野望乱立〜その二〜










━━叛乱発生から五十七日、洛陽。宦玄邸

洛陽は、広い。
いくら20箇所の壁に暗号文を書き込んだからといって、これが關龍白の目に留まる可能性など、ほとんどない。
それでも羅刹には、自信があった。
「そりゃまた、どうして?」
内面はともかく、外見だけはくつろいだ様子の關龍白が尋ねると、羅刹は「不届きにして過激な落書きをする輩がいる、という話を耳にしてね」と言って、机の上に置いていた紙を読み上げた。
涼王をはじめとする真の忠臣は、日々思い続けた。黄巾の乱以降の荒廃からの復興を。漢朝による泰平の世の実現を。しかるに、漢朝はまこともって浅はかなことに、自ら陰謀をめぐらし、自らその芽を摘み取ろうとした」
先の郭図公則の蜂起は、忠臣を騙る売国奴によってなされた、偽りの義挙である。そして、これを嘉した漢朝に、もはや天下を統べる資格はない。それを証明にするに足る事実を、皆は知っている」
「時は春秋。晋の文公は自らを殺さんと宮殿に火を放った郤缺を許し、登用した。しかるに、漢朝は同じ境遇の馬参を殺そうとした。郤缺には何の功績もなかった。馬参には、逆賊・曹操から帝都を解放するという、比すべくもない功績があった」
「ここで蒼生に問う、今上皇帝の度量は、文公と比してどうか? 
忠義の何たるかを想起しえない漢朝が、天下を統べる資格も、そして資質も失ってしまったことは、火を見るよりも明らかである」
「蒼生よ、省みよ。何故、黄巾の乱が勃発したのかを。何故、我らが涼王と共にあるかを。我々は長い時を待ったが、もはや天下の蒼生に、ためらいの吐息をもらす者はいない。大涼は大いなる支柱を失うことなく、戦機を伺っているが、それもまもなく実証されよう。蒼生たちよ。今こそ立ち上がれ。器矮小にして無道なる君を排除し、新しい平和な世を創るべし」

