四社家の館跡

隼人町宮内地区には、鹿児島神宮(大隅正八幡宮)の仕事に代々携わってきた 社家がおります。長い人で千年も続いています。有力な社家の館は四箇所あり、 発掘調査で、館を取り囲む堀と土手(土塁)を築いて防御を厳重にしていたこと が分かりました。その大きさはおよそ百m四方で、中国・朝鮮・タイ・ベトナム など外国の焼物もたくさん見つかっています。

2. 最勝寺(さいしょうじ)家館跡

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堀跡

 沢氏館跡の南の台地上にあり、戦後まとめられた古墓が残存。最勝寺氏は「九条右相丞師輔より出、6代 孫道宗が寛治年間(1087~94〉に下向し、姓は藤原朝臣、別当職にあった」。末裔が今でも居住している。台 地の北側末端、沢家墓碑群寄りに、宝瞳印塔・五輪塔・宝塔や近世の墓石などがある。明治維新時は25石で あった。

 平成20・21年度に発掘調査され、堀跡などが検出された。館の規模は長辺85m、短辺60m、幅50mと推定 される。堀の規模は幅約5m、深さ約4mで、傾斜は約85度近い角度であった。 出土した遺物としては、大宰府分類白磁椀IV・V類、青磁Ⅱb類、陶器・青花、国内産中世陶器、近世陶 磁器などであった。11世紀後半からみられ、中世前期~近代までのものが出土している。

 館規模からみて、最勝寺氏館跡は村落領主クラースの規模を有する可能性があるが、検出された堀の外にも 中世前期の遺構が広がっており、時代によってその規模は異なっていると思われる。


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