mosslogo

2017年5月 第206号

top
top

 多くの読者の皆様、地域関係者の皆様にご来場いただき、またモ シターン関係者の皆様にはいろいろと乙協力、お骨折リいただき 盛況のうちに無事終えることが出来ました。
 欲張りな企画となリ、不行き届きなこともあったと思いますが、皆様に心よリ感謝申 し上げます。

 さて、モシターンが創刊された17年前、西暦2000年はどんな年だったでしょう。そ う、シドニーオリンピックの年。それからさらに4回ものオリンピックが通リ過ぎまし た。三宅島が大噴火し全島非難、またイチローが大リーガーとなったのもその年です。 メディアの発達で私たちは即座に出来事のひとからげにした情報を手にできる時代 にいます。それはまだ歴史と呼ぷには生煮えの事象の連続で、意識のうちでは一足飛び にその当時の映像や物言いをあたかも昨日今日の事のように手元に引き寄せ、感じる ことが出来ます。
 一見有利なことのように思えるデジタル化された情報の姿ですが、果たしてその中で 人が何を手にできるかと思うと疑問が生じてきます。数十年の事象をただ知識として 並在させて見てしまっていいのか。そのときどきの思いを誰かの手で形に残していく事 をしないと、日常は、世界は、人生はただそっけなく流れていく事になりはしないか。そ のときの自分、そのときの課題、そのときの世界との出合いを、そのときの解釈の歪み や傾向なども含めてその人の表現として残していくことの大切さを錯らなければなら いでしょう。知識でわかることは世界のほんの一部だけなのですから。

01gif

 時を経た200号のモシターンの中には、いくつも の出合いが収められてきました。
 当初、MCTケーブルテレビネット番組本の付録として始まった地域情報誌づくり。旧国分市とそれ を取り巻く町々までを取材対象としましたが、記者の伊地知さんの気持ちで言えば、それは未知の宝の 山を前にした発掘の始まりでした。「目からうろこ」、「ディスカバー(カバーを剥ぎ取る)」という言葉に ふさわしい発見や発掘が続きました。
 この地域にはなんと多くの資産が眠っていたことか。それぞれの専門家や図書館の蔵書や関係者しか 知らない歴史、物語、人物、創造物の数々。伊地知記者は市中のおじさんの立場から、目を輝かせながら 興味を膨らませ、毎月原稿用紙20枚のルポを敢行していったのでした。

【西南の役五十三景】

 鹿児島の歴史観を牽引してきた島津時代、そして幕末から明治への転換期での鹿児島人の大活躍。そ して大河ドラマ「西郷どん」に湧き立つ鹿児島県。その玄関口鹿児島空港の近くに家を借り、限りなく正 確な西南の役の錦絵を描かんとして燃えるような日々を費やした北斗南舟こと川野努氏。今回の原画 展も忘れられていた歴史資産の再発掘でした。果たしてそこから何が生まれ出るでしょうか。

02gif

【太古と古代からの声】

 この地の始まりを有史以前の巨大カルデラ大噴火の時代に置くと、霧島という地域が経た時のとてつ もない大きさが見えてきます。草創期の縄文人遣跡の発掘、アカホヤ火山灰層による年代特定の鮮明 化、土器の研究…伊地知記者は今回講演をいただいた考古学者新東晃一氏のもとに通い詰め、この地の 成り立ちから縄文人の生き方まで私達に伝えようとしました。新東氏は実証的な研究を重ねながら、 いくつかのグループとともに今回の講演で示された霧島の鉾信仰のほか、関白道の調査やタノカンサア、 海音寺潮五郎の周辺など、今もいくつもの発掘調査の真っ最中です。
 さて、やがて国づくりがこの地に及ぼうとする時代、中国にならった中央集権化の動きと隼人と呼ば れた人々への強い思いが、伊地知流シナリオ「隼人の乱」の筆耕へとつながります。水平思考(縄文的)と垂 直思考(弥生的)の対比、支配、被支配を生まぬ共同体のあり方、多くの血を流さなければ国は生まれな かったのか…。朗読グループおひさまを中心としたきりしま創造舞台の面々が舞台効果も取り入れて このシナリオを演じてくれました。
 伊地知さんが古代史、とりわけ隼人の探索のよりどころとしたのが中村明蔵先生でした。素人では触 れることも解釈も出来ない古文書や遺物の研究、その果てに綴られた幾つもの歴史書。ところが、伊地知 さんの強い思いで中村先生の書き下ろす歴史の連載がモシターン誌上で始まるということになったので した。今回の中村先生の講演では、島津時代以降の薩摩隼人の呼称をよそ者のにせ者と言われ、隼人と 呼ばれた人々の真の姿を見出そうとしてこられた先生の楽しい歴史談義を拝聴させていただきました。

03gif

【感謝のひろばのメッセージ】

 ややもすると島津以降の薩摩史に翻弄されそうな本県ですが、実はモシターンが明かしただけでも ただならぬ出来事に溢れた霧島の地。
 感謝のひろばの第一のメッセージは、自分達の受け継いでいるものの真価を受け取るための霧島のアカ デミズムを始めてみては、ということではなかったかと思います。
 感謝のひろばの第二のメッセージは、今リアルタイムでこの地で活躍している人々やグループと知りあ い、この地の人たちで作り上げていくまほろば霧島の真骨頂を目指していこうということでしょう。
04gif ・国分高校の理数科の皆さんの立派な所作、研究する心を育てる先生方の思い。
・トリオズの表現する「優しい気持ち」の童話や絵本、その優しさの連鎖を地域に。
・永山先生の動物を思う気持ちの先に見えてくる人や生命への慈しみ、生命の科学。
・植物への愛情が作り上げてきたガーデン、そこに暮らす日常の味わいとアート。
・彫像が日常と溶け合う時、立体像がもっと市中に欲しくなる。また歴史のひとコマにあった地元の向花人 形作りの思いを伝えてくれた上床先生のグループ。
・この地の俳句や短歌が普遍的な価値を放つ。霧島の暮らしをしっかり見つめていく。
・鶴ヶ野勉氏は奥様ともども宮崎から来てくださいました。昨年宮崎文化賞を受けられた多くの小説の べースになっているのは、まさしくカルデラの地…松永の生家、周辺の農村で育った経験があってのことだ と聴いています。日常から立上がる文学の楽しみ。
・ギターの谷口さん、クラリネットの皆さん、素敵な演奏と伊地知さんの思い出をありがとう。
・ケーブルテレビの伊地知さんの映像の周りに集まる人々。いろいろありましたねー。宿題もいっぱい。
・終始会場全体に気を配っていただいた、二見剛史先生、きりしまミクス関係者、スタッフの皆さんの心寄せ。 広域合併によってひとつになったモシターンの取材地域こそ霧島市そのものでした。この新しい地方 都市はどんなことができるのでしょう。どんなものになれるでしょう。既存の価値は足元から探り直し、そ の底に密むものを発掘し、この地で育ち行く意義、この地で年を重ねる喜びを創造したいものです。
 会場に集まられた皆さんの目の輝きが忘れられない一日となりました。
(文/編集室)


Copyright(C)KokubuShinkodo.Ltd