なんと!
椋鳩十氏は加治木高等女学校(今の加治木高校)で国語を教えていたんです!
バレー部の顧問もしていたそうです。
当時、加治木女子校生だったHさん(70歳)にお話を伺いました。
Q.椋先生は何を教えていらしたんですか?
A.国語を教えてもらいました。
Q.どんな先生でしたか?
A.とにかく優しい先生でした。
よく授業中に故郷の長野県のお話をしてくださいました。
Q.他に印象が残っていることがありますか?
A.背が高くてほっそりした先生でした。
兵隊さんが持つ小さなカバンをよく首からさげてました。
* 椋先生は、バレー部の顧問をしていらしたそうです。
当時の鹿児島では、服装(ダブルの背広)や外国語を使うと言うことで町議会で
問題になったりもしたらしいっ
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「椋鳩十」について
椋鳩十は日本を代表する児童文学の作家です。
彼は、鹿児島の自然を舞台に動物と人間のふれあいを数多く残しています。
略歴:
1905年
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1月22日、長野県下伊那郡喬木村に生まれる。
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1930年
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法政大学文学部国文科卒業。
鹿児島県加治木高校女学校教師となる(17年間勤務)。
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1947年
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鹿児島県立図書館長に就任(19年間勤務)。
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1951年
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「片耳の大シカ」出版。文部大臣奨励賞を受ける。
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1960年
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「母と子の20分間読書」を呼びかけ全国に普及。
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1961年
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「大空に生きる」で小川未明文学奨励賞受賞。
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1963年
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「孤島の野犬」で国際アンデルセン賞受賞。
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1967年
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鹿児島女子短期大学に勤務(11年間)。
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1971年
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「マヤの一生」「モモちゃんとあかね」で第一回赤い鳥文学賞受賞
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1987年
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12月27日他界、82歳。
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椋鳩十文学記念館
椋鳩十文学記念館には、自筆原稿や取材ノートなど数多くの遺品が展示されています。
生前時そのままに復元された書斎やマルチスクリーンで椋鳩十の生涯作品を見ることが出来ます。
また、来館した著名人の色紙も壁に展示されています。
そのうちのいくつかをご紹介!
椋さんの偉大さを
きょう初めて知りました
-まどみちお-
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