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2017年8月 第209号

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 夏休みに入リ、各地の神社でも六月灯や夏のお祭が盛んに行われています。ひぐらしの声に 導かれるように杉の参道を歩く風情は、誰しもが夏の記憶のどこかにとどめていることで しょう。特に私達の霧島は神話にまつわる神々を祭る社が幾つもあリ、歴史と神話が混在する ような土地柄です。
 そんな中、本誌2016年6月号の隼人史話探訪の中で述べられた中村明蔵先生の指摘に は驚かされました。「県史」にとまどうという小見出しで、要約すると次のようなことが・・・。
 鹿児島史は県域の歴史の最高レベルの研究書だが、問題がある。ぜひ一度見ていただき たい。まず、第一編のタイトルは「神代」で、第一章が「天孫のご降臨」、高天原にましませし天照 大神は天孫天津彦彦火・・・と始まる。別冊の年表も神代に始まり、二ニギ、ヒコホホデミ、ウガ ヤフキアエズの三尊、そして神武天皇へと続いている。このような県史を今も通用させている 現状を、県民はどう見るか。神話も伝説伝承も「歴史」として渾然一体となって存続している。 沖縄県を始め各県の県史は書き換えられているが・・・。
 これを良しとし、ファンタスティックと見る向きもあるかもしれません。これぞ「歴史遺産」 だと。しかし県史はリアルタイムのもの。遺物や遺産ではないのです。
 一方で考古学や古代史の研究は進み、この神話の地の成り立ちも科学の目で多くの事実が 解明されました。そして今では神話と歴史は峻別されながら、並存しています。
 数年前に鹿児島神宮を擁する隼人宮内会から「鹿児島神宮と隼人宮内にまつわる物語」と 題された小冊子が出されました(2013年)。神話の舞台と歴史の舞台を分けながら、神宮周 辺で起きたこと、語られたことを小中学生にでもわかるようなイラストつきの文章で紹介し ています。そこで今回、この冊子の神話部分を拝借して、天孫降臨や海彦山彦の物語の行方な ど、この地に生きる者ならばぜひとも身につけておきたいお話を掲載してみることといたし ました。戦前の教育を受けられた諸氏にはごく当たり前なお話が、戦後生まれの人には今ひと つ繋がり切らないモヤモヤした記憶になってはいないでしょうか。
 ぜひこの機会に家族で、ここ南九州を舞台とした古事記物語をマスターしてみてください。


【神話と史実】

 神話と史実は異なるものであることは、今日ではごく当たり前に言われています。 しかし、有史以前のこの国の成り立ちを書き記したものが、西洋の宗教観に対抗して 明治政府が推し進めた皇国史観によって復活し、当時の日本人に鮮明に刷り込まれ た時代がありました。およそ半世紀以上、日本国民が神話につながる歴史を当たり 前に所有していたことは、前出の鹿児島県史を見ても明らかです。
 考古学や古代史研究の成果が上がり、史実が次々と明らかになる中で、これらの物 語は大和王権の正当性を支配地域に知らしめる手段の一つであったことが定説と なりました。そして戦後教育の中で、私たちは神話の神々を忘れ、今やニニギやスサ ノオのことをゼウスやペルセウスほどにも語れないのです。
 哲学の祖ソクラテスの問答をプラトンが書き残した書物の中で、こんな一幕があ ります。ある青年が「あなたはあのギリシャ神話の神々のお話を信じておられ るのか。」と尋ねます。するとソクラテスは「君は私があんな荒唐無稽な話は 信じないといえば安心するのだろう。だけど私はあれがまったくばかばかし い話とは思わないんだよ。一体全体君はどれだけ人間というものがわかって いるの。あれを嘘だといえば人間がわかるのか。」と答えたといいます。
 神話や伝説は神事や宗教を超えた多くの「人間知」を今に生きる私達に与え てくれるのでしょう。さらに神話に語られた遠い物語を掘り起こせば有史以 前の社会や史実につながる脈絡も見え隠れしてきます。人は物事を知るとき ありのままの事実より物語のような表現で心に留め置くことも多いのです。 その物語につながるものの一人として自分があり、神社の社の前で祈る姿も あるのでしよう。
 ふるさとから歴史を眺めるとき、日向と呼ばれた南九州の地を中心に語ら れた神話の背後に、大和と隼人の関わりが透けて見えることを知った上で、 古事記という日本最古の歴史書の一角に記されたこの地の物語を読み解いて みてください。できれば夏休みのお子さんやお孫さんもともに。
※古事記上巻は天地開闢からウガヤフキアエズノミコトまで、中巻は神武 天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までの記事が収めら れ、多数の歌謡を含みながら、天皇家を中心とする日本国統一の由来を物語っ ています。

