大きな気泡の方が水面に上がった時に水を広く散らばせ酸素を十 分含ませることができるのです。逆なのです。

第二章 有機物は廃棄物ではない生ゴミは資源 69・五四頁


・私の思いついたすれ違い現象など考えもせず。ただ熱を送り込んで乾燥させようとします。重油をたいて温めた空気を加えるわけですから、バクテリアも寄ってこないし、棲める環境でもなくなってしまいます。そうでなければ、自然に水が落ちるしかないのです。

・固体発酵には基本として成分と温度の三つが必要なのですが、これがどういう条件のもとで、どういう状態になるかがポイントになります。下水汚泥などの業物の脱水装置を使って絞ってもせいぜい水分八二%程度。このプラントでは八五%で投入しても発酵分解できますが、とにかく水を沢山含んでいるわけです。このいかに発酵に適するする程度まで落とすかが大問題なのです。

・どこのメーカーの発酵空気を下から送っていますけれど、どんな空気をどのくらい。どの様に出すかは、何も考えられていません。空気や水はパイプにつながってさえおればどこにでも送り込めるという考え方しかないのです。ですから、汚泥等の廃棄物を入れた、 その積み重ねの隙間からすれ違い現象で水が落ちて行くなんて、とても信じられないというわけです。

・のんびりと時間をかけて堆肥を作っていた昔の農家と今の農家を比べてみますと、高度成長期とともに農家でも米も野菜も買って食べる時代になってきました。

・五五頁・


・それは、米は米、野菜は野菜、果物は果物というように、農家が専門職になってしまったからです。まして一般社会は、商業でも工業でもサービス業でも、あらゆる業界で専門化、現代化が進んでいる。この状況の中で、自然界の力をどのように組み合わせていけば、この堆肥作りはうまくいくのかが私の課題だったのです。

・村田町から東北約七キロに菅生(ずいごう)という所があるのですが、そこに私の祖父の実家がありました。子どもの頃、そこへ行くのにバスもなく、歩いている人は草鞋をはき、雪の日はわらとぼろ切れを混ぜて編んだつまごというものをはいていました。 おにぎりを持って半日かけて歩いて行ったのです。自転車なんかを見ると、ああ、すごいなあという感じでした。いつの時代のことかと思われますが、昭和二〇年代の終り頃です。

・実家では米問屋をやっていましたから、運搬車輌とか馬車がありましたが、一般では流通というものがなく、今のように農家にまで車で野菜と肉を売りに来るという時代ではなかった。一般では流通というものがなく、一農家で自給自足していました。魚といえば川に獲りに行く、鳥といえば山鳥を獲ってくる。また、貝とかカニとか、タヌキやキツネもいました。それらを全部自分の所で解体してきして煮炊きして食べていました。どの家庭でも、山に入って枯れ葉や枯れ枝を集めてきて川原でやったものです。そしてその残滓物のすべてとなって土に戻っていったのです。

55 第二章 55・五六頁


・海辺でも山の端でも、皆が同じように生活できました。

・ところが今、そういうことが一軒できるでしょう。何もできません。何も揃いません。でも、昔の生活と同じ条件がなければ本来人間は食生活ができないはずです。にもかかわらず、食卓の上に昔以上に揃っているのです。それを作っているのは家庭ではなく、専門の食品加工業者たちなのです。

・結局、皆自分でやっていることしか見なくなった。それが自然界の力を貸してもらえない世の中になったということです。最後の食卓の所だけ辻褄を合わせているわけですが、 肝心の生活では何も辻褄が合っていないのです。全体としての命がないがしろにされている。そこを理解しない限り、命の方程式は解けてこないのです。

21279% 3/27・五七頁・


ハザカプラント・・ 生みの闘い

・いよいよ、あと一年の期限も迫り、栗林に代る目ぼしい処理場も見つからずにいた最中に、私の中に堆肥からの発想に基づく全く新しい 《発酵分解槽》の構想が生まれました。

・そして、以前に買っておいた村田町の県南衛生所有の山林を整地して、そこに独自の現代的堆肥作りのプラントをつくろうと決意したのです。

・まず、建設費の二億円余は八方手を回してなんとか銀行から借金できたのですが、次にまた行政の許認可の問題につき当たりました。もともと県南衛生を潰そうとかかった行政ですから、また新しい方法でやろうとしても受けつけようとしないのです。

・図面を書いて保健所の担当課へ申請書を提出したのですが、その申請書には、「この施設で処理できる廃棄物の種類は何々であるか。法律では廃棄物を一九項目に分けているが(「廃掃法」施行令第二条)、そのうちの何を、どこで、どのように処理できるのか」という質問の欄がありました。その答えに、「遅かれ早かれ、土に戻るものは全て処理できる」と書いたら、一種類ですら処理するのが難しいのに、全部まとめて処理できるなんてできっこないよ」といじめられました。

五八頁


・さらに「この形、方法で、なぜあなたの扱っているいろんな廃棄物を分解して土になるのですか。学問的付けを示してください」とか、「予備的に小さなプラントをつくって実験してみてからにしてください」とか言われました。

・私には学問はありませんし、また学問でそれをつくろうとしたのでもありません。ですから、学問的裏付けなんかできるわけがない。実験といっても、実験できるような規模ではありません。 「昔から行われてきたことです。「昔はそうやってあらゆる廃棄物を土に戻 していたのです」とくり返すしかありませんでした。

・昔から造られてきた味噌、醤油、酒などの発酵食品は学問的裏付けがあって造られたものでしょうか。学問的裏付けなしに、長い伝統の中で自然の摂理に従って、その造り方が受け継がれてきたのです。巨大産業である発酵ですら、まだまだ未解明の部分がたくさんあります。まして廃棄物の堆肥化という固体発酵の微生物のメカニズムは全く未知の分野で、これが解明されたらノーベル賞ものだそうです。

・こんなやりとりを何度もくり返した後、書類の書き方も教えてくれない、許可もくれな 保健所の担当課長は、さんざん渋ったあげく、最終的に、八四〇〇〇平方メートルの敷地の境界から一キロメートル圏内の地主の同意の判ってくれば受けつけようと言ったのです。

・五九頁・


・そんな法律はなかったのです。居住者ではなく地主の判ですから、遠くにいる不在地主の所まで行かなくてはならない。全部で一三〇余軒もありました。期限も後何ヶ月しかないという時に、泣く泣く一軒一軒回りました。一ヶ月以上もかかりました。

・どこに行っても、必ず「匂いは大丈夫か、汚水は絶対出ないか」と聞かれました。私は正直に誠意をもって答えました。

・「絶対とか完全とか言われると自信はありませんが、公共事業だって、下水道だって、ゴミ焼却場だって、し尿処理場だって、何十億何百億かけても、必ず匂いもするし、状態が悪いと垂れ流しをやっています。そういう中で民間企業がこういうことをやろうとする場合、絶対大丈夫かと言われた時、いつ地震があるかもしれないし、台風や大雨で崩れることもあるかもしれない。そんな時に絶対人様に迷惑をかけないという約束はできない。 ただし、私が今やろうとしているのは、ご先祖様が何千年もの昔からやってきた土作り、推肥作りを現代的な方法で実施することです。

・私の気持ちとしては、人に迷惑をかけてまで自分の利を押し通そうとは思っていません。小川も汚染されなかったような昔のやり方を現代的にやろうとしているわけだから、間違いはないと思うけれど、絶対完全は約束で きません」と。

第二章 有機物は廃棄物ではない..生ゴミは資源だ六〇頁


・「そういうふうに言われればわかるな。あなたも正直だなあ、絶対完全なんかいよね」

・「そのためにも、この山をまわりの人たちが見張っていてくれて、間違いが起きそうになったら教えてください。その時は、どこよりもいの一番に駆けつけて迷惑をかけない対策を取ります。その自信はあります。ですから、間違いを無くするよう皆で見ていてほしいんです」

・すべての地主さんが判を何をついてくれました。

・私は申請書一三〇余枚と地図までつけて持って行きました。ところが、保健所では、私が本当に判を貰ってくるなんて夢にも思っていなかったのです。担当課長はいいました。

・「ほんとに貰って来たの?

・「ええ、一三〇枚、ここにあります」

・彼は横目で書類を見ながら、

・「これを受け取っていいものか悪いものかの本庁の方に問い合わせてみないとわからないね」

・ふざけるなと私は思わず怒鳴りました。

・六一頁・


・「あんたが判を貰って来たら受け取ると言ったんだ!

・「そんなこと言ったかもしれないけれど、やはり受け取るためには本庁の了解を得ないと・・」

・「法律で出しなさいと言うのに対して出すものを出したんだ。おまけにこんな余分なものまであんたの指導で集めて来たんだ。そのあげくに受け取っても貰えないなんて、そんな馬鹿な話があるか!

・私は脳天に血がカーッとのぼってしまいました。 持って来た書類を全部あたりにぶん投げました。

・「法律違反しているのは俺じゃないからな。お前たちだからな。俺は俺のお客さんを守るために俺の施設をつくる!お前らの了解なんかいらない!

