舎とは青少年達が自発的に学習団体を編成して学ぶ場所。
加治木には【青雲舎】という舎があります(現在進行形)
薩摩藩の舎は心身を鍛え、廉恥を重んじ、礼節を大事にする調和の取れた人格形成をめざしていました。

新納教義氏の話では、当時30〜40人の青雲舎生がいたそうです。
学校が終われば、舎に集まってそこで宿題を済ませて家に帰っていたそうです。
分からない問題は上級生が教えてくれるので、濃密な上級生との接触が持てたそうです。
伊丹昭氏は、放課後になると家に帰って制服を脱ぎ、なんと袴をはいて青雲舎に現れていたそうです。また漢文の天才で町々の方々に建っている石碑の白文をノートに書き取り、時には下級生がその手伝いを頼まれたそうです。
毎週土曜日には、夜7時〜10時まで皆が集まり、青雲舎でいろいろな話をするそうです。演説をぶつものがいたり、伊丹昭氏の漢文の朗唱を聞いたりしたそうです。
この舎には男子しか入れませんでした。本校の卒業生でもある体育科の中村万里子先生は幼い頃この舎に入りたくてたまらなかったそうです。


山崎豊子
松元清張
二つの祖国
伊丹明
郷中教育
→舎
中村万里子先生