四社家の館跡

隼人町宮内地区には、鹿児島神宮(大隅正八幡宮)の仕事に代々携わってきた 社家がおります。長い人で千年も続いています。有力な社家の館は四箇所あり、 発掘調査で、館を取り囲む堀と土手(土塁)を築いて防御を厳重にしていたこと が分かりました。その大きさはおよそ百m四方で、中国・朝鮮・タイ・ベトナム など外国の焼物もたくさん見つかっています。

1. 留守氏家館跡(るすしやかたあと)

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正門
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館跡正門と蔀(しとみ)
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館跡正門(西から)
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池・築山跡
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氏神
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土塁(南西から)
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堀跡(第6次調査)
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遺構分布図

 参道と県道の交差点の南東にあり、神宮から約600mの位置にある。留守氏は紀氏姓を称し、「貞治2(13 63)年、留守左衛門入道景信が石清水善法寺より下向した」といわれる。現在の当主で16代目。館は6次に 亘って発掘調査された。幅4~7m,深さ3~4mの堀跡や貿易陶磁器が見つかっている。館内には、今な お高さ約3m、幅約11mの土塁が、40mの長さで残っている。土塁は版築工法で構築されていた。館の形状 は、北西が屈曲する平面形を呈する。昭和24年の屋敷の配置図によると,周囲は堀と竹林に囲まれており、 約1町歩の面積を有すると記されている。東西の距離は堀間で約70m,南北は100mを越すであろう。

 調査で見つかった遺物としては、多量の土師器、国内外の陶磁器、高麗青磁、タイ産陶器、瓦器椀などが ある。

 館は、北西がクランク状に屈曲する平面形で、宝暦6年に建造された近世の建物には中門が二つあり、室 町儀礼的な礼門と脇門の構造を有していた。現存残っているものに、土塁・氏神・水神・井戸・看経所・築 山(庭園・池跡)があり、川を挟んで南側に墓地がある。

【留守氏系図】

景信1―幸範2―景延3―景俊4―景照5―景致6―義景7―景親8―

藤景9―景廣10―景種11―景恒12―景意13―景次14―景廣15―景彦16


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