・業者に頼むと迷惑もかかるし、お金も要るので、手持ちの重機、ブルドーザーでもって自分たちの手ですぐ山の整地開発を始めました。

・村田町の南六、七キロにある隣りのO町の合同庁舎からこの山が真正面に見えます。その農林土木課の窓から職員が我々の作業する姿を見つけて、「あれは何だ!!」ということで大騒ぎになりました。四日ほどすると、県庁の職員をはじめ、村田町、保健所の職員や開発に係わる土木課から農林課など、もろもろの課の職員たちが皆そろって山に登って来ました。

六一頁・六二頁

・ブルドーザーに乗った私は、取り囲む職員らに目もくれず、アクセルをいっぱい踏んでですごい勢いで作業を続けました。今ルドーザーの行く先々にがわーっと集まって、両手を広げて口々に「ストップ、ストップ!」と叫んで止めようとします。

・こんな一人や二人殺したってどうってこともない。何かあってマスコミが騒いだって。なぜこうなったかの理由がこちらにはちゃんとあると、バリバリビリビリ続けました。そでもあんまり奴らがうるさいので、一時間ほどしてエンジンを止め、

・「何か用かい?

・開発許可をもらってやっているのか、これは法律違反じゃないのか?

・「やかましい、この馬鹿野郎!てめぇたちは法律がどうのこうのと言っているが、この土地へ誰の許可をもらって入って来たんだ!俺の土地だぞ、ここは不法侵入だぞ。お前たちは法律違反ばかりやったその上にまた違反すっのか」

・「法律違反はあんただ」

・「何を言う。俺は法律に基づいて、何百万も費用をかけて図面を描いてもらって開発許可の申請書を出そうとしたのに、受けつけようとしなかったのがお前たちじゃないのか!

・「そ、それはどこへ出したんだ」

・「保健所だ」

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・すると、土木課や農林課の職員たちが口々に、 「そんな法律があるのにどうして受け取らなかったんだ。なぜ受け取って検討しないんだ」と逆に保健所が吊し上げられる恰好になってしまいました。

・結局、開発許可は地元の町から始めて本庁の方へ上げていくんだということで、次には申請書を町に出したのですが、今度は町の方で渋って、ああだこうだと言って二ヶ月経ってもなかなか進まない。しびれを切らして、私は直接本庁に話しに行きました。そこでもさっぱりらちがあかず、また町に戻されたりして、何度も本庁との間をたらい回しにされたのです。こちらはもう時間が無いのです。どう転んでも何らかの形で潰される話だったようです。

・最後に私は本庁の環境調査課で、「もうあんたらには頼まない」と言ってドアをびしゃっと閉めると、あとは知事に会うしかないなと思いました。ところがその日はあいにく知事は不在でした。そこで副知事の部屋をのぞいてみますと、ちょうどその時在室していました。

・その前に秘書の人が何人かいて、私に「何時の面会予定ですか?約束はとっておられますか?」と聞くから、「そんなものあるわけないだろ」

・「今、お客さんなんです」

生ゴミは資源だ

 163 第二章 有機物は廃物ではない。


六四頁


・「そんな客より私の方がよっぽど大事なんだから取り次いでくれ」

・「それはできません」

・私はかまわずどんどん部屋に入って行きました。

・「ちょっと、それは困ります」

・「困るんなら隣の県警でも何でも呼んでこい」

・部屋にいたお客もびっくりしていました。私は傍に立ってしばらく話を聞いていましたが、ろくな話をしていませんから、「あんた方の話より私の話のほうがずっと大事だから。ちょっと席をはずしてくれませんか」

・私のすごい剣幕に、お客は早々に退散しました。

 ・それから一時間半、副知事にめんめんと泣きながら私はこれまでの経緯を話し、談判しました。

・「あなた方は、県の職員に一体どんな教育をしてるんですか」と言ったのです。

・いろいろ話した後に、「わかりました」と副知事は頷いて、総務部長を呼びました。部長「最終的には私の部も係わりますが、まず一番の窓口は環境調査課です」との答えに、今度は局長が呼ばれ、副知事は局長にこう言ったのです。

・六五頁・


・「これはやくさまがいの、金を出せのどうのこうのという問題じゃない。若い者がこれだけ必死の思いでやろうとしていることに対して、なぜ正しい指導をしてやれないんだ。駄目なら駄目でちゃんと指導するのがお前たちの務めじゃないか」

・さらっと言った副知事のこの言葉で、事態は一挙に急転してしまいました。今まで反対だけしていたのに対して、これからは正しく指導してやらないと自分たちの首の方が危くなるからです。

・しかし、直談判した後でも、町の意見書がなかなか出て来ないので、県の方では、産業廃棄物処理施設の設置に関する許可は県の管轄「廃掃法」「一五条)だから、町から意見書が出なくても、こちらで許可を出すと町に言って来ました。

・私は町長に会いに町役場に行きました。私の姿を見て、用ありげに逃げ出そうとする町長をとっまえて町長室に引き戻しました。

・「なぜこちらから意見書を出さないんです?町には出す義務があるんじゃないですか?

・「いや、県の人から意見書は書かないでくれと言ってきたから出さないでいる」

・で、私はすぐその場から本庁に電話して、言ったという人を名指しで呼び出して聞くと、 「いえ、とんでもない、そんなこと私は決して言っておりません。ほんとです」

六六頁


・「ほら町長、そんなこと言ってないって」

・と受話器を町長に渡しました 。

・私に問い詰められた末、やっと町長意見書を書くことに同意しました。ところが、その書き上げた意見書ときたら、全く冗長極まる文章で書き綴ってありますから、たまりかねて、

・「こんな、ごちゃごちゃ書いとったら、県から意見書の書き方も知らんのかと笑われるよ」

・「じゃあ、どんなふうに書いたらいい?

・「どんなふうにって!」私は呆れました。

・「いろいろ調査した結果、すべての面について全く問題なしと簡潔に町長の意見として一筆書けばいいんじゃないの」

・「ではそのように書きましょうか」

・その意見書の方に持って行きますと、県では、「すべて問題なしと言うんだったら、今までごたごたやっておったのは、あれは一体何だったんだ!!と言いました。こうしてようやくプラント設置の許可が下りることになったのです。

・六七頁・


・その六年後の平成三年に廃掃法の法律改正があって、本庁でもそれにそった指導要綱が作られました。それを見ますと、産廃物処理施設の設置許可を得るには、隣接する土地の所有者及び居住者の全員、及び施設敷地から三〇〇メートル以内の区域内の居住者の三分の二以上、放流水がある場合にはおおむね五〇〇メートル以内の利水権者の全員の同意の判があればよろしい、となっていました。うちの場合、それはたった七軒ですむことでした。

・この法律改正を受けて、県南衛生工業では、発酵槽二四レーン、汚水汚泥処理能力一日一〇八〇トン、日本最大の発酵処理場に拡張するための許認可を取りました。

六八頁


・最初の高速発酵堆肥化処理の開始

・前にも言いましたように、湯気が立って発酵分解が起こってくる現象というのは神業的で、そういう条件をつくることは人間業では到底できません。それで、無駄な抵抗は一切やめて、自然にその条件になるように仕組んだらいいのではないかということに気づいたのでした。温度とか水分とか成分とか、いろんな要素をその条件になるように仕組むことです。そして、そのために私がつくった発酵槽が、幅三メートル、深き二メートル、長さ一〇〇メートルのレーン方式のものだったのです。

・この大きさの設計上の根拠は数学的な計算によるものではなく、自分自身で感じた「私の感じ」で決めました。神業が行われるのは、112の世界ではないからです。1+1が5ぐらいものでないとうまくいかないと感じたのです。

・最初にできたのが二棟四レーンのプラントでした。今でこそ、平成七年九月に研究所や車庫棟と共に落成した本社新社屋が、それは光輝く半ドーム状の建築物を伴って建っているので、初めて見る人には何が宇宙基地の一種のように思われるかもしれません。

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・またこの山上に至る道の両側には、一千本ものしだれ桜をはじめ、コスモスやなどいろんな植物がプラントから作り出された土に植わって花を咲かせていて、登って来る人の目を 楽しませていますが、当初は整地されたばかりの所に建つ簡素なバラック社屋だけでした。

・一方プラントの方は今も変わりなく毎日二回 一〇〇メートルの長さのコンクリートレーン(発酵槽)の上をキャタピラー方式の撹拌機がゆっくりと動いて廃棄物を、攪拌、切り返しており、その周辺からもうもうと湯気が立ちのぼっています。

・一 見してシンプルなものですから、こんな所で廃棄物が土になるまでのバクテリアの複雑で微妙で神秘的な働きが行われているとはちょっと信じられないでしょう。

・さて、このプラントで発酵分解されるものというの 。 は、地域から出る有害物質を含まないあらゆる有機性排出物です。現在は主に水産・食肉 そういなどの食品加工場からの産業廃棄物。たとえば、 製パン工場から出る製品や売れ残り製品などの、その排水施設から出る汚水汚泥 牛乳 工場から出る失敗製品や売れ残り、味噌工場や醤油工場の残渣物、汚水、汚泥。フードサービス(スーパーなどの食品の売れ残り、残渣物。

