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2016年6月 第195号

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 以前、モシターンでは「福山牧-島津が拓いた巨大牧場(2009年 6月号)」を特集しました。福山町牧之原の地名はその名残。当時九州で 最大といわれた福山牧では良馬育成のための様々な取り組みがあリ、 そのポテンシャルが明治以降の牧園の国立種馬牧場選定や後の農業 大学校、塚脇の畜産試験場などに引き継がれ、霧島周辺は本県の畜産王 国化の基になったのです。
 そこで今回は、「牧」の字つながりで、かつて「種馬所」と呼ばれて いた「牧園」の様子を見てみたいと思いました。早速、町史など当たっ ては見たものの、今に受け継がれる牧場の様子を知るためには馬に 詳しい人のお話を聴くのが一番だと思い、牧園町のレストラン「みん なの家」に凛々しい乗馬姿の大伸ばし写真を掲げている霧島市民薬 局の寺脇康文氏を尋ねることにしました。
 お話は昔懐かしい草競馬のころのことから、乗馬、馬術の世界へと 展開。そしてそのまま日曜日の午後で賑わう乗馬クラブ訪問へと、 目くるめく進展していきました。

【牧園の名の由来】

 それは大きな誤解だった、と記したのは、かつて牧園町を取材した伊地知記者 だ。福山牧同様に牧園の高台にも島津の馬牧場があったのだろうと推測したの だった。ところがそこに藩の牧場はなかった。
 踊り郷の中心地に牧園と呼ばれた小集落があり、その元は熊襲がそこで馬を育 てていたという伝説。そこからの命名だった。村名を決めるとき、「踊り」より「牧 園」のほうが良かろうとなったのがきっかけらしいのだ。
 だがその命名が時の命運を引き寄せることになった。

【国立種馬牧場設立地に選定】

 それは、全国に2箇所だけの選定だった。
 明治27~28年、日清戦争に勝利した日本は当時の列強に倣うがごとく植民地政策 を敢行し、朝鮮、中国への進出を一層強力に進めていた。そこで荷役や軍役を担う 優秀な馬の生産が急務となったのだろう。翌年明治29年の勅令により全国に2箇 所の種馬牧場と15箇所の種馬所を設けることとなった。
 県下からも7箇所の候補地が上がったが、九州種馬牧場は当時の桑原郡牧園村 に決定したのだ。
 その場所は牧園村大字中津川(現在の大字高千穂)一帯だった。用地の周囲には 土塁が構築され、その延長は周囲を囲むだけでも52キロに及んでいたという。
 北海道から大量の農機具が導入され大規模な農場耕作が始まるとともに、欧州 からサラブレッドやアラブ種の優秀な種馬が配置された。牧場では馬の世話をす る牧手と耕作に従事する耕手とが割り当てられ、常時50人ほどが働いていた。
 司馬遼太郎作の「坂の上の雲」に登場する主人公等とともに戦った軍馬も、こう して生まれたものだったのかもしれない。明治37~8年日露戦争を戦ったころ には種馬牧場の目的はほぼ達せられたのだろう。明治40年には種馬牧場としては 廃され、陸軍や農林省などが管轄する鹿児島種馬所となる。爾来、牧園の種馬所は 地元の人々の産業、観光の一翼を担いながら地名としても定着し、大正から昭和 へ、長く受け継がれていった。

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【畜産と競馬と馬術競技】

 戦後は牧の様子が一変する。昭和21年、種馬所は農林省管轄の鹿児島種蓄牧場と されたが、4年後には廃止され、牧園町立の牧園牧場となった。戦後の復興期に食 糧供給の必然性があったのだろう、牛やヤギ、ヒツジが次々と導入され、養鶏も始 まった。やがて地元の高校に畜産学科が開設されたり、県の畜産研究機関として 農村センターが、また隣接地に農業大学校が創設されるなど、生産型の牧畜が盛 んになっていく。霧島山麓には多くの開拓者の手で大小の牧場、畜産場が開かれ ていった。
 その一方で、馬の牧場の伝統は絶やされることなく、中央競馬会の助成を得て 馬場の整備や厩舎の設置を行い、競走馬の育成を主に事業化が図られていった。 その後、馬の温浴設備なども整えられる。
 昭和49年からは整備された牧場馬場を使って、桜咲き誇る4月に霧島競馬が開 催されるようになった。また馬術大会の開催地としても認められ、学生馬術大会 が開催されるようになっていった。
 寺脇氏が都会から牧園に帰ってきたのはちょうどそのころだった(昭和51年28歳 のとき)。馬場には競走馬が駆け、周りには放牧場、厩舎、採草地が広がっていた。 当時の観光ブームも手伝って昭和48年に整備された霧島高原乗馬クラブも、誰で も気楽に乗馬を楽しむ施設として稼動を始めていた。