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その一  【天地開闢と蛭子のお話】

 この四話は、古事記や日本書紀に記された日本の始まりを物語る神話の一説です。

 天地開闢とともに大勢の神々が現れました。最初に現れた天之御中主神(アメノ ミナカヌシノカミ)を筆頭に五柱の神々を別天津神(トコアマツカミ)、その後に現れ た七柱十二神を神世七代(カミヨナナヨ)と言います。この神世七代の最後に現れた、 性差を持つ男神を伊邪那岐神(イザナキノカミ)、女神を伊邪那美神(イザナミノカ ミ)と言います。
 イザナキとイザナミは下界を固め整備するよう天津神に命じられ、天の浮橋から 天沼矛(アマノヌボコ)で海をかき混ぜて出来たオノゴロ島で国生みを始めます。そ してその時最初に生まれたのが蛭児でした。蛭児は手足が無く骨のない蛭のような 子でした。大変かわいがっていましたがどうしたことか三つになっても足腰が立ちま せん。
 二神は嘆いた末、海に流すことにしまし,た。蛭児が天磐楠船(アマノイワクスブネ) に乗せられ流れ着いた場所が蛭児神社となりました。天磐楠船からは不思議なこと に間もなく枝や葉が出て成長し続け大木となりました。そしてその楠の実が落ちて 一帯は杜となったのです。この杜はナゲキの杜と呼ばれ歌枕の地として後の世に登場 する事になります。
 その後イザナキとイザナミは、蛭児出産の教訓を元に次々と島を生み、大八島国 (日本列島)を完成させていきます。

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その二【天孫降臨、ニニギノミコトのお話】

 イザナキとイザナミが生んだ世界を治めることになったのが天照大御神(アマ テラスオオミカミ)や須佐之男神(スサノオノカミ)などの神々でした。
 アマテラスは高天原を含む全ての世界の統治者になりました。スサノオは海を 統治する者として任命されましたが最終的には黄泉の国の大神になりました。地上 界の国作りは大国主神(オオクニヌシノカミ)が成し遂げたのですが、その統治者は アマテラスの孫にあたる天津日高日子番能邇邇芸命(アマツヒコヒコホノニニギノ ミコト)が選ばれました。そしてニニギが地上に降りる場所と定められたのが稲 穂が千もある高千穂の峰でした。ニニギはお供の神々を引き連れて天の浮橋を高 千穂の峰に向かわれます。これが天孫降臨です。
03gif  ニニギは国土平定のため戦いを続けていましたが、ある日笠沙の地で麗しい娘 と出会います。大山津見神(オオヤマツミノカミ=山神)の娘でした。その名を木花 之佐久琵売(コノハナサクヤヒメ)と言い早速結婚することになりました。オオヤ マツミはこの時姉のイワナガも一緒にニニギのもとに嫁がせました。しかしニニギ はイワナガがあまりに醜かったためイワナガだけ親元に送り返してしまいました。 ニニギの命が石のように長く続く事(イワナガ)を、また子孫が木の花が咲く ように繁栄する事(コノハナサクヤ)を願って、オオヤマツミが二人を嫁がせた思いを 断ったことで、ニニギは神としての永遠の命を失ってしまいました。
04gif  コノハナは既に妊娠していましたが、ニニギが自分の子ではないのではと疑うと、 神であるあなたの子ならどんな状況でも無事に生まれるでしょうと言って、燃え盛 る産屋の中で出産します。その火が最も強い時に生まれた子を火照命(ホデリノミコ ト)、中くらいの時の子を火須勢理命(ボスセリノミコト)、弱くなってから生まれた 子を火遠理命(ホヲリノミコト)と言いました。