七〇頁


・食堂の沈分離槽から出る汚水、汚泥。食肉加工場を解体した時に出る血や内臓などの残物等々です。

・それに、農家の畜産農家の家畜糞尿、し尿処理場や下水処理場などの汚水、汚泥、病院の汚水処理施設から出る汚水、汚泥。また製紙工場から出る製品カスなどもあります。

・産業廃棄物と一般廃棄物の区別は、法律では、事業活動にともなって出て来た廃棄物を産業廃棄物と言い、それ以外を一般廃棄物と言うことになっていますが「廃藩法」二条)、現実にはその区別は大変いい加減です。産業廃棄物は、有害物質と有機物と無機物の三つに分けられますが、このプラントでは、有害物質を除いて、遅かれ早かれ土に戻せるものだけを扱っています。この原則を破ると私たちの命取りになります。そして、ここだけが産業廃棄物と一般廃棄物を一緒に処理できる日本で初めてのプラントです。

・さて、レーンの入口に水分調整材と混ぜあわせた廃棄物が投入されると、返送撹拌機のキャタピラーによって少しずつ後ろへ後ろへと切り返されながら送られて行きます。一回で二メートル送られ、一日二回稼働させると四メートル送られます。その間に発酵分解が連続的に行われて、二〇日で発酵を終わらせるためにはレーンは八〇メートルあればいいわけです。

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・ただし、これは私がやればの場合ですが、ふつうの職員ですと一日、二日湯気が立たなかったということが起こり、「これでは堆肥が不完熟です」と言われたのでは信用問題になりますから、五日間の余裕をみたのが一〇〇メートルの長さなのです。幅が三メートルというのは、ただ撹拌機のシャフトの経済効率から決まったことです。

・ふつうのし尿処理場では何十億円もかけた装置で水を加えて量を増やし、薄めてきれいな水にして流していると言っていますが、山から出てくるような清水には絶対なりません。昔の堆肥作りには、脱水装置もなかったけれど、流れ出して小川を汚染することもなく、小川は今よりもきれいで公害もなかった。それと同じように、このレーンでは、汚水は薄めたりしないでそのまままた廃棄物の上に撒いてしまうので、バクテリアの働きによる発酵熱によって蒸発してしまい、排水なしです。昔の堆肥作りがそうだったように、ここで

は固形物も処理できれば、液体も処理できるわけです。

・自然の摂理に従っていて、どこよりも経費が安く、設備費も安く、どこよりも処理能力があって、何でも処理できて、処理期間も短い。そうして種をまけば芽が出る命ある土ができてくるのが、このプラントです。

・レーンの深さを三メートルにしたのも、私が堆肥を観察していた時に気づいたことで、発酵してくるには一間(約一・八メートル)の高さに積まれていなければいけない。一間以下だと私は絶が起こらないのです。

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・その理屈はわかっていませんが、古来、日本全国どこでも北海道から沖縄まで、堆肥の積み上げの高さは一間だそうです。東京農業大学教での小泉武夫先生によれば、中国四千年の酒造りの歴史の中で、固体発酵法というのがあり、蒸しなどを土の中に埋めて発酵させるのだそうですが、埋める穴のどの地方でもおよそ二メートルだということです。

・発酵槽には、前に述べたように食品加工場から出る残渣物、あるいは浄化槽の汚泥とか、汚水処理場の脱水汚泥など、毒の入っていないあらゆる有機性廃出物が投入されます。そして一日たつと、二メートル底は発熱で八〇度近い温度になっています。表面でも一〇 センチ下は五〇度ぐらいです。 この温度が一〇日間くらい続きますので、水分の蒸発が激しく、乾燥してきて表面が白っぽくなり、そのまま放っておくと砂漠状態になってしまい ます。この中間地点あたりではまだ有機物の分解のものが残っていますから、この状態で乾燥したものを畑に入れると、水を吸ってまた熱を出し、害になる。ですから、このあたりから水を撒きます。その水も、水道水だと金がかかるから、液状の廃出物、たとえばし尿、家畜の尿、屠殺場の血液、廃油、牛乳、ジュース、コーラなどの期限切れのもの腐ったものを原液のまま撒きます。

・こうしたものを処分するには、水処理施設をもって一定の基準の中で浄化して放流しなければならないという法律があります(「水質汚濁防止法」参照)

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・この処理には施設費から維持費から大変な費用を要します。ここではその施設が要らないわけです。そして、もっと大事なことは、この発酵槽があると汚水が出ないということです。水処理施設も兼ねているからです。

・乾燥してきた所に水分補給としてそういう汚水などを撒きますと、私たちは「飲みこむ」と言っているのですが、一〇センチも浸透しません。これらの液状物はBOD濃度が高く、発酵にとってものすごい能力を発揮するのです。まるで人間が飲むドリンク剤みたいなものです。 そういう撒布するための液状物の貯留槽も用意されています。

・「そんなことができるわけがない」とプラントの能力を疑った県の担当係員が、イカの腑とかタラ子の腐ったものとか、県の廃物を運んできて本業開始前にテストしたことがあります。イカの腑やタラ子は脱水処理もできないし、水処理もできません。それらは投入から五〇メートルあたりの二次発酵地点に撤布することできれいに跡形もなくなってしまいました。それにもかかわらず、脱水機を設置しなければプラントの使用を許可しないと言いますから、一日一〇〇トンの処理能力を持つ脱水機をつけましたが、全然使っていません。 今はくもの巣がっています。

・またこんなこともありました。発電所では海水を冷却水に使っていますが、その水路にフジツボなどの貝殻がたくさん付着して、その処理に困っています。

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・あの固い殻でも、ここではきれいに処理できます。東京電力の人が「そんな馬鹿なことができるわけがない」と言いますから、「じゃあ、テストしてみましょう」と、腐った身の入った臭い貝殻を大量にダンプに積んでプラントに運び込みました。あまりにも匂いがすごいので、先方は、運ぶときに匂いはないか、水は流れ出ないかと心配しましたが、私の所のダンプは独自に開発しても匂いも全く出ないように油圧できちっと密閉されていますから、その心配はありません。ちょっとでも匂いが出たりしたら、廃棄物など運べません。運んで来てプラントでできた堆肥に混ぜ込んだら、たちまち匂いは消えてしまいました。電力会社の人は驚いて、携帯電話で「匂いが消えました!と本社に報告し、それから一五日間、ブラントに泊り込みで写真を撮りながら記録していましたが、一週間もたたぬうちに貝殻は全部消えて無くなったのでした。

・こうして入口から八〇メートルくらいの所に来ますと、湯気が出なくなって発酵終り、完全な堆肥になっています。この最終の土には一グラム中、一〇億の土壌有効バクテリア が含まれていますが、それに至るまで、投入口附近に始まって一〇メートル地点、五〇メートル地点、七〇メートル地点あたりでそれぞれバクテリアの種類の相の転換が行われて発酵分解が進行しているわけです。の流れの科学的解明はまだなされておりません。

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・一晩のうちに発酵菌が繁殖し、日を追って集まる菌の種類が変わり、投入物を次々と分解して最終的に土壌有効バクテリアに変わる。この流れの「学問的裏付け」をするために、後に樋浦康一郎農学博士を迎えて研究所もつくりました。

・レーンの終点である一〇〇メートル地点にはストッパーがあり、その下にホッパーが設置されて横付けにされたトラックの荷台に完全な堆肥になった土が落ちるようになっています。

・そしてできた堆肥の品質管理は、次の二点で行っています。一つは、この土にキュウリヤナスの種をまきます。 発芽してくることが条件です。 二つは、土を外に積み上げて水をかけます。そのままにしておいてももう湯気が出てこないかどうかを見ます。つまり完熟しているかどうかです。

・どれほど入口での豚の脚とか内臓とか骨とかの動物質を入れても、窒素成分は最終的にはすべてアンモニアとして気化し、一%以下になっています。ですから、匂いも林の中の落ち葉の土、土のような自然な土の匂いがしています。

・それと、家庭の生ゴミに含まれているビニール袋やプラスチックやガラス片も、バクテ リアが食わないものとして残ってきて、表面に付着していた有機物はきれいに食われていますから、クリーニングされたような恰好で振り分けも簡単です。 ビニールなどはこのまますぐに原料化できます。

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・ですから、家庭生ゴミも大変な費用をかけていたり埋めたりする必要はなく、このプラントに放り込むだけで処理できるのです。

・このブラントからは煙も出ません。汚水も出ません。出るのは完熟したミネラル分 土壌有効バクテリアの豊かな土だけです。

・この土には雑菌はおらず。作物によい土壌有効バクテリアがグラム中に一億個も入っています。 ふつう売っている土壌菌は一グラム中二、三万個です。水分検査する時、ちょっと指を入れただけで大腸菌がうようよしますが、この土の場合、手で運んでも、分析すると大腸菌は百分の一に減っています。土壌菌に食いつくされるのです。ですから傷をしてもこの土で膿んだりはしません。ペニシリンと同じ種類だからだそうです。人間に害を及ぼす菌のほとんどは、四〇度以上になると死んでゆきます。発酵中は六、七〇 度まで上がるから、全く殺菌されてしまうのです。ですから発酵には蠅もいません。