わざとらしい抑調をつけながら書面を読み上げた羅刹は、その紙を卓に放り投げると、愉快そうに笑った。
「これだけの長文を六つの通りに殴り書き。大変だったろうな。よく官憲に見つからなかったものだが、こんな檄文を書いた者なら、それが民にどのような反応を示すか、確認したくなるものだ。きっと卿は、通りに戻ってくる。そして、私の呼びかけを見つける。そう踏んだのさ」
「私がその檄文を書いたというのかい?」
「今の帝都にあって、危険を冒してまでして大漢を愚弄する文章を書き散らすという者も、さほど多くはない。何より私は、卿の文の癖を覚えているのだよ」
「私にこんな激烈な文を書くほどの熱があるかな?」
「十分にあるよ。卿は冷めた振りをしているだけだからね」
關龍白は一瞬、拳を握りかけた。
これだ。
これだから、この男が――いや、男にして男でないこいつが、大嫌いなのだ。
「私の先々代の校閲を受けられたなら良かったね。そうすれば、もっと読む者の心に訴える文となっていた」
これに対し、關龍白はすかさず反撃に出る。
「空気を読めない扇動者殿の校閲か。気が乗らないな」
途端、羅刹の表情が固まった。
羅刹は初代宦玄はもちろん、二代目宦玄とも面識はなかったが、宦玄の名を継いでいる以上、先達への敬意は十分以上に持っている。
「私も今日は、久しぶりの休日でね。不毛なやり取りで時間を潰すのは本意ではない」
睨みになりかけた自分の視線を調整しながら、羅刹は殊更ゆっくり、言った。
「おそらく卿は知らないだろうから、教えてやる。楽楊じいさんが死んだよ」
「!」
効果はてき面だった。
關龍白はスッと背筋を伸ばし、目を見張った。
しかし、何も言わない。
羅刹は漢の臣であり、自分は漢から「逆臣」と認定された涼王を助けたお尋ね者だ。
なぜ自分がここに呼びつけられたのか、その理由がわからない以上、言質を取られるのも得策ではない。
「楽楊じいさんは、涼王とともに抜け穴から帝都の外へ脱出を図ったらしいね」
關龍白の反応を観察しながら、羅刹は説明した。
「その途中で、官憲に捕まりかけた。慌てて逃げたところ、暗がりの中で脚を取られ、転倒したらしい。そして、首を折ってね…………即死だったそうだ」
「公式には出ていない話だね」
てっきり楽楊は、涼王とともに脱出を果たしたものと思っていた關龍白は、鼓動を抑えながら言った。
「おかしいじゃないか。朝廷にしてみれば、楽楊様は逆臣・涼王の脱出を手がけた大罪人。大罪人の首は、市場に晒すのが通例だろう」
「そうしてしまったら、それこそ涼王の帝都脱出を民に認める結果となる。あの頃はまだ、涼王の捜索が継続中だった」
「今は、違う。涼王が許昌に逃げたことを知らぬ民はいない」
「首を晒すべき時期を見失った、ということさ。何より、抜け穴は深く、狭く、長い。あそこから遺体を引き上げるというのも、なかなか骨だ。そんなことに労力を使うよりは、帝都の治安維持に兵を回した方がいい、と誰かが判断したらしいよ」
「誰が?」
「それは知らない。司隷校尉か、あるいは司隷校尉の部下か。とにかく連中は、楽楊じいさんの亡骸に価値を認めなかった」
「ということは、楽楊様の御遺体は、今?」
「抜け穴に転がったまま、ということになる。憐れなものだね」
ここで初めて、關龍白は目を閉じ、頭を垂れた。
腑抜けになりかけた楽楊に見切りをつけ、その身柄を郭図公則側に売りつけようとしたこともある關龍白だが、それでもあの老人が、自分の上司的立場の人物だったことに変わりはない。
その死に臨み、弔いの情を示すのは、士として当然のこと。
「卿はなぜ、涼王や楽楊じいさんとともに、帝都から逃げ出そうとしなかったのかね? 壁に落書きをする以外に、帝都で何か謀略でも企んでいるのか?」
關龍白が目を開けるのを待ってから、羅刹は尋ねた。
「私は洛陽生まれの洛陽育ちだ」
心の中で、楽楊の死に整理をつけた關龍白は、胸を張った。
「ここから離れることは望まない。それだけのことさ」
「それならそれで、いいよ」
つまらなそうに鼻を鳴らした羅刹は、次の問いに移る。
「念のために確認しておく。卿は私を嫌っているね」
「まあね」
「そして、私が卿を嫌っていることも知っている」
「まあね」
「私は大漢皇帝に仕える宦官だ」
「そうだね」
「そして卿は、その大漢に仇なしたとして手配されている、お尋ね者だ」
「洛陽においては、そういう立場となる」
「それなのに卿は、私の屋敷へとやってきた。私が卿を誘き寄せ、司隷校尉に引き渡すとは、想像しなかったのかね?」
「もちろん、思ったよ。君はよりによって、宦官なんぞになってでも出世しようとする奴だからね。だから楽楊様も、君には失望していた」
「死人のことはもういいよ。なぜ、無警戒にここへやってきた?」
「まこともって残念ながら、私がまだ、小者だからさ」
「もう少し詳しく聞きたいね」
「楽楊様の情報収集組織は、とっくに崩壊している。私を捕え、首を刎ねたところで、蟻一匹が死ぬようなものだ。司隷校尉府の者たちの気分を少し収めるだけで、何ももたらさないし、変わりもしない」
「冷静な自己評価だ。その点、敬意に値する」
「そんな私を司隷校尉府に引き渡しても、君の立場がさほど良くなるわけでもないだろう。君は蛇のように粘り強く、我慢強く、そして強欲だ。その程度の成果を望んで、あんな下手くそな暗号を晒すほど、せっかちな気性ではない」
「そこまで読んでいたと知って、安心したよ。幾人もの候補の中から、卿を選んだ甲斐もあったというものさ。しかし、下手くそ、とは言ってくれる。私なりに考えたつもりだがね」
「先々代の…………いや、先代の校閲を受けるべきだった、と申し上げておこう」
關龍白の強烈な反撃に、羅刹は顔をしかめた。
ささやかな戦果に満足しつつ、關龍白は言った。
「では、今度は私が尋ねさせてもらうよ。『選んだ』と君は言ったが、皇帝に仕える一下級宦官が、大漢の逆臣の末席に連なる小悪人に何の用かね?」
「私は卿の言う、一下級宦官で終わるつもりはない。卿も小悪人として生を全うしたいとは思うまい」
「それは、私の問いの答えに繋がっていくのかい?」
「互いに望む地位に就く足がかりを得るべく、頼みたいことがある、ということさ」
「宦官仲間を増やしたいというのであれば、お断りしたい。私は痛いのは嫌いなんだ」
「後宮に卿のような鬱陶しい競争相手を作ろうとは思わんよ。使者になってほしい」
「誰の、誰に対する?」
「皇上の、涼王に対する」
「…………」
今度は羅刹が、關龍白の反応を楽しむ番だった。
さすがに關龍白も、息を呑んでいる。
漢室を侮蔑すること甚だしい關龍白だが、それでも皇帝は皇帝だ。
一市井の者が関われる存在ではない。
羅刹は再び卓に向き直ると、引き出しから明らかに上質なものと見て取れる封を厳かに取り出し、深く一礼してから、關龍白に示した。
「密勅だ。正真正銘の本物だよ」
密勅。
公にされることのない、秘密の勅書。
宮廷の内外を問わずして、しばしば多くの血を流す結末をもたらしてきた、皇帝の隠し玉だ。
こんなものをいきなり突きつけられたら、さすがの關龍白も身が震えるというものだ。
「皇上は、涼王との和解を望んでおられる。機会を得たら、反涼の中心人物たる司隷校尉と少府を取り押さえ、再び涼王を帝都に迎え入れたいとの御意向だ。これには、その旨が書かれてある」
「酷い話だ」
途端、關龍白の体の震えが止まった。
唾を吐きたい思いに駆られる。
唾の代わりに吐き出した言葉は、この若者にしては珍しく、感情的だった。
「朝廷はいつもそうだ。どれほど忠義に溢れた功臣であろうとも、都合が悪くなるとすぐ切り捨てる。羅刹、せいぜい君も気をつけることだ。漢朝は敵のみならず、忠臣たちの屍の上にこそ、成り立っている」
「元々皇上は、涼王を除くことに乗り気ではなかったのだ」
釈明するように、羅刹は言った。
關龍白の感情的な忠告は、敢えて無視しながら。

