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2016年8月 第197号

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(プロフィール)
◎今林三夫氏
・指宿市出身、冨崎大学特音卒業、霧島市隼人町姫城在住
・鹿児島県高校音楽教諭(県下10数校を歴任)
・霧島市公民館講座講師(世界の愛唱歌、巌謡・唱歌)
・霧島吹奏楽団指揮者・本誌「みつをの音楽閑話」執筆中
◎森藤比呂子さん
・宮崎県出身、宮崎大学特音ピアノ科卒業、霧島市国分府中在住
・混声合唱団グリーンエコー団内指揮者、ピアニスト
・霧島市少年少女合唱団ピアニスト
・隼人公民館講座「みんなで歌おう」謁師
◎瀬戸口浩氏
・霧島市出身、東京芸術大学卒業、同大学院修了、霧島市国分中央2丁目在住
・全国でオペラ出演、合唱指導活動中
・霧島市職員としてみやまコンセール開設・運営に従事(2015年退職)
・みやまコンセール音楽顧問、NHK鹿児島児童合唱団代表
・南日本音楽コンクール審査委員長


 霧島の夏は、海開き、山開きから、町々や企業の10を越える夏祭り、 各神社の六月灯まで次々と展開していきます。夏の終わりの天孫降 臨祭まで、毎週末霧島のどこかで縁日の火が炊かれ、花火が打ちあ がるのです。
 そしてもう一つ、「日本で一番熱いフエスティバル!雄大な自然 と音楽のハーモニー」を唱えて、今年で37回を数える霧島国際音楽 祭。開催期間、場所、予算などを見ても、霧島を名のるイベントでは 最大の規模です。そしてまさに今がその開催期間なのですが・・・。
 果たしてどれほどの霧島市民がこの音楽イベントを享受して来 たでしょうか。クラシックは敷居が高いと最初から距離を置いてい る人でも、名の通ったアーティストの演奏が霧島神宮のかがり火コ ンサートで無料で聴けるとなったら、ちょっとその雰囲気を覗いて みたくなるものでしょう。
 モシターン2002年10月号には、15年前の音楽会の模様が、その 始まりからのいきざつとともに詳細に掲載されています。それは、 当時の東ドイツ、ゲバントハウス管弦楽団のコンサートマスター だったゲルハルト・ボッセ氏と霧島の出会いから。「ここは音楽に ぴったりの場所。こんなところで若い音楽家の育成ができたら。」 その意志が形になり、ユースホステルなどの宿泊施設で海外の著 名な音楽家による講習会が開かれ、その受講生向けの模範演奏を鑑 賞するようになリ、講習会に集う人々をもてなす地元の地域つくリ 意欲が一つになって音楽祭は固有の形を成していき、ついには音楽 祭専用ホールとしてみやまコンセールを持つまでに至ったのでし た。全国的にも(九州では大分や宮崎〉音楽祭が各地で開催されるよ うになる中で、講習会を中軸に据えた霧島のスタイルはユニークな 存在でした。しかし近年、その開催手法にいろいろと変化が見られ るとのこと。
 モシターンでは、音楽祭の内部に深く関わってきた瀬戸口浩氏に 取材を申し入れたところ、音楽祭の始まりの頃、ともにその立ち上 げに参加した今林三夫氏と森藤比呂子さんにも声をかけていただ き、霧島国際音楽祭を、霧島市民の立場で、霧島市民との関わりを軸 に考える機会を与えていただきました。
 7月5日、鹿児島市内での演奏会に始まる今年の霧島音楽祭を前 にして、ホテル京セラー階の美しいアーチ構造を仰ぐレストランの 片隅で、懐かしくも熱っぽい意見の交換が始まりました。
(取材/福留湖弓、文/編集室)