・山の腐葉土が一センチできるのに一〇〇年かかると言います。そこへ種が落ちて芽が出る。この一〇〇年の歴史をここでは二五日間でやっているわけです。

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・さて、一〇〇メートルのレーンが四本、最初に設置されたわけですが、撹拌機にしても初めから完全なものではなかったのです。

・既存の機械でも梅田式とか浜田式とかがあったのですが、選んだ末に梅田式をつけました。ところが、いざ動かしてみると、能書きと実際とは違いました。

・わらとか木とかを撹拌する程度のものでしたから、チェーンにして モーターにしても、空気を撹拌するぐらいなら動くという代物。チェーンが切たのハネが曲ったの、シャフトが折れたのといろんな問題が毎日のように起こりました。チェーンは一日一回必ず切れるか動かなくなって、それを修繕するのに大抵夜中までかかりました。それの繰り返しでした。それで、チェーンとは一体何なのだ? どんなメーカーがあるんだ? と、いろいろ調べたり研究したり見本を取り寄せたりで、入ってきたお金はそれに注ぎ込む一方でした。

・毎日々々修理にふり回されて、メインである外の仕事もろくにできなくなって、ちょうど一年くらい経った頃でした。私と同年輩で気が良くて真面目で、仕事を一生懸命やって いてくれた同僚が、連日の疲労の蓄積もあったのでしょう、撹拌機の試運転操作中にキャタピラーの上に落ちて命を亡くしてしまったのです。何をやらせても器用な人でした。こ の時も、これでもう会社は終りだと私は思ったものでした。

・その後もチェーンの工夫を重ねて、日立をはじめ、いろんなメーカーのものを試したりして、試行錯誤の末にかなりの強度をもつチェーンができるようになりました。

・その頃になって、また保健所がやって来て、匂いがひどいと警告してきたのです。たしきついものでしたが、外に溢れて出て迷惑をかけるほどではありませんでした。

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・ところが検査に来た人が中に入ってみて臭いので、これが風の向き次第では飛んで行って匂いがすると、また保健所からいびられたのです。脱臭剤を使えとか脱臭装置設置しろとか。しかし、公害防止協定で決められている境界での臭気強度1・8を超えるものではありませんでした。

・それにしてもレーンのそばでは体にみえるほどの匂いの毎日でしたから、外にも出かけられない。 堆肥作りとはこんなに匂いのするものだったのか。それでまた、農家の人たちに聞いて回ったのです昔の堆肥は人家のすぐそばにあったけれど、匂いはしなかったと言います。よく聞いてみると、やはり匂いを消すものがあったのです。切り返した時は白いがしますが、すぐ匂いが消える。何かをかけていたと言うのです。

・考えてみますと、今は燃料といえば石油とかガスになっていますが、昔はとかが何らかの形で堆肥に入っていたはずです。ああいうものも条件の一つじゃないかということである焼却場の灰を手に入れて、それを混ぜ込んで、空気の量などもいろいろ勘案してやっていると、ある日突然匂いがパッと消えたのです。あ、やっぱりこれだったんだと。

・思い出してみると、昔は座敷に転がった猫の糞に灰をかけて丸めて掃き捨てていました。それで匂いは簡単に消えたのです。雑布でこすったって匂いは消えはしません。「廃出物は廃物をもって制す」。

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・・これもまた神様の仕組まれたことなんだなと思いました。匂いがい突然消えたのには、保健所の職員も一体何をしたんだとびっくりしていました。

・村田町の家畜糞尿の量は、町の人口の一〇倍以上の量が毎日出ています。その処理がほとんど野放し状態になっています。ある時、村の人たちが田畑の中が臭くなったと騒ぎ立てたので、その匂いは我々のプラントが原因じゃないのかと、保健所が言ってきました。

・・行って匂いを嗅いでみると、プラントのものじゃないことがはっきりしました。「そんなはずがない」と保健所は言い張ります。で、源を辿って行って、出所は養豚場であることをつきとめました。

・豚の糞尿が道端や畑に山積み放置され、悪臭ぷんぷんとしています。

・「一体、これは何ですか。こういう所については一切何も言わないで、何も出していない我々のせいにしてもらっては困る」と抗議しますと、保健所の役人は平然と答えました。

・「農家で昔からやっている分についてはいいんだ。 新しいのがいかんのだよ」

・全く、ふざけるな!とはこのことです。

・そして、汚水も出さず、匂いも出さない我々のプラントについては、「不思議だ。信じられん」としきりに首をひねり、昔の堆肥作りのやり方を知ればごく当たり前のことですよと説明しても、「いや、そんなことで匂いがとれるわけがない」と、あくまでも何か裏が隠されているかのように勘ぐってくるのです。

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・厚生省が出している「近代的処理装置」という資料にも、発酵処理施設については相当な設備が必要とされると思っているくらいですから。彼らは理解できないのでしょう。それどころか、今現在でも全国の発酵処理施設に関する公のデータには、宮城県は施設0になっています。

・日本最大の施設であるこのプラントが全く無視されているのです。

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バクテリアの逆襲

・ある年のこと、O町のS養豚場の社長が私を訪ねて来ました。相談があると言うので聞いてみますと、養豚場の糞尿の垂れ流しで警察にあげられ、これからどんな施設をつくっでも排水をしてはならんと言い渡されたというのです。五千頭の豚を飼育しているS社長は、元来勉強家で、アメリカあたりの養豚技術まで研究した人です。この社長が、いろん 施設を見てもあまりいいものがないのでどうしようと悩んでいる時に、このプラントの ことを聞いて見学に来たのです。発酵槽を見たとたん、叫びました。「これだ! 灯台下暗しとはこのことだ。これと同じものをぜひつくってくれませんか!

・私はブラント業者でもなかったし、またその頃は特許などということも言いたくなかっ たので、「そんなにつくりたいのなら、応援してあげよう。 図面を描いてあげるから、気に入った業者に頼んでつくってもらいなさい」と答えました。

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・それでできたのが、五千頭の豚の糞尿処理施設で、排水なしでした。毎日、豚の糞7トンと尿を一〇トン処理します。土地がなくて、レーンの長さが六五メートルですから、完熟堆肥にはなりませんが、水は出ず、最も少なくなりますから、それでいいということでした。糞は水分八五%以下のものだったら一〇〜20トンは処理できます。尿が多いので、これは例によって途中で散布して処理します。できた堆肥は、元に戻して糞と混ぜ、水分調整材として入れてまた撹拌すればいいわけです。

S養豚場は順調に処理を続けているように見えましたが、ある時突然発酵がストップしてしまいの中はごたごたの混乱状態に陥りました。助けを求めて来たので行ってみますと、すぐ原因がわかりました。S社長は、もっと処理できる、もっと処理できると、どんどん頭数を増やしていったのです。千頭近く増やした頃までは何とか保っていたのが、ある限度に達した時、一気にレーンの端から端までごたごたになって発酵が止まってしまったのです。

・バクテリアというのは、前にも言いましたように、絶対と言っていいほど人間の欲の皮のためには働きません。自分の生きる条件さえつくってもらえれば、恐ろしいまでに一生 懸命正直に働くのです。人間が欲を出したって、決してそれ以上は人間のためには働きません。私は言いました。

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・「人間が欲の皮のつ張らしたってだめだよ。いくら言ってもだめなんだね。これで終りだな。倒産だよ」

・社長は青くなっていました。それで私は自分のプラントから水分調整材を運んで調整し、ごたごたになった分は取り除いて運び去り、元の正常な状態に戻してやったのです。

・実を言うと、S養豚場の処理施設の建設は建築業者との交渉や資金繰りなどのいろいろ問題で二年もかかったのです。その二年間というもの、私は困っている社長のために養豚場から出る毎日の尿を私のプラントで処理してやっていました。バキュームカーまで彼に貸して運ばせたのです。

・ところで、ちょっと信じられないような話ですが、このプラントを真似て、全く同じ規格しかもここよりもっと立派な処理施設をつくった人たちもいました。それは、ある退職した人たちでした。 私のプラントは、誰もが真似しようと思えばできます。一般の民間人が真似してつくるのなら、まだ可愛いものです。それが役所の人間が真似してつくった。それも私が提出した申請書につけられた図面を見て、そっくり同じものをつくったのです。そんな浅ましいことがありますか。

・だけど、天の力というのは大したものです。心のない人が自分の利益のためだけにつくっ施設は、匂いはすごいは、発酵はできないは、出て来るものは生の汚物ばかり。

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・結局、処理するどころではなく、一ヶ月で操業停止になりました。

・機械は私の所より立派なものでした。初めから土台をアスファルトにして、環境美化もしっかりやって、事務所にはシャワー室から風呂場から、職員の寝泊まりできる部屋まで作っていました。結局、つくったメーカーとトラブルになって弁護士が入り、私の所へ聞に来ました。

・「なぜあの施設は発酵しないんですか?来て教えてくれませんか」

・「教えてどうする?