「だが、敗走してきた司隷校尉を捕えてから慌ただしく勅書を作っても、卿の言う通り、漢室の節操の無さが際立つだけ。涼王の勘気を解くに至らぬとは、皇上も御承知であられる。だから、朝廷にも汗をかく意志があることを涼王に示そう、というわけさ。この密勅でね」


涼王の勘気。
その部分に、關龍白は心中、皮肉の笑みを浮かべた。
羅刹がそう口にするのは、わかる。
客観的に見て、皇帝が涼王を除こうとした事実は厳然と存在するのだから、中華にあるほとんどの者たちも、そう捉えていることだろう。
だが、「裏切られた」張本人たる涼王はどうか。
關龍白は20日余りに渡って、涼王と潜伏生活を供にした。
この間、涼王は様々な不平不満を口にし、罵った。
一番多かったのは、やはり郭図公則のこと。
あの者の名を口にする時、いつも涼王は「裏切り者の」という連体修飾語を付けた。
希代之や馬参ら、七同志を詰ることもあった。
すなわち、「なぜあいつらは、わしを助けに来んのだ!」と。
親衛隊副隊長の公孫栄にも不満はぶつけられた。
「おぬしの叔父貴がしっかりしておらんから、こうなったんだ」と。
自分を匿ってくれている、楽楊や關龍白すら標的となった。
「いつまでこの状態が続くのだ」とか、「飯が不味い」とか、「米酒は飽きた。芋酒くれ」とか。
親衛隊長の曹表も、しょっちゅう涼王の舌鋒に遭っていた。
ただし、こちらは余りにもどうでもいい内容ばかりだったので、關龍白も記憶から消去している。
とにかく、潜伏中の涼王は、他者に対する口撃でもって、時間を潰していたようなものだった。
にもかかわらず、ただ一人、涼王がまったく非難しなかった人物がいる。
それが、皇帝だった。
皇帝こそが裏切り者、と楽楊が説いた時、涼王は明日の天気についてでも話すかのように、あっさり言ってのけた。
「わしがどれだけ皇上に忠義を尽くしてきたか、一番御存知なのは、皇上御自身である。もし仮に、おぬしらが言うようなことが勅に書かれていたとしても、それは皇上の御意によるものではない。頑迷少府の丁秦、そして裏切り者の郭図公則に強要されたがゆえ、泣く泣く印を押されただけのこと」
潜伏生活を供にする過程で、關龍白は涼王が、自分の感情を発するに頓着しない性格であることを知るようになった。
にもかかわらず涼王は、精神的に不安定になってもおかしくない状況ながら、潜伏者にとって決して短いとは言えないその期間、皇帝への恨み節を一切口にしなかった。
今、羅刹は、「元々皇上は、涼王を除くことに乗り気ではなかった」と言ったが、涼王は実に正確に、皇帝の心中を察していたわけだ。
それが、「洞察」と呼べるような思考経路をたどっての結論だったかどうかは別として。
涼王の勘気は、確かに存在する。
ただし、それは郭図公則や少府の丁秦に向けられていて、皇帝に対しては皆無、というのが、關龍白の見立てだった。
もちろん、關龍白にとってその見立ては不本意なものだったが、現実に見聞きしたことに目を背け、自分の精神だけを満足させる都合の良い見立て――いや、妄想を仕立て上げることの方が、關龍白にとってはもっと不本意だった。