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【立ち上げの頃の熱意】

 意見交換が始まると三人はすぐに意気投合した。そのはずである。三人はともに混声合唱 団グリーンエコーの団員だった。(やがて今林氏は当時国分市の吹奏楽団、瀬戸口氏は県の オペラの方へと、それぞれの練習のためにグリーンエコーの場を後にしている)。
 当時からグリーンエコーの団長を務めていた池田政晴さんが、音楽祭の裏方で活躍する 牧園友の会の会長もされ、音楽祭の盛り上げに努力されていた。団長に請われて多くの団 員が友の会に入り、当時は牧園の町議も、また合併後は霧島市の市議も全員友の会に入会し ていたという。
 その頃、友の会には三つの組織があった。役割分担が明確にされていて、牧園友の会は メイン会場の地元で直接的に先生方や講習生をサポートする役割。食事の提供やビュッ フェパーティーなどの交流会まで催していた。(背後には牧園のむらおこし塾の存在も あった。)
 また霧島友の会はクラシック音楽人口の底辺の掘り起こしや拡張をする役割、鹿児島友 の会はやや開催地から遠いこともあって財源のサポートや音楽関係者、愛好者が多い鹿児 島市周辺への音楽祭の紹介と宣伝、集客の役割だった。きちんと分担しているところが県 からも認められた。今は牧園と霧島が一つになり新しい霧島友の会ができている。
 これらのことがあいまって一流アーティストとのふれあいを求め、全国から多くの講習 生が毎年真夏の霧島に集うようになっていった。やがてそのための専用ホールをと望まれ る声が上がる。
 瀬戸口氏はみやまコンセールの建設計画が動き始めたころ、それに参加する目的で帰 郷。市職員として約24年間みやまコンセールと霧島国際音楽祭に携わってきた。「帰郷前 は東京でもありえないような質の高い音楽祭がふるさとで催され、皆さんはなんと幸せ なんだろうと思っていましたが、こちらで職についてみると何でこんなに熱が冷めてい るんだろう、世界に誇れるものがあるのにどうして?と、みやまコンセールの職員を続け ながらずっと考えてきました。今回退職してはじめてわかったこともあります。今度は 外から応援しようと思います。」
 今でもグリーンエコーでピアノや指揮を担当している森藤さん。「みやまコン セールができる前に、牧園の海洋センターの冷房もないホールで一流の演奏家達が 演奏している姿に感動、ホテルロビーなど様々な場所で、しかしすぐ目の前で一流の演奏を体験でき、また自分 達も歌い、当時はできるだけ聴こう、参加しようという意気込みでした。今年も市民会館で の『うたの祭典(8/4)』への参加があって、ずっと関われてはいます。」
 当事国分高校の音楽教諭を務めていた今林氏は当時を懐かしく回想する。「ブラームスの アルトラプソディーでしたか、ボッセさんが指揮をされる中で、ピアノ(弱く)、もっとピアノ、 ピアノ…といわれて、ただ口をパクパクしていたことなど思い出します。海外の演奏家達は雲 の上よりもっと高い存在でした。」今林氏の娘さん達が音楽をやり始めると練習の場が必要 になり、現霧島市に家を建て、その後は霧島の音楽シーンの立役者の一人になっている。