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【馬とともに40年】

 多くの肩書き、多くの仕事を手がける寺脇氏だが、こと馬に関する話になる と後から後から面白い話が飛び出して戸惑うほどだった。
 デイサービスと訪問介護センター、喫茶レストランを併設するみんなの家。 応接室には数枚の群馬のリトグラフに馬具や馬の置物、書物、そして障害をい ままさに飛び越えんとする寺脇氏自身の写真。渡された名刺の一枚には、鹿児 島県馬術連盟会長とあった。
 揃えていただいた牧園町史のプリントで、大まかな歴史をおさらいすると、 早速馬と乗馬と馬術の話に花が咲いた。(以下、氏の言葉としてかかせていただ く。)
03gif  「今でも週末にはできる限り乗馬クラブに足を運んでいます。あそこは牧園 町が作って、その後大霧島観光協会が管理していました。私が 責任者だったこともあるのですよ。今は受 託管理で運営しています。」
 「乗馬と馬術は違います。馬を乗りこなす 乗馬から馬を操る馬術へ、馬術にも馬場馬 術と障害馬術がありオリンピックの種目 にもなっているわけです。馬術を極めよう とすると、馬を種付けして乗用馬として育てるところからは じめなければなりません。大変な苦労です。競走馬の育て方とは違う。これまで 14~15頭の馬を所有しました。いまは1頭、フレーゲルゼットがいます。優秀な 馬で、昨年も村岡君と優勝しました。L「鞍上に人なく鞍下に馬なし、という 言い方をします。人馬一体、一心同体ということ。いい馬、いい騎手がそろって いい成績になる。そのルーツはやはりヨーロッパで、そこには根強い馬文化が 当たり前のようにあるのです。日本人がソフトボールや運動会を楽しむように 競馬や馬術大会があってお祭になっているのです。オリンピックの馬術の選手 選考もヨーロッパで行われています。」
 「日本は軍馬を必要とした時代こそ馬への関心が高まりましたが、もともと牛 を働かせていた国でした。だからこそ牧園はかつて特別な馬へのアイデンティ ティーを持った場所だったんですよ。」

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【野外騎乗が乗馬の極致】

 「霧島高原乗馬クラブは、観光にも一役買っている施設です。乗馬は特に女性に 人気ですが、近頃よく言われる体験型観光という面でも、もっと広い地域や年齢 層から人を集められたらと思います。」
 「この町には明治以来、馬を扱う文化が根付こうとしてきました。それが乗馬ク ラブの形で継承されているのはいいのですが、西洋の馬文化に見られるように、本 来、乗馬は人の足として野外を自由に歩くためのものだったのです。馬上の景色 のすばらしさを感じたことはあまりないでしょう。騎乗して自然の中を歩けば、春 は草地にいっせいに咲き誇る花々がまるで天国のように目に映るし、夏は青空か ら白い雲へと見晴るかす世界に感動します。秋の紅葉、冬の澄んだ山々、馬上の高 いアイポイントならではのビジョンは絶対お勧めです。そんな野外騎乗の仕組み を作っていけないものかと思っています。牧園の柳ヶ平辺りなどは絶好地なの ですが・・・」
 「ウエスタンという乗馬スタイルもありますね。牛を追う生活型の騎乗スタ イルで鞍に握り手がついているのが特徴です。鞍をつかんで安定し、カウボー イハットをかぶって投げ縄を操ったり、ロデオをしたり。一方、スポーツ型の騎 乗が馬術の方でブリティッシュスタイルと呼びます。どちらの型でも乗馬の楽 しみは味わえますよ。」

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【若き騎手を育てながら】

 寺脇氏は乗馬や馬術が特定の人だけのものになってはもったいない、と語 る。そのためにも乗馬の裾野を霧島山麓に広げていけたらと。それによって馬や 馬周りを扱う人の経済性が高まり、蹄鉄を打ったり、馬具や乗馬ファッション だったり、体験型観光の目玉だったりして産業的循環も高まるというのである。
 寺脇氏に付き添われて訪れた霧島高原乗馬クラブでは、国体や全国の馬術大 会で優勝の騎手村岡一孝さんをはじめ、この厩舎に泊り込みで馬術を学ぶ3人 の高校生を紹介された。霧島高校に鹿児島市と鹿屋市、そして愛知県から馬術留 学している。
06gif  学生馬術は青少年教育にも適したスポーツで、そもそも並な精神力ではこな せないという。自分で馬を手入れし、餌やりし、泊まりこみで馬とともに毎日を送 らなければならない。
 その他、鹿児島国体に向かって幼いころから訓練をつむ小学生のグループ(15 人ほど)や鹿児島大学の馬術部を含む青年グループ(30人ほど)もコーチを受けに やってくるらしい。本県で馬術競技が始まって以来、このクラブは常に上位の成 績を上げてきているのだ。
 明治からおよそ100年、様々な形で世の中に尽くして来た牧園の牧場は平 成8年ついに閉鎖された。
   かつて国立の種馬牧場があった広大な場所は少しつ つ変遷し現在、国民休養地やゴルフ場、別荘地、みやま コンセールなどに活用されている。少し工夫をすれば かつての牧場地を廻るような野外騎乗を楽しめる場所 ができるかもしれない。
 「牧園」という名をいただいた土地にかつての歴史を 引き継ぐ「乗馬の園」を夢見ながら、優しい目をした馬 達に別れを告げた。
(取材、福留湖弓)


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