涼王は、皇帝への勘気など持っていない。
その事実を、關龍白は羅刹に告げる気はなかった。
羅刹からの協力申し出を受けている身とはいえ、これに応じるとはまだ決めていないし、そもそもこの旧知の「友」は、油断ならない輩。
こちらの情報一切合切を伝えてしまうのは、考え物だった。
一方の羅刹は、關龍白の思念に気付いた様子もなく、言った。
「一応私にも、部下と呼べる者がいる。ただ残念なことに、機転の効かない連中ばかりでね。夜中、壁に落書きさせるのが関の山で、こんな重大な任務など、怖くてとても任せられない。そんな折、宮中のとある部署で、卿の名前が書かれた手配書を見つけた、というわけだ」
「こんな大層な物を、私などに預けてしまっていいのかい?」
關龍白は、冷笑してみせた。
「私は、朝敵と認定された涼王を助けた男だよ。そんな私が、朝廷を救う策謀に加担するとでも? まあ、百歩譲って涼王に届けるは由としても、天地天命に賭けて私は、この密勅を天下に公表するよう涼王に申し出るがね」
卿がこの密勅を晒したところで、事態は何も変わらないよ。こちらは『涼方の策略なり』と宣言するだけだ」
「君の見立ては、饅頭の餡子並みに甘いね。
朝廷と司隷校尉の関係は、一気にこじれるじゃないか。もちろん、皇帝と司隷校尉の関係も。最低限でも疑心暗鬼、場合によっては、帝都で同士討ちだって起こりうる。敵方の内紛というヤツは、涼軍にとって悪い話じゃない」
「心配せずとも、朝廷と司隷校尉の関係は、既に良好なものではないのでね。かと言って、司隷校尉が朝廷への攻撃に及ぶことは、絶対にない」
羅刹は、冷笑と自信に満ち溢れた表情で言った。
「司隷校尉は、逆臣の涼王から皇上をお救いするという名目で、此度の叛乱に及んだ。そんな御仁が、挙兵から二ヶ月程度で漢室への攻撃に至ったりしたら、どうなると思うね? 司隷校尉は拠って立つべき名目を失い、勢力は離散するよ。それがわからぬ司隷校尉ではない。少府にしても、そう。あの御仁は、自分の漢室への忠義に誇りを持っているし、自分がそれに相応しい信頼を得ている、と信じている。皇上が『あれは涼の計略だ』と説明なされば、一も二もなく信じるよ」
「よくもそこまで、起こりうる危機というやつを、都合よく排除できるものだね。君は、裏切られる者の感情をまったく考えていない」
「考えているさ。考えた上で、そう確信している」
「どうだかね。君は、自分に都合の悪い要素に目を瞑りつつ、『願望』を『見立て』と信じ込んでいるだけだ」
「それを言うなら、卿の見立てもそうだろう。『こうなってほしい』という終着点を設定し、それに沿う形で登場人物の心理をこねくり回している」
まったくもって動じない羅刹に、關龍白は肩をすくめ、胸の前に両手をかざした。
これ以上言っても無駄だな、という思いが沸いてくる。
ただ、自分の見立てが大きく外れているとは思わない關龍白も、羅刹の読みにもそれなりの筋があるとは承知していた。
確実に言えるのは、關龍白と羅刹は、郭図公則でも丁秦でもない、ということだけだ。
結局のところ、密勅が公表された時、連中がどのような反応を示すかは、その時にならないとわからない。
すなわち、どちらの見立てが正しいかなどという議論は、不毛でしかない。
「だがね」
羅刹は声色を変えることで、「言葉の戦場」の変更を宣言した。
關龍白と同じ結論に達したらしい。
「実に妙な話だが、私と卿は利害関係で一致している部分があるのだよ。わかるかね?」
「さてね」
羅刹の切り替えの早さに若干呆れつつ、關龍白は素っ気無く答えた。
かまわず羅刹は、言葉を連射する。
「間もなく、涼王の軍勢が帝都に攻め上ってくる。司隷校尉もその迎撃準備に余念がない。歴史に残る一大決戦が帝都近郊で起こるだろう。このままではね」
「それで?」
「この戦さで郭図公則が勝ったら、私としては困るんだ」
「なぜ?」
「燕だよ」
「燕」
「此度の叛乱発生から時を置かずして、燕の軍が帝都入りした」
「文醜将軍だな」
「早すぎる。しかも、4万も。いつ魏軍に蹂躙されるかわからぬ立場だというのに、此度の燕の動きは周到すぎるし、大胆すぎる」
「司隷校尉と燕は裏で繋がっている、ということか」