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その三【海幸、山幸(ヒコホホデミノミコトのお話】

 火照命(ホデリ)は海でよく魚を獲り海幸と呼ばれました。火遠命(ホヲリ)は野 山でよく獲物を獲り山幸と呼ぼれていました。ある日、山幸は海幸にお互いの猟の 道具を取り替えてみようと提案します。海幸は三度断わりましたが、とうとうそ の提案を受け入れます。しかし、いざ猟をしてみると二人とも一匹も獲物を取るこ とが出来ません。おまけに山幸は釣り針を海の中へ失くしてしまいます。「やはり 自分の道具でなければ獲物が獲れない」と、お互いの道具をまた交換する事にしま した。しかしその時、山幸が釣り針をなくした事を聞くと海幸は猛然と怒り山幸を 責めました。山幸は仕方なく自分の剣から五百本の釣り針を作り、海幸に渡しました が許してもらえません。更に千本の釣り針を作つて持って行きましたがそれでも許 してもらえませんでした。
06gif  山幸はどうすることもできず浜辺でくよくよ悩んでいました。するとそこへ塩椎 神(シオツチノカミ=潮流の神)が現れ、竹で小舟を作り綿津見神(ワタツミ=海神) の宮殿へ行く事を勧めてくれました。言われた通りにワタツミの宮殿に行くと、そこ で山幸はワタツミの娘豊玉琵売(トヨタマヒメ)と出会います。山幸が天津神の御子 であることが解ると、山幸は歓迎を受け、トヨタマヒメと結婚し暫らく楽しく宮殿 で過ごじていたのでした。
07gif  三年が過ぎ、山幸がここへ来た訳を思い出し打ち明けると、ワタツミは、無くし ていた釣り針を赤鯛の喉から探し出してくれました。更に、意地悪な海幸を懲らし めるために、塩盈玉(しおみつたま)と塩乾玉(しおふるたま)の二つの玉と呪文を 教えてくれました。
 それらを持って山幸は海幸の下に帰っていきます。そして教えられた通りにす ると、海幸はだんだん貧しくなりました。怒った海幸が攻めて来ると塩盈玉で溺れ させます。溺れているところを今度は塩乾玉で救ってやりました。これを何度も 繰り返していると海幸は頭を下げて、「参った、参うた。俺はこれからあんたに 仕え、夜も昼もあんたを護ることにするよ」と言って謝ったということです。
 山幸が遷宮した場所として、旧鹿児島神社跡地に神代聖蹟高千穂宮跡碑があ ります。山幸は高千穂に五八〇年の間生き、死後は高千穂宮のある山の西の方角 に葬られました。現在、山幸は鹿児島神宮の主祭神(ヒコホホデミノミコト)と して祀られ、海幸は鹿児島神宮二の鳥居の前にある「三の社」の一つに小さく祀 られています。
08gif  海幸が山幸に「参った、参った。…」と降参する場面は、南九州一帯のハヤトの 人々が何故早くから大和朝廷の宮中お傍近くで仕える事になったのかを物 語っています。

