18. 古代官道
古代官道跡? |
宮内小学校梅園跡記念碑 |
古代の大隅国府から大宰府へのバイパスです。官道とは今の国道や高速道路
にあたります。『石清水文書』の中に「往古大路字宮坂麓」という記録があり、
ここを古代の大きい道が通っていたと考えちれています。旧志學館大学の南側
を通り、溝辺町の十三塚の近くから、北上するルートが考えられています。
「十三塚の伝説」
「昔、宇佐神宮と大隅正八幡宮が本家争いをした時、宇佐から14人(三国名
勝図会では3人)の神官が来て、芋茎を使って大隅正八幡宮を焼いた。すると、
煙の中に『正八幡』という文字があらわれた。恐れおののいた神官たちは逃げ
る途中、13人が次々と亡くなった」。それを埋葬した場所が十三塚原と呼ばれ
ています。近くには、「大道」・「大道添」の小字が残っていいます。
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