「その前提で、燕公が何を望んでいるか、考えてみればいい。北原の痩せ細った四都市に留まるより、10万以上の軍勢を擁する帝都に移った方が遥かに安全だし、今後の展望も検討できる。何より、漢室を庇護する立場となれる。滅亡を待つ身から、天下に号令をかける身へ、劇的に変化するわけだ」
「それがなぜ、君を困らせる?」
「燕公は、魏公に軽く手玉に取られるような御仁だよ? 燕公が帝都入りしたなら、燕の寿命は多少延びるだろうが、漢朝の滅亡は逆に早まる」
「漢朝の滅亡は、早まる?」
關龍白は狐のように目を細め、羅刹の「失言」に食いついた。
「驚いたね。君は漢の臣でありながら、漢の滅亡を前提として物事を考えるのかい?」
「何にでも終わりはあるものさ。人は必ず死ぬというのに、漢朝だけは永続できると考えるほど、私はおめでたい人間ではない」
対する羅刹は、關龍白の鋭い指摘に、内心舌打ちをしていた。
「とはいえ、漢の命数が尽きた、などと思っているわけでもないんだ。確かに今の漢朝は、なかなかに重い病状に喘いではいるが、適切な処置さえ行えば、まだ数十年、あるいは数百年に渡って、中華の盟主として君臨できる」
もっともらしく繕った羅刹は、話を元に戻した。
「魏公についても、燕公とは違う理由で困る。彼の仁は明らかに、漢朝を下に見ている。ある程度の力を蓄えたなら、簒奪に及ぶ公算極めて大、だ」
「君の見立てかい?」
「まあね。ただ、そう大きくは外れていない、と思っている。憶えているかね、私は人の機微の見極めが、けっこう得意なんだ」
「では、涼王は?」
「皇上に謁見しているところを遠くから見た程度で、私は涼王と話をしたことはない。その上での印象だが、彼の仁の漢室への忠義は本物、と私は受け取っている」
「許田の巻狩りで、涼王は皇帝へのやんちゃに及んだ、と聞いているが」
「事実だよ。私もその場にいた」
「それでも、涼王の忠義は本物だと言うのかね?」
「そのことについては、皇上が私に話して下さったよ。涼王は、自身が為したことへの正当な評価に、病的なほどに拘る男だ、と。あの時の涼王は、自分の言動が皇上を辱めるものだとは、全く思わなかったのさ。居合わせた文武百官が、自分の射た矢を皇上の物と誤解した。だから、訂正した…………涼王は、その程度の認識だったらしい」
「皇帝が、そう言ったのかい?」
「皇上が、そう仰ったよ」
一天万乗の君に相応しい敬語を使うよう、さり気なく促す羅刹を無視し、關龍白は腕組みをして黙り込んだ。
面白くない。
涼王が帝位簒奪を考えていないとは、自分だけが掴んでいる情報と思っていたが、羅刹も別ルートから、その結論に達していたとは。
相手が知らない情報をこちらは掴んでいる、という優越感も、これで一気に吹き飛んでしまった。
(ただし)
顔の表情を微調整しながら、關龍白は思う。
(こいつは帝位簒奪の意志はともかく、涼王が皇帝への怒りを抱いていないことは知らない)
ならば、そう思わせておけばいい。
少し気持ちを持ち直した關龍白は、問いかけを再開した。
「君の都合と見立てはわかった。だが、私の利害関係とやらはどう絡んでくるのだ? ちょっと見えてこないが」
「それを説明する前に、卿の仕事を再認識してもらおうか」
「この紙切れを、涼王に届けるんだろ?」
「届けるだけなら、私の無能なる部下の誰かにやらせるよ。皇上は涼王の返事を望んでおられる。もちろん、応諾の」
「無用極まる望みだね。涼王に断る道理があるとでも思っているのかい? 強敵を漢朝が潰してくれるなら、涼王にとっては願ったり叶ったりだ。そして、守備軍が霧散した帝都に堂々と入城し、それからゆっくりと、自分を裏切った朝廷をどう料理するか考えるのさ。涼王がどんな献立を思いつくか知らんが、君は怯えて待てばいい」
「それが困るから、卿に白羽の矢を立てるのだ。卿は、涼王を説得しなければならない。涼王が皇上の御心痛を察するように。涼王が皇上との和解を決意するように。念のために言っておくが、これに応じる旨を記した涼王直筆の書面、そいつを忘れてきてもらっては困る」
「御免こうむる。漢のために振るう舌など持たん」
「気持ち良く断られたところで、利害関係に付いての説明といこうか」