・「なぜこうなったのか、理由がわからないんです。それがわからないと喧嘩にもなりません」

・そこで私はひと言、言いました。

・「人を馬鹿にしてまで、自分だけいい目を見ようとする人たちの心が、バクテリアたちからは好まれなかったのではないですかね」

・心が無いとバクテリアも集まって来てくれません。大自然は力を貸してくれないのです。

・・私の話を聞いていても、私は肝心なことはみな喋っているのですが、人には欲の部分のことばかりが頭に残って、心が全く伝わっていないのです。

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・今、菌を売る商売が盛んです。「俺の菌を持っている」という微生物屋さんが、日本に四〇人くらいもいるそうです。この人たちは、この菌は俺が発見したものだから、これを勝手に使えば特許違反になると言います。私はこういう人たちに言いたいのです。私は菌を使っているのではなく、菌の方がすき好んで寄ってくるのです。だから使ってもらいたくなかったら、そういう菌には首輪でもつけて、出てこないように金庫にしまっておいて下さいとは、俺の菌じゃない、自然界の菌です。人の足元を見て自分だけいい目を見 ようとする、そういう心の人があまりにも多すぎます。

・心が無いとバクテリアも集まって来ないと言いましたが、その一つのいい例として、ブロローグで述べたA家禽があります。このプラントの建設を担当したのがM加工機の技術者でした。

・この人は大変真面目で熱心な人で、私ができ上がったところを見に行くその日に間に合わせて湯気を立たせようと一生懸命やったのですが、立ちません。バクテリアが寄って来ないのです。私が到着してもまだ立っていませんでした。秋田の気温はマイナス六度にもなります。こんな寒い所は嫌いだと言いながら、私は三〇分ほど機械を操作して、し尿をびたびたに撒いて、スイッチオンして宿に引き上げました。技術者は、こんなに水分を入れたら朝までに凍ってしまうと心配していましたが、早朝に「火事だ」という知らせで起されて行ってみますと、もうもうたる湯気でした。

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・そこでお清め式を行ったのですが、熱くてジャンパーを脱ぎすてたのでした。自然は本当に私に味方してくれて有難いことだと思いました。

・「湯気が出ないのは何が原因か」と聞かれますが、「それはたぶん心の問題じゃないです か」と答えるしかありません。機械を操作していても、心が無いからパパテリアは感じてくれないのです。 バルブの操作ひとつにしても、なぜここの所で、こういう環境では、こういう層の中にどういう空気をどのくらい出したらいいのか、それがわかりますかということです。それは計算ではありません。心の問題なのです。

・プラントに若い職員がいるのですが、機械のことは何もわからないのに感性があるのです。私の言うことを忠実に聞き入れてくれます。私の心をわかってくれるというか、電話で話しても、ここはこうやって、あそこはああやってと言うと、「はいっ」という返事がびーんと伝わって来て、何かを感じさせてくれます。バルブを何回転とか計算で回してもなかなか合わない。計算上で、このくらいの圧力でこのくらいの空気を出してやると何立方メートル出て来ると言いますが、0・何ミリ違っても、空気の質も量も変わってきます。ですから、バルブを何回転回せとは言わないで、手の感触で教えるのです。

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・音の感じがこう変わった時に止めろとか、こんな感覚でやれとか。彼がそのようにしました」と言うから、「じゃ、明日はこう変わるからな」と。すると翌日、「はい、変わりました」と言って来るのです。まるで以心伝心です。素直なのです。

・私が日頃、職員たちに言っていることは、

・「お前たちは、物を聞く、見る、諸々のことを感じるけれど、それをすぐ頭で考えようとする。それは間違いだ。聞いたこと、感じたことを、どう思ったのかをまず心に入れなさい。心に入れたものを心で受けとめて、それから頭で考えなさい。そうすれば、自然界のサイクルとして相手の思いが通じるようになる。心で受けて、頭で考えなさい」と。

・「心で聞け」ということです。

生ゴミは資源だ第二章 有機物は廃棄物ではない86頁

・税務署バキュームカー事件と銀行の当惑

・栗林と契約して三年目して六年目の春のことでした。突然税務署から五年分の税金二八〇〇万円を支払えという通知書が舞い込みました。これには私はまっ青になりまし私のことはよく知らなかったし、また税務署からも一度だって指導に来たことはありません。まるで交通違反の「ネズミ捕り」見たいなものでした。

・営業許可を貰って正々堂々と私はやっていたわけですけれど、私たちのような金のないものは、金のないときには物を買わない、ときにはものを買わない、借金すればもう駄目です。銀行からは借金しましたが、その返済は着実に払っていました。それこそ戦時中ではありませんが、「欲しがりません、勝つまでは」という信念でやってきたのです。それが、税法から見ると、儲かったから高い機械や道具をかったのでそうといいうわけですが、物を買えば金は残りません。金がないのに税金を払えというのです。それも二八〇〇万円も払えるわけがありません。

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・当時の職員二人の給料は払ってありましたからいいとして、もうこんな商売はできないと決意して、税務署には、儲かった物すべてでお納めしますといって、 銀行通帳から印鑑、機械、バキュームカーからユンボまで、全部を朝早く税務署に運び込みましたから、庭いっぱいになり、出勤してきた署員たちを仰天させました。

・私は担当者に言いました。「今、「労働基準法』や『最低賃金法』というものがあるでしょう。私の妻も必死になっていたのだから、その法に定まった最低賃金でいいからください」と。そのうちにいっぱいのバキュームカーや機械が問題化して、署員たちが「臭いし邪魔だ!何とかしろ。持っていってくれ」と口々に言ってきましたから、「じゃあ、税金は払わなくていいのか」

・「それとこれとは違う」

・「俺にとっては同じだ!

・「国民である限り、税法を知らないではすまされませんよ」

・「それじゃ、あなたは「廃棄物及び清掃に関する法律」がどんなものか知ってますか?

・「専門ではないから知りませんよ」

・「同じ法律だよあなたの小便を処理している浄化槽がみんな法律違反していることを承知しているのか」

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・と、やり合っているところへ署長が出てきて、税法というのはこういうもので、会社組織にすれば、こういうものは経費として認められるのだとか、いろいろ教えてくれました。

・筋を通して、一つ一つ教えてもらえばわかります。それで会社をつくった方がいいということになり、その方法署長が自ら教えてくれました。出資者のことから、運営資金や、税理士のことまで。こんな商売に誰が出資なんかするものかと思いましたが、それはそれなりの方法があることも教えてくれました。

・その結果、株式会社ができると、二八〇〇万円の税金が四五〇万円ですんでしまいました。

・我々弱者がいったんことを起こすときは、やはり必死です。いろいろ法律があるといっても、結局は法律以外のところで痛めつけられることがほとんどですから、報道関係や世の中に訴えるためにも、我々は表面きってなりふり構わずやります。皆に知ってもらうために、「こんな馬鹿なことをなぜやったのですか」と、報道陣が駆けつけて来るようなことをやらなければならないわけです。

・プラントを建造するに当たっては、私も銀行から金を借りました。その際に、まず原価計算をして収支試算を出してくれと言われたのですが、何億の金を借りるわけですから、採算が合うのかどうか銀行側はしつこく調べます。

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・彼らはプラントの一〇〇%稼働ではなく、八〇%ぐらいの稼働で採算性を計算します。 当時の処理料金の相場がトン当たり六〇〇〇円から七〇〇〇円だったので、それで計算したわけですが、稼働を半分にしてみても大丈夫なのです。それを見て、銀行の担当者は「こんなに儲かるんですか」と頭をかしげました。現実にそうなのだから、その通り書いて銀行に提出したら、融資を断られてしま いました。「こんなことはあり得ない。こんな儲かる商売があるか」というわけです。

・ですから、トン当たり三〇〇〇円から四〇〇〇円ぐらいにして四〇%ぐらいの稼働にすれば、向こうが納得するような数字になりました。それで一年後、二年後あたりから五〇%の稼動になって何とか採算がとれるようになるというような計算をしなおしたのです。そうしたら銀行は「うん、これならわかる。だいたい三年ぐらいで採算がとれるようになりますね」といってOKを出してくれたのです。

・さてプラントができてを始めると、銀行の人は心配して毎日のようにやって来てたずねました。

・「今日はどうだった。どれくらい入った?

・「一〇トンかな」

・「もう何ヶ月もたつのに、それぐらいの量では採算合わないんじゃないですか」

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・「銀行に支払いの金は入ってませんか?

・「いや、入ってるんだけれど、この調子では計算が合わなくなってくるんじゃないですか」

・「だから言ったでしょう。今の相場はトン六、七〇〇〇円なんだから、これぐらいで十分 やれるとそんなことはあり得ないと言ったのはあんたたちじゃないの。忙しい目をして、そんなに量を増やす必要はないんだ」

・「ああ、そうだったんですか」

と、やっと納得してくれたものです。おかげさまで、銀行からはいろいろ借金させてもらっていますが、一度たりとも返済が滞ったことはありません。

・要するにこのプラントでは、行政のやっている埋め立て処理なんかよりもずっと安い費用で処理できるわけです。相場の半分でもやっていけるのですから、どこと競合しても勝てるのです。

第三章 道具の威力……これぞ人間の智恵

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2023/07/06 10:23・点検しました。

 


究極の生ゴミ革命・バクテリアを呼ぶ男・第四章 第四章・二一世紀への窓口が見つかった!