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その四【神武天皇誕生と熊襲討伐のお話】

 山幸は自分の国へ帰っていましたが、ワタツミ宮殿のトヨタマヒメは既に山幸 の子を身寵っていました。神の子を海の中で生むわけにいかず、トヨタマは山幸 のもとへ向かい事情を告げ、早速産屋を渚に建ててもらいます。屋根は茅草の代 わりに鵜の羽で葺いていました。しかしその屋根が葺き終わらないうちに産気づ きそのまま生むことになったのです。その時トヨタマは「よその国の女性が子 を産む時には本来の姿になるものです。私も本来の姿で産みたいので、その間絶 対に産屋の中は見ないで下さい」と山幸にお願いしました。しかし山幸はそれを 不思議に思い約束を破って覗いてしまいます。するとトヨタマは鮫(ワニ)の姿に なって出産するところでした。山幸は怖くなって逃げてしまいました。トヨタマ も醜い姿を見られて恥ずかしく思い、生んだばかりの子を置いたまま海へ帰って しまうのでした。
10gif  その時生まれた子の名は、渚に鵜の羽で屋根を葺いた産屋を建てようとしたが 屋根が葺き終わらないうちに生まれた子という意味で波限建鵜草葺不合命(ナギ サタケウガヤフキアエズノミコト)と言います。
 しかし山幸とトヨタマはお互いの事を忘れられず、歌を詠んで交換し合うよう になります。二人の和歌を持ち運んだのはトヨタマの妹で玉依毘売(タマヨリビ メ)と言います。その後タマヨリは母親に替わりフキアエズも育てていくことにな りました。やがてフキアエズは成人すると、乳母であり叔母であったタマヨリと結婚し 四人の息子を授かります。その末っ子の名を神倭伊波礼琵古命(カムヤマトイバレビ ノミコト)と言います。イバレビノミコトは成人すると国土平定のためこの地(日向・当 時南九州一帯)を船で旅立っていきます。
 各地を次々と平定していったイバレビは遂に大和国の建国を成し遂げ、天皇家の祖と なる初代神武天皇となりました。
11gif  時代が進み、第十二代景行天皇の九州巡行の際、熊襲の征伐が行われました。景行 は部族の首領八十桑師(ヤソタケル)の娘に取り入り、親殺しの相談を持ちかけます。 景行に夢中になったこの娘は父タケルにしこたま酒を飲ませ眠らせ弓の弦を切 り、刺客を呼びこみます。こうして熊襲の首領ヤソタケルは殺されてしまいました。 しばらくすると熊襲はまた勢力を盛り返し逆らっていました。景行は今度は息子 の小碓(オウス)を熊襲退治に向かわせます。はるばる天降川の地までやって来ると、 熊襲の首領川上漿師(カワカミタケル)兄弟はちょうど新築祝いの宴会をするところ でした。オウスは女物の着物をまとい護衛をかわして宴席にまぎれ込み、タケルに近 づきます。タケルは見たこともない美しい娘に油断し寝所で女装したオウスに刺さ れてしまいます。その時タケルは苦しい息の下から「あなたは本当に強い人だ。これか らは私の名を取ってヤマトタケルと名乗りなさい」と告げたと言います。日本武尊(ヤ マトタケルノミコト)の遠征の物語はここから始まったのです。
 熊襲はその後も、幾度となく大和朝廷からの討伐を受けましたが、しぶとくこ の地で生き残っていました。そして時が進み神話の時代から歴史の時代となった 頃、この地の人々はハヤトと呼ばれていました。(その一~四、前出の小冊子より)

 この地の人々が隼人と呼ばれた時、大和王権は全国にその支配を及 ぼし、大王(おおきみ)を奉る中央集権の国家建設が着々と進みつつありました。巨 大な墳墓を残す古墳時代を経て、文字が史実を書き残す時代となり、こ れらの物語も完成されていきます。
 神話は全国各地に伝承され、歌謡や舞となリ神楽となって、自然への 畏敬の念とともに日本人の民俗性や風俗を形作って来ました。史実や 歴史とは別のところで、私たちは自分達の国を見つめる鏡をもう一つ持 っているようなものです。
 古事記の神話はこれだけではありません。オオクニヌシ、スサノオ、ヤマ トタケル…数々の物語が全国にあリ、その代表的な地の一つが、天孫降臨、日 向神話としてこの地に伝承されて来ているのです。 (構成/編集室) 


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