皮肉な笑みを浮かべながら、羅刹は言った。
卿は、涼王の帝都脱出に尽力した。涼から見れば、これは極めて大きな功績だ。しかし、卿は考えたことがあるのかね? 司隷校尉の軍が涼王の軍を破ったら、卿の功績を評するものは存在しなくなるのだよ」

途端、關龍白は露骨に顔をしかめた。
不機嫌の由縁は、羅刹が指摘した内容よりも、羅刹が顔に浮かべたその表情にある。
小馬鹿にし、見下す。
關龍白は子供の頃から、羅刹が時折見せる、その表情が大嫌いだった。
羅刹は羅刹で、關龍白が浮かべる嫌悪の表情を、それこそ何度も見てきたはずだった。
にもかかわらず、やめない。
皇帝の前でもそんな表情をしていたのであれば、とっくにその首も飛んでいるだろうから、無意識に出る、という類のものではあるまい。
相手が自分だから、やるのだ。
そして、やめないのだ。
關龍白は、そう断定している。
「そういうことなら、君に心配してもらう義理はないね」
羅刹を睨みつけてから、關龍白は突き放すように言った。
「涼軍は強い。私は帝都に再び涼の旗が翻ることに、疑いを持ってはいないよ」
「確かに涼軍は、強い」
羅刹は小さく頷いた。
ただしそれは、反論のための助走だった。
「だが、忘れてもらっては困る。司隷校尉の軍もまた、元は涼軍。精強無比なる軍隊だよ。すなわち、涼対涼だ。どちらが勝つか、卿は確信が持てるのかね?」
「…………」
今度こそ關龍白は、口ごもった。
そうなのだ。
涼対涼。
いずれ洛陽近郊で起こる決戦は、中華最強と称される軍勢同士の戦いになるのだ。
涼王は優秀な将軍を擁しているが、郭図公則もまた、戦さ上手で鳴らした男。
羅刹の言う通り、どちらが勝つかなど、誰にもわからない。
「だいたい、考えてもみたまえ。涼王は、『次の戦い』なんて到底望める立場ではない」
勝ち誇ったように、羅刹は畳み掛けてきた。
「司隷校尉の軍に負けてみろ。長安や襄陽といった反涼王の勢力は、一層勢いを増すぞ。それどころか、涼の楔から脱する都市がさらに増えることだってありうる。魏や呉の圧力だって忘れちゃいけない。そんな中で、敗れた軍を再び建て直し、そして再び帝都への侵攻を図るなど、無理難題もいいところだ。わかるかね、關龍白? 確かに司隷校尉は、敗れたら後がない状況だ。しかし、後がないのは、涼王も同じ、そして、卿も同じなのだよ」
「私も、かね?」
「涼軍が敗れたなら、卿は市井の一庶民のまま…………いや、後々のことが面倒だから、卿の隠れ家にお客が訪ねてくることになるだろう。まあ、客は客でも、『刺客』だけどね
「功績に相応しい処遇を得るためにも、招かざる客を招かないためにも、漢朝が司隷校尉と少府を討つのは、私にとっても好都合…………君はそう唆すことで、私の信条を捻じ曲げようとしているわけだ」
「悪い話ではあるまい? 卿は恩恵に預かれるのだから。ただし、無条件で恩恵を受けるなど、堅物たる卿の望むところではないだろうから、仕事を用意したのさ。そして、恩恵を得るのは大漢も同様なので、こうして腰を低くして頼んでいる。この密勅を持ってちょっとばかり走り、涼王の色よい、かつ真意に満ちた文字の躍る書状をもらって帰って来てください、とね」
「何だ、頼んでいたのかい?」
「脅迫しているようにでも聞こえたかい?」
「依頼なら、断る権利もあるはずだ」
「この期に及んで、まだそんなことを言うとはね」
「どうなんだ?」
「まあ、普通はあるね」
「ここで私が権利を行使したら?」
「万難を排して、この屋敷から逃げ出そうとするのは、卿の自由だ。それぐらいの選択の自由は、私も認めよう」
「憶えているだろうに。私はあまり、脚が速い方じゃない」