141頁・


社会を目ざして 平成七年(95)の冬のことでした。宮崎県K市の市長が、このプラントを補助事業として市で実施するために、参議院議員でやはり宮崎県出身の大蔵委員長と農水省の構造改善局長、厚生省の担当課長、大蔵省の課長の四人を連れて見学をかねて相談にやって来ました。国の協力を得ようということでした。私はこんな機会はまたとないと思いました。こういう人たちがここに集まるということは一生に一度しかないと。

・私は本当に真剣に、涙をこぼしながら訴えたのです。

・「あなた方役人は、人の税金を使いながら本当に国民のことを考えているのですか。今までの補助事業は、九九%悪いとは言わないが、一〇〇%悪い。農水省の補助事業を貰って、おかげ様でこのようになりましたと喜んでいる所があったら教えてほしい。

・特に、糞尿処理施設のあの体たらくは何ですか。考えてもみなさい。片方では何十億何百億の施設をつくって、人間様の糞尿をきれいな水にして流してしまいましょうという下らないことをやっている。

141 第四章、142頁・2023/06/30 9:53


・それをやっても、そこに残る汚泥などの残渣物「あとどうするんですかという問題を抱えている。

・一方、家畜糞尿処理に対してはそれさえもない。家畜糞尿と人間のはどう違うんでしょう。家畜糞尿でも人間と同じ一万ppmを持っています。補助事業で言えば、三千万から五千万円の下らない家畜糞尿処理施設を考えて、役所をだまくらかしたメーカーさんがゴマンといて、それで補助事業をやるわけです。それで、ややもすると能力がないとか、能力を馬鹿にしながらも動かして、二、三年たってやっと返済が始まる時には機械が壊れて動かないとか、採算が取れないとか、いろんな問題が起こってくる。そういうことで何もかも成功している所なんてあるだろうか?

・農民は、特に産の人たちは、ただ単に垂れ流しているんじゃない。あなたたちがち んとした指導をしないから、ちゃんとしたメーカーがいないから、やむを得ず、食うためには仕方なく垂れ流さざるを得ないのです。

・そのあげくにです。今、牛乳一本一といくらか知ってますか。局長さん、どうですか?それに対して、六甲山のただの水はいくらですか? 朝から晩まで一生懸命、遊びにも行かず飼育した牛乳、六甲山のただの水より安いなんて馬鹿な話がありますか!

・補助事業で応援してやるから、たった二〇〜三〇%の返済ですむんだからお前たちそれでやれと。

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・その二〇%の返済、私から見ればうらやましい限りだけれども、たったそれだけでも返済できる余裕のある生産農家はいるのか。いるのなら教えて下さい。いるわけがない。まがいもの施設をつかまされて採算が取れない、維持できない。糞尿の処理なんて、行政が何十億何百億かけてさえ難しいのに、一百姓がどうやってそれを完璧にできるのか。ちょっと考えてみればわかるでしょう。百姓にやらせるのは無理なことです。だから一〇○%悪いと言うんです。

・それをそうでないようにする方法を教えますから、黙って聞いて下さい」と、夜中の十一時まで話しました。

・大蔵委員長は胸にバッジをつけていました。私はたずねました。

「そのバッジは何ですか?

・「これは参議院議員のバッジです」

「なんですか、 国会議員だなんて聞いたようなことを言ってもらったら困ります。自分のたれた糞尿の始末も満足にできないで、国のためとか人のためとか言ってもらっては困る。ここではそのバッジははずして下さい」

・議員さんはバッジを取りました。で、私は話を続けました。

・「廃棄物処理法(廃掃法)に基づいて私はやってきましたが、本当は我々業者が廃棄物を処理するというのは間違いなんです。

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・実際にそれを我々のような業者がやるのは歴史上例がない。記録にもない。糞小便を処理して金儲けしたとか、畑に入れる土作りをして金儲けしたとか、これは歴史上ないことです。

・業界そのものだって、地域のため世のためにやらなくてはならない業種であるにもかかわらず、ゴマンといる今の清掃業者を見てみなさい。廃棄物なんて金にさえなればいいんだ。お客さんから貰ったら、下水道のマンホールが処分場です。川や山が処分場です。行政の処分場がある限りはそこへ持って行けば宜しいが、今そんな余裕のある処分場がどこにありますか。あと何年しかもたないということで、どこもみなせっぱ詰まっています。これが不法投棄の原因ですよ。

・そういういかがわしい心の持ち主がこういうプラントをやったって、農地になんか戻りません。

・下水道にしても、計算上は有害物質は入っていないことになっていますが、ある時突然とんでもない有害物質が入って来て、皆に迷惑をかけている。あれはなぜかわかりますか。工場排水から流れ込んだ物だと言われたらたいへんですから、各工場では真面目に努力して出さないようにしています。それにもかかわらず、住宅地とか全然関係ない地域から害物質が流れてくる。

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・産業廃棄物の収集・運搬業者薬品メーカーとかメッキ工場とかの処理施設清掃しなければならない。その時、その処理を専門の処理業者に委託した場合、一〇トン車一台で何百万円も取られます。しかし運搬費は微々たるものです。だから、業者はそれを下水道ポイすれば全部まる儲けになります。そういうことがあちこちで行われてきたから、とんでもない所から濃度の濃い有害物質が流れて来るのは当たり前なんです。

・そういうことが無ければ、下水道の汚泥は一般家庭で洗剤を使ったくらいではだいたい希釈されて基準以下になりますから、農地に返せるはずです。

・自然界に生かさせてもらっている我々人間にとって、環境サイクルを回す上において、この農地へ返すということは絶対なくてはならない必要なものです。それが金儲けの材料になったり、立派な家が建って、税金ばかり払うほどの利益があがること自体おかしいことです。我々のやる部分じゃない。

・では誰がやるのかと言えば、百姓です。自然界の恵みを受けさせて頂いたあとの残渣物、排泄物を、有難うございましたと、正しく土にお返しする。その心があればこそ大地は、また豊かな栄養バランスのとれたいろいろな物で私たちを歓迎してくれます。これは、本来の姿として厚生省じゃなく、農水省でやるべきことなんです。

・農水省から見れば、廃て棄てる物は何もない。残漬物、排泄物はあっても、廃棄物はないのです。

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・それを正しく土に戻せば、我々の命を永遠に保つ作物が、豊かな富を与えてく れるのです。地域の残滓物、排泄物は廃棄物じゃない。資源なのです「地域資源循環型」補助事業を作って下さい。

・循環するということは、環境サイクル、自然への資源に対して絵に描いた餅では駄目なんです。この理想のサイクルを回すためには、経済サイクルも回さなければいけない。さきほど言ったように、農民が補助を貰っても、その二〇%の返済ができない。それでは計画はできても、実際の経済サイクルが回らない。

・経済サイクルというものは、金の無い所から金を取ることを考えている農協のようなことをやっていると、みんなが駄目になってしまう。これではうまくいきません。金が無いからこそ補助をくれるんでしょう。応援するんでしょう。援助した所から金は取るべきじゃない。助けるなら最後まで助けなさいよ。二〇%の返済を考えさえしなければ、農民がやれると思います。

・しかしそれを清掃業者である我々が行政と組んで、莫大な資本を投じて廃棄物処理場を全国的に、北海道から沖縄までつくろうとすれば、たとえ行政がバックアップしても、まず地域住民に反対されるでしょう。あの反対の声をあなた方はどういうふうに聞いでますか?

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・私には、あれは神様がお前たちのやる部分じゃないよとおっしゃっている言に聞こえます。

・ところが、自然に感謝して自然にお返しする心を持った農民がそれをやれば、土地があるとかないとかは関係ありません。何十年か前に補助事業で全国的に開拓した土地が今はペンペン草が生えていて、かろうじて残った農家の人たちは、長男をはじめ、子どもたちが皆、町に出て行ってしまい、たとえ一緒に暮らそうと言っても、借金だらけの親父なんて関係ないよと帰って来ない。それでほそぼそと広い反別(たんべつ)の中に食うや食わずの生活をしている。その土地を使って百姓がやればいい。地元の百姓がやるとなれば誰が反対しますか

・それも特に家畜農家はやむを得ず垂れ流しをやっている、そのおかげで迷惑施設になっている。地元だから黙っているんです。それを、ちゃんと片づけて、これからはこういう土のできる施設をつくることになりましたので、行政から同意を貰ってこいと言われました、という話を地域住民に持って行けば、「なに同意だ? 要望書を書いてやる から早く処理施設をつくってもらえ」ということになりますよ。それで金の無い他の百姓もいい方法が見つかったから是非やりましょうという声を上げて意志表示さえすれば、国は五〇%くれるでしょう。県が便乗して一五から二〇%出すでしょう。余裕のある市町村なら五から一〇%出すでしょう。

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・そうすれば二〇から三〇%の返済ですむようになります。ところが先に言ったように、この二〇%の返済すら百姓はできない。それは農水省の補助制度が悪いんです。

