四社家の館跡

隼人町宮内地区には、鹿児島神宮(大隅正八幡宮)の仕事に代々携わってきた 社家がおります。長い人で千年も続いています。有力な社家の館は四箇所あり、 発掘調査で、館を取り囲む堀と土手(土塁)を築いて防御を厳重にしていたこと が分かりました。その大きさはおよそ百m四方で、中国・朝鮮・タイ・ベトナム など外国の焼物もたくさん見つかっています。

3. 沢家館跡

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沢家墓碑群
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沢家墓碑群
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嘉禎3年石柱(中央)
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延応元年石塔
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堀跡(第一次調査)
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沢家墓碑群平面図
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沢家墓碑群調査図
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沢氏館跡

 辻の交差点から北東約400mの舌状台地に立地する。東は天降川の氾濫原に接し、比高差は約5m。台地 の西側を走る低くなった市道が堀の可能性をもつ。沢氏は「嵯峨天皇より出、姓は源朝臣、承和9(842)年 下向した」とされる。田所検校の職にあり、明治維新時は70石であった。多くの文書が『旧記雑録』に集録 されている。現在、子孫は市内にいない。墓碑群は径8.5×8m、高さ約1mの方形の封土の上に、49基の板 碑が4・5×3・2mの範囲に長方形状に並ぶ。その中に延応元(1239)年の石塔や五輪塔。嘉禎3(1237〉年銘の自 然石柱もあり、市の指定史跡となっている。

 2次にわたる調査で堀跡が三か所で検出され、台地の東端およそ80m四方を限る区画であることが判明し た。堀の幅は4~5mで、深さは現地表から2.0~3.5mで、薬研堀もみられた。

 遺物としては、中国製の青磁・白磁・陶器・青花,タイ陶器、国内産中世陶器、近世陶磁器などがみられ た。遺物からみて、桑幡氏と同様、11世紀後半ごろから居住していると思われる。


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