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【遥かなるみやまコンセール】

 意見交換が始まると、まず、みやまコンセールまでの距離が問題となった。
 実際の距離としてはそうでもないのだが、鹿児島市に行くより遠く感じて、日ごろはな かなか足を運ばない、と今林氏。音楽祭が今日のように演奏会重視の形になって来たが、な かなか通いにくい距離感だという。
 みやまコンセールは本誌2005年2号で紹介しているが、安藤四一(神戸大学大学院教 授)の優れた音響工学と世界的建築家棋文彦氏の設計による世界に誇る音楽ホールであ る。演奏家の間ではみやまコンセールで演奏した経歴が誇れるほどのホールだという。
   「最初は霧島国際音楽祭のメインホールとして、その期間だけの利用目的で始まった計 画でした。空港から近いこと、周辺に保養地があること、そして町有地があったことなどで 場所は選定されたわけです。最初は音楽祭のためだけのホール、予算も一桁億円でその目 的に合致していたのですが、縁あって世界的な設計者に声をかけたことから予算が5~6 倍に膨らんで、それなら年間で使えるホールに、それならさらに設計変更して、という具合 に(まるでどこかの国の国立競技場のよう)計画が拡充されました。今造ると50億でも不可 能といわれています。県も町も腐心した末、鹿児島県文化振興財団をこの音楽ホールのため に立ち上げようとしましたが、それを当時の知事が立ち上げた霧島芸術の森構想(霧島 アートの森、上野原縄文の森など)や宝山ホールなどを含めた財団とすることになって、み やまコンセールも最終的にそこに参加する形をとりました。牧園町もそのとき大金を拠出。 関平鉱泉水の売り上げが役立ったとか。」と瀬戸口氏。
 こうしてみやまコンセールは年間を通した音楽ホールとしての道を歩き始めた。ところ がそこに「音楽祭に行くというよりも、みやまに行くという問題」が出て来たのだという。
 少し敷居が高い気がするという今林先生。「でも娘達がお世話になったし、自分の関係 する人たちがステージに乗ることがすごく楽しみで、彼らの誇りになることもいいこと。そ のくらい凄いところがそこにある」と語る。
 森藤さんは車でないといけない交通の不便さを思っていた。それに答えるために友の 会がバスを出したりしたこともあったのだが。自分達のコンサートでも自分達のお客さ んにそこまで簡単に来ていただけない遠さ。(鹿児島市との間ではみやまコンセールの予 算を介してバス会社との契約が結ばれているが。)
 音響設計の安藤教授夫妻はみやまコンセールに近い別荘地に居を構えたが、冬場の寒さ などを理由に数年で神戸に帰っていかれた。霧島は確かに自然環境に恵まれた豊かな風土 ではあるが、通年で、或いは日常的に集客していくには少し離れたところだ。初期の思いの ごとく、キャンプ場のように、夏の一時期だけに、例えば『今年の夏もついに開幕!みやまの 森の音楽シーズン!森の動物達も耳を傾ける世界に誇る演奏の数々、そして未来を担う若 いアーティストが集う霧島国際音楽祭の一ヶ月!』といった集中的な音楽シーズンづくり もありえたのかもしれない。
 だが、ともかくも世界に誇る音楽ホールは霧島の大地に建設された。そしてホールの自 主事業以外にも様々な貸しホールとしてピアノ教室の発表会にまで利用されている。果た して遠さとはなんだろう。

【講習会のタイトルは消ええたが】

 霧島国際音楽祭のパンフレットはつい先ごろまで霧島国際音楽祭・講習会と銘打たれてい たが最近では講習会の文字が消えた。それは音楽祭の変貌とも見えたが、実際には今年の音楽 祭にも160名を越える講習生が全国から集っているという。
 おそらくは一般向けに作られたプログラムの顔には、演奏会の豪華さと鹿児島など各地 開催が増えてきた今日、講習会の文字は必要なしとされたのだろう。講習会は立派に機能 している。
 森藤さんはビアノの先生のための講座に参加して来た。これまでにダン・タイソンやヤブ ウォンスキーなど一流演奏家の指導法を学んだし、彼らが実際に講習生をレッスンしている 様子を目の前で聴講することも出来た。人気が高まって昨今は予約が必要な程らしい。
 音楽レッスンはひとりの先生につくとなかなかほかの先生の指導を受けることは難しい が、この音楽祭の中ではそれが可能だったので全国からかなり優秀な講習生が集まった。県内 枠を設定しなければならないほどだという。
 ボッセさんの偉さと一石を投じた音楽祭の価値を今林氏も強調した。あの音楽家が来るの なら習いに行っておいでと、日ごろほかの先生につくことを嫌う先生が言えるほどの勉強の 機会だったのだ。音楽を志す若者、次の世代へ音楽の精神、演奏家の真髄を伝える場として霧 島国際音楽祭の始まりはあった。底辺の拡大のために指導法を学ぶ講座も始まった。
 日本に音楽祭が多い中で、講習会を打ち出しているのは霧島と草津など、中でも霧島がモ デルとなって、近頃では宮崎や大分の音楽祭でもマスターコースなどを取り入れ始めてい るらしい。
 「音楽祭をもっと利用する発想はこれからもあっていいのですが、一方霧島の音楽祭は それを先取りしすぎていて、かえってありがたみを薄くし、今日普通の方向(コンサート重 視)へ歩き出しているのではないでしょうか」と瀬戸口氏は語る。