・補助制度では、家畜の処理施設では家畜糞尿しか処理できないことになっている。

・そんなこと誰が決めたんですか。その制度、すぐ撤回しなさい。撤回することで、この処理施設は生きてくるんです。土作りをやるわけですから、畜産、農産、食品流通、下水道など諸々の課が横のつながりを持ってください。家畜糞尿を主体とした良質な土を作るためには、地域の生ゴミ、食品加工の残渣物、汚泥等を副資材として使う。

・それができなければ、この案も成り立たない話になってしまいます。

・町の生ゴミはトン当たりいくらで処理していますか。食品加工場の残物、汚泥等はトン何万円もかけて我々業者に処理させている。北海道から沖縄まで、どこでもトン五〇〇〇円から一万円で生ゴミを処理しているんです。現在あるのはすべて単体廃棄物の処理施設です。これは脱水汚泥だけとか、家畜糞尿だけとか。昔はすべての物が混合されて堆肥になったでしょう。堆肥には何でも入っていました。それでバランスもとれていたのです。

・たとえば、家畜糞尿の中でも豚を取り上げますと、尿がいくら、糞がいくらと別々に出て来ます。そのうちで多い方を処理能力の主体に設定します。尿の方が多く、一日一〇〇d出て来るとしますと、これに見合うように一〇レーン作りましょう。

149頁・


・1レーン当たりでは固形物、液状物それぞれ一〇トンのノルマですから、糞の方が一日に五〇トンとしますと、一次発酵の時は固形物、二次発酵の時は液状物として、副資材の汚泥とか食品残渣物は一次発酵の時に入れれば、一日に五〇トンが処理できるわけでしょう。今まで糞尿の処理のために一トン一万円の処理料を払っていたのが、今度は安く見積っても五千円なにがしかが入ってくるわけですから、施設の維持費と何十年かで支払う返済分までちゃんと出てきます。農家は一銭も出す必要はありません。養豚の糞尿の処理はただになった上に、排水はゼロです。鶏の場合でも全く同じです。

・ところがです、食品加工業者などの事業者から「処理費」という名目でお金をいただくようになると、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」に当てはまってしまって、廃棄物処理業の許可を取りなさいということになってしまう。それでは困るんです。そうなると、自分のところから出る家畜糞尿を処理するよりも金の儲かる物ばかりを処理したくなってしまう。

・これに対しては、厚生省は、『廃掃法』に当てはめずに、事業許可を出さないようにしてもらいたい。これは、あくまでも地域の資源を循環させるリサイクルの施設として位置づけし、廃棄物処理施設とは位置づけてほしくないんです

・位置づけを間違わないようにするためには、「リサイクル法(「再生資源の利用の促進に関する法律」など)」にあてはめればいいわけですが、これは通産省の管轄で厚生省は関係 ありません。

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・ところが通産省でなされているのは、空カン、空ビン、古紙、プラスチック、鉄屑等のリサイクルぐらいしかない。命の循環をするリサイクル施設が無いなんて馬鹿な話がありますか」

・実はすでに通産省では、「プラス会」の活動を通して平成五年)からハザカプランに関心を寄せて、可能性を模索していました。そして「民活法(民間事業者の能力の活用による特定施設の整備の促進に関する臨時措置法」という法律を延長するための目玉として、再資源活用肥料化施設という事業項目を加える準備を進めていたのです。

・これは私にとってまさに画期的な出来事でした。なぜなら、この項目によってはじめて、発酵施設というものが法律上で国が認める施設として明文化されるのです。それまで、発酵施設というものは、事業形態としてどこにも認められていなかったのです。この項目は その後、平成八年(9)度四月から施行されました。それを見ますと、まるでハザカプラトトをそのままモデルにしたかのような構成になっています。

・リサイクル施設として認可するということは、その農家の処理量に対して、副資材とし生ゴミや食品加工の残渣物、汚泥などを合体させることができるようにする。そしてこの施設からは絶対に利益は生まないこと。

151頁・


・維持費と返済に必要な分だけでプラスマイナス・ゼロになればいいわけです。これは利益だけを考えた処理業ではありません。地域の資源を正しく循環させて土に戻す。これに対して補助事業が認可されるのです。

・私はさらに続けて、厚生省の担当課長に念を押しました。

・「しかし、これに対して廃棄物処理業の認可が出たのでは、我々が困る。厚生省は一切関係ない。大丈夫ですね。問題ないですよね」

・「はい、問題ありません」

 

・「通産省の認可を貰って、知事がリサイクル施設として指定して、プラスマイナスゼロで永久的に運営できる費用が回ればいい。いずれいい堆肥ができて来ます。この堆肥、原価はいくらですか。プラスマイナスゼロなんですから、ただの堆肥です。この堆肥をまじめな農民に、健康な「命のある土」として無料で配布すればいいわけです。これで厚生省も文句ないですね」

・「はい、ありませんが、ただ、清掃業者の組合からのつき上げが来るんじゃないですか」

・業者からのつき上げを早くも恐れているのです。一体何を考えているんだ、と私は頭に血が登りました。

・「ここまでの説明でおわかりのように、今百姓たちは自分の本分をやるのに手一杯ですよ そこへ食品業界の生ゴミでも行政の生ゴミでも、運んで来いと言われたって運んで来るヒマがないでしょう。

151 第四章152頁


・そこでまじめな清掃業者と、いつ、どこから、どんなものを、どのく らい。どのようにここへ運ぶか、がんじがらめの契約をする。この運搬の部分について清掃業者が永久に働けるように位置づけすれば、皆が良くなるんじゃないですか。運搬する部分については廃棄物として、ちゃんと許可を貰ったまじめな清掃業者に位置づけすればいいのです。

・これはあくまでも地域の蝶番(ちょうつがい)として役立てばいいのであって、農家も清掃業者もここで金儲けしてもらっては困るわけです。金儲けはそれぞれの本分の所で精出してもらって、ここでは皆でがっちりとした蝶番を作ってもらえばいいのです。皆が良くなる方法。これこそが、地球上に人間もまわしてあげるよという神様が作ったシステムなんです。

・この皆が良くなる方法を基本として考えると、大自然はとんでもない力をもって我々を応援してくれますよ」

・言い終ったとたん、構造改善局長は大きく頷きながら大きな声で言ったものです。

・「わかった。これでやっと二一世紀への窓口が見つかったよ」と。

・私は本当に涙を流しながら話しました。かなり無茶な言い方をしたかもしれませんが、高官たちも相当な危機感を持っていたからこそ、長時間にわたって私の話を聞いて納得してくれたのだと思います。

153頁・


・この時が契機となって、農水省・構造改局では、地域資源循環型。すなわち排出物の収集、発酵分解、堆肥の製造、運搬、作物の生産、流通、加工、販売、そして食から排出物の収集へとつながる地域ぐるみの命のサイクル、その全部を補助事業でまかなえるよう一連のストーリーを描き、それをイラスト付きでわかりやすく解説して省内に配布したのです。それはそのまま新しい補助事業制度として取り上げられて、翌年、平成八年四月から実施されることになりました。「地域資源循環型」という私の言葉もその時から取り入れられました。

●それにともなって構造改善局だけではなく、農水省内の全部の課で次々に、何々を主体として副資材を入れて良質な土作りをすること、というふうに制度が変わりましたから、農水省の補助事業だからパン屋の汚泥は入れられないとか、町の生ゴミは入れられないとかということが一切無くなりました。

・こうして農水省で制度まで変えていただき、予算も「土作り」を原点として全部の課を合わせると二二〇〇億円にもなり、構造改善局だけでも一六〇億円を計上しました。そして、これに便上して、「補助事業としてあなたのプラント建設を決めさせていただきました。予算も農水省から貰い、設置場所も決めました」と、私の所に言って来たのが、去年だけでも六、七ヶ所ありました。

154


・これを全部実施しておれば、私の方の売り上げは今まで一〇倍以上にはなったと思います。

・けれども、その計画書を見せてもらったら、「これはやめなさい」と言わざるを得なかったのです。「これは今までの補助事業と何ら変わりないでしょう。これで農民がかりますか。国で予算をつけたということは、農民を生かすためにつけたはずですよ。ところこの計画書だったら農民は苦しみますよ。今までと同じだからやめなさい」と。

 ・あえて私は取り上げないように、取り上げないようにしました。彼らは、農水省が制度まで変えた意図を何も理解していないのです。ですから、私の所へ計画書を依頼して来る人は誰もいないわけです。農水省の一部を除くと、どこも以前と同じです。「清掃業者が何を言っているか」と。結局、何も理解されていないのです。

・私は大きな借金を抱えていますから、お金は欲しい。だけど今、他のメーカーと同じようなやり方で進めていけば、成功すればいいけれど、失敗するのははっきり目に見えています。人は、汚泥処理ができないとか、堆肥ができないとかで失敗したのか、それとも採算が合わなくて失敗したのか、というような肝心なところは見てくれません。それは私の悪宣伝になっても、決していい結果を生むことにはなりません。儲けさえすればいいという一般の清掃業者と何ら変わらないことになってしまいます。