「泣き言を言っている余裕はないと思うよ。私の部下は、謀事には向かないが、走るのは得意だ」
「捕えたら、司隷校尉府に引き渡すのかい?」
「卿には色々と喋りすぎたから、それはやめておこう。隣りの部屋でひっそり殺されてもらえるなら、私としてはありがたい。この部屋は勘弁してくれ。自浄して以降、すっかり血の臭いが苦手になってね」
「立派に脅迫じゃないか」
「言っただろう? 選択するのは自由だよ。そして、逃走に成功した後、ひたすら涼王の勝利を祈り続けることも、卿の自由だ」
「五分五分…………かねえ、やっぱり」
「まさかとは思うが、卿がここから逃げ出せる確率を言っているのかい?」
「だから、私は速く走れないって」
「では、涼軍が勝つ確率のことだね」
「そう」
「皇上と涼王の和解が成るなら、その確率は格段に跳ね上がるわけだが」
「確かに。私の功績が無に帰す可能性が半分、というのは、心臓に良くない」
「未知の脚力を発揮する可能性に賭けるというのも、大穴狙い甚だしいしね」
「悔しいが、それには同意せざるを得ない」
「卿は涼王の帝都脱出を支援した。加えて、皇上と涼王の極秘文書の配達人という、重要な役割も果たせる。卿に対する涼王の覚えがさらに良くなることは、旧友たる私にとっても喜ばしいことだ」
「君には、策謀の才がある。相手を説得する話術も豊富だ。そして、自意識過剰。久しぶりに会って、ようやくわかったよ。なるほど君は、歴代宦玄の名を継ぐにふさわしい資質を持っている」
「引き受けてくれるね」
「帝都から脱出する手段がない。四門はいずれも、厳重な警備が敷かれている。密勅もすぐ見つかってしまう」
「心配するな。私もひとつ、郊外への抜け穴を知っている」
「やっぱり、抜け穴か。管理人も芸のない…………」
「子供の頃、卿や他の悪童たちに苛められた時、私はいつもそこに逃げ込んでは、一人泣いていたものさ」
羅刹はそう言いながら、念入りに封印された封書を両手で差し出した。
關龍白は片手で、それを受け取った。
互いの存在を疎ましく思っている旧友同士の奇妙な同盟は、かくして締結された。
ただし、この密勅が羅刹の手による偽勅であることは、羅刹の口にするところではなかったし、当然、關龍白の知るところでもなかった。










207年5月現在(C)◆KOEiWSYs

                 北平
         
┏━┳━━━━━━
       
晋陽  ┃    ┃平原
         ┃
渤海━━┳━━┳━┓
西涼   上党┃     業β ┗┓┗北海
   
     ━━━━━━┓  ┃  ┃
   ┃ 弘農  ┃     
┃ ┃濮陽済南┃
西平┫ ━━洛陽 ┏┛ ━━┛  ┃
   
    ┃┗━┳━━┻━┓   ┃ =呂砲
天水┏ 
┃長安 ┗┓ ┃ 陳留   ┃ ┏━┛  @=第一軍(呂砲)
  ┃┗━
━┓ 宛┃@許昌  小沛    A=第二軍(吾玄)
  
  ┃ ┗━━┗━┓    ┃┗下丕β・ 
  
漢中┃    ┗━┓ ━━━┛ ┃   =曹操
武都┗━━━┓新野━┓ 礁  ┃   =孫策
    
┏┛ ┃  ┃   汝南┗┓   ┃   =郭図公則・袁譚
    
┃上庸┃  ┃襄陽    ┃  ┏広陵 =関羽
  
┛ ━━━┓  寿春    =馬騰
  
┃   ┃   ┃ ┃      ┃    =劉璋
  ┣━┓
 ┃永安┏┛┏江夏   ┏┛    
  ┃巴━┳━┫┗━┓A抹陵  
 
 ┃ ┃   ┃江陵┃柴桑┗廬江 ┃    
成都━┛ 武陵  ━━━┫ ┏━┛  
  ┣┓    ┣━   ━┛  ┏┛   
永昌┃  零陵 ┃長沙  翻陽   ┃    
  ┃建寧  ┗       会稽◆       
三江┛    桂陽                   



郭図公則の叛乱に関する時系列

「★」に続く赤文字は今回更新分の出来事
黒文字は洛陽関連、桃文字は第一軍関連
  緑文字は第二軍関連青文字は第三軍関連
  紫文字は魏関連、水色文字はその他
4月 皇帝が洛陽に帰還
叛乱
発生
初日
洛陽太守・郭図公則、呂砲に対し叛乱の兵を挙げる
糜統、呂砲を取り逃がす
潘璋、公孫讚を殺害
華キン、公孫師を捕縛
士炎、楽楊を取り逃がす
黄忠、町費を取り逃がす
糜統が偽の呂砲の首を用意
2日 郭図公則、皇帝に「呂砲殺害」と嘘の奏上
皇帝、中華各地に反涼の兵を挙げるよう促す勅を発す
町費、部隊の兵士の家に匿われる
呂砲の偽物の首が市場に晒される
關龍白、呂砲の生存を確信
楽楊が呂砲を匿う
3日 呂砲の「影武者」探しの名目で、捜索継続
4日 俸仕が許昌に逃げ帰り、希代之が郭図公則叛乱の報を入手
郭嘉配下の文官・翻武が郭図公則に通じていることを把握
郭図公則の使者が宛の馬超に挙兵を告げる
6日 郭図公則、呂砲を取り逃がしていたことを朝廷と洛陽軍幹部に告白
7日 関平隊、許昌から出撃。目的地は洛陽
曹操が郭図公則の叛乱を知る
宛に希代之の使者と勅使が訪れる
8日 成抗が新野で賈クと会談
10日 郭図公則、司隷校尉に昇進
12日 町費隊の将校およそ50人、公開処刑
蒼月、町費の配下となる
13日 成抗、馬超と会談
14日 関平隊、洛陽郊外に到着・滞陣
呉嬰、俸仕が洛陽に潜入
15日 関平と潘璋の会談
俸仕、洛陽軍に入隊願い
第三軍が叛乱を知る
曹操率いる汝南の魏軍が出撃。目的地は許昌
程cの細作が「汝南魏軍出撃準備」の報を宛にもたらす
程cの細作が「長安は洛陽政権に同調」の報を宛にもたらす
18日 呉嬰、司馬懿と再会
呂砲、呉嬰、司馬懿が会合
馬参、呂砲の後を継ぐことを決断
抹稜で吾玄隊と袁奉隊の兵士が衝突(抹稜騒乱)

袁奉が吾玄に対し自身の第二軍離脱を再度求める。吾玄、受諾
20日 上党で第三軍が燕軍に敗北
袁奉隊、抹陵から離脱
許昌に汝南の魏軍が襲来
21日 廖影、第三軍から離脱
俸仕、司隷校尉府付き兵士となる
22日 文醜率いる燕軍4万が洛陽に到着
伏幹、宛の馬超に許昌への援軍派遣を要請
馬超、許昌へ出撃
「襄陽の蔡瑁自立」の報が宛に届く
23日 廖影が郭図公則陣営に参陣
陳留と礁の魏軍が許昌に到着
洛陽南門郊外で戦闘勃発
俸仕、公孫師と出会う
監禁されていた町費隊1万4000による暴動
町費、洛陽脱出
関平、戦死
楽楊、死亡
呂砲と町費が合流

温寧が業βの放棄を提案
馬参と温寧が「一合戦」
24日 郭図公則、呂砲捕縛を断念
袁奉が盧江守備隊の呉班らを殺害
吾玄、郭図公則の叛乱を
知る
第三軍が業βを放棄
26日 馬忠が袁奉と呉懿の戦闘に遭遇
27日 馬超隊、許昌に到着
28日 馬忠が袁奉と呉懿の戦闘を吾玄に報告
30日 吾玄隊、抹陵を出撃。目的地は廬江
袁奉、呉懿も殺害
31日 袁奉、停戦の使者だった参露を地下牢に幽閉
33日 第三軍が陳留を突破して許昌に到着
呂砲、許昌に帰還

許昌攻撃中の魏軍が撤退
陸遜隊兵士・茸松、「宝の山」が「禿げ山」と化したことを知る
34日 吾玄隊、廬江に到着
蔡瑚、第二軍混乱に関するすべての罪を被って自刎
成抗、西涼に帰還。馬騰が挙兵
36日 蒼月、新野の状況を探る
38日 朔夜、成都太守府より馬を大量受注
39日 張合β、陳留陥落を把握
40日 長安の使者・楊修が馬騰に同盟を持ちかける
許昌で軍の再編が本格化
43日 吾玄と袁奉、抹陵に帰還
45日 帝都奪還軍の陣容が決まる
馬超、琉蹴に洛陽奪還軍への編入を告げる

抹陵に夏侯惇と孫策が相次いで布陣
47日 茸松、親衛隊参軍となる
48日 参露、襄陽にて関羽と対面。劉進に殴られる
馬超率いる長安方面軍が許昌を出撃
49日 西涼に鮮卑族の軍勢が侵入
51日 波羽於莉が茸松、町費と商談
52日 朔夜が漢中に到着
楊丙と馬鉄が大喧嘩
宦玄が皇帝の真意を確認
53日 蒼月が町費に荊州の状況を伝える
新野の状況に付いて、町費と希代之が意見交換
朔夜が五斗米道教祖・張富と会談
54日 錘柄率いる撹乱隊が孫呉軍に夜襲
夏侯惇と黄蓋が鯨飲
55日 吾玄が孫策に内通していた呂蒙と宋謙を殺す
魏軍と呉軍が抹陵城攻撃を開始
56日 魏呉軍の抹陵城夜襲、失敗
吾玄、魯粛を処刑
57日 ★宦玄と關龍白が会談
58日 魯粛の葬儀が執り行われる
59日 魯真衣、抹陵から離れる
参露、抹陵に帰還
60日 馬騰軍が西平攻略を開始
呉軍の増援部隊を魏延が撃破
孫策が抹陵から撤退

寿春の満寵率いる魏軍が抹陵に到着
61日 涼魏和約の知らせが曹操から夏侯惇に届く
袁奉が魏軍への夜襲を実施。戦死
夏侯惇、抹陵から撤退
68日 馬騰軍が西平を制圧
成抗、「涼軍が長安に向け出撃」の報を受ける





關龍白

宦 玄

  

       

野望乱立(その一)       野望乱立(その三)

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