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【変遷か、変貌か】

 霧島国際音楽祭の講習は、はじめ弦楽器を中心としたものだった。今林氏は、弦楽器の技 術能力はこのあいだで随分向上したのではと語る。講習生が持ち寄る受講曲も高度なもの になってきた。全国的にそうだが、30数年前からすると弦楽器の演奏者が格段に増え、鹿児 島県でも各地にオーケストラが出来てくるほどになった。弦楽器奏者の人口が増えること が地域の音楽文化にとってもっとも大事なことだと。「だから霧島国際音楽祭の存在自体が この地元にとって大きな励みのはず」なのだ。
 森藤さんは霧島国際音楽祭に来演する指揮者や楽器の演奏家達が、地域の学校を訪れて 直接指導をしてくれる機会が増えたことで、生徒達のモチベーションを向上させているこ とを上げた。一流の先生方を学校の吹奏楽や合唱の現場に派遣する事業である。楽器奏者 が合唱の教室にとジャンルが違っても、それを超えた音楽の真髄の指導につながっている ようだ。地元還元を音楽の出前(アウトリーチ)と称して音楽祭への興味を増し来客を増 やそうという事業も試みられている。
 一方で森藤さんは、むかし平日でも結構多くの演奏会が随所で行われ、よく聴きに行く ことができたと話した。しかし最近は演奏会が土日に集中したり、また様々な県の音楽コ ンクールがこの夏の時期に集中してその方に手を採られるため、「自分で音楽祭を楽しむ チャンスがなくなりました。しょうがないけど」とも語った。
 瀬戸口氏によれば、最初は講習生が先生方の演奏を聴くための演奏会だったから平日 でも良かったけれど、そんなにいい演奏なら一般の人にも、そしてそれならば集客のいい 土日にという具合で、さらに、みやまコンセールのような770名入る立派なホール を活用するために・・・と、みやまコンセールの開発時にも似た広がりようである。拡大と充 実、上昇的発想と本来の目的は途中から矛盾を生じるようだ。
 今年のプログラムを見ながらもう一つの問題点を瀬戸口氏が切り出した。「最近の音楽祭 の中心地をみやまコンセールと考えることができますか。霧島の音楽祭なのかそれともカッ コ鹿児島が付くような内容・・・今、演奏会も鹿児島市での開催が増えている現状をどう思いま すか」と、いよいよ霧島市民にとっては気になる問いかけが。
 今林氏はこう答えた。「霧島市のレベルがそこまで上がっていないようには思います。しか し逆に多くの霧島市民が聴くことになれば、そのレベルは上がっているとも言えますよね。あ あ良かった、また行こう・・・と。その一歩、その意欲が足らない、出づらいというのがあって。 私の二つの公民館講座生でも、話せぱ足を運んでくれますが、70歳以上の人が多く、そうなる とみやまは遠く、地域の公民館などに出かけてきてくれることがあると、そこがきっかけで霧 島市のレベル向上にはなると思います。」
 アウトリーチの需要はこうして生まれる。だが今、結構遠方での出張音楽会が県民全体に向 けてあろうという中で、霧島市内での充分な演奏会要請はどこまで可能なのだろう。

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【母屋を取られかねない】

 近年宝山ホールでの演奏が増えてきた。今年は「宝山ホールの一日」といった、充実したプロ グラムが設定された。時を重ねていくうちに宝山ホールの集客は増えていくだろう。多くの音 楽ファンのための選択だとすると正しい方向かもしれない。だが、本来は夏の霧島が舞台 だったはず。中心と周辺の線引きは持ちたいものだが・・・。
 音楽祭の中では「大規模なオーケストラやオペラは宝山、室内楽はみやま」という考え方 があって、第九のような大勢の演奏や集客を見込むと宝山の選択は当然だともいえるとの ことだ。できるなら県全体を統べられる人材の音楽監督がいて、霧島国際音楽祭の精神と いう高みからこういうことも裁いてくれないか(つまり神の声)と瀬戸口氏。集客性、コン サート重視化が進んで母屋を取られかねない状況が進行している霧島国際音楽祭を、これまでの 経緯も踏まえて、霧島市民はどう考えるのだろう。
 瀬戸口氏はさらにつづけて「僕はこのごろ、市民への働きかけよ りもやはり演奏家の方々の霧島で過ごす講習期間の印象、そこの自 然や集いや夜話や自然体の音楽講習などの豊かな経験が、いつか外 側からこの地の、そして音楽祭の価値をロコミで高めてくれるとい う、その方向からの充実を思うようになりました。」と語る。「私も参 加するたびにやはり来てよかったと感動するのだけど、そこが市民 の人には伝わっていないように思う。」と森藤さん。いまだに牧園町 のことだ、別世界だと思われているらしいことも語られた。霧島市 民は霧島の音楽祭だという意識をどんな形で持てばいいのか。

【音楽を楽しむ人生】

 市民と音楽祭の関係作りを語るうちに、今林氏からこんな疑問 が投げかけられた。
 「毎年各学校の200名を超える吹奏楽部員が卒業しているわけですが、霧島市の吹奏 楽団に入ってくる人は全然いません。グリーンエコーはどうですか。学校ではコンクール のために音楽をするが、コンクールが無くなると止めてしまう。そこには人生で音楽を楽 しむという姿勢が養われてきていないような気がするのですが。」
 瀬戸口氏は学校の吹奏楽や音楽コンクールが盛んになっていることについて、「一つは楽 器メーカーの戦略です」と一蹴したあと、「だけど音楽祭も経済性という観点で音楽産業と の絡みも考えなければなりません。それと子どもたちは3年間必死に楽器をやって燃えつ きてしまうということがある。音楽産業として捕らえると音楽は金にならないことはない のですが、音楽の道を歩もうとすると指導者の側が容易には薦めてくれない。もっと楽器 を弾くこと、歌うことが一生の楽しみであることを主眼に指導してもらえたらと思うので すが。」と語った。
 コンクール主義は音楽会に行っても欠点を探す批評家的な観点からしか音楽を捉えられ ず、音楽そのものを楽しめない層を作っていることもあるらしいのだ。結果的にうまくな ればいいので、最初からうまく演奏することが目的にしてしまっている。燃えつきてしまっ ては元も子もない。
 演奏プロの門戸は狭い。だが音楽産業全体では結構仕事があるという。だからもっと音 楽を自然な形で日常、つまりは生活の中に置くことで、コンサートや音楽祭も手元に引き 寄せられるのではないか。

【霧島市民の霧島国際音楽祭への第一歩は・・・】

今、霧島市でも新しい霧島友の会の組織とあり方、入会勧誘のための魅力の発掘が始 まっている。(かつては総勢200名ほどいた会員が様々なメリットをうまく使っていた。) 今現在は50名ほどでスタート。新しい友の会はまだあまり知られていない。
 音楽祭への参加には三つの筋道がある。友の会としてボランティアを含めた参加か、聴 衆としての参加か、音楽関係者としての参加かである。
   この際、この記事に触れた皆さんは自分のコンディションでそのどれか一つに自分を位置 づけてみてはいかがだろう。せめて聴衆として、この期間最低2つのコンサートに足を運ん でみてはいかがだろう。友の会に入会し、地元と音楽祭の関わりを新たにつむぎ出すのもい い。そうなるように行政や関係者が東奔西走する姿もあっていい。
 霧島は数多くの価値と可能性に浸された町である。自然、歴史、産業、施設・・・しかしそ れを自慢するだけでは単なる霧島の住人。その価値に匹敵する市民の力とは何か。理解 し、享受し、担ぐ力を生むことが市民力の評価につながる。経済力や消費(イベントも含 めて)が多いだけでは真の市民の豊かさは見えないのだ。
 経済の力は人を集めるが、文化の力が人を定住させていく。私達が受け継いだものから 何を創り出していくのか。幸い40年近く前に落ちた一粒の種がこの地で貴重な花を咲か せた。夏の霧島の音楽祭・講習会開催の文化を今年も受け継いだ。ここで開催されること の意義、それを担ぎ上げる市民の開催力、享受力、支援力こそこの地域の文化力の表われ だと思いたい。

※友の会の入会情報は左記までご連絡ください。 霧島国際音楽祭霧島友の会事務局
電話0995-1421-1119
霧島市教育委員会文化振興課(山元まで)


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