・一五五頁・


・ここはひとつ辛抱しなければならないということで、初年度(平成八年一年間は一つのプラントもつくりませんでした。

・農水省幹部のS氏は私に言いました。

・「あんたはやりにくい業者だよなぁ。ふつうだったら、ここまで制度を変えてもらって、依頼者がきたら、少しはやれば、儲かるだろうに」

・「儲けてどうするんですか。儲けたって、うまいものを二人前も三人前も一度に食べられるわけじゃなし。税金に化けるだけですよ。税金も有効に使われればいいけれど、無駄なことにも使われてる。だったら、少しは人のため、世のためになったということで、こん馬鹿者がつくったんだけれど、つくってよかったなと言われるような意味合いがなければ、つくる意義がないでしょう。

・私が夢見ているのは、目先のことではありません。将来、全国をこのプラントでカバーするようなことは私一人でできるわけがありませんから、私のやっていることを見てわかったなら、真似する人がいてもいいし、それでどんどん地域が良くなっていけばいいのです。そのために、各地に見本をつくりたいんです。その見本を見て真似してつくってもらしまったらいい。だけど、邪(よこしま)な考えを持っている人には私の考え方は成り立ちません。必ず失敗します。

156頁・356


・それを私がやって失敗すれば、私の言ってることとやっていることが違うことになる。

・それは私には許されません。ですから、もう少し私に時間を下さい」

・私はお願いしたのです。その時間が経過する中で、一ヶ所でも二ヵ所でも、わかってくれる人が出てくれば私はやりたいと思っています。金儲けの材料にされるくらいなら、何もやらない方がいい。制度が変わっても、それを受け入れる環境の方がちっとも変わって いないからです。

ここまで直し、2023/07/05 7:04

 

157頁・2023/06/30 18:09


・新しい出発 埼玉のモデルプラント

・とはいえ、制度が改正されて一年余りがたっても、他に一つのプラントもつくらなかったにもかかわらず、ハザカプラントへの見学者の多さは相変わらずで、連日私はその対応に何時間も追われています。しかも、その中でも私への支援者が、プラス会の頃とは違った形に様変わりしつつあるのを感じます。それは、支援者の質がレベルアップしているのです。

・初期のプラス会では、ハザカプラントの存在を世の中にアピールしようとアドバルーンを上げるお祭り騒ぎ的な面が強かったのですが、現在の支援者たちは、地域資源循環型社会を実現するハザカプラント・システムをどのように具体化したらいいのか、そのための いろんな面からの支援の方法はどうすればいいのかという、質の高い階段の話になって来ています。

たとえば先日も、N開発銀行とかM商事とかの人たちが来て、いずれも数時間にわたって話して、

158頁・9ここまで、2023/06/30 18:06



Merit1
 あらゆる有機廃棄物を処理できます

地域社会から発生する生ゴミ、汚泥類、し尿、家畜糞尿、血液、魚介類、油などのあらゆる有機廃棄物(有害物質を含まない)を発酵原料として受け入れることができます。

Merit2 短期間で発酵処理できます

夕方投入すると翌朝には廃棄物から湯気が湧き出ます。それほど発酵の立ち上がり環境が良く整備されているということです。既に説明したことですが、1次発酵と2次発酵を連結し、25日間で高速処理できます。


Merit3 脱臭装置や汚染水対策は必要ありません

先人たちの言い伝えによると「高品質の堆肥作りは臭わない」と言われています。この知恵を受け継ぎ生かしていることから脱臭装置は必要ありません。また汚染水を排出することもありません。

Merit4 適切な規模とコストで建設できます

廃棄物を処理する発酵槽のレーン数は搬入量に見合った規模で適切に算出します。Merit3により建設コストは極めて低い金額ですみます。

Merit5 高品質の堆肥を生産できます

製品自体に種子を播くと、未熟な堆肥と違って、自然の土と同じように芽が出てきます。それほど発酵分解が進んでいるということです。またバランス良くミネラル成分が含まれており、植物の生育に有効な微生物も多く存在しています。高品質な完熟堆肥だとの好評を多くの利用者からいただいています。


都市部への配慮

都市部への設置の際は特に粉じんの飛散、流出、悪臭、騒音の防止に留意しています。
シャッターを閉めてドーム内で廃棄物と処理後物を混合するため、粉じんの飛散・流出は起きません。基本的に脱臭装置も不要ですが、ドームを閉鎖した状態で脱臭装置を設置すれば悪臭を完全に防止できます。騒音はほとんどありません。


ドームに囲まれているため、攪拌中もドーム外に粉じんが飛散・流出しません。

導入の流れ

ハザカプラント導入の際は、契約に基づき以下の手順で建設します。

バクテリアを呼ぶ男・葉坂 勝著・究極の生ゴミ革命・

ハザカプラントは、北は北海道から南は九州・鹿児島県まで全国15カ所での稼働実績を持っています。以下の「全国のハザカプラント」ページをご参照ください。

全国のハザカプラント

株式会社 県南衛生工業

989-1311宮城県柴田郡村田町大字足立字稲荷山44番地

社長挨拶


日本人は古来より「いただきます」「ごちそうさまでした」とこうべをたれて動植物の命、即ち自然の恵みを頂くことに「ありがとうございました」と感謝し、排泄物を正しく土に還し、そこからまた生命が誕生する循環を繰り返してきました。この「排泄物を正しく土に還す(命の土)」ことは、大自然の摂理であり、資源循環型社会の最も重要な基盤となるものです。しかし驚くべきことに、学校でも仏教、イスラム、キリストなど如何なる宗教においても排泄物の取扱いは示されておりません。そして近年、文明や経済が発展したことにより、人間の暮らしは便利で豊かになりましたが、ものを棄てるという概念が生まれ、資源循環を遮断してしまいました。
 歴史をひも解くと、日本において排泄物が肥料として商業利用され始めたのは鎌倉時代からと言われております。江戸時代には幕府からゴミの分別・収集・運搬・処分に関する政令が出され、特に糞尿(下肥)は「金肥(キンピ)」と呼ばれ流通し地域の農地を肥沃化し農業生産性を高めておりました。これにより当時どの国にも無い、リサイクルの概念を持った、衛生的で、資源循環型の社会が出来上がりました。この時代、ヨーロッパではペスト、コレラなどの感染症が猛威を奮っていましたが、日本において流行はほとんど無く、結果的に人口100万人以上の世界の主要都市へと導いたと考えられております。

 しかし第二次世界大戦後、日本や人類にとって悲劇的な2つの大きな変化が起きます。「化学肥料の普及」と「廃棄物の焼却処理の主流化」です。化学肥料が普及すると土壌ミネラルバランスは崩れ、作物は自らの独特な香味が無くなるなど土壌の荒廃化が進んでおり、その大地で育った動植物にも影響を与えています。
振り返ってみると、化学肥料が普及される以前の日本は、アジアで最も栄えた100万都市江戸を築き上げ、良くも悪くも武力で世界を席巻し、戦後も世界第二位の経済大国までのぼりつめました。化学肥料を使用した食物で育った現在の世代に同じことができたでしょうか?私はミネラルバランスのとれた「命の土」で作った作物を食す生活スタイルが、高い免疫力、深い知恵、そして気概のある健康な人間を生み出したのだと考えております。
昨今、病院は病人で溢れております。所謂「健康で文化的な最低限な生活」を送れているのか疑問です。私達はいまこそ日本人の先祖が残した知恵、土に還るものは正しく土に還し、命ある土から生まれたミネラルバランスのとれた作物を食す生活スタイルを世界に広めていきたいと強く願っております。
他方、「廃棄物の焼却処理の主流化」により現在、日本の多くの地域では、大量の化石燃料を使用して、本来土に還すべき生ゴミ等を数百億もの税金で焼却施設を建設して焼却処分しております。環境保全や食品残渣の有効利用、堆肥の利用促進による食糧資源循環の観点からも焼却処分は百害あって一利なしです。

「ハザカプラント」は、近年の経済成長に伴う廃棄物の増加にも対応できるよう、先人達の知恵と自然から学んだ事を基に昭和58年に開発した日本で初めてのスクープ式高速発酵処理施設です。
これを利用して同様の理念のある方々と共に、寸断された各地域における資源循環システムの回復、ひいては人類の健康の向上に貢献していきたいと考えております。

子供達は「生で食べてもおいしい」と喜んでくれています | ハザカプラント (hazakaplant.co.jp)

粘土質が改善されサラサラの土壌に | ハザカプラント (hazakaplant.co.jp)

出来が早く、香りも良くなる | ハザカプラント (hazakaplant.co.jp)

2023/06/30 8:13

有機廃棄物の仕組み | ハザカプラント (hazakaplant.co.jp)


有機とは・有機物と無機物の違いをわかりやすく説明すると、炭素を含むか含まないかです。しかし、例外も存在します。 具体的には、炭素単体、一酸化炭素、二酸化炭素、炭酸塩、炭酸水素塩、シアノ化合物などがあげられます。 これらは、炭素を含んではいるのですがすべて無機物となっています。 これらの「例外」はすべて … 詳細

2023/06/30 9:09

ハザカプラントについて | ハザカプラント (hazakaplant.co.jp)

2023/06/30 7:27

ハザカプラントの建設 | ハザカプラント (hazakaplant.co.jp)

32023/06/30 6:27
2023年7月5日 7:53:06