13. 宮内原用水

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宮内原用水路記念碑

 江戸時代に造られた用水路です。正徳元(1711)~6(1716)年に、郡の奉行であった扮陽盛常という人が計画・実行しました。天降川の水天渕付近から浜之市まで、およそ10㎞の用水路で、水が引かれた面積は「隼人町377町4反、目当山木25町6反、国分町10町2反」とされています。

 「抑々宮内原新田は時の郡奉行粉陽四郎兵工盛常先生曠古ノー大事業トシテ万難ヲ排シ藩主島津公ノ許可ヲ得テ正徳元年辛卯十二月ヨリ享保元年丙申四月二至ル約六ヶ年ノ目子を費シ延長二里半二亘ル用水路ヲ開拓シ各支線各施設二 多数ノ私費ヲ投ジ遂二此ノ難工事ヲ完成シ称来目当山隼人国分ノ三ヶ村関係者の亨クル恩沢ハ如何ナル旱越二遭遇シテモ嘗テ枯渇ノ憂ナク」(昭和12年建立扮陽盛常(かわみなみもりつね)翁頌徳碑、隼人体育